公開日:2021年12月24日

絹糸と作家の行為が可視化する世界の豊かさ。「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」展(府中市美術館)レポート

美術館での初個展。展示室を大胆に使い、絹糸を張りめぐらせた新作を発表。

池内晶子 Knotted Thread-red-Φ1.4cm-Φ720cm 2021 絹糸 撮影:今井智己 ©︎ Akiko Ikeuchi

絹糸を張りめぐらせることで立ち現れる、ミニマルで重層的な世界。そこには「弱い強さ」とでも言いたくなるような、いまを生き抜く知性と美しさが満ち満ちていた。

「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」が、府中市美術館で12月18日〜2022年2月27日に開催されている。

池内晶子は1967年生まれ。1988年より糸を帯や紡錘状のかたちに張りめぐらせる作品を制作し始め、人と空間の関わりについて考察を重ねてきた。国内外で展覧会を多数開催しているが、美術館での個展は今回が初となる。

池内晶子 Knotted Thread-h220cm(north-south) 2021 絹糸 撮影:今井智己 ©︎ Akiko Ikeuchi

本展では、3つの展示室の空間に合わせて制作された新作インスタレーションを中心に、小型作品やドローイング、版画などを展示。新作は展示室を大胆に使い、ほぼ現場で制作されたものだ。

いずれも絹糸という非常に繊細な素材を使っており、鑑賞者や空間との関わり合いのなかで成り立つ作品のため、その全容を写真で伝えることは不可能……。ぜひ美術館に足を運んでいただきたいが、ここでは展覧会の構成や見どころをお伝えしたい。

会場のハンドアウトには、本展で使われているものと同様の赤い絹糸が添えられている。この糸の細さや感触を確かめながら、作家の制作について想像してみるのもいい  撮影:編集部

まず企画展示室1に入ると、《Knotted Thread-red-Φ1.4cm-Φ720cm》(2021)の赤い色が目に飛び込んでくる。絹糸で作られた筒状のかたちが中心に吊られ、床には絹糸が同心円状に渦を巻くように置かれている。直径7mほどになるこれらの糸は、すべて作家によって6日間かけて撒かれた。1巻1300mの糸を17巻分つないであり、全長は約2万2000mになるという。

会場風景より、《Knotted Thread-red-Φ1.4cm-Φ720cm》(2021)  撮影:編集部

「あるいは、地のちからをあつめて」と題されているように、その土地や周辺の地理、環境、方角といったものは、作品にとって不可欠な要素。地球上に存在するうえで逃れられない2つの大きな力である「重力」と「張力」。作家がそれらの力と糸との関係を吟味し、手を加えることで、張りめぐらされた絹糸は独特の緊張感をはらむ。

中央の筒状のかたちを吊る糸の支点が東西南北の方角にあたる壁の高い位置に作られていることからも、本作が美術館の建築という空間を超え、もっと広くて大きい地球の磁力を基点にしていることがわかる。

池内は事前に美術館とその周囲をリサーチして場所の特性を受けとめ、その場でしか生まれえない空間を、丁寧な手仕事により準備したという。そして池内は、府中から多摩川を挟んだ向こう側にある調布と稲城で育った、多摩ゆかりの作家でもある。本展では、この多摩川からも作品が構想されたようだ。

「結ぶ」という行為に込められた多層的な意味

会場風景より、右手前が《Knotted Thread-h220cm(north-south)》(2021)、奥は企画展示室3へとつながる  撮影:編集部

企画展示室2の《Knotted Thread-h220cm(north-south)》(2021)は、展示室上部を南北に張り渡した糸の中央から、1本の糸が垂れ下がっている作品。この糸は機械で作られたものではなく、新潟の「朝日村 まゆの花の会」による手よりの絹糸だ。よく見ると、垂れ下がった糸には無数の結び目がつけられている。

作家にとって「結ぶ」という行為はとても大切で、そこには「縁を結ぶ」という意味が込められているという。絹糸自体がそもそも、蚕が吐き出した繭の繊維部分をより合わせて作られたものなので、渦巻く動きを内包していると言える。そこに作家が「結ぶ」ことでさらに回転を加えられた糸からは、地球の自転や自然界の螺旋構造、記憶や歴史の重なり、生態系の循環や生命の輪など、重層的なイメージが喚起される。

会場風景より、作家が作品で使っている絹糸の展示。左が企画展示室1で使用したのと同様の工業用機会で生産された市販品、右が企画展示室2で使用した手よりのもので、そこにたくさんの結び目が施されている  撮影:編集部

絹糸をめぐる歴史や文化に目をやると、近世から続く養蚕の担い手や、国家の近代化を支えた製糸工場の女工など、多くの女性たちの存在が思い起こされる。また近年美術界のジェンダーバランスについて調査や議論が進められているが、1980年代末から90年代に東京藝術大学に在籍した池内は、現在よりずっと女子学生が少ないときに美術大学で学び、糸という“繊細”で、ともすれば“女性的”とも見なされる素材を一貫して用いてきた。その制作のなかで作家が、女性たちの手仕事と自らの仕事とを重ね合わせ、それらを取り巻く社会制度について深い思索を重ねてきたであろうことは想像に難くない。こうしたジェンダーの観点からも、池内の作品について検討することはできるだろう。

空間、糸、身体の対話

企画展示室3では、壁に沿わせて張った5mの軸糸に、10cm間隔で糸が結びつけられている。薄暗い展示室で、糸は天井からスポットライトで照らされている。非常に細い糸はある角度では視線から滑り落ちるように見えなくなり、角度を変えるとまた姿を現す。奥行きのある展示室内に連なって配されているため、場所によっては糸の集積がたっぷりとしたボリュームをともなって見えてくる。

会場風景より、《Knotted Thread--red-east-west-catenary-h360cm》(2021) 撮影:編集部

そして糸を注意深く見ると、それぞれの糸が緩やかにふわふわと動いているのがわかる。人の動きが起こす風が糸をたゆたわせるだけでなく、人の呼吸に含まれる湿気でも糸は伸縮するという。工業製品であり自然物でもある絹糸の面白い性質が、エコロジーのあり方へと思考を誘う。

会場風景より、《Knotted Thread--red-east-west-catenary-h360cm》(2021) 撮影:編集部

展示室にあるのは、細い糸で構成された作品だけ。極めてミニマルな素材と手法による展示だが、ゆらゆらと動く糸を見ていると、「何もないところに、じつはあらゆるものがある」と気付かされる。目の前の空っぽの空間は、空気や気流、水分、そして重力や張力といった力に満ちている。池内の行為の集積である繊細な糸たちが、こういった目に見えない存在や力を受け止め、集めて、鑑賞者にまたそっと手渡す。こういった「目に見えないものを可視化する」という作家の身振りは、この社会に生きる私たちにとっても、大切なあり方を示してくれるように思う。

会場風景より 撮影:編集部

本展ではほかに、エントランスロビーに配された作品や、1990年代〜2000年代前半に制作された小型の作品、制作に使用されている糸などの資料、ドローイングや版画なども展示されている。

本展での制作風景をとらえたドキュメンタリー映像では、作家が自身の制作について語る言葉を聞くことができる。印象的だったのは、《Knotted Thread-red-Φ1.4cm-Φ720cm》の制作で赤い糸を床に撒く作家のささやかな動作が、まるでダンスを踊っているように感じられたこと。展示室の空間や糸、そして作家の身体が互いに関わり合い、豊かな対話を重ねる姿がそこにはあった。

会場風景より 撮影:編集部

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。