最終更新:2009年3月31日

ロシア市場を拓く、福島のニット:JKBプロジェクト委員会

好評だったJapan Brandとのコレボレーション連載、今回が最終回です。


福島県にある伊達という地域は、世界に誇れる高度な技術の集積地である。その技術とは、ニット産業だ。ニットとは、ループ状の糸に糸をつなげていくことを指していう。平易な言葉で言えば、編み物ということになる。60年代、70年代には、1000もの事業社が軒を連ね、織機の音を同地一体に響かせていた。現在は、アジア諸国の進出によって、衰退の一途をたどるこのニット産業。しかし、これを再生しようとする動きが、JAPANブランドを通じてにわかな盛り上がりを見せている。そのムーブメントを先導するのがジャパンニットブランド(JKB)プロジェクト委員会。同委員会が探る地場産業の生きる道、そこへのユニークなアプローチとは一体どのようなものだろう?

取材:鈴木隆文

素材感やテクスチャーの表情など、梁川ニットの製品には、格調の高さが漂う。

それぞれの工程において必要な手作業と機械作業とが施される。

ここ福島県伊達市では、他とは違った形でJAPANプロジェクトの事業に取り組んでいるという話を聞きました。

私たちが世界に紹介したいと考えているのは、この土地に1950年代頃から興った地場産業のニット技術なのです。でも、その推進委員会を構成する委員は、ニット製品づくりに携わる製造業者ばかりではありません。むしろニット業界以外の人たちが、主となって、プロジェクトの推進をしています。やはり、餅は餅屋というのがありますから、ものづくりに専心してきたニット製造業者に、モノを売るための貿易取引やイベント制作や広告制作を整えろと言ったって、そんなことが簡単にできるわけはない。それが私たちの考えなのです。だから、それぞれの分野にもっと精通した人材で委員会を構成しようということになったわけです。

しかし、そのようなメンバー構成だと商品開発が上手く立ち行かないのではないでしょうか?

私たちが今、売り込もうとしているのは、いわゆる伝統の技術を使ってつくり出す新商品ではなく、ニット製造の技術力です。この伊達という土地には、何十年という歳月を経て蓄積されてきた、確固としたニットづくりの匠の技と設備があります。私たちが売るべきは、形になった新商品ではなくて、高いクオリティの製品を生み出す既にある高い技術の方ではないか、私たちはそう考えたのです。たとえば、この土地のパタンナーは、簡単なデザイン画からでも、線の一本一本を立体化して、3次元のモノに転換する技術力を持っています。ロシアのデザイナーがファックスで送ってきた簡単なデザイン画から短時間のうちに、3次元のニットに転換してしまうのですから、相手も驚いていましたよ(笑)。

高い技術を持ち、簡単なスケッチからでもパターンを起こすことのできる梁川ニットのパタンナーたち。

ニットづくりには欠かせない 業務用機械。工場内には見たことのない機械がずらり並ぶ。

福島県伊達市に伝わるニットの製法を梁川ニット(やながわにっと)と呼ぶと聞きましたが、この土地のニットづくりとは、どんなものなのですか?

ここにはニットづくりのための高い技術力があります。それは、高級婦人ニットの分野において、日本一であることからもわかります。この土地には工場が集中していて、最新コンピュータ内蔵機器が整い、手編み機を使える高い技術を持った職人が今も尚、存在しています。つまり、クオリティの高いニット製品を生む土壌がすべて整っていて、活用さえすればいい状態にあるのです。

そういった土壌が整うまでには、どんな歴史があったのでしょうか?

元々、ここらは蚕都梁川とまで言われるほど、養蚕が盛んな土地でした。しかし、1950年代頃から、化学繊維が出てくると、手作業の養蚕が産業としては成り立ちづらくなっていきました。そこで梁川が転換したのが、繊維産業。これが、見事に高度経済成長の波に乗って、60年代から70年代にかけて、土地の一大産業にまでなっていったわけですね。しかし、ご存知の通り中国製や韓国製などのニット製品が台頭してくると、梁川ニット産業は失速をしていき、現在へと至るわけです。

2008年11月にロシア・サンクトペテルブルグのプレミアムホールで開催されたファッションショー。

ロシア市場に狙いを定めているのには、どんな理由があるのでしょうか?

市場をどこにつくったらいいのかについて熟慮してきた結果がロシアでした。そして出した結論が、イタリアでもフランスでもイギリスでもなく、ロシアに市場をつくるということだったわけです。それは、ロシアという国が、日本に対して友好的で、日本製品の繊細さやクールさというものに対して、より大きな共感を示してくれる土地だろうと考えたからです。加えて、彼らは資源大国であるがゆえにいろいろなものを輸入してきた歴史を持っています。意外かと思われるかもしれませんが、ニット製品でさえもトルコやベラルーシから輸入してきたという歴史もあるのです。私たち日本人は、ロシアという国が持つ魅力にまだ気がついていない。ロシアは文化的な話だけではなく、市場という点でも魅力的な国なのです。彼らロシア人は、質のいい素材や技術というものを求めていて、日本から生み出されるような付加価値のついた高いクオリティのものに敬意を示してくれます。その点からも日本製品に対しては、市場はオープンなのではないかと考えています。

現地のロシア人を巻き込む形で行われたサンクトペテルブルグのファッションショーの準備の様子。

実際に何か得た反応というのはありましたか?

2008年には、1月に首都のモスクワ、11月に経済都市のサンクトペテルブルクのプレミアムホールでファッションショーを開催したました。特に後者は盛況で、伊達市のニットメーカーを中心に6社が参加し、6人のロシア人モデルがロシア人デザイナーがデザインをした40点の作品を身にまとって紹介をしました。これを見ようと詰めかけた人の数は、業界や芸能関係者ら約300人にものぼりました。私たちのニット製品の製造技術を用いて、デザインを担当してくれたロシア人デザイナーも仕上がった製品を見て大変満足そうでしたね。最初は、大した期待も持っていなかったのですが…(笑)。この試みで、同地がどんなニット製品の製造に対しても、受注対応できる高い技術力があることは示せたはずです。

ロシア市場を開拓するために必要だと考えていることは、どんなことでしょうか?

今、私たちが何よりも重要だと思っているのは、人間関係づくりです。いくらいいものをつくったり、いい技術を持っていても、
人間関係づくりが上手くいっていなければ、ビジネスにはなりづらい。人と人が関わりを持って、信頼できる人を通じてしか、商品や技術は届かない。それは日本であれ、ロシアであれ、変わらない。だから、私たちは、ロシア人の業界関係者との関わりに最も力を注いでいるわけです。



話を聞いている限りにおいて、傍目に同プロジェクトは、とても順調に進んでいるように映ります。その秘密はどこにあるのでしょうか?

それは、やっぱり駆け引きせずに、素直に謙虚に「教えてください」、ということが重要なのでしょうね。駆け引きをするのは禁物かもしれません。

今後はどんな展開をお考えでしょうか?

今、実現をしたいと考えているのは、東京の麻布にあるロシア大使館でのエキシビション、ファッションショー、そして商談会ですね。そして、何よりもニット製造の受注を受けられたらと思っています。

JKBプロジェクト
JKBプロジェクト
※同記事の工場写真は、伊達市内に拠点を構える㈱大三の工程風景。JKBプロジェクト委員会の重要なメンバーでもある。

横山光衛
横山光衛
福島県伊達市生まれ。JKBプロジェクト委員会委員長。

同プロジェクト各地参加者の生の声

㈱大三・代表取締役社長
三品清重郎専門委員

モノをつくるノウハウと、モノを生み出すノウハウは違います。私たちのプロジェクトでは、モノをつくるノウハウ、つまり生産能力を売っていこうと考えているわけです。モノを生み出すノウハウ、つまり商品企画やデザインなどは、それぞれの土地の人間でもできるわけです。梁川という土地に集う人員と設備を使ったら、どんなニット製品でもつくれてしまう。今回、私たちが狙いを定めているロシアに売りたいものも、付加価値の高い、私たちの生産能力です。今は、つくれば売れるという時代ではありません。付加価値のあるものを売るというのは、限られた層、ニッチな市場を狙うという意味からは、競争力が求められます。かつて私たち日本人は中国や韓国などに工場を建設して、安く大量につくって目先の利益だけを求めて、彼らに製造依頼をしてきました。ニット生産力を持つ中国や韓国が、この市場に進出をしてきたわけではありません。今は、そのしわ寄せがやってきている。ですから今後のJKBブロジェクトとでは、その点を熟慮しながら、将来の産地のあり方までを見据えて、リスクを回避しながら循環型のものづくりの仕組みづくりを行っていきたい。そうしながら、伊達のニット産業を活性化していけたらいいと考えています。

Japan Brand

Japan Brand

Tokyo Art Beat・TABlogでは、「CasaBrutus(カーサブルータス)」とともに、JAPANブランドと恊働する公式メディアとして、各地のプロジェクトを紹介していきます。 日本各地の歴史や文化に育まれてきた素晴らしい素材や伝統的な技術を生かして、現代の生活や世界の市場で通用するブランドを確立しようとする取り組みです。中小企業庁、日本商工会議所、全国商工会連合会が中心に連携をとりながらも、地域の中小企業、職人、デザイナーなど数多くの専門家たちが同JAPANブランド(ジャパンブランド)プロジェクトに参加しています。