公開日:2023年3月15日

出展作家との契約違反で市が損害賠償。アーツ前橋でなにが起きたのか

借用した作品の紛失問題に続き、出展アーティスト・山本高之との契約違反が判明したアーツ前橋。情報公開された内部資料をもとに経緯を振り返る

アーツ前橋

記録集発行を中止、業務委託料を一部払わず

借用作品の紛失問題が起きたアーツ前橋(群馬県前橋市)が、出展アーティストとの契約を守らず、業務委託料の一部が未払いだったとして市はアーティストに謝罪し、損害賠償金80万円を支払った。問題は、作品紛失が判明した前年の2019年に発生し、同館の住友文彦館長(2021年3月末に退任)と学芸員が関わっていた。いったい何があったのか。

本件を報じた上毛新聞と毎日新聞の記事(*1)によると、経過の大筋は以下となる。

アーツ前橋は2019年、美術を通じた学びの可能性を探ることなどを目的にアーティストの山本高之を招聘した企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」を開催。山本と交わした契約には同展の企画立案に加え、記録集の監修なども盛り込まれた。企画展は同年7~9月に開催されたが、記録集の内容をめぐり調整が難航。同館は一方的に記録集の発行を中止し、作成委託料の一部を支払わなかったという。アーティスト側は2020年9月に損害賠償を請求し、前橋市は経緯を調べた結果、同館が契約を一部守らなかったと判断。損害賠償金の支払いと、市の負担による記録集(2000部)の発行、同館ホームページでの1年間の謝罪掲載を決めた。

関係者によると、記録集の発行と謝罪掲載は今年度内の3月末までに行われる予定。なお3月中旬現在、まだ同館は謝罪文を掲載しておらず、発行中止に至る詳細も公表していない。
追記:3月31日、アーツ前橋のホームページに山本龍・前橋市長の名前で「『山本高之とアーツ前橋のBEYOND 20XX 未来を考えるための教室』の記録集発行遅滞に関する経過について(報告)」と題した文書が掲載され、謝罪文時系列順の経過も公開された)

未来に残すアーカイブとなる記録集を巡り、公立美術館の契約違反が明るみに出た本件。現代アートの展覧会は、直前までの作品制作や会場自体を作品化するなど様々な要件により、会期中に記録集や図録の編集作業が行われるケースは少なくない。そうした経験値もあるはずの同館は、どのような対応や作家とのやり取りを経て、発行中止に至ったのか。

Tokyo Art Beat編集部は、本件の関係者が前橋市に情報公開請求を行い提供された資料を入手した。600ぺージ超に及ぶ資料は、市による本件の検証結果のほか、館内部の会話の記録やメールなども含まれ、詳細な経緯が浮かんでくる。以下抜粋して紹介するが、その前に被害を被ったアーティストと対象展覧会について簡潔に記しておこう。

山本高之は1974年愛知県生まれ。小学校教諭の経験をもとに子供達とのワークショップ活動や作品制作を通じて「何かを知る」体験を探求し、地域コミュニティと協働するプロジェクトにも取り組んでいる。問題が起きた企画展「山本高之とアーツ前橋のビヨンド20XX」(以下ビヨンド展)は、山本と同館学芸員が「〈美術〉を通じた学びとは何かを共に議論し、これからの〈美術/美術館〉の役割について考える〉(同館ホームページ)目標を掲げ、2019年7月19日~9月16日に開催された。会場は序章と3つのセクションで構成され、各学芸員が過去の事業を振り返る展示、学芸員によるサーフィンの体験映像、山本が「教育制度を考える近未来SF映画」をテーマに前橋市民と協働した新作《ビヨンド2020 道徳と芸術》などが盛り込まれた。

追加提出資料から矛盾が判明

最初に報じられなかった発行中止決定前後の経過をたどる。なお、ビヨンド展はA学芸員が担当し、開催年の4月に同展担当の臨時職員としてB学芸員が着任した(肩書はいずれも当時)。

市が作成した資料によると、展覧会閉幕後の10月に住友館長がアーツ前橋を所管する文化スポーツ観光部長と文化国際課長に記録集の制作を中止した経過説明を行った。住友館長は、「個人の展覧会記録を製作したい山本氏と、これまでのラーニングを振り返る内容までも反映したいアーツ前橋との考え方は、平行線であり、合意に達することができなかった」と述べ「製作を継続するのは不可能」とした。発行中止の決定はアーツ前橋副館長から山本に電話で伝えられた。その後に市が送付した協議書に対し、山本は市が発行できない理由を文書で示すことやアーツ前橋の意思決定過程の開示を要請。市は11月上旬にアーツ前橋側が提出した資料(会議の議事録や音声記録、決裁、メール等)に基づく回答書を山本に送り、発行中止はやむを得ないと伝えた。山本は「説明不足だ」と市に情報公開請求を行い、2020年9月に損害賠償請求に踏み切った。

流れが変わったのは、2021年2月。A学芸員が自身や住友館長が山本とやり取りしたメールの多くを未提出のまま保有していたと判明し、追加提出された資料の内容からアーツ前橋側の主張に矛盾や齟齬があると分かったためだ。市は同年4月、市側の瑕疵を認めて山本に連絡し、2022年12月に記事冒頭の条件で和解した。

「恣意的な解釈と対応が行われた」

次に市が認めたアーツ前橋側の問題点を振り返る。

市が追加提出分を含め資料に基づいて検証したポイントは以下の3点。

①作家との契約締結を行うまで記録集がどのように話し合われ、本展でどのような位置づけの発行物として認識されていたか。メールや口頭での合意形成がどのようになされたか。

②契約後に発行スケジュールや内容がどのように意思決定され、内部で話し合われたか。

③住友館長やA学芸員の主張する記録集の内容は、どの時点で定義づけられて作家側に伝わったのか。

結論から先に言うと、市はアーツ前橋内で「恣意的な契約の解釈と対応」(市の内部文書)が行われたと判断した。アーツ前橋の指示に作家が反したという住友館長らの説明は事実経過が異なり、作家は適正に対応していたと認めた。アーツ前橋側が途中で記録集の方向性を一方的に変え、作家に適切な伝達や要請も行わなかったとした。

検証の決め手になった一つが、住友館長がビヨンド展開幕4ヶ月前の2019年3月に山本に送った1通のメールだ。「山本作品の制作プロセスと会期中の仕掛けをドキュメントしていくことで『まだ見ぬアーツ前橋のラーニング』について考えることができる、という案です」と記され、住友館長が記録集を展覧会の「ドキュメント」(記録)と位置付けていたことが分かる。メールには「山本さんには、出品アーティストでもあり、かつこのラーニングを考えるラボのディレクターとして(中略)これからの日本の美術館におけるラーニングプログラムへの提言をまとめてもらう、ということをお願いできないでしょうか?」の文章も含まれ、これは作家に対し企画と監修を大枠で一任したと解釈された。

また住友館長は、ラーニングに関する展示について未来を視程に入れた「まだ見ぬアーツ前橋の」と表現。それに対し、山本は翌4月にA学芸員にメール送付した企画書内で「未来について考えるためには、今の自分たちが作っている過去と向き合うことが必要」と述べ、学芸員たちが過去の事業を振り返る展示内容を提案していた。つまり「アーツ前橋のラーニングを振り返る」は館でなく山本の発案だったと判明し、住友館長が主張した作家が指示に従わなかったという主張は成り立たなくなった。

なおこのメールは、当初アーツ前橋側が提出した資料になく、A学芸員が2021年に追加提出したもので、送信した住友館長からの提出はなかった。

情報公開請求により開示された内部文書

作家の提案にリアクションなく

住友館長とA学芸員が、展覧会後の発行が決まっていた記録集に消極姿勢を示し、制作中止を提案していた点も問題視された。

会期中の8月6日の館内管理会議で住友館長は、記録集を中止し予算を新任用学芸員の報酬に回せないかと打診。指示された事務職員は市の担当課に確認を行い「市の都合で請負契約を中止した事例はない」などと回答を伝えた。同月20日の学芸会議において、住友館長は「そもそも記録集ってつくるものだっけ?」、A学芸員は「賞味期限のことを考えたら(中略)単なる記録っていうのは、あまり意味ないのかな」などと発言。同月27日の学芸会議で住友館長は「展覧会のドキュメントじゃない」「この機会にアーツ前橋のラーニングを振り返る」と言明して退席しており、すでに制作目的を変えたことがうかがえる(A学芸員は会議不参加)。

この間の8月8日、臨時雇用のB学芸員は、山本が作成した記録集の台割案を住友館長はじめ学芸全員にメールで共有した。夏休み期間中で出勤日がそろいづらいための対応で、台割案はビヨンド展の内容を紹介するページ割や12人の外部執筆者候補が示されていたが、住友館長やA学芸員から返信はなかった。17日に住友館長は原案の再検討が必要だとB学芸員にメールし、B学芸員は未来への提言を加えた修正案を提示したが、それに対する返信や指示はなかった。

9月3日には、ビヨンド展に関わった学芸員の意見交換が行われた。音声記録によると、記録集の続行を訴え内容を相談しようとするB学芸員に対し、A学芸員は作家との「信頼関係がない」として「作らない選択肢もある」「一緒に何かを作るのは無理」などと主張。既に住友館長と「アーツ前橋にとって有効なもの(冊子)」を作る旨を話し合ったと述べた。A学芸員は後日、B学芸員に作家が選定した記録集の外部筆者には謝金を支払わないとも伝えた。

虚偽説明が行われた可能性も

ビヨンド展が閉幕し記録集の入稿期限が迫るなか、A学芸員は山本に協議を要請し、その後にアーツ前橋の過去の事業を盛り込んで自身が作成した台割を送付。3日後の9月26日、住友館長やB学芸員も出席して来館した山本と協議が行われた。協議の記録によると山本は、1ヶ月以上前に内容を提案したにも関わらず、突然アーツ前橋から別の台割を提示されたことに「コミュニケーションになっていない」と反発。記録集の認識を巡る応酬のなかで、A学芸員は開幕前から「(記録集は)出せない」と考えていたことを述べ、それまで山本と意思疎通ができなかった責任をB学芸員に転嫁するような発言もあった。住友館長が山本に対し、A学芸員が作成した台割で了承するように強要していると推察される言葉も確認された。

こうした一連の経過を検証した市は、住友館長らが「アーツ前橋のラーニングプログラムを振り返る冊子」の作成を、作家に適切に指示した証拠はないと判断。A学芸員が主張した信頼関係の部分は個人の思いであり、契約を履行しない理由にならないと退けた。いっぽう、山本が作成した記録集の原稿案や執筆者の選定は、契約内容に照らして適正だったと判定された。

市は最終的に「本件は、アーツ前橋によって契約内容が歪曲された」「前橋市側の信義則違反となる可能性の高い事案」と結論付け、住友館長退任直前の2021年春に山本との和解協議に着手。山本は住友館長らの直接謝罪を希望したが叶わず、アーツ前橋ホームページでの謝罪文の掲載が決まった。また市は、本件が「事実と異なる経過説明によって誘発された」と内部文書に記し、住友館長らが市に虚偽の説明を行った可能性を指摘している。

アーツ前橋

被害を被った山本は、1月に結成された現代美術に携わるアーティストによる初の労働組合「アーティスツ・ユニオン」に組合員として参加。オンラインで行われた記者会見で山本は、アーツ前橋の契約不履行を振り返り「こうした運営がまかり通るようでは、我々美術家は展覧会など恐ろしくて参加することはできない」と訴えた。実際、本件は解決に3年以上もの歳月を要し、作家が大きな精神的負担や時間を費やすことを強いられたのは見すごせない事実だ。アーツ前橋と市には、さらなる原因や責任の究明、美術館が保つべき倫理観の確立に努めてほしい。

*1──上毛新聞2022年11月17日(https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/203768)、毎日新聞2022年11月29日(https://mainichi.jp/articles/20221129/k00/00m/010/052000c

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