最終更新:2021年11月19日

「庵野秀明展」を2.5次元世界として読む。レビュー:須川亜紀子

国立新美術館にて2021年10月1日~12月19日に開催中の「庵野秀明展」。ポピュラー文化研究を専門とする須川亜紀子(横浜国立大学教授)によるレビューを公開。

アーティストの人生と作品をめぐる展覧会は、「作者の頭の中に入り込んだような」という形容詞が似合うかもしれない。しかしこの「庵野秀明展」は、「まるで庵野監督の胃袋の中に放り込まれた」感覚を覚えた。好きなものだけを貪り食い、どろどろの胃液で消化する様子は、狂気と悪臭を放ちながらも、得もいわれぬ快楽と恍惚が生産されているのである。

本展は、庵野監督のライフコースをたどりつつ、当時のポピュラー文化環境状況と彼の創作活動が時系列で第1章から第5章というかたちで展示されている。

会場風景より
会場風景より

入口を入るとすぐ、仮面ライダーのコスプレで満面の笑みを浮かべた若き日の庵野監督の等身大パネルが我々を迎えてくれる。われわれが存在する現実世界(3次元)と、アニメ、マンガ、特撮などの虚構世界(2次元)が混交した「2.5次元」の世界へといざなってくれる。しかし、ここで注目したいのは、一見脈略もなく置かれた古い足こぎ式のミシンである。「なぜこんなところに?」。

疑問を抱きつつ、第1章「原点、或いは呪縛」に入ると、庵野監督が小学生の頃に耽溺した特撮番組やスーパーヒーロー番組の模型群が押し寄せる。『ゴジラ』などの特撮映画や『ウルトラマン』シリーズ(1966~)のウルトラマンや怪獣のミニチュア、戦闘機のプラモデル、『仮面ライダー』(1971)のマスク、その頃読んでいたマンガ本の数々など、少年・庵野秀明が目を輝かせながら、テレビにマンガにと、夢中になって過ごしたであろう様子が伝わってくる。

会場風景より、第1章「原点、或いは呪縛」の展示

そうしたなか、あの「ミシン」の謎がわかる。この足踏み式ミシンは、庵野監督の実家にあったミシンであり、幼い庵野監督はミシンの構造と動き(つまりメカニズム)を見て、メカに(そしておそらくアニメーションにも)興味を持ったというのだ。1960年代ほとんどの家庭にあったミシン。足踏み板を踏む母の足と、板が上下に揺れて滑車に動力が伝わり動くミシンの様子を、床からじっと見ている幼い庵野監督がそこにいるような錯覚を覚えた。

第2章「夢中、或いは我儘」では、少年時代に貪り食ったものたちが、中・高・大学の学生時代の庵野監督の手で果実となって現れる様子がわかる。見よう見まねで撮った自主制作作品に庵野監督自身が出演している様は、監督自身が視る2.5次元の世界を追体験しているような気になる。

会場風景より、第2章「夢中、或いは我儘」の展示
会場風景より、第2章「夢中、或いは我儘」の展示
会場風景より、『じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ』の資料

島本和彦の同名マンガ原作のテレビドラマ『アオイホノオ』(1994)にも出てきた大阪芸術大学映像計画学科時代の庵野監督のアニメーション作品『じょうぶなタイヤ!SHADOタイヤ』の映像の展示もある。筆者個人的には、「本物」を見ることができて、感動した。(厳密には、『アオイホノオ』は「現実」をベースにしたフィクションであるのだが、フィクションが現実になったような感覚を覚えてしまった筆者は、いつの間にか庵野監督の2.5次元世界に引きずりこまれていたようだ)。

会場風景より、『DAICON IIIオープニングアニメーション』(1981)資料

この章で気になったのは、庵野監督のアニメーション作品に女の子が頻出することだ。学生時代の作品『バス停にて』(1980)、『TEA TIME』(1981)、『DAICON IIIオープニングアニメーション』(1981)など、スカートをはいた可憐な少女、ランドセルを背負った女児などが主人公として描かれている。“メカと美少女”を出していればとりあえず安泰(ウケる、売れる)とされていた80年代オタク文化は、じつは「男性オタク中心的」だった。

会場風景より、『ふしぎの海のナディア』(1990)の展示
会場風景より、『ふしぎの海のナディア』(1990)の展示

庵野監督も、「当時は当たり前だった」少女とメカの組み合わせを作品に残している。初監督した商業アニメ作品『トップをねらえ!』(1988)、総監督をつとめた『ふしぎの海のナディア』(1990)の主人公も少女に設定している。しかし、そこには学生時代に描いたステレオタイプな少女像は影を潜めており、『トップをねらえ!』のノリコも、『ふしぎの海のナディア』のナディアも、ともに勝気で根性があり、キュートな少女性も併せ持つ魅力的な少女像になっている。これはじつは少女の身体を借りた監督自身なのではないかという錯覚にも陥る。かつてウルトラマンコスをして映像を作ったように。この2作は絵コンテやメモも展示されており、初期の庵野作品の試行錯誤の様子も見えて、個人的に筆者がもっとも時間を費やしたコーナーであった。

会場風景より、宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』(1984)の絵コンテ

第2章は、絵コンテやメモ、デザイン画など、貴重な資料が満載だ。宮崎駿監督作品『風の谷のナウシカ』(1984)で庵野監督が手がけた有名な巨神兵のシーンの原画用下書き、メモも展示され、そのすぐ横にその部分が映像で流れるため、この中間素材(現実の原画)と映像(フィクションの映像)を行き来しつつ見ることができる。これもひとつの2.5次元だろう。

会場風景より、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)の展示

そして究極の2.5次元世界が『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)コーナーに出現する、大きなエヴァ初号機のパネルだ。そのパネルの前には、『エヴァ』第1話冒頭とオープニング映像が巨大スクリーンに流れている。『エヴァ』ファンならおなじみの映像だが、同時に展示されているオープニングの絵コンテを詳細に見ると、歌詞に合わせて『エヴァ』の世界観が提示されていることがわかる。あの目まぐるしく変わるオープニングの画の意味が、いまさらながら確認できる。庵野監督のイメージの連鎖が、映像では一時停止しない限り追いきれなかったが、絵コンテを熟読してから映像を見ると、いままで目で追えなかった画が残像のように前景化するのが不思議だ。

会場風景より、『新世紀エヴァンゲリオン』の絵コンテ

第3章「挑戦、或いは逃避」では、アニメーションから実写映像、またはそのハイブリッドへ、新しい映像表現に挑戦していった時期の展示があらわれる。章タイトルにもあるように、社会現象を巻き起こした『エヴァ』のあと、アニメーションに背を向けて逃避した感がある庵野監督の「青の時代」のようにも見えるこの時期は、じつは後の『エヴァ』の再構築である「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズへの助走だったのだとわかってくる。

会場風景より、『ラブ&ポップ』(1998)の展示

実写映像『ラブ&ポップ』(1998)や『式日』(2000)、実写とアニメ的な表現が融合した『キューティーハニー』(2004)など、色々な映像表現を模索したり、監督自身が出演して映像を作る側から演じる側になってみたり(たとえば宮崎駿監督のアニメーション映画『風立ちぬ』に声優として出演)と、まるで未知の食べ物を食べることに挑戦するようにも見えた(実際の庵野監督はかなりの偏食家らしいのだが)。

会場風景より、『風立ちぬ』の台本

このコーナーを抜けると、『エヴァ』の集大成である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)で使用された第3村の巨大模型が出迎えてくれる。『シン・エヴァ』では、斬新なカメラワークや、モーションキャプチャーによるアニメーション表現が採用されたが、映画を見てからこの模型をみると、虚構の存在である第3村に溶けていってしまうような感覚を覚える。と同時に、第3村を俯瞰してみる視点も獲得できる。通常、アニメーション制作をするにあたり、こうした模型を作ることはあまりないようだが、虚構世界を顕在化させることによって2.5次元空間が浮かび上がり、恐らく庵野監督もその中に入り込みつつも俯瞰しながら、自分の概念を具現化していたのではないかと思わせる。

会場風景より、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』ミニチュアセット
会場風景より、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』ミニチュアセット

ここまでで、筆者は食傷気味、いや、いい意味でおなか一杯だったが、次の第4章「憧憬、そして再生」では、庵野監督の次回作『シン・仮面ライダー』と『シン・ウルトラマン』のPR映像が流れ、関連資料の展示がある。ここまで庵野監督の胃袋の中を旅してきた筆者には、もうすぐおいしいデザートが運ばれてくる期待で、ワクワクした。

会場風景より、『シン・仮面ライダー』の展示

そして、第5章「感謝、そして報恩」のコーナーは、この展覧会の中でも非常に重要なコーナーだと思う。これまでアニメーション作品関連の展覧会は、セル画や絵コンテ、脚本の展示、キャラクターの人形、などが定番であった。だが、この第5章で展示されているのは、いわゆる「中間素材」の保存、アーカイヴの重要性に焦点をあてた、アニメ特撮アーカイヴ機構の立ち上げとその活動の様子である。完成した制作物を残すだけでなく、背景や音、イメージボード、原画など、中間素材のアーカイヴ化は、海外では盛んであるが、日本はまだまだこれからなのだ。

会場風景より、第5章「感謝、そして報恩」の展示
会場風景より、第5章「感謝、そして報恩」の展示

総じて、作品単体ではない、演出家・監督の展覧会は、「概念の展示」であるため、難しいキュレートが要求される。近年、「高畑勲展」、「富野由悠季の世界展」など、素晴らしい「概念の展示」が続いているが、庵野秀明展はその流れを組みつつも、メディア史、大衆文化史、玩具史、アニメ・特撮オタク史の重層的な展示となっており、何度来ても発見があるだろう。今回期待した庵野監督作品には重要なファクターだと思われる「クラッシック音楽」や「演劇」に関する展示がなかったのは残念だったが、会期中展示が入れ替わるらしいので、またきっと足を運んでしまうだろう。

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須川亜紀子

須川亜紀子

すがわ・あきこ 横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院教授。専門は、ポピュラー文化研究(特にジェンダーの視点から2.5次元文化やアニメ文化を研究)。単著に『2.5次元文化論ーー舞台・キャラクター・ファンダム』(青弓社、2021)、『少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか』(NTT出版社、2013)。共著に『コンテンツツーリズム ― メディアを横断するコンテンツと越境するファンダム』(北海道大学出版会、2021)『メディア・コンテンツ・スタディーズーー分析・考察・創造のための方法論』(ナカニシヤ出版、2020)など。http://akikosugawa.2-d.jp

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