世界初の原子爆弾を開発した「原爆の父」として知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマー(1904~67)を主人公とする伝記映画『オッペンハイマー』が、世界中で大ヒットしている。監督は『ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』『ダンケルク』『TENET テネット』などで斬新な視覚描写を開拓してきたクリストファー・ノーラン。日本でも公開を求める声があるものの、現在まで公開未定となっている。
そんな本作を、ニューヨーク在住のアーティストである蔦谷楽(つたや・がく)がレビュー。戦争や核時代において抑圧されてきた現代にまで至る事実や記憶を、寓話的要素を用い国境を越えた問題として再解釈、再構築する作品を制作・発表している作家の視点から、本作がはらむ問題について論じる。【Tokyo Art Beat】
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いまもアメリカでは、原爆投下が戦争を終わらせたという理由で日本への原爆投下の選択を肯定する意見が多く聞かれる。2023年夏に公開されたクリストファー・ノーラン監督の映画『オッペンハイマー』でも、原爆は第二次世界大戦を終わらせたと読み取れる物語展開になっている。原爆投下から78年後に核保有国から発信された、視点の極端に偏った『オッペンハイマー』はそのヒットでブロックバスターの記録を塗り替え、その事実に私は不安を抱かずにはいられなかった。この映画はオッペンハイマーの半生を描き、一見、彼の後悔と葛藤を通して原爆への疑問を投げかける映画のように見えるが、核への認識を更新するような論点は扱われていない。原爆投下の選択を肯定している人も、核抑止論者たちにも不都合のない映画となっている。
アメリカと日本では、戦争についても核についても、語られ方は異なる。歴史とは国家の物語で、一種のフィクションによる教育を各国民はそれぞれ受けており、国家間でのナラティブの違いは明らかだ。しかし日米間には政治的協力関係があるため、被爆者・被曝者の隠蔽という点においては、物語の操作に共通した努力をしており、明らかに非人道的なこの大量破壊兵器は禁止されることなくいまに至っている。
核兵器の恐ろしさや原爆の物語において真の主人公であるはずの被爆者の苦しみと心の内はこの唯一の被爆国でも十分に伝えられてきたわけではない。広島長崎で育っていなければ、いや、被爆地出身であっても身内に被爆者がいなければ、深く向き合うのは戦後世代には難しいことだ。また、被爆者自身がその苦しみを思い出したくないというケースや、差別を回避するために沈黙する場合は、親族でも能動的に核の被害を話題にしなくなる。
この背景には、国家として主権を回復した後もアメリカとの政治的バランスを図る日本政府が、教育プログラムやエンターテインメントを含むマスメディアを利用し、世論のコントロールを図り、被爆者が自分の被害を公言できない空気が作られてきたという戦後の大きな流れがあった。敗戦後、日本の未来への早急な方向転換は、そんな空気の中で構築されてきた。歴史とは勝者の物語であり、大日本帝国敗戦後のGHQ占領下で再出発した日本で語られてきた物語は歪んでいる。原爆を作り、投下し、いまも核を作り続けることができるアメリカで語られる物語も歪んでいる。
『オッペンハイマー』は、核兵器誕生とそれを巡る政治の物語を説得力のあるビジュアルと複雑な物語構成で見事に展開している。伝記とはいえノーラン自身がドキュメンタリーではなく自分の解釈だと言っているように、これは表現者ノーランの創作だ。ノーランは、核加害者である開発者たちの世界の中だけでの勝者と敗者のドラマと、核爆発の威力とに観客の意識を向けさせ、観客を退屈させることのない3時間の物語を巧みに構築した。これは、原爆投下の時点から変わらないアメリカ政府の物語そのものだと言える。「核兵器は革新的大量破壊兵器だが長期に渡る人体への影響はなく非人道的ではない」、というアメリカが核兵器を国際的禁止に導かないために主張し続けてきたフィクションなのだ。
映画のなかで、ロスアラモスの科学者たちが被爆地の記録写真や映像報道のリポートを見るシーンがある。ここでオッペンハイマーは目を見開いて怯え、顔を背ける。しかし、オッペンハイマーの見た画像は、映画の観客には公開されない。ノーランは被爆者や被爆地の映像を映画には差し込まず、この重要な視覚情報を観客の想像に預け、加害者側の人々のストーリーだけで物語を構築し、そのヒエラルキーのなかで、オッペンハイマーを政府の圧力の被害者と設定している。オッペンハイマーは失敗したにもかかわらず心を持った人間的な英雄として、観客の心を掴むのだ。もしこの映画にトリニティテストによる汚染地域や被爆地の画像が含まれていたら、被爆者の姿や放射能の長期的影響という真実が語られていたら、観客はオッペンハイマーの不安や後悔をもっとリアルに、必死に受け止めることができたのではないか。
アメリカの核の歴史の公式見解は、博物館の展示でも明らかだが、その博物館でさえ、本当に片鱗ではあるが、近年は原爆被災地の写真を展示したり、アメリカのウラン鉱山労働者やダウンウィンダー(風下の住人)の健康被害を明らかにしたりしている。『オッペンハイマー』の解釈は、博物館より歴史物語的に古い。
『オッペンハイマー』がプロパガンダ作品になりうる映画であるということは、1回観ただけでは気づきにくいだろう。核の健康被害を身をもって知っている被爆者、被爆2世、世界中の核兵器製造ラインで関わる労働者たちや兵士たち、ダウンウィンダーたちなどのグローバル被曝者、そして反核のアクティヴィスト、ジャーナリストと研究者たち以外には。この映画は、質の高い映像と核をめぐる巧妙なストーリー展開によって、観客に無意識的な麻痺を、エンターテイメントの快楽を与える。放射能の被害と半永久的な危険性という、次世代にとって重要な現実を観客に伝えることなく、核兵器を巡るひとつの真実の物語として観客を満足させるのだ。
原爆投下後のオッペンハイマーの祝賀演説のシーンに、被爆者の身体を暗示する映像が一瞬登場する。賞賛し拍手喝采をする観客の顔の白い薄皮がはげ爆風になびき、会場を退場するオッペンハイマーの足は辛うじて人間とわかる炭と化した1体の人体をぐしゃりと踏みつけ、彼はショックで一瞬立ち止まる。ノーランは、映画全体を通じて、オッペンハイマーの心理描写に核爆発のチェーンリアクションのイメージや、閃光、爆音、衝撃波による揺れを多用しているが、そのような原爆威力を表す光と音と揺れが執拗に繰り返されるなか、これらの被爆者の姿は本当に一瞬だけ付け加えられたような扱いだ。
そのとき、現実には、一面赤黒い世界で、瓦礫と死体で埋め尽くされた地面と燃え広がる炎のなかを、焼けただれまだかろうじて生きている人々が必死に逃げ惑い、水を求め、川へ飛び込んでいた。現在の戦争でも使われる可能性のある虐殺の道具である核兵器をめぐる物語を作るときに、すでに明白なキノコ雲の下の地獄絵図を表現する必要さえ、ノーランは感じなかったのだろうか。ノーランのアイデアは、オッペンハイマーの思想を再解釈するために、昔話を現代の映像言語で映像化するということだ。映画は爆発や衝撃波の揺れやカット編集の複雑な刺激で埋め尽くされ、死者や被爆者がいるはずのシーンでは、白色閃光によって画像の表現は避けられている。この新しいハリウッド・ムービーは、まるで科学の光か、国家の神話か、あるいは娯楽の催眠術によって悲劇を消し去る魔法を再演しているかのようだ。
終戦後の日本では、マンガやテレビ、映画などで核の世界が盛んに描かれてきた。私たち戦後世代も、『はだしのゲン』や『ゴジラ」を通して原爆を知ることができた。関川秀雄監督の『ヒロシマ』、黒澤明監督の『生きものの記録』、熊井啓監督の『地の群れ』など原爆をテーマに見えない問題を告発する批判精神に満ちた名作も生まれたが、例えば『ヒロシマ』は反米色が強いとして配給会社から拒否され自主上映にとどまった。
文化は現実の政治抗争から逃れて真実を伝える役割を持つ私たちのツールである。しかし、商業的エンターテイメント作品の多くは、興行的な成功を優先し、その物語をねじ曲げてきた。科学技術による核兵器や大混乱の悲劇は、ファンタジックに描かれ、正義の味方が放射能さえ解決するという物語のパターンは、戦争を体験していない世代を夢中にさせてきた。エンターテイメントの力を過小評価してはいけないのだ。それは私たちの記憶を満たし、想像を刺激し、思考を構築する。ノーラン監督の、時代遅れの国家物語の枠から出ない超大作映画を目の当たりにして、私は国や置かれた社会的立場によって異なる悲劇のレベルの違いを調整するような文化のアプローチが重要だと改めて感じた。真実を覆い隠す政治構造を切り崩すのは、文化の役割なのだ。
オッペンハイマー以降、私たちは2000回を超える核実験、核兵器や原子炉の製造ライン、そして原発事故によって拡散する放射能に汚染された環境のなかで暮らしている。核兵器による全世界壊滅がひとつのリアリティである世界で、フィクションの催眠術にかかり、被害の実態から目を逸らしている時間はもうないのだ。
蔦谷楽
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