公開日:2021年3月12日

東日本大震災が起きた瞬間、あなたは何をしていましたか?:卯城竜太に5つの質問

震災を起点としたこの10年間に、人々は何を考えどのように行動してきたのか? アーティストや関係者にインタビュー。第3回は、福島第一原子力発電所付近の帰還困難区域を舞台とした国際展「Don’t Follow the Wind」を発案した、アーティストコレクティブ「Chim↑Pom」卯城竜太。(インタビュー・構成:永田晶子)

2021年3月11日、東日本大震災の発生から10年を迎える。震災を起点としたこの10年間に、人々は何を考えどのように行動してきたのか? アーティストや関係者にインタビューを行い、忘れ得ない出来事、人間が学ぶ教訓としての震災を振り返るとともに、今後を展望する。

第3回は、福島第一原子力発電所付近の帰還困難区域を舞台とした国際展「Don’t Follow the Wind」を発案した、アーティストコレクティブ「Chim↑Pom」卯城竜太のオンラインインタビュー。震災にいち早く反応したChim↑Pomは被災地に入り、福島第一原発付近で撮影した「REAL TIMES」や被災者の若者と共作した「気合い100連発」などを制作し、岡本太郎の壁画に原発事故の絵を添えるゲリラ行為も行った。(インタビュー・構成:永田晶子[美術ジャーナリスト])

「REAL TIMES」 2011 ビデオ(11分11秒) Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production

 

1:東日本大震災が起こった瞬間、卯城さんは何をしていましたか?

実家で寝ていました。大きな地震だと思ったけれど、テレビをつけても何が起きているかよくわからなかった。他のメンバーはバラバラの場所にいました。

──震災から4年後の2015年3月11日、Chim↑Pomが立案した国際展「Don’t Follow the Wind」(以下・DFW)が東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域で始まりました。国内外12組のアーティスト(アイ・ウェイウェイ、グランギニョル未来、小泉明郎、タリン・サイモン、竹内公太、竹川宣彰、Chim↑Pom、ニコラス・ハーシュ&ホルヘ・オテロ=パイロス、トレヴァー・パグレン、エヴァ&フランコ・マッテス、宮永愛子、アーメット・ユーグ)が域内の4カ所に作品を展示し、封鎖が解除されるまで「見に行くことができない展覧会」です。改めて開催の意図と近況を教えてください。

シンプルな言葉でいえば、モヤモヤが募っていた。2011年にChim↑Pomとして震災にリアクションしましたが、その時のアプローチだけでは済ませられないモヤモヤがずっと続いていたということです。震災から1、2年経ち、帰還困難区域は封鎖解除まで予想できないほど時間がかかる問題と分かっていたし、その長く続く時間をアートとしてどのような形にできるか考え始めました。一方で、帰還困難区域に対する世の中の関心も次第に薄れ、風化していく流れも目に見えていた。そういう色々が結びついて、始まったのがDFWです。つまり、作品を帰還困難区域に展示して、地元に戻れない人々と封鎖解除までの時間を共有する。また、実際に見ることは解除までできないけれど、外にいる人間が作品や区域の様子に思いを馳せることはできるので、多くの人間が想像力を共有する展覧会とも言えます。帰還困難区域は世界的問題なので、国際的な枠組みがふさわしいと考え、海外作家も参加する国際展にしました。アートの問題としても考えました。業界でいえばアートは欧米の都市が中心地とされていますが、真の意味でアートが発信されるのは、帰還困難区域のような世界的に人々がその存在を考えるべき場所が中心になることが、今後のグローバル社会にとって重要なのではないかと。

近況は説明がなかなか難しいです。先週行ってきたんですが、この5年間、作品も設置場所も、あらゆることが常にアップデートされ続けています。帰還困難区域の状況と連動して動いているプロジェクトなので。例えば近年は区域内で再開発が始まり、除染のためどんどん更地になっています。取り壊す家もあり、小泉明郎さんのサイトスペシフィックな作品は展示されていた家と共になくなりました。帰還困難区域の解除がとけないまま、立ち入りが可能になっている場所も出てきました。さまざまな都合や作家の意図により場所が巡回している作品や、内容を更新し続けている作品もあります。徐々に壊れていっていたり、メンテナンスで維持できていたりと、作品の状態もさまざまだし、今後の変化も予測できません。とても複雑なプロセスをたどっています。

「Don’t Follow the Wind」 Courtesy of the artist and Don’t Follow the Wind

2:DFW開催から6年経ち、DFWと区域の関係はどのように変化しましたか?

当初から協力してくださった住民の人とは関係が続いていますし、新たに関わるようになった人もたくさんいます。いまは連絡が途絶えてしまっている方もいます。「住民」とひとくくりにはまったくできません。それに10年といえば、人生の時間軸のかなりの割合をしめるほどの長い時間です。その間、何も変化せずというわけにはいきません。いま水戸芸術館で開催されている展覧会「3.11とアーティスト:10年目の想像力」(5月9日まで)にDFWも参加し、展示の中にDFWと関わってきた住民のインタビュー音声が流れているんですが、それを聞くと、それぞれの方が非常に複雑な状況に置かれ、この10年間に心境の変化や感情の揺れがたくさんあったと感じ取ってもらえるんじゃないか。ずっと使命感を持って活動をしてきたものの、精神的に追い詰められ「私はどこまでいっても『被災者』として見られるんだ」と、「被災者でない『私自身』を取り戻したい」と願う人、再開発で変わる故郷に「あれは復興ではなく新興だ」と違和感を抱く人など、本当にさまざまな方がいて、色々な変化を経てきているので、関係性は一口では言えません。帰還困難区域の状況に即してDFWの中身が変化してきたように、住民の方々の変化に沿って自分たちとの関係性も変化させてきました。

水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の「3.11とアーティスト:10年目の想像」展示風景より 撮影:Jennifer Pastore

──震災と原発事故から10年たち、風化は進んでいると思いますか。

DFWを企画した当時から風化していくイメージはありました。当事者はずっと忘れられないけれど、世の中の記憶は薄れ、当事者でも早く忘れたい人だって出てくるだろうと。東京オリンピック事業が始まった時点で、風化が早まる予感もしました。実際、帰還困難区域の復興計画ができ再開発が始まっても、内部で何が起きているかは、外部の人はほとんど知りません。DFWは風化はあるだろうといううえで構想しました。未来にDFWが見られるようになった時、歳月の痕跡が刻まれた作品と鑑賞者は向き合うことになる。世間から忘れられたまま、域内に流れた長い長い時間と孤独を、作品が代弁してくれるんじゃないかと思います。さらに、会場が取り壊されてしまって作品自体が消失する場合もあります。その後封鎖は解除されて人々は新しい建物や街を目にすることはできるのでしょうが、そのアクセス可能という状態は、帰還困難区域になる以前の町と、帰還困難区域を経た以降の町でしかないですよね? 建物や町が生まれ変わった場合、帰還困難区域の間の町の風景は、一般には見られないまま変わり、終わってしまうわけです。風のように見えないまま過ぎ去ってしまうというか。その間、ずっとその場所にアクセスし続けてきたDFWのプロセスやドキュメントは、そういう意味でも重要なものとなるかもしれません。

展覧会名の「Don’t Follow the Wind」は(風に従うな)は、避難する時に風の向きをみて放射性物質の拡散の方向を計算した、被災した方の言葉から着想しました。作品自体はある意味風化していくけれど、記憶の風化には抗う意味も込めています。

3:この10年を振り返り、震災に対してどのような姿勢で向き合ってきたと思いますか?

震災直後は反射的に向き合ったと思います。日本のアートとして作品を残さなければいけないというモチベーションがまずあった。直後に被災地に行き、凄まじい力を津波と原発災害に感じる一方、嘆くだけでなく、何かできないかと反射的、身体的に動きました。その時期とDFWを着想した2012年では明らかに向き合い方は違います。DFWは反射的ではありません。継続的に観察したうえで始めているし、何か変化が起きるたびに皆で話し合いながら6年間変化と更新を繰り返してきました。それは帰還困難区域の変化だったり、人々の変化だったり、作品の変化だったり、いろいろあります。震災直後の作品が、行為の結果としてすぐ目に見えるものだとしたら、何かしよう・何かしなきゃいけない・何かできると時間をかけて考え続けて、抽象的な目標を設定して取り組んでいるのがDFW。ゴールを絶対的なものとしないで、ずっとプロセスそのものを活動としている感じです。

「気合い100連発」 2011 ビデオ(10分30秒) Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production

4:震災はアーティストコレクティブとしてのChim↑Pomに変化を与えましたか?

もちろん影響はあります。ただ他にも色々なこと、例えばエリイの結婚とか、都市の再開発とか、今回のコロナ禍とか、あらゆることに僕らは影響を受けたり、作品のモチーフにしたりしてきました。その意味で震災が特別とは言えません。

震災もそうだけれど、起きた出来事に人間はまずは翻弄されるしかありません。そのリアルな姿を見せるのがChim↑Pomの一つの特性だと思います。

「気合い100連発」 2011 ビデオ(10分30秒) Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production

5:10年後、震災は日本(人)にとって、どのような存在になっていると思いますか?

基本的に風化の速度は倍速すると思う。震災からの10年を期に、震災関連予算も減っていき、メディアの動き方も変わり、それは風化が加速する原因にもなる。東日本大震災は主に津波による自然災害と原発災害の二つがあり、帰還困難区域は特に復興が難しいのではないか。津波の被災地は再開発が進めば再び人が戻ってくる可能性がありますが、帰還困難区域は今後、規模はだんだん縮小されるにしても恐らくどこかは残っていくだろうし、完全な復興は簡単ではない。日本の社会にどれほど明るいニュースがあっても、それと裏腹の、ねじれた時空間としてかたわらに存在し続けるような場所になるのではないでしょうか。

卯城竜太

卯城竜太
Chim↑Pomメンバー。Chim↑Pomは、2005年に東京で結成されたアーティストコレクティブ。時代のリアルを追究し、現代社会に全力で介入したメッセージの強い作品を次々と発表。世界中の展覧会に参加するだけでなく、自らもさまざまなプロジェクトを展開する。また、東京電力福島第一原発事故による帰還困難区域内で、封鎖が解除されるまで「観に行くことができない」国際展「Don’t Follow the Wind」の発案とたちあげを行い、作家としても参加、同展は2015年3月11日にスタートした。2015年、Prudential Eye AwardsでEmerging Artist of the Yearおよびデジタル・ビデオ部門の最優秀賞を受賞。ソロとしては、美学校でのクラス「天才ハイスクール‼︎‼︎」をはじめ、ネオダダイズム・オルガナイザーズの拠点だった新宿ホワイトハウスでのキュレーション、オンラインと現実空間で開催された秘匿性の高い展覧会「ダークアンデパンダン」の主催、あいちトリエンナーレ2019で閉鎖された全ての展示の再開を求めたアーティストらによる運動「ReFreedom_Aichi」など、オーガナイザーとしての活動の他、執筆などを続けている。2021年10月21日から2022年1月30日まで森美術館にて新作を含む大規模回顧展を開催。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。