公開日:2021年9月1日

ボイスとパレルモ、師弟関係を超え二人が共有したもの:埼玉県立近代美術館「ボイス+パレルモ」展レポート

ヨーゼフ・ボイスとブリンキー・パレルモ、一見すると対照的な作家の交わりや重なりを読み解く(文、写真:杉原環樹[ライター])

社会活動と芸術実践の接合を訴える「社会彫塑」や、「人は誰もが芸術家である」といった言葉で知られ、日本でも多くの展覧会が開かれてきた巨匠ヨーゼフ・ボイスと、彼の教え子で、アーティストや美術関係者には高い人気を誇りながら、これまで紹介の機会が少なかった早世の画家ブリンキー・パレルモ。両者の作品を並列することで、その「距離」や個々の作家性に新鮮な光を当てる展覧会「ボイス+パレルモ」が、埼玉県立近代美術館で開催されている。

展覧会はパレルモの死(1977年)の少し前に撮影された、二人のツーショットから始まる。政治活動も行い、人々と熱く議論するボイスと、多くを語らず、作品も派手とは言えないパレルモ。動と静。対照的な二人だが、ボイスがパレルモを教え子の中でも「自身に最も近い表現者」と語ったように、そこには師弟関係を超えた共感があったようだ。

二人が出会ったのは、ドイツの名門、デュッセルドルフ芸術アカデミー。ボイスが1961年に教授として着任したこの学校に、パレルモは62年に入学した。展覧会の第1章と第2章では、この時期のそれぞれの代表的な仕事を見ることができる。

展示風景より

第1章はボイス。61年当時すでに40歳だったボイスだが、戦後に抱えた鬱などもあり、作家活動の本格化はちょうどこの時期に当たる。フルクサスにも参加した当時、ボイスが始めた新しい表現が「アクション」と呼ばれるパフォーマンスであり、その代表的な例が67年に初演された《ユーラシアの杖》だ。

展示風景より、1968年に行われたアクション《ユーラシアの杖》の記録映像
展示風景より、ヨーゼフ・ボイス《ユーラシアの杖》
展示風景より。本章ではチンギス・ハーンやソリなどユーラシアとつながりのあるモチーフが登場する

アジアとヨーロッパ、東と西を包摂する「ユーラシア」は、二元論的な思考に揺さぶりをかけるボイスにとって重要なテーマだった。《ユーラシアの杖》の記録映像には、どこか魔術的な雰囲気で部屋のコーナーに脂肪を塗り込んだり、横たわる柱を持ち上げて壁に斜めに立てかけたりするボイスの姿が映る。学生だったパレルモはこうしたアクションをよく見ていたという。

そんなパレルモは、1943年生まれ。アカデミーでは当初、シュルレアリスムの流れを汲む画家のもとにいたが、教師の退職後にボイスのクラスに移動。周囲にはイミ・クネーベルやゲルハルト・リヒターらもおり、この刺激的な環境で彼の作品は変化していった。

展示風景より、アカデミー初期の絵画群

第2章で紹介されるパレルモの作品からは、その変遷が如実に感じられる。当初、「矩形の内部に描かれる」ものだった彼の「絵画」は、67年の《無題》では、3本の交差する木材と隙間に張られたキャンバスの構成物へと変化。さらに、楕円のような形の平面に描かれたものや、離れて設置された複数のパーツからなるものまで、「絵画」というジャンルの定義を問うような志向を強めていく。

展示風景より
展示風景より、左側が《無題》(1967)

絵画の自明性を疑い、それを一旦モノにまで還元するような仕事には、たしかにボイスとの共鳴を感じることができる。物体を動かして配置を変えることで、そのものの位相を変化させるボイスのアクションの手つき。そこから、パレルモは何を学んだのか。

当時のデュッセルドルフは、ケルンと並び、ミニマルやコンセプチュアルアートなど、同時代のアメリカ美術をドイツに紹介する一大拠点だった。空間と物体の関係の探究や、既存の芸術ジャンルにメスを入れる表現は、これらアメリカの潮流にも共通する。しかし、そうした潮流の特徴である反復的で直列的な構成に対して、ボイスの作り出す場には、比喩や含意といった物語的な側面がある。そして、初期のパレルモのオブジェクトにも、反復や全体の統一とは異なる、要素間の関係性を見ることができる。

こうしたことから、担当学芸員の大浦周は、「パレルモにとって、ボイスのアクションにおける事物と空間の関係とは、ミニマルやコンセプチュアルといった同時代の美術をいかに更新するのかを考えさえる契機としても重要だったのではないか」と指摘する。

本展はこのように、単なる「影響」という言葉では見えてこない、ボイスとパレルモの造形的なつながりや距離を、同時代のアメリカ美術との関係も視野に入れながら考えることができる場になっている。こうした紹介の方法は、どうしても「ボイスの教え子」と認識されがちなパレルモ像を更新するとともに、作品よりも思想や発言に注目が集まりがちなボイスの造形性を改めて見つめる機会を生み出している。

それにしても、並べ方の妙もあるが、こうして見ると両者の共通点の多さに驚かされる。

第3章「フェルトと布」には、そのタイトル通り、フェルトロールを壁にかけたボイスの《プライトエレメント》や、既製品の布を用いたパレルモの「布絵画」が並ぶ。また、パレルモが自身のアイコンのように使った青い三角形と、ボイスの代表作であるフェルトのスーツは、空間におけるその象徴的なあり方で響き合う。もちろん、それぞれの作品には個別の文脈があるのだが、いろいろと読み込みたくなる見せ方になっている。

展示風景より、左からパレルモの《無題(布絵画:緑/青)》(1969)、ボイスの《プライトエレメント》(1985)
展示風景より

とくに第4章は、その色彩と形において二人の距離が最も接近するコーナーだ。ここにあるパレルモの《12のオリジナルリトグラフ》は、「色彩の魔術師」と呼ばれた彼には珍しく、ボイスが多用した茶色のような、抑制された色で描かれている。他方、ボイスの《私はウィークエンドなんて知らない》に使われたソースの瓶とカントの著作は、その意味内容よりも鮮やかな色彩の近さから選ばれたように見える。

展示風景より、左側の壁に掛かるのが《12のオリジナルリトグラフ》(1970)
展示風景より、《私はウィークエンドなんて知らない》(1971-72)

極め付けは、ボイスのマルチプル作品《『Interfunktionen6』のなかに》。雑誌に挟み込まれた幾何形態に折られた鮮やかな紙は、一見するとパレルモの仕事にしか見えない。本展ではどちらがどちらの作品か一見してわからない状態を意図しており、キャプションに明示的に作家名は記されず、「B」と「P」の記号だけが示されている。

展示風景より、手前のケースがボイスの《『Interfunktionen 6』のなかに》(1971)、奥の壁右側に掛かるのはパレルモの《4つのプロトタイプ》(1970)

その後、展覧会は、ボイスの流血沙汰となったアクションや、自らの人生まで作品化するように脚色混じりに書いた略歴など、ボイスの「伝説」を構成するような展示物が並ぶ第5章、そして、ボイスが活動を本格化する前に描いたドローイングを中心とした第6章と続く。

とりわけ後者のドローイングは、戦争のトラウマや婚約破棄などに見舞われた苦難の時期に描かれたもので、本展の隠れたハイライトのひとつ。思考や心象を素早くスケッチしたような、不安定な線と色で描かれたそれらの絵を、ボイスは自らに刺激を与える「貯蔵庫」と呼び、生涯手元に置いた。

展示風景より、ボイスの1950年代のドローイング群

困難と呼べる時期は、パレルモにもあった。73年にニューヨークに活動の拠点を移してからしばらくの間、彼は作品を残すことができなかったという。第7章のアルミニウムを支持体とした「金属絵画」は、そんな時期を経たパレルモが晩年に注力したシリーズだ。

ニューヨークの実在の地の名を冠した《コニー・アイランドⅡ》など、天地を帯状に塗られた小さな4枚組が、金属絵画の定番のスタイルだ。やはり目を引くのは、その配色。そして、それらが作り出す特異な視覚経験だろう。「ひとつの平面から別の平面に目を移したとき、前の色が残像のように目の前の色に重なる」と大浦。経験の重なりが見せる儚いもの。充実したカタログの解説によると、パレルモはこうした作品に、ニューヨークとデュッセルドルフ、または展示で各地を行き来する自身の経験を投影していたという。

展示風景より、《コニー・アイランドⅡ》(1975)

その並びでもうひとつ気になるパレルモの作品が、76〜77年の展覧会の際に制作された、その名も《ヨーゼフ・ボイスのために》(未完)だ。

展示風景より、《ヨーゼフ・ボイスのために》(1964-76)。制作年はボイスと出会った年からパレルモの亡くなる前年までとなっている。

向かって左側の、アカデミー時代の変化を象徴するような円盤と、右側の、ニューヨーク時代の金属絵画に挟まれるのは、鏡として機能するアルミニウム。特定のスタイルにこだわらず、つねに変化する「現在」を映す鏡面を中心に据えたこの構成に、パレルモがボイスから受け取った最大の学びを見るのは単純だろうか。会場の出口付近に展示された、パレルモの死後にアトリエに残されていた《無題》には、従来の金属絵画に比べ、より荒々しい筆跡が残る。そこには、最後まで次の展開を模索していた画家の気配を感じられる。

展示風景より、《無題》(1976-77)

パレルモの没後の展覧会に際したインタビューで、ボイスは鑑賞者に向けて、そんな教え子の作品を「息のように感じ取って欲しい」と語っている。パレルモの絵画は「全体としてどこか息のようなところがある。それはまた、繰り返し消えてしまうものです。彼の生がしばしばそうであったように。彼はそこにいた。色彩と形態が現れた。そして彼はまた遠ざかってしまう。彼の絵画をもっと息のように見なくてはなりません」。

あるいはまた、パレルモの作品を語りすぎることで、そこにある詩情を損なうことがないように、と釘も刺している。ある状態に固定されず、つねに変化すること。それはボイスが大切にしたものでもあった。ボイスとパレルモ。師弟関係を超えて、ひとつの時代の二人の作り手の間に共有されたもの。本展では、それを感じることができるに違いない。

杉原環樹

杉原環樹

すぎはら・たまき ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行なう。主な媒体に美術手帖、Tokyo Art Beat、アーツカウンシル東京、地域創造など。artscapeで連載「もしもし、キュレーター?」の聞き手を担当中。関わった書籍に、平田オリザ+津田大介『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻社)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。