公開日:2022年8月2日

あのBCC住宅を間近で見られる! 東京都現代美術館「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」レポート

20世紀の建築や工業デザインに大きな影響を与えたジャン・プルーヴェ。その120点を超えるオリジナルの家具や住宅を一堂に集め、革新性に満ちた活動に迫る大規模な展覧会が始まった。(撮影:角尾舞)

会場風景より、ピエール・ジャンヌレとの協働《F 8x8 BCC組立式住宅》(1942)Yusaku Maezawa collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

東京都現代美術館で、2022年7月16日より「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」が開幕した。国内外で絶大な人気を誇り、日本にも多くのコレクターがいるジャン・プルーヴェ(1901~1984)の仕事のうち、椅子と建築にフォーカスした大規模な展覧会である。本展は、パリで家具のギャラリーを主宰するパトリック・セガンと、ジャン・プルーヴェのコレクターであるアートディレクターの八木保が共同で企画した。

様々な顔を持つ「構築家(constructeur)」

会場風景より、ジャン・プルーヴェ《「シテ」本棚》(1932)、同《「S.A.M.」テーブル No.506》(1951)Yusaku Maezawa collection。同《「メトロポール」チェア No.305》(1950頃)Laurence and Patrick Seguin collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

ジャン・プルーヴェは、1901年にフランス・パリに生まれた。建築家、デザイナーとして有名だが、本人は自らを「構築家(constructeur)」と位置づけていた。建築のプロセスを縦割りするのではなく、設計から生産、そして施工までの一連の工程に向き合っていた。

会場では「構造の検討が、建築を実現するためだと考えたことはない。構造の設計こそが建築の設計である。私にとって両者を切り離すことはできない」というジャン・プルーヴェ自身の言葉が紹介されている。

本展ではジャン・プルーヴェによる家具から、ファサードなどの建築部材、そして工場で生産されたプレファブリケーション住宅まで、オリジナルの作品が並ぶ。美しさの追求はもちろん、ものづくりの上で理想のシステムや組織作りにも情熱を傾けたジャン・プルーヴェの一面も知ることができる。

ジャン・プルーヴェはピエール・ジャンヌレやシャルロット・ペリアンなど同時代のデザイナーとのコラボレーションが有名だが、画家のフェルナン・レジェや彫刻家のアレクサンダー・カルダーなど芸術家との交流もあったそうだ。本展のイントロダクションの部屋には、フェルナン・レジェが、ジャン・プルーヴェがデザインした《ヴィジター》アームチェアを描いた《コンポジション》(1939)が展示されている。

会場風景より、ジャン・プルーヴェ《「S.A.M.」テーブル No.506》(1951)Yusaku Maezawa collection、同《「メトロポール」チェア No.305》(1950頃)、同《キャビネットBA 12》(1950頃)Laurence and Patrick Seguin collecition © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

本展に出展されたオリジナルの家具や建築物およそ120点は、本展を企画したパトリック・セガンと八木保のコレクションのほか、現代芸術振興財団の前澤友作のプライベートコレクション、そしてプルーヴェ家の所蔵作品が含まれている。7月15日に開催されたプレスレクチャーにはセガン氏と八木氏に加えて前澤も登壇した。

パトリック・セガンのギャラリーではフランスのデザイナーの家具を収集し、紹介している。ジャン・プルーヴェのほかシャルロット・ペリアンやピエール・ジャンヌレなどの作品に30年以上注目してきた。セガンと八木とは旧来の仲で、会話をするなかでこの東京での展覧会の企画も生まれたという。

前澤は7年ほど前から、ジャン・プルーヴェのコレクションを始めたそうだ。スタンダード・チェアをはじめ、ファサードや一部の建築なども前澤のコレクションから展示されていた。

会場風景より、ジャン・プルーヴェ《「メトロポール」住宅(プロトタイプ、部分)》1949年 Laurence and Patrick Seguin collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

7つのパートからなるこの展覧会のひとつめの部屋のタイトルは「工芸から工業へ」。ジャン・プルーヴェの父のヴィクトル・プルーヴェは芸術家で、アール・ヌーヴォーを代表するエミール・ガレの後継者でもあり、芸術家、職人、工場経営者が集うナンシー派に所属していた。ジャン・プルーヴェの仕事にも、このナンシー派の影響は見ることができる。会場テキストによれば「誰もが工業製品を手にできる社会を目指して、新しいものを受け入れながらあらゆる芸術を融合し、常に想像し決して模倣はしないという信念に表れている」とある。

画家の父と音楽家の母に育てられたジャン・プルーヴェのキャリアは、鋳鉄工芸家のエミール・ロベールとアダルベール・サボの工房での金属工芸師としての修行から始まった。兵役を経てからは自身の工房をナンシーに開設し、鋳鉄だけでなく薄鋼板を扱うようになった。1920年代には特注品と量産品の両方を手掛け、職人と経営者の両者の視点を持つデザインをしていたという。20年代後半にはすでに、アール・デコの装飾的な意匠からは離れ、より新素材に着目した機能主義的なアプローチを追求していた。

椅子から建築まで通じる意思

会場風景より、ジャン・プルーヴェ《「ゲリドン・カフェテリア」組立式テーブル 》(1950)Yusaku Maezawa collection、同《「カフェテリア」チェア No.300 》(1950)Laurence and Patrick Seguin collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

本展でも重要なパートである椅子は、ジャン・プルーヴェの後年の代表的な仕事である工場製の建築の兆しも見て取れる。

1934年に作られた椅子は、のちに《スタンダード・チェア》として現代まで人気が続くモデルの最初期のものである。改良が重ねられ、様々な素材が使われた背景には、常に時代や環境への適応があった。たとえば木製タイプのものは第二次世界大戦中の資材不足から生まれたアイデアであり、フランス国内でも人気を博したという。展示室ではスタンダード・チェアのバリエーションのほか、イージーチェアやオフィスチェア、子ども用の家具など、様々な椅子が見られる。

1931年の時点で工房に折りたたみプレス機を導入し、学校、大学寮、オフィスなど、公共施設や教育機関の家具を生産していたジャン・プルーヴェが常に意識していたのは「なるべく簡素化した製造方法で完全なものをつくること」だった。この考えは戦後復興のための建築や、アフリカでのプロジェクトにも続いていると言えるだろう。

より多くの人に快適な暮らしを

会場風景より、ピエール・ジャンヌレとの協働《F 8×8 BCC組立式住宅》(1942)の内観 Yusaku Maezawa collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

後半のクライマックスとも言えるのは、ピエール・ジャンヌレとの協働で生まれた「F8×8 BCC組立式住宅」(1942)である。

1920〜30年代頃に活躍していたフランスの建築家といえばル・コルビュジエが有名だが、近代建築運動が活発になった当時のフランスには様々なモダニズム建築が生まれていた。しかし第二次世界大戦で、同国も多大なダメージを受けた。ジャン・プルーヴェも政府から、戦争罹災者のための住宅の発注を受けた。

書籍『ジャン・プルーヴェ』(TOTO出版、2004)には彼自身の言葉として「プレファブ住宅の話しをするまえに、これが本質的に経済の問題であるということを申し上げておきます」と書かれている。BCC組立式住宅が木造なのも、戦時下で鋼材の入手が難しくなったのが一つの大きな理由である(もちろん同時に、工場で生産し軽量で組立できるというコンセプトはジャン・プルーヴェの追い求めたテーマでもあった)。

ジャン・プルーヴェの建築は今でこそ数千万円以上で取引されているが、当時は主に戦時下の軍需や戦後復興のために設計された。伝統的な工法で住宅建設を進めていたら、何十年経っても復興が終わらないという懸念もあり、1日半で組み上げられる住宅のシステムを構築していったという。会場ではこの「F8×8 BCC組立式住宅」以外にも、彼が手掛けた様々な住宅のスケールモデルが紹介されている。

会場風景より、ピエール・ジャンヌレとの共同設計《F 8×8 BCC組立式住宅》(1942)外観の一部 Yusaku Maezawa collection © ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 C3924

ジャン・プルーヴェが生産システムそのものから新しいデザインを生み出した背景には、より多くの人が快適に生活できるようにという思いがあった。その点でいえば、椅子一脚が数百万を超える金額で取引されている現状は皮肉なものがあるが、彼が現代デザインに与えた影響や功績は計り知れない。

日本でいえば明治時代の生まれであるジャン・プルーヴェの意匠が今なお色褪せないのは事実であり、その先見の明も確かなものだった。オリジナルの作品が一堂に会した貴重な展覧会は、10月16日(日)まで開催されている。

角尾舞

つのお・まい 慶應義塾大学 環境情報学部卒業後、メーカー勤務を経て、2012年から16年までデザインエンジニアの山中俊治氏のアシスタントを務める。その後、スコットランドに1年間滞在し、現在はフリーランスとして活動中。 伝えるべきことをよどみなく伝えるための表現を探りながら、「日経デザイン」などメディアへの執筆のほか、展覧会の構成やコピーライティングなどを手がけている。 主な仕事に東京大学生産技術研究所70周年記念展示「もしかする未来 工学×デザイン」(国立新美術館、2018)の構成、「虫展―デザインのお手本」(21_21 DESIGN SIGHT、2019)のテキスト執筆など。