左から、バリー・マッギー、BIKO&KENNY
ストリート出身のアーティストやクリエイターから尊敬され信頼が厚いバリー・マッギー。
大山エンリコイサムは「ストリートアートにヒーローがいるなら、それはバリー・マッギーだ」と綴り(※)、マッギーの作品群に影響を受けて制作を始めたという若手アーティストのBIKO&KENNYも密かに「心の師匠」と呼ぶなどリスペクトを惜しまない。
現在ワタリウム美術館で開催されている彼とオスジェメオスの展覧会「One More」(会期:10月17日〜2026年2月8日)では、BIKO&KENNYが展覧会のアシスタントとして設営準備をサポート。展示室ではふたりの作品も展示されている。
90年代初頭にサンフランシスコのミッション地区でストリートに根差したアートを展開し、のちに「ミッションスクール」と呼ばれるアーティスト集団を牽引してきたバリー・マッギー、そして「EASTEAST_TOKYO 2025」での展示も話題の若きアーティストデュオBIKO&KENNYは、30歳という年の差を超えて、どのように制作への姿勢や考えを共有しているのか。彼らはいま、どんな景色を見ているのか。ストリートの眼差しを聞いた。
*オスジェメオス×バリー・マッギー「One More展」のレポートはこちら
──BIKO&KENNYも設営に参加したというワタリウム美術館の展覧会は、どのように作り上げたのですか?
バリー・マッギー(以下、マッギー) このショーは、始まる1ヶ月くらい前にオスジェメオスがタイトルを決めて、そこから一気に集中して制作しました。一般的に美術館の展覧会をやろうとすると数年かけて展覧会の準備するわけだけど、ワタリさん(ワタリウム美術館・館長の和多利恵津子、CEOの和多利浩一)は異色のディレクターで、僕たちを信じて自由に制作させてくれたので貴重な機会でした。

KENNY 僕らは展覧会の設営を手伝いました。毎日美術館に通って、壁画の下塗りをしたりしました。バリーはどんな状況でもハンドライティングで真っ直ぐな線が引けるし、とても繊細な絵を描くのがすごいなと改めて思いました。
BIKO そのいっぽうで、綺麗に描いた線に後からわざとインクを落としたりするのがバリーの美学なんだなとも思いました。オスジェメオスが描いた線をバリーがドリッピングで汚したりしていたんだけど、それに気づいたオスジェメオスが線を描き直していたことがあって、そのやりとりが面白かったです。
マッギー 僕らは歳は離れているけど、僕がアートを教えるという関係性ではなく、まさにお互いにエネルギーを交換し合っている感じだよね。展覧会の準備に関しても、ストリートで制作するみたいに、即興でセッションする感じだった。実際に(制作準備中は)お互いのやり取りのなかで波に乗るみたいな、すごくいい瞬間があったと思わない? すごく特別な瞬間が。
BIKO&KENNY 本当にそうでした。

──そもそも3人はどのように出会ったのですか。
マッギー 東京のストリートで声をかけてくれたよね? 数年前、僕が来日したときだった。もともとふたりは、どこで僕の作品を知ったの?
BIKO 僕が小学2年生のときにバンドを組んで音楽活動を始めて、パンクやヒップホップが好きになって、その流れで(ニューヨークのグラフィティの写真集である)『サブウェイアート』や映画『WILD STYLE』を知ってストリートアートに興味を持ちました。小さい頃から絵を描くことが好きで、音楽のほかにスケートボードもやっていたんですが、作品の元ネタやオリジナルをたどっていろいろと調べていくうちに、バリーの作品を知りました。
KENNY いろいろな画集を見ているなかで、バリーがTWISTとして活動していたときのタギングを見て、技術とセンスがずば抜けていてすごいなと思っていたんです。
マッギー たしか「NOW & THEN: A DECADE OF BEAUTIFUL LOSERS」展(2019)のオープニングに来てくれたよね。そのときにふたりからもらったZINEを見た瞬間、僕たちは年齢こそ離れているけど、同じ言語を共有していることがすぐにわかったんだ。それはストリートの第3言語で、英語や日本語やフランス語よりももっと国際的なもの。東京のストリートにも同じ言語を話す若い人たちがアクティヴに活動しているのを知れたことは嬉しいサプライズだった。
