公開日:2022年10月20日

北川フラムが語る過去・いま・未来。「困難があればあるほど、普遍に行き着く」

Tokyo Art Beatのシリーズ「Why Art?」は、映像インタビューを通して百人百様のアートに対する考え方を明らかにする企画。同企画の一環として、開催中の「越後妻有 大地の芸術祭2022」と「瀬戸内国際芸術祭2022」でともに総合ディレクターを務めるアートディレクターの北川フラムにインタビューを行った。

アートディレクターの北川フラム。東京・代官山にて

新潟県の越後妻有地域で開かれている「越後妻有 大地の芸術祭2022」と、瀬戸内海に浮かぶ島々を舞台に繰り広げられる「瀬戸内国際芸術祭2022」。ともにアートディレクターの北川フラムが総合ディレクターを務める3年に1度の芸術祭が、同時開催中だ(大地の芸術祭は11月13日まで、瀬戸芸は11月6日まで)。新型コロナウイルス感染症拡大により、大地の芸術祭が1年延期されたため、初めて同年の実施となった。

北川フラムは1946年生まれ。2000年に第1回を開催した大地の芸術祭と2010年に始まった瀬戸芸のディレクションを一貫して手掛け、世界まで名をとどろかせる存在に育ててきた。過疎高齢化に悩む地域の空き家や廃校にアート作品を設置して人を呼び込み、地元との交流や賑わいを生み出す手法は自治体の注目も集め、北川が任される芸術祭は近年増える一方だ。

アートによる地域再生の先駆的存在と言われる北川の思想は、どのような環境ではぐくまれたのか? コロナ下で考えたことは? 東京・代官山の事務所で北川に話を聞いた。【Tokyo Art Beat】


大地の芸術祭2022の山中の景色
瀬戸内国際芸術祭2022が開催されている男木島の景色

なぜ、美術の「裏方」か

──北川フラムさんのインタビューというと、近年はとくに個別の芸術祭について話されることが多いのではないかと思います。僕自身、過去に何度かそうしたかたちで話を聞かせていただきましたが、同時に、そうした一つひとつの実践の奥をのぞいてみると、そこにはつねに「対中央」というか、周縁化されたものに対するフラムさんの眼差しが通底していると感じてきました。現在、新潟県で開催されている「越後妻有 大地の芸術祭」も、瀬戸内の島々が舞台の「瀬戸内国際芸術祭」も、背景にあるのは日本の近代化の犠牲になった土地や人への思いだと思います。今日は最初に、そうしたフラムさんの気質がどのような青春時代のなかで育まれたものなのかをお聞きしたいです。

僕は新潟の生まれですが、21歳のときに突然、絵を描きたいと思ったんですね。それまでは、何をしていいのかわからず、上京して社会的な活動を始めたわけなんです。
三里塚闘争にも参加して、それ自体を後悔してはいないけど、そうした活動ではセクトが分かれるでしょう? 何かの縁でどこかに所属すると、相手は「敵」みたいになる。それって何だかおかしいし、デモには出来るかぎり参加するけれど、コテンパンにやられて何度か捕まったりすると、どういう展望のもとに何をやっているか、よくわからなくなってきたんです。
そうしたなか、あるとき(砂川闘争の舞台になった)砂川で頭を割られてしまい、東京医科歯科大学病院に入院することになりました。その頃から、当時京橋にあった東京国立近代美術館や上野の美術館に行き、こういう絵が描けたらいいなと思い始めたんです。それまでは社会的な活動をしてきたけど、初めてやりたいことができたと思えたの。
具体的に良いなと思ったのは、村上華岳の《二月乃頃》(1911)という、いまは京都市立芸術大学芸術資料館に所蔵されている、ただふわっと風景を描いた絵です。それから、国立西洋美術館で展示されていたピエール・ボナールの作品。そうした絵が描けたら良いなと思ったんです。
それで、何かの間違いで美術ができるかなくらいの気持ちで東京藝術大学の美術学部に入りました。絵なんて描いたことないから、入れてびっくりだった。そこからひたすらデッサンをして、美術館や銀座の画廊を回り始めたのですが、次第に疑問を持ち始めました。
というのも、村上華岳ですら、途中からわけがわからない仏画を描くようになるの。僕が好きな靉光とか小出楢重とか、そういう人たちも晩年はみんな駄目になる。つまり、語りかける対象を失って、フランチャイズになってしまう。

──自己模倣的になってしまうのですね。

誰に対して描いているのかわからなくなっていくんです。僕は美術を「宛名のないラブレター」だと思っているところがあって、晩年、みんなフヤけてしまうのはなぜだろうと思った。
これは考えてみると、作家と社会の緊張感の問題だと思う。つまり、ある作家が、自分が属している、あるいは語りかける社会のなかで、自身に対してどういう立場でいるべきかと切実に問うような緊張感が、政治的なものも含む日本の小状況の中では持てないということではないだろうか、と。
それで、村上華岳のような画家でもコケるのだから、「僕はいくらやっても駄目だろう」と思いました。そして、日本の社会で美術の置かれた立場やあり方に対して、裏方をやるしかないと思ったのが僕の出発点です。大学ではずっと仏教彫刻を勉強していましたが、大学1年の終わり頃には裏方をやりたいと思うようになっていました。

アートディレクターの北川フラム。東京・代官山にて

仏像と芸術祭をつなぐもの

──いま、仏教彫刻というキーワードが出ました。仏像への関心は、やはり近代化の過程で失われるものへの眼差しであるとともに、フラムさんの芸術祭に特徴的な民俗学的なアプローチや、サイトスペシフィックな作品の展開とも関わるものだと思います。

京都の高雄にある神護寺に、「神護寺薬師如来像」という僕のとても好きな仏像があります。神護寺というのは京都市内からだと、山を越え、坂を降り、また登らないと着かない山中にあるお寺です。おそらく平安時代に権力者がこの土地にもともと住んでいた人たちを破ったとき、負けた人たちの魂の救済のために、敗者とつながりのある仏師に作らせたものなんですね。
つまり、この如来像は、政治的な良し悪しを越え、社会のいろいろな問題があるなかで、権力側と調伏された側にいる彫刻家が複雑な思いを抱えて作った名作なのです。
そして、その体験は作品だけでは成立せず、山を登って降りて……という身体経験、一種の「旅」とともにある。「歩く」という経験を通して、日常の社会的な縛りや感覚から徐々に解き放たれていく、いまふうに言えば、空間的あるいは歴史的・社会的な「環境」の中でセットされ、作られた名作なわけです。これは本当にすごい作品で、見ていると5、6時間が一瞬にも思えます。
そういう仏像を見てきたなかで、裏方として何をやろうかと考えました。僕は東京にいて、そこに何の希望も持てなかった。一方で、1996年の冬、第1回の越後妻有(大地の芸術祭)をやるために、初めてその土地をよく歩いたり勉強したりすると、いろいろな意味で「冗談じゃないよ!」って怒りが湧いたんです。

──越後妻有を視察して「怒り狂った」という話はよくされていますね。

この土地の人たちは過酷な自然環境のなか、土砂崩れの跡を頑張って棚田にして、必死に生きてきました。あとは、みんな出稼ぎです。いわゆる「飯盛女」や「三助」として東京や大都市に行き、帰ってくる。それも財産を持って帰るのではなく、要は人減らしのためです。
そうやって懸命に生きてきたおじいちゃん、おばあちゃんたちももう70、80歳。お墓を守る人もいない。集落もなくなっていく。子供や孫も次に来るのは自分の葬式のときぐらいだろうと思っている。中央で成功した人なんてわずかですからね。先も見えず、この土地で生きてきた自分や自分の両親、ご先祖さんたちは、東京という場所に比べたら何周も遅れているという意識を持たされてしまっている。
東京に人を奪われ、非効率だからやめろと言う国に農業も奪われる。さらに、自分だけが知っている山野草が採れる秘密の場所とか、そういうささやかな知恵もないがしろにされる。こんな悲しいことはないでしょう。そんなの、たまったもんじゃない。
一方で、美術の歴史を遡れば、アルタミラやラスコーの洞窟壁画、ブリューゲル(父)の農民画といった自然とともにある造形の営みが、人間の希望だった時代があるよね。美術が昔は持っていた、そういう力がもう一度持てないか。むしろ、それが持てないなら、もう美術なんてやめようと思ったんです。

──だからこそ、大地の芸術祭は「人間は自然に内包される」、瀬戸内国際芸術祭は「海の復権」を一貫してテーマにしているわけですね。

そう、テーマはずっと変えていません。もちろん、ギャラリーや美術館のホワイトキューブ・均質空間での試みも大切だし、否定はしないけど、美術ってそれだけじゃないでしょう。
僕は、いまの人間が抱えている問題の根本にあるのは、自然との付き合い方のマズさだと思っています。とにかく自然との付き合い方が壊滅的で、それは都市か田舎かの問題ではない。そこにアーティストが何か力を与えてくれるのではないか。というより、そうでなければ、僕が好きな《サモトラケのニケ》のように、人に本当に必要なアートは生まれないと思う。

大地の芸術祭2022より、クリスチャン・ボルタンスキー《森の精》

体や労働とともにある美術

──自然のなかで芸術祭を回ることには、こう言ってよければ肉体的な喜びもありますよね。個人的にも、2006年に初めて第3回の大地の芸術祭を訪れたとき、率直に感じたのは、里山を歩き、風や光を感じたりすることそのものが異様に「楽しい」ということでした。

アートの鑑賞は往々にして効率化や「一箇所で見られる」ことが良しとされがちですが、必ずしもそうではないと思います。たとえば巡礼に行く人は四国八十八ヶ所巡るし、こんぴらさん(金刀比羅宮)に着けば奥社まで1000段以上の階段を登るじゃないですか。そういう体を使って動くことが美術とともにあるやり方があるんじゃないか。その思いが、芸術祭の根拠にあるんです。
作品の制作も、作る前の掃除や搬入、土地の人とのやりとりも含めて楽しいものですね。
仏像を見る場合も、その場所を歩くとか、ふわっと風に打たれて気持ちいいとか、人間の五感全体を含めてリセットできるし、感激できる。仏さんだけでも凄いけど、その土地の人に道案内してもらったり、何かを教えてもらったりという全体性があるでしょう。自分の体を使って地域を回る、あるいは苦労して何かを作り上げる、そういう経験の総合性が芸術祭のなかにもあるんじゃないかな。
とまあ、いまはそんな風に理念では思うけれど、最初はそんな悠長なものじゃなかったです。

──1999年に開催予定だった第1回の大地の芸術祭は、関係する市区町村のすべての首長の反対を受けて翌年に延期されました。当時、一部では「バスが空気を運んでいる」と揶揄されたとも聞きます。でも、人様の土地を借りてやるのだからと、フラムさんは地元の人たちや来場者との交流に膨大な時間を使っています。

とにかくやり続けるだけです。いまだってそう。今年の越後妻有と瀬戸内国際芸術祭はそれぞれ20回以上、来場した人を相手にガイドをやりました。昨年ともに第2回が開催された北アルプス国際芸術祭(長野県大町市)と奥能登国際芸術祭(石川県珠洲市)でも、毎週のようにガイドしました。いつも時間がある限りガイドしています。

──本当に驚異的です。年間、どのくらい各地の現地に行かれますか。

半分は行っています。全部日帰りですけどね。

──フラムさんが以前、「田舎のお年寄りにとって、アーティストは“よくわからない都会の若者”だけど、アーティストが真剣にものを作っている姿はお年寄りの労働意識に響くものがある」と話していたのが印象に残っています。フラムさんは大学卒業後、仲間と「ゆりあ・ぺむぺる工房」というギルド的な組織を作りました。その後に「アートフロントギャラリー」を設立してからも、一貫して自分たちで展示の企画・運営、出版まで行っている。手に職をつけるというか、「労働」の意識を強く感じます。

美術には虚業っぽいところがあるでしょう。それを実業として成立させたいんです。僕は労働以外で金銭をもらう気はまったくない。働く、あるいは作ることでしか稼ぎたくないんです。それはもう性分で仕方がないよね。うまくやろうとかは、まったく思わなくて。
越後妻有の第1~3回のころ、本当に人手が足りないときは僕も会場当番に行っていました。山の中の作品だと、1日に1人しか鑑賞者が来ないときもありました。それでも、可能な限りガイドをやる。来た人に説明するかたちでやりたいし、そもそも僕は口コミしか信じていない。つまり、口コミのように実感がある伝わり方でしか、美術は伝わっていかないだろうと思っているのです。
先ほどのお話で言えば、アーティストが頑張っているときって本当に必死で、大げさに言えば命がかかっていますからね。それは、みんなの気持ちを打ちますよ。だから僕は、「アーティストに惚れるな」と言います。見てると惚れちゃうけど、実生活は大変だからね(笑)。アーティストの制作も、ある意味で労働です。体を使っているんですよね。

瀬戸内国際芸術祭2022より、金氏徹平《S.F. (Seaside Friction) 》

共通の意味を持ちうる共同体

──芸術祭は、まちづくりの文脈でも注目されてきました。フラムさんにとって理想の街、理想の共同体とはどのようなものですか?

単純です。たとえば朝、ぱっと起きる。家を出て天気がよければ嬉しいし、すれ違う人に会釈して、「やあ」って挨拶しながら一日を終えることが僕は一番幸せだと思う。そういう関係性のなかで生きられたらいいなと思うね。それが、僕が考えるすばらしい生活ですよ。

──著書などでは、たびたびオランダの歴史家であるヨハン・ホイジンガを引いて、中世の共同体についても述べています。

今回の第8回大地の芸術祭に向けて制作された、イリヤ&エミリア・カバコフの《手をたずさえる塔》が目指すのは、まさにホイジンガの『中世の秋』に出てくる鐘の話です。
街にいろいろな鐘があり、寂しいときや婚礼のときにそれぞれの鐘が鳴る。つまり、共同体の気持ち、喜怒哀楽を鐘の音が表している。そういう、ひとつの音で気持ちを共有できるようなコミュニティが理想ですね。明かりが灯る《手をたずさえる塔》も、本来は同じ機能を果たせます。
でも、いまは共同体に共通の意味がないからやりにくいよね。いまや「選挙でこうなったから明かりを青にしよう」というわけにいかない。共同体がなかなか成立しないんです。ある程度共通の意味があると、共通体験になりうるという幸せはあるよね。農業の場合、それはやっぱり基本的に、天気とか自然との関係です。いいなと思うけど、いまはなくなっちゃった。
この数年、たとえば(芸術祭「いちはらアート×ミックス」開催地の)千葉県の市原は、気候変動によりかつてない台風に直撃されている。すると、東京湾に流れる養老川がダメージを受ける。それが2019年秋の大水害ですよ。自然との関係は人間に大きくて、いまも本質的だと僕は思っています。

──ある意味、僕らはそれを実感しやすい時代に生きていますね。

コロナがまさに自然の氾濫だしね。

大地の芸術祭2022より、イリヤ&エミリア・カバコフ《手をたずさえる塔》


──共同体で言えば、今回取材準備中にあらためて面白く感じたのが、フラムさんが事務所を構えるこの代官山で「アーバンヴィレッジ」を標榜してきたという話でした。フラムさんの、芸術祭以前の地域に関わる活動では、1994年に誕生した立川の「ファーレ立川」のディレクションが有名ですが、じつは1980年代から代官山で音楽祭や展示やマルシェを開き、都市の中に消費に対抗する共同体を作ろうとしてきたと。

都市にも基本的な「村」単位のコミュニティがあって、それが守られているとそれなりに幸せだということがあるんです。僕は1984年、ヒルサイドテラスのオーナーの朝倉徳道・健吾兄弟に呼ばれて代官山に来ました。当時は、ヒルサイドテラスの設計者である建築家の槇文彦さんによる代官山のハード面の整備がひと段落して、ソフト面の充実が求められていた時期だった。ここに来てから、代官山を豊かな街にするためにとても長い時間を使ってきました。
毎年秋の「猿楽祭」というお祭りをはじめ、自主的に作ったライブラリで「おはなし会」という会も開いています。経済学者の宇沢弘文さんが提唱する「社会的共通資本」に関するシリーズや、生命誌研究者の中村桂子さんらをゲストに招いた「少女は本を読んで大人になる」という読書会のシリーズも開いている。こうしたささやかな会は、やれる範囲でやっていきたい。

──都市の中に「村」的な共同体を作るうえでも、やはり「文化」を中心に据えている。

そうですね。だから、顔の見える範囲でやっていきたいと思っています。外へとつながっていくのはありがたいけれど、やっぱり顔の見える範囲にしか実感はないので。マーケティングというものは、それはそれである正しさでしょうが、基本的にまったく信用していない。
要するに、人間にAからZまであったとき、それを足して26で割って、真ん中のNとかMとかを「人間ってこういうものだ」と言っている。たしかに平均はそうだけど、とんでもなく優秀なウルトラAも、とてつもなく駄目なZもいてこその人間でしょう。それを表すのが、アーティストだと思います。
アーティストは社会の中心ではないけれど、いろいろな意味で人間の違いを表すことができる存在で、だからこそいま重要だと思う。決まった定式しか許さない人も多いなか、その定式を全然違う角度から見ることができる人もいるのが、やっぱりいい。人類76億人が全部違うのはすごく面白いことで、それを一番表しているのがアーティストだと思います。

瀬戸内国際芸術祭2022より、シャン・ヤン《辿り着く向こう岸》

矛盾のなかで仕事をする


──初回の大地の芸術祭から22年が経ちました。実感として、何が一番変わったと思いますか。

いまは地元に、芸術祭を楽しみにしている人が8割ぐらいいることだね。いまだに「アートって言われてもわからない」ってほとんどの人が言いますよ。わかる必要なんかない。アートって、面白い赤ちゃんが存在してるようなもの。大変で手間がかかるし文句も言いたいけど、気になるし、人が来て面白がってくれると嬉しい。それで続いているのじゃないですかね。
地元以外にも、都市からも学者の先生や著名人を含めて大勢の人が来てくれます。なぜなら、すぐに住めるわけではないけれど、田舎というのはいろいろな意味で僕らにとっては大切な何かなんですよ。身も蓋もない言い方をすれば、遺伝子が騒ぐんでしょうね。

──素朴な疑問ですが、フラムさんは都市に対して強い批判意識を持っている。なぜ、ご自身は東京に住み続けてきたのですか。

たまたまそこにいたから。美術もそうですよ。たまたま知ったからやっているだけです。たまたま東京にいて、「この酷さのなかでちゃんと最後までいるぞ」と思っている。だから震災のときも、たまたまいた場所でちゃんとやるぞと。
僕自身は快適な場所で、悠々自適に過ごしたいとは露ほども思わない。ほかの人はできるならそうした方がいいと思うけどね。僕は矛盾がいっぱいあるところにいるぞ、という考えでやっています。
それで言えばそもそも、会社を経営するなんて冗談じゃないですよ。二度目の生があったら絶対にやるべきじゃないのは零細企業の社長だね。だってあらゆる責任を取らないといけない(笑)。コロナ禍のなかで何とか続けるために毎日死に物狂いです。

──矛盾といえば、かつて社会運動をやられたフラムさんが、芸術祭という一種、行政と深く関わる仕事をされていることにも一言で割り切れないものがありそうです。

「行政と(一緒に)やろう」と明確に思ったからね。20歳の頃の社会運動は、正義の戦いだったんです。自分の考えは正しいと思っているから、他人を折伏したいわけだ。そのうえで相手に「一緒にやろう」と呼びかけても、やるわけがない。だからいまの仕事は、過去の社会運動の反省です。
大地の芸術祭はそこまでではないけれど、行政がやるからには税金を使う。そうすると反対者が出てくる。それが重要だと思っています。反対者と同じ土俵に立たない限り、ダメだと。そこから一緒にどうできるかを考えなきゃいけない。社会運動は「自分が正しいから一緒にやろう」だった。それでは何も変わらない。僕の学生運動の一番の反省ですね。

──「敵」といかに共通の土台を見つけるか、ということですか。

本当は「敵」でも何でもない。そのときの立場上、選挙なら赤と白の差であって、赤と白がまるで違うかと言えばそうでもない。実際の現場で同じ土俵に立たない限り、普遍性は持てないと思う。これが20歳ぐらいから体験したものに対する、僕なりの総括です。
だから、「正しい仕事」はしたくない。行政と協働して、反対者と同じ土俵に立ちながら何かを探していく。いま風に言えば「持続可能」なやり方をあれこれ探していて、ついに妻有には「FC越後妻有」というサッカーの女子チームまでできちゃった。

──そうなんですか!

田舎の人と結婚して、その土地に来てくれる人はそれほど多くない。一方で女子サッカーに限らず、ほとんどのスポーツ選手は30歳を過ぎると、少数のスーパースター以外はほとんど潰しがきかない。だけど、地方なら好きなサッカーをやりながら、その土地で生きていく道がある。
晴耕雨読じゃないけれど、彼女たちはサッカーをやりつつ、いろいろと頑張っています。ついに選手から芸術祭のガイドまで出てきた。今朝も勉強会をやったんですが、中原佑介の『現代芸術入門』をテキストとして選手が河口龍夫さんの作品を題材に喋っているんだから。感動しちゃうよね。

大地の芸術祭2022より、河口龍夫《農具の時間》

非常事態に届けるアーティストの日常

──コロナ禍をどう過ごしてきましたか。

こんな真面目にできるのかというぐらい必死でやっていますね。やっぱり、みんなで食べていこうと思ってるし、芸術祭はあって悪くないと思うから。2020年と2021年は(芸術祭開催は)ほぼ全滅でしたからね。それでもアーティストにはフィーを絶対に払う。それを守りながらやっていくのは本当大変でしたね。おわかりのように、この1年で僕は10kg以上痩せましたから。
一方で出張が減ったので古い映画や韓国ドラマを観ましたよ。韓ドラを見ると日本のテレビ業界がいかに手抜きかわかるね。韓ドラって本当に荒唐無稽ですよ。だけど、どれも丁寧に作っている。それに先ほどの話で言えば、人間のAもZも幅広く描いている。そりゃあ負けますよね。

──2020年6月から、各芸術祭に関わりのある世界のアーティストがコロナ禍の日常を映像で投稿するInstagramのプロジェクト「ArtistsʼBreath」も始められました。アーティストの日常を覗く貴重な機会で、自粛期間中に見て、こんなときも作家は何かを作っているんだと励まされました。

芸術祭の宣伝も何もできない状況下で、何ができるかを考えました。世界の様々な人の表れであるアーティストたちが、どういう生活をして何を考えているかを、2分間の映像にしてくれるようにお願いしました。いろいろな人が参加してくれ、アニッシュ・カプーアまで出てくれた。こういうものは求められていると思いますし、「MoMA(ニューヨーク近代美術館)やポンピドゥー・センターがやるようなプロジェクトをよくやってる」とお褒めの言葉もいただいています。本当に手間暇がかかっています。

──作家のスタジオでの様子を見ると本当に元気が出ます。

作家ってやっぱり面白いですよ。
そんな状況だったから、「いちはらアート×ミックス」が昨年(2021年)11月から開催できることになり「やった!」と思ったね。それまで2回延期になって、2度もガイドブック数万部を無駄にしたんです。最悪の場合、コロナ検査済みの人だけをバスに乗せて真夜中に回ろうかと真剣に考えたときもあった。だって、作家にとって作った作品には賞味期限がないですからね。

──接触するな、話すな、会食するなというコロナ禍による規制は、フラムさんが芸術祭に求めるものとは正反対です。しかも、リモートは旅とは真逆の体験です。徐々に状況は変わりつつありますが、コロナの経験を経て美術や芸術祭はどう変わると思いますか。

ますます突破力は増すと思うね。「離れていても子どもの顔が見たい」みたいなもので、そうなるといいなと思います。だからこの期間、いままでやらなかった作家インタビューをできる限り行って、芸術祭のホームページに載せました。「作家は何を考えているか」を示すことが、この時期だからできると思った。

──いま、作家の話を聞きたいと思ったということですか。

作家の生の声を出すと面白いのではないかと思った。「Artists' Breath」もそうだし、作家インタビューもそう。作家ってある意味、自然体ですよ。そういう人がどう生きて、何を考えているか。必死に制作しているアーティストもいるし、庭を作ったり、ぼーっとしたりしているアーティストも多いね。そして、それぞれに考えていることが面白い。
カバコフも変なことを言ってきた。「フラムもよく頑張ってるな。自分は53歳まで作品を発表できなかったから、こういうときに頑張って、いろいろなことを妄想して考える」と。それで、6点の作品を一挙に作らせてくれと言ってきたんです。こういうときこそ、アーティストとしてメッセージを送りたい思いがあるようです。

大地の芸術祭2022の会場風景より、イリヤ&エミリア・カバコフ《16本のロープ》

ダダの時代と重なる現代

──コロナ禍で影が差すまで、芸術祭の乱立を懸念する声がありました。以前、お聞きしたときには「なんで乱立しちゃいけないんだ。地域の人たちが自分たちで地域のことを考えて何かをやることのどこがいけないんだ」と話していました。その意見はいまも変わりませんか。

そう、僕は乱立賛成です。その気になれば、だんだん良くなるし、良くならないと続かない。

――芸術祭が増えていくのは全然構わないですか?

構わないし、淘汰される。たしかに今後、いろいろ変化はあるでしょう。でも、良い芸術祭は続くだろうし、いまも増えています。日本でやっている100か200の芸術祭のお金を足したって、軍用ジェット機1台の価格より安いんじゃないか。何が問題なんだと思いますね。

──フラムさんの話は、いつも千年、万年単位の大きなスケールで世界を見ているのが印象的です。最後に大きな質問ですが、この先に100年単位で美術や世界はどう変わっていくと思いますか。

まったくわからないですね。わからないけど、頑張るでしょうね、人間は。
やはりいまの時代、いろいろなことが自由でない。ある意味、100年前と同じ状況ですよ。ダダやシュルレアリスムが登場した時代の、「我々は自由ではない、排他的である」というダダ宣言の気分みたいなものと同じだと思う。だけど、そうであればあるほど、生きている証を作ろうと人間は頑張るんじゃないかな。
『方丈記』を書いた鴨長明だってそうだよね。歌詠みとしては偉いけれど、役人としては出世できなかった。天災や飢饉が続くなかで、その彼が方丈記というすごい思想を生み出した。自分が生きてさえいれば、世界を映すことはできると思っていたわけでしょう。「すごいな」と思うし、彼が生きていた時代といまは似ている気がしますね。だから100年後のことはわからないけど、頑張るでしょうね、人間は。

──人間の生と表現、美術は不可分だからでしょうか。

本当にそうだと思う。宇宙のなかで地球も太陽系もいつかはなくなるわけだから、何の根拠もないけど。でもせっかく生きているのだから生きた実感を持ちたいと願う限り、大変でも人間は何かしら作っていくでしょうね。そして、それはできるだけ普遍的でありたい。

──実際、フラムさんの手がける芸術祭には他にない強度を感じます。

ありがとう。一言で言えば、作家の質が芸術祭の強度です。だから、そういう作家になるべく多く参加してほしいけれど、あれやこれやの条件で、なかなかそうもいかない。とくに越後妻有の場合、お金を全部集めなきゃいけないところから始まるから大変だね。ただ、大変なほど、普遍には行き着くはずですよ。


北川フラム(きたがわ・ふらむ)
アートディレクター、アートフロントギャラリー代表。1946年新潟県生まれ。東京芸術大学美術学部卒。1971年に東京芸大の学生・卒業生を中心に「ゆりあ・ぺむぺる工房」を設立し、展覧会やコンサート、演劇の企画・制作に関わる。1982年、株式会社アートフロントギャラリーを設立。主なプロデュースとして、「アントニオ・ガウディ展」(1978~79)、「子どものための版画展」(1980~82)、「アパルトヘイト否!国際美術展」(1988~90)、「ファーレ立川アートプロジェクト」(1994)など。アートによる地域づくりの実践として「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(2000~)、「瀬戸内国際芸術祭」(2010~)、「房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス」(2014、2021)、「北アルプス国際芸術祭」(2017、2021)、「奥能登国際芸術祭」(2017、2021)で総合ディレクターを務める。フランス芸術文化勲章シュヴァリエ、ポーランド文化勲章、朝日賞など受賞多数。2018年、文化功労者に選出される。主著に『希望の美術・協働の夢 北川フラムの40年1965-2004 』(角川学芸j出版)、『ひらく美術 地域と人間のつながりを取り戻す』(ちくま新書)、『直島から瀬戸内国際芸術祭へ─美術が地域を変えた』(福武總一郎との共著/現代企画室)など。

杉原環樹

杉原環樹

すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、Tokyo Art Beat、アーツカウンシル東京、地域創造など。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。