若手メンバーが語る、ダムタイプの最新形。【座談会】古舘健×濱哲史×アオイヤマダ:「第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示帰国展 ダムタイプ|2022: remap」(アーティゾン美術館)

アーティゾン美術館にて2月25日〜 5月14日に開催中の「第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示帰国展 ダムタイプ|2022: remap」を機に、ダムタイプのメンバーにインタビュー。今回は比較的若手のメンバーの視点から、ダムタイプについて、そして作品《2022: remap》について語ってもらった。(ポートレイト撮影:大野隆介)

​​左から、古舘健、アオイヤマダ、濱哲史。アーティゾン美術館にて

アーティゾン美術館にて、「第59回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示帰国展 ダムタイプ|2022: remap」が開催中だ。会期は2月25日〜5月14日。

本展は、昨年開催されたヴェネチア・ビエンナーレの日本館代表となったダムタイプの帰国展。「ポスト・トゥルース」時代におけるコミュニケーションの方法や世界を知覚する方法について思考を促す本作を、再構成して展示している。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

ダムタイプは1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成された、日本のアート・コレクティヴの先駆け的な存在。身体とテクノロジーの関係を問う、舞台作品やインスタレーションを制作してきた。1992年にゲイであることとHIVキャリアであることをカミングアウトし、95年に亡くなった古橋悌二の存在と、世界中で公演された代表作《S/N》(初演:1994)は、とくに知られているだろう。

高谷史郎や池田亮司といった個人での活動も旺盛に行うアーティストを含め、メンバーは固定でなく流動的。毎回の作品・プロジェクトごとに、関わるメンバーも異なってくる。たとえばヴェネチア・ビエンナーレや今回の帰国展では、音楽家の坂本龍一がメンバーとして参加し、坂本の呼びかけに応じた世界各地のアーティストがフィールドレコーディングした音が作品に使われている。

2000年代にはダムタイプとしての活動が行われなかった時期があるものの、2018年のポンピドゥー・センター・メッス(フランス)での個展を皮切りに、2019〜20年の東京都現代美術館での個展、20年3月に制作された新作パフォーマンス《2020》、さらに22年にはハウス・デア・クンスト(ミュンヘン)での個展とヴェネチア・ビエンナーレが続き、いま再びその活動が加速している。

そんな新生ダムタイプには、20〜40代の若手メンバーが加わっている。彼ら・彼女らは、元々はダムタイプの90年代の作品に魅了された経験があり、高谷ら初期からの中心メンバーとは世代だけでなくグループ自体への距離感や視点が当然異なる。いまダムタイプはどのように運営され、制作が行われているのか。そして帰国展で発表された《2022: remap》とはどのような作品なのか。今回は、《2022: remap》プロジェクトメンバーである古舘健(1981年生まれ)と濱哲史(1985年生まれ)に加え、パフォーマンス《2020》に参加したダンサーのアオイヤマダ(2000年生まれ)に参加してもらい、座談会を開催した。【Tokyo Art Beat】

ダムタイプとの出会い

——ダムタイプは1984年に結成された日本を代表するアートグループですが、新しいメンバーの加入など近年も盛んに新陳代謝が行われています。今回のアーティゾン美術館での展覧会はそんなグループの「いま」を知るいい機会になっていますが、展示のお話の前に、まずはみなさんがダムタイプに参加されることになった経緯からお聞きできますか?

古舘 ダムタイプに参加したのは2014年で、このなかではいちばん古いと思います。2007年からグループの創設者のひとりである高谷史郎さんとの共同作業を始めて、2014年のダムタイプの作品《MEMORANDUM OR VOYAGE》に参加した時からダムタイプのメンバーということになってます。

もともとダムタイプを最初に知ったのは高校生の頃。ダンスとも演劇とも言えない、その「パフォーマンス」としか言いようのない表現にびっくりしました。そして、高校3年のときに京都で《OR》(初演:1997、京都市北文化会館での上演:1999)の上演があると知って、見に行きました。自分がそのメンバーになる、ということは当時は想像すらしていなかったわけで、いま、その一員として制作できていることは嬉しく思っています。

古舘健

濱 僕は以前、山口情報芸術センター(以下、YCAM)でサウンドエンジニアとプログラマーとして働いていて、そこでダムタイプのメンバー、高谷さんや、高嶺格さんや池田亮司さん、坂本龍一さんの作品制作に関わらせてもらいました。YCAMを退職して独立してからもたびたびご一緒するなか、2019年の東京都現代美術館での個展の際にメンバーにならないかと声をかけてもらいました。

もともと学生時代からノイズミュージックが好きで、高嶺さんや古舘さんが先輩にいる国際情報科学芸術アカデミー [IAMAS] に通っていた頃、図書室でノイズやパフォーミングアーツの資料を漁るなかでダムタイプに行き着きました。入学した2005年あたりはエレクトロニカや電子音楽がマニアのみならず一般にも流行していた時期で、自分も多大な影響を受けていました。ダムタイプのパフォーマンスの映像をみるときも、音楽の方法はどのように拡げられるかということへの興味が強くあったかもしれません。

濱哲史

アオイ 私は17歳の頃にYouTubeでダムタイプを知り、《S/N》(初演:1994)や《OR》(1997)に衝撃を受けました。それまで音に合わせて踊ることしか知らなかったんですけど、こんなふうに情報を使った表現もあるんだ、と。しかも、それが私が生まれる16年前からあることが驚きで、もう新しい表現なんてないんだと思ったし、これを次につなげる存在になりたいとも思いました。同世代でダムタイプを知っている人なんていないし、もっといろんな人に知ってもらいたいと思ったんです。

それで、ちょうどダムタイプの18年ぶりの新作《2020》の出演者募集があり、ダメ元で資料を送ったところ、面接で京都に行くことに。「記憶に残るぞ」と焦って、池田亮司さんのミニマルな音源で踊った後、なぜかレオタード姿で「津軽海峡・冬景色」をかけて踊ったら、いつのまにか合格していました(笑)。沢山の応募があったそうなのですが、面接に呼ばれていたのは私ひとりだけだったと、後から知りました。

アオイヤマダ

感情と客観の狭間から「人間」を見る

——第59回ヴェネチア・ビエンナーレの報告会で、高谷さんが、ダムタイプでは従来コンピュータを機械の制御などに使ってきたけれど、古舘さんたちが参加して、それをよりリアルタイムの生成的な表現にも使えるようになったと話されていたのが印象的でした。若い世代としてグループのなかで求められていると感じることや、時代を超えて共感した点などがあれば教えてください。

古舘 ダムタイプって、おそらくメディアパフォーマンスとしてハイテクなイメージが強いと思うのですが、内情を見ると、物事の同期のさせ方はわりとアナログだったんですよね。それが、僕らのようなプログラマーの参加や、インターネット、Arduinoのような比較的簡単にモーターなどを制御できるような機器の登場などによって、表現できる内容は変わったと思います。

たとえば、今回も展示している複数台のターンテーブルとレコード(《Playback》[2018〜]として展示されてきた)は、そのさらに元をたどると1988年の《Pleasure Life》に端を発します。当時はアクリル製のフレネルレンズをレコードに模して使っていましたが、いまはモーター仕掛けで、本物のレコードの鳴らしたいところの音を鳴らせるようになっています。 

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

もうひとつ、コンピュータを使うことで、「ランダム」ということを使えるようになったのも大きいかもしれない。何かしら選択しなければいけないときに、ランダムを使うことで恣意性みたいなものを敢えて排除できるようになった。ダムタイプは、《S/N》が象徴的ですが、非常に主張の強いエモーショナルに感じられる部分と、それを冷静にニュートラルな視点で問いかけるような部分が両立していますよね。 

アオイ たしかにダムタイプって、感情と、その感情を見せすぎないバランス感覚が面白いですよね。私が前に高谷さんから聞いたのは、ダムタイプの中心人物だった古橋悌二さんが、《S/N》のときに自分がHIV陽性であることを前面に出そうとしたけど、それに対して高谷さんが「それはアンタの個人的な情報ちゃうん?」と言ったという話。そこで、それを表現として前面に出さない解決策をみんなで考えたそうです。そういう、物事を個人的な考えにせず、情報として扱うバランスの取り方は面白いし、難しいことですよね。

濱 僕が学生時代にメディアアートを勉強していた頃、仕組みや技術がフィーチャーされた、ぺらいちのPDFに収まってしまうような説明的な作品がよく目についた覚えがあるのですが、その一方で、ダムタイプは作品を説明しない。というか一言で済ませられない厚みがあった。それで気になって検索してみると、メンバーの名前が列挙されているだけで誰が何をしているのかわからない。そんな謎めいた匿名性や、トップダウンではなく中心を置くのでもないグループワークのあり方にも強く惹かれていましたね。

アオイ わかる。アートのために生活しているのではなくて、それぞれに生活や仕事はあり、その延長で出てきたものをかき集めて、みんなで作品を作っている。そこに私も興味がありました。

​​左から、古舘健、アオイヤマダ、濱哲史

濱 ダムタイプの制作では、現在のテクノロジーや科学的な知見に主眼を置いているわけではなく、あくまでも「人間」について考えることが中心なんですよね。

今回、展示室の奥の小部屋の映像では、インターネット上でテキストを集めて、単語の使われ方をAIで解析し、関連度合いの強い単語同士を近い座標にマッピングした三次元空間を用いていますが、これもAIの新規性が重要なのではないんですよね。そうではなく、普段生活しているときに、ふと自分が使っている単語が持つ語源や歴史を想像したり、言葉が脳の中で引き起こされる瞬間の様子を見つめようとしたりすることってあるじゃないですか。そうやって一人の人間の意識の奥に無意識に拡がっている得体の知れない言語の時空間の姿を眺めるために、照らし合わせる鏡のような装置だと僕は思って見ています。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

多様なメンバーの、終わらない議論

——一方、これだけ幅広い世代のメンバーがいると、テクノロジーへの向き合い方についても様々な考え方の人がいそうですね。

アオイ そうですね。実際、これは言うべきかわかりませんが、正直、私はAIを使う表現にあまり感動できないんです。それは自分がダンサーだからでもあります。機械で作る面白さがあることは理解できるのですが、たとえば、水の流れを見ながらその音を聴く、その生の体験をコンピュータでシミュレーションしても、実物には敵わないというか。それよりも、生き物として感じてしまう生の感覚を私は守り続けていきたい、踊りで表現し続けていきたいなと思うんですよね。

だから、ヴェネチア・ビエンナーレ日本館の展示を私は現地で見れず、今回初めてアーティゾン美術館で見たのですが、その意味で生き物の存在が恋しくなっちゃいましたね(笑)。

古舘 正直な意見だ(笑)。その感想も尊重したうえで、AIで表現することの面白さについて僕の立場から言うと、コンピュータというのは自分の思考を外在化できるんですよね。《TRACE/REACT II》にしても、機械に言葉のチョイスを任せることで、自分がどんなふうに言語を使って思考しているのかや、普段は意識しない言葉の持つ構造が見えてくるという面白さがある。

あと僕は、アオイちゃんが言うような生の感覚って、ダムタイプ作品には結構あると思っていて。LEDの光の強さ、「プチプチ」という粒のような音、それに会場の暗さ……そういうものはただの機械や会場の仕組みというだけでなく、それ以上の溢れる体感を与えると思うんです。

アオイ たしかに、音、気持ちよかった。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

——ダムタイプの作品って、ミニマルだけど、そこから溢れる余剰の部分がありますよね。

古舘 作っていくなかで、コンセプトの話もよくするけれど、コンセプトさえ伝わればいい、なんていう態度にはならなくて。そこからもうワンステップ前に、なにかしら体験として、こうグッとくるようなことがないと「それにしよう」というふうにはならないんですよね。それは、コンセプト至上主義な現代美術に対する反発だったのかな、とか思ったりもします。

アオイ うーん、AIを使う面白さにはまだ納得はしてないけど(笑)、でも、ダムタイプではこんな風にみんなで延々と話しているんですよ。私、それに驚いちゃって。ぜんぜんまとめる人がいないんですよ。

古舘 まとまんないね。

古舘健、アオイヤマダ

濱 ダムタイプでは一筋の脚本を事前用意して制作が始まるわけではなく、メンバーそれぞれが強く抱えている関心をベースにしてシーンのタネをいくつも作っていって、それを最後に組み合わせたり、並び替えたり……という作り方をしていて。

アオイ それでも結局、まとまっていくから不思議ですよね。何だかんだ、感覚的なものが合ってる人が集まってるから。

古舘 そこは、物を作るうえでは大事だよね。いちいち細かく説明をしなくても、カッコいい、カッコ悪いの感覚は共有できている。

濱 でも、本当にミーティングの時間が長くて、《2022》の制作中は1年間ずっと夜9時から深夜2時まで続く話し合いを毎週していました。

古舘 話す内容も、作品についてではなくて、最近の興味みたいな話から始まって。それがお互いの価値観を揃えていく作業でもあるんです。

アオイ そこは私も驚きました。《2020》のとき、スパルタなのかなとビクビクしていたんですけど、みんな世間話をしたり、「あそこの国、大変やな」「抗議デモしてたで」と社会の話をしたり。これまで周りにいたダンサーは、社会と距離を取るために踊っているような人も多かったので、世界の流れに関心を持ち、それをダンスに取り入れる姿勢には刺激をもらいました。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

固着した時間や空間のシステムへの問い

——あらためて、今回展示されている《2022: remap》について聞かせてください。これはヴェネチアで発表された《2022》をアーティゾン美術館に合わせて再配置した作品ですが、そもそも作品の根本となるアイデアはどのように生まれたのでしょうか?

古舘 出発点では、やはりコロナ禍が大きかったです。外出自粛が叫ばれるなか、オンライン上などで見る機会が増えた「リミナル・スペース」(もとは通路や階段などの移動空間を指したが、現在では人が不在の不気味な風景の意味も持つ)が面白いよねという話になりました。ダムタイプでは以前からよく「ボーダー(境界)」のテーマを扱いますが、境界とは「線」ではなく、じつはある「幅」を持ち、そこにリミナル・スペースがあるのではという議論をしたんです。

濱 また別の重要な着想源が、《2020》の際にダンサーの平井優子さんが持ってきた1850年代のアメリカの地理の教科書です。そこには「地球とは何ですか?」「国はいくつありますか?」「それらはどのように分割されていますか?」など、空間に関するシンプルな、しかしいまの時代にも響く問いが書かれていて、《2022》ではその言葉を壁に投影しました。

僕らはその170年前の問いにどう答えるのか? 「国」や「大陸」のような単位は普遍的なものなのか? 《2020》や《2022》というタイトルは西暦から取られていますが、西暦は永続するのか? 100万年後/前の人間には、あるいは遠くにいる宇宙人の眼には、現在の地球はどう映るのか? 現在の人間が暗黙の了解として使っている時間や空間のシステムへの問いが出発点にあります。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

古舘 それが「アメリカの」教科書という点も大事で、「太陽が昇る時、目の前にある海は何ですか?」などの問いもあるのですが、当然地域が変わればその答えは変わるわけですよね。

——空間のとらえ方は、個人の立ち位置次第で、相対的なものでもあると。

濱 日本館の展示は東西南北を重視した空間構成で、今回のアーティゾン美術館の展示でもそれを再現しています。状況的に、ヴェネチアに事前下見に行けなかったこともあって、僕たちは吉阪隆正さんが設計した日本館の俯瞰図を遠く離れた場所でひたすら眺めながら、どのようにしてこの空間を最大限に生かすかを何度も話し合いました。その正方形の建物と中心の穴の構造もまた地理の教科書のテキストと同じく、長い時間をくぐり抜けて投げかけられた問いとして読んでいたように思います。

そこからさらに、紀元前からあらゆる場所で存在してきた正方形を用いた建造物や風習を思い起こし、転じて東西南北に揃えられたものを思い起こしたりしながら、これまでの人々がそこにどのような思いを込めて、誰に何を残そうとしてきたのだろうかと想像が進んでいった。とても深いテーマを日本館から受け取ったと思っています。

瞬発的な感覚の向こう側を探る異質な時間

——アオイさんは、《2022: remap》についてはどのようにご覧になりましたか?

アオイ 私は、ダムタイプのみなさんの制作過程を知ってるから、これを作るまでに何時間話したんだろうとか想像しながら見て、面白かったです。とはいえ、いろんな要素をとことん引き算して生まれた作品だと思っていて、ダムタイプのことを知らない若い人はこれをどう見るんだろうということも気になりました。もしかすると、「これがわからないとダメなのかな……」ってプレッシャーに感じてしまう人もいるかもしれないけど、そんなことなくて、音や光が気持ちいいとかフィジカルに鑑賞していいと思うんです。そして、この展示だけではなくて、ここに至るダムタイプの歴史を少し知ってもらうともっと面白くなるよって、同年代の観客には言いたいですね。

ダムタイプ作品って肉体に迫ってくるところがあって。私、《2020》のときにストロボを浴びすぎて眠れなくなったんです。初めて光って怖いんだなと思って。それで、ほかの演者さんに「寝れないんですけど」って相談したら、「あ、私も寝れないでー。安眠剤飲んでるで」ってあっさり返ってきて(笑)。

 先に教えて欲しいね(笑)。

古舘 たしかに、僕も初めてダムタイプを見たときに何に惹かれたかと言えば、自分の感覚の限界がすごく試されている感じがしたんですよね。強烈な光の明滅や爆音の向こう側みたいな。高校時代、深夜に《OR》や《S/N》のビデオをヘッドフォンかぶって見てて、親に心配されたり(笑)。でも、僕はそれを「眩しい」とか「うるさい」とかっていうより、それを超えた向こう側っていうふうに快感に感じていたんだよね。

——そういう意味で、自分と距離が取れないタイプのメディアアートという側面もありますね。スクリーンの向こうで何かが起きているわけではなく、直接訴えかけてくる。

アオイ 私が思ったのは、いまってInstagramでもTikTokでも、数十秒の世界じゃないですか。その一瞬で感じ方を判断し、どんどん情報が流れていっては生産されるを繰り返している。でもそういう時代だからこそ、このダムタイプの作品を見て、瞬発的な感覚の向こう側を感じてほしい。そういう、普段は感じない感覚を探す展示でもあるのかなと思います。

古舘 そうだね。この展示は本当に時間の流れが異質で、会場で1時間ぐらい見ないと、たぶん馴染んでこないと思う。坂本さんの音楽も約1時間で一周するようになっています。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

 ——国際交流基金の報告会でも、モデレータの森山朋絵さん(東京都現代美術館)が、鑑賞者がひとつの美術作品の鑑賞に使う平均時間が17秒という調査結果を引き合いに出して、1時間という鑑賞時間の異質性を指摘されていました。

古舘 しかもそれを、あれだけ慌ただしく会場を回るヴェネチア・ビエンナーレの場でやったことにも、批評性があると思っていて。全然「写真映え」しない作品だし(笑)。

——ヴェネチアの展示を再構成するうえで、こだわった点や見てほしいポイントはありますか?

古舘 あまり数としては多くないと思いますが、もし現地も東京の展示も見る方がいれば、ヴェネチアの日本館は、建物のコンクリートや大理石のモノ感が凄かったのですが、日本館の空間を90パーセントの縮尺で再現した東京会場は、それを木や壁紙で作っていて、すごいバーチャル感が強いものになっている。その「作り物感」は、個人的に設営しながら面白いと思いました。でも、東京会場だけを見る方には、まずは素直に作品を楽しんでいただけたらと思います。

 部屋の中心に吊られているLEDの映像や、部屋の外に置かれた世界中のフィールドレコーディングの音を再生するターンテーブル、また奥の小部屋のLED映像は、ヴェネチアの会場にはなかったもので、新たに組み合わせたものです。東京会場ではどうしても再現できなかった日本館の天窓や、ヴェネチアのあの眩しい外の雰囲気、ピロティに設置したハーフミラーの柱の代わりになるようなものをと考えて作っていました。そこを見比べるのも面白いかもしれません。

ダムタイプ《2022: remap》展示風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

安易な答え合わせではなく、自分で何かを掴み取る体験を

——今回、お話を聞いて、ダムタイプは一枚岩ではなく、様々なメンバーがいることがよくわかりました。実際、現在のダムタイプは、上は坂本龍一さん、下はアオイさんまで、じつに幅広い世代が関わる特異な協働の場となっていますが。そのなかで今後こうしたことをやっていきたい、こうしたことを考えていきたいということがあれば、最後に伺えますでしょうか?

古舘 ダムタイプに関しては、僕は、一種のペルソナみたいなものを感じています。高谷さんなどいわゆるオリジナルメンバーの人たちにとっては、彼ら、彼女ら自身がやってきたことがダムタイプの美意識みたいなものを作り上げてきたわけで、何をしてもそれがダムタイプであるみたいなことは言えると思います。ただ、僕にとっては、自分ひとりや個人名義のコラボレーションとは違って、あえて「ダムタイプの一部」として、いわばその作られてきた美意識の中で自分が何をできるかというような考え方で参加している部分があります。

そういう意味では、ダムタイプの今後を主体的にどうこうしていきたいというのを僕はあまり考えていなくて、できることをやれるだけやりきるみたいな風に考えています。とはいっても、そこから何かしら滲み出すものがいまのダムタイプの一部をつくっているとも言えるとは思いますが。

アオイ 最近、アートが社会にどう貢献しているか、貢献するためにどうあるべきかが求められているとよく感じます。そうした視点も大事ですが、貢献しているか、していないか、という二者択一の評価ではとらえられないものもある。むしろ、2つに分ける必要もなくて、ダムタイプというグループはそうしたなかで、2つの間を生き物がヒョイヒョイと通り過ぎていくような、そういう良さを持つグループだと思います。そういった作品のあり方は、私も引き継いでいきたいです。

——社会へのまなざしはつねに持ちながら、単一の主張に限定されるようなメッセージ性は避ける。そうしたどちらでもない空間の重要性はありますよね。

アオイ そうですね。さっき話していた、ボーダーの線上にある不思議な空間が、私はすごい好きなんだと思います。白か黒、どっちかに振り分けられない空間。そうした空間が、私みたいな生き物の居場所としてずっと存在してほしいなと思わせてくれるのが、私にとってのダムタイプです。

濱 さきほどもあったように、僕たちは何日も何時間もミーティングするのですが、制作中は答え合わせのようなことはしないんです。たとえば東西南北に合わせて揃えた展示のプランも高谷さんからある日送られてきたのですが、それがなぜなのかは説明しないし、誰もその場では細かく聞かない。僕も最初はピンと来ていなかったけど、だいぶ後になって、急に「そういうことか!」と理解できたように思える日が来ました。もしかしたら高谷さんの意図を通り越して深読みしすぎている可能性も大いにありますが……。

とにかく、お互いがいろんなものを持ち寄って、それを安易に擦り合わさず、説教せず、答えを簡単に聞かず、自分のなかにしばらく置いて日常を過ごす。そうすることで、ある日突然これまで自分のなかになかった視野や意識に気づき、獲得した新たな思いを持ってまた応答していく。そういう時間のかかる人間関係が可能なグループかと思っています。

今回の作品も同じ様に、一見してよくわからないことも多いかもしれませんが、時間をかけて思いを巡らせてもらえるようなものになればと思っています。今回のアーティゾン美術館の展示では、作品の図面が載ったハンドアウトが展示室を出たところで配布されています。またヴェネチアの展示の図録も出版されました。展示を観に来られた方が、もしいつか急にピンとくることがあれば、読み返してもらえたら嬉しいです。

濱哲史

古舘 そうだね。そういえば、スーパー銭湯っぽいアーティゾン美術館のスタッフユニフォームのデザインもあって、今回の展示を温泉に例えたお客さんがいたんだけど(笑)、本当に温泉みたいに時間をかけて、気長に楽しんでもらえるといいかもしれない。

アオイ たしかに! いろんなことを瞬間的に、自分に必要かどうか、判断を迫られるような時代だけど、お風呂に浸かるみたいに、まずは何も考えずに浸かってもらえたら。そして、そのなかで自分がどんな光や音に反応するのか、自身の感覚にも向き合っていただけたらなと思います。

​​左から、古舘健、アオイヤマダ、濱哲史。アーティゾン美術館にて

関連プログラム
アーティスト・トーク「古舘健の創造性」
2023年3月25日(土)14:00〜15:30
対談:古舘健(アーティスト/エンジニア/ミュージシャン)×城一裕(アーティスト/研究者)
展覧会スペシャルサイト:https://www.artizon.museum/exhibition_sp/dumbtype/
公式サイト:https://www.artizon.museum

杉原環樹

杉原環樹

すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、CINRA.NET、アーツカウンシル東京関連。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。