公開日:2023年2月21日

誰も集団自決しなくていい世界を、アートを通して考える。「ケアリング/マザーフッド:「母」から「他者」のケアを考える現代美術」(水戸芸術館)レポート

2月18日~5月7日、水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の「ケアリング/マザーフッド:「母」から「他者」のケアを考える現代美術 ―いつ・どこで・だれに・だれが・なぜ・どのように?―」をレポート。

碓井ゆい 要求と抵抗 2019

15組の作品から「ケア」を考える展覧会が開幕

アートを通して「ケア」のあり方を考える展覧会、「ケアリング/マザーフッド:「母」から「他者」のケアを考える現代美術 ―いつ・どこで・だれに・だれが・なぜ・どのように?―」水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開幕した。会期は2月18日~5月7日。企画は同館学芸員の後藤桜子。

本展は、ミエレル・レーダーマン・ユケレス、マーサ・ロスラーといったフェミニズム・アートの開拓者として知られるアーティストから、石内都、出光真子といった国内の著名作家、そして国内外の気鋭アーティストまで15組が参加する。

水戸芸術館 入口

新自由主義と自己責任論の時代の「ケア」

近年「ケア」という言葉が様々な場所で聞かれるようになり、関連本も続々と刊行されている。その背景には、たとえばコロナ禍においてケア労働を担うエッセンシャルワーカーたちの重要性と、その社会的な立場の弱さとが改めて認識されるようになったことがあるだろう。

またそれ以前から、家事・育児・介護といった事柄が、これまでほとんど女性の役割だと考えられていたことに対する見直しや異議申し立て、実際的な生活スタイルの変化、多様な家族や個人の生き方の可視化もある。

いっぽうでこうした変化の根底には、社会における新自由主義と自己責任論の高まりがあることも否めない。2016年の津久井やまゆり園での相模原障害者施設殺傷事件や、18年の杉田水脈による「生産性」発言など象徴的な事例に事欠かないが、ちょうど本展の開幕前後は、成田悠輔の「高齢者は老害化する前に集団自決すればいい」という主張がメディアやSNSで物議を醸している。このことは、本展をのちのち振り返ったときに、時代の空気感を思い出す手がかりになるかもしれない。

人はひとりで生きることはできない。それはつまり、生まれてから死ぬまで、ケアと無関係でいることはできないということだ。でも、社会には「生きる」ことに対しても「ケアする/される」ことに対しても、粗雑に扱おうとする雰囲気が漂っている。それはなぜなのか。

本展のテーマは、女性や母親やフェミニズムに関心のある人のみならず、すべての人に関係するものであるということは、まず最初に強調しておきたい。

会場風景

1960〜70年台、第二波フェミニズム:アーティストがとらえた家事労働

本展は会場入口に掲載されたミエレル・レーダーマン・ユケレス(1939年アメリカ生まれ)の《メンテナンスアートのためのマニフェスト、1969!》(1969)の複製から始まる。現在よりもずっとアーティスト=男性という図式が強固であり、女性は家事労働を担う存在として制作の現場から撤退せざるを得なかった時代にあって、ユケレスは、「日常生活はアートになり得るか」を模索。家事労働を作品にしたのが本作だ。

ユケレスは、社会を“発展”させる創造的だと考えられる労働の基盤には、物事を“維持・管理”しようとする日の目の当たらない労働があると考え、これらを「メンテナンス」と呼んだ。主婦が担うものとされた家事労働はメンテナンスであり、それらを行うことを彼女は作品だと宣言した。これはフェミニズム・アートの先駆的な一例であると同時に、当時のコンセプチュアル・アートの文脈でも考えることができる、多層的な作品だ。

個人的なことは政治的なこと」というのが第二波フェミニズムのスローガンだが、ユケレスがメンテナンスは社会のいたるところにあると考え、無賃労働者=主婦からほかの低賃金労働者、ゴミの問題や環境問題へと対象を広げていったことは示唆的である。

もうひとり、第二波フェミニズムの動きに共鳴したアーティストが、マーサ・ロスラー(1943年アメリカ生まれ)だ。初期の代表作《キッチンの記号論》(1975)は、料理番組のパロディとして台所にいる女性が調理器具を紹介していくのだが、その使い方がだんだん常識を外れた攻撃的な雰囲気を帯びていく映像作品。

こうした作品からは、「ケア」に関わる行為を家庭内への閉じ込め、それを主に女性へと押し付ける抑圧的な社会構造に対する、怒りとユーモアを交えたアーティストの批判が見えてくる。約50年を経ても、こうした家事労働や性別役割分担の問題はまだまだ多くの人にとってリアルであり続けているのではないだろうか。

ケアの個別具体性:二藤建人の《誰かの重みを踏みしめる》

最初の展示室に入ると、まず目に入ってくるのが、二藤建人(1986年埼玉県生まれ)の《誰かの重みを踏みしめる》だ。この彫刻的装置は、まず下部に人が入って足を上に突き出し、その上にもうひとりの人物が乗るというもの。学芸員の後藤は、「個別具体的」という言葉を用いながら、本作を展示した意図をこのように語る。

二藤建人 誰かの重みを踏みしめる 2016-21

「私がこの作品を非常に大事だと思うのは、ケアは個別具体的なものであるということが根底にある。この作品では下の人は相手の固有の重みを受け止めますし、上の人も下の人のことを考える。自分がどんな体勢であればより重さを感じにくいのか、不安定な状態になるのはどんなときかを考える、そういう作品になっている。ケアにも、そのような面がある」。

《誰かの重みを踏みしめる》を実演する二藤建人と後藤桜子

実際にやると、どうすれば自分と相手の負担が軽くなるかと自分が考えるだけでなく、相手も考えてくれていることが足の裏を通して感じられる。鑑賞者も実際に体験できるので、ぜひ実際に試してみてほしい。

母たちの抑圧:ユン・ソクナム、石内都

このほか第一室には、ホン・ヨンイン(1972年韓国生まれ)による工場労働や家庭内暴力といった抑圧された身体をテーマにした作品、ユン・ソクナム(1939年旧満州国[現中華人民共和国]生まれ)による母や先行世代の女性と自分自身の創造性に言及する作品、石内都(1947年群馬県生まれ)の母の遺品を写した「mother's」シリーズが展示されている。

ホン・ヨンイン アンスプリッティング 2019
会場より、手前がユン・ソクナム、奥が石内都の展示

「ユン・ソクナムは40代で子供を育て上げてから、美術の教育を受け直し作家活動をはじめたアーティスト。自分の母親世代は戦争を体験し、自分の時間をほとんど持てなかった。そういった苦しみをテーマに作品を制作してきた。今回展示する《Lotus》(2002)は、女性が芸術家として大成するまでには、どのような痛みに満ちているかを表している。手前はアーティスト自身、後ろは朝鮮王朝時代の著名な詩人で、彼女は芸術家としての志を貫くために非常に苦労をした。その人物が温かいまなざしを向けている。しかし蓮の花を持った作家の像の裏側を見ると、そこにはおびただしい数の赤い釘が刺さっており、芸術家として花を咲かせるまでに伴う苦しみが表現されている」(後藤)。

ユン・ソクナム Lotus 2002
ユン・ソクナム Lotus 2002

続く第二室には、本間メイ(1985年東京都生まれ)の映像作品《Bodies in Overlooked Pain(見過ごされた痛みにある体)》(2020)。現在インドネシアを拠点とする作家が、妊娠・出産にまつわる同地の風習や社会におけるイメージなどを扱いながら、女性特有の痛みについて問いを発するもの。

本間メイ Bodies in Overlooked Pain(見過ごされた痛みにある体) 2020

シャドウワークという言葉があるように、「母」が担う家事労働は無償で当然だと考えられ、対価や評価は与えられず、可視化もされない時代が続いた。また、その身体や精神の痛みも、とるに足りないものとして見過ごされてきた。本展序盤はこうした社会のあり方と、個別の新体制の関係について、様々な考えを促すものになっている。

子供の成長、親の変化、過ぎ去る時間:青木陵子、出光真子

青木陵子(1973年兵庫県生まれ)による第三室を使ったインスタレーション《三者面談で忘れてる NOTEBOOK》(2018)は、作家自身の子育て経験がもとになった作品。部屋全体が0時から24時へと向かう時計のようなイメージで、作家ががその時々に残していたメモをもとに、時系列に沿って子供の成長や変化に関する展示がなされている。小学校では親と教師の「二者面談」だったのが、中学生になると子供を含めた「三者面談」へと変わったことがタイトルで暗示されており、この中学生となった子供の変化に触発されたようだ。

青木陵子 三者面談で忘れてる NOTEBOOK 2018 左の棒が、子供が中学一年生の時の身長の高さだそう。小さな帽子がちょこんと被さっている

私的であるがゆえに、ひとつひとつ展示物の詳細な意味やモチーフはわからないが、展示室内を歩きながら見ていると、子供の成長や変化を面白く見つめながら寿ぎ、過ぎ去っていく時間を慈しむような感覚を揺さぶられ、個人的には心がほぐれるような、ウルっとくるような感じだった。

青木陵子 三者面談で忘れてる NOTEBOOK 2018 

日本の女性実験映画・ヴィデオ・アートのパイオニアである出光真子(1947年群馬県生まれ)の映像2作も素晴らしい。家の中や庭などにある植物を写したいくつもの風景の連なりに、作家自身のモノローグが時折重ねられる、私的で詩的な作品だ。

出光真子 たわむれときまぐれと 1984

《たわむれときまぐれと》(1984)は、「子供たちがいってしまった 気持ちよく送り出したけれど 母親ってなんなのだろう」という言葉で始まる、子育てを終えた“母”としての気持ちを語るもの。《ざわめきの下で》は、亡くした母のことを“娘”の視点から回想する内容。

風がそよぎ、木々や葉の影がちらちらと動く。日常的な空間を舞台に撮影された光の明滅や陰影の諧調は、母として、娘としての、複雑な感情のグラデーションや葛藤、分かちがたい喜びと悲しみの同居を感じさせる。

出光真子 ざわめきの下で 1985

AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ](2005年から活動)の《わたしは思い出す》(2021)は、2010年6月11日に出産した女性の11年にわたる育児日記を再読し、その回想の一部を再記録化したプロジェクト。壁に書かれた言葉は、子供にまつわる思い出や、震災に関わる思い出などを想起させる。

AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ] わたしは思い出す 2021

展示室を進んだ先にあるラグナル・キャルタンソン(1976年アイスランド生まれ)の作品も、子と母親の関係性について示唆に富む面白い作品だ。学生時代に作家が「暴力」をテーマにした作品制作を求められ、プロの俳優である母親に自分の顔に唾を吐きかけるパフォーマンスを依頼したもの。数台のモニターでは、そこから年月を経て繰り返される同じ行為が映し出される。親子であり、制作のパートナーでもあると言えるふたりの関係性や、この暴力的行為についての態度の変化を感じさせる。

ラグナル・キャルタンソン 私と私の母 2010

公共におけるケア:碓井ゆいの授乳室

ケア労働は、家庭内や家族のなかに止まらない。その代表的な現場のひとつが幼稚園や保育園だろう。碓井ゆい(1980年東京都生まれ)の《要求と抵抗》は、1972年に愛知県で起こった保育者や園児の環境を守るための運動である港保育園「自主管理保育闘争」に着目し、当事者の声や資料を収集・リサーチして制作された。当時の運動で掲げられていたスローガンなどが、手芸や刺繍といった方法で作品に組み込まれる。「定員をふやして」「保母は消耗品ではありません!」といった切実な言葉は、こうした地道な運動が社会制度のあり方を変革してきた歴史を思い起こさせる。

碓井ゆい 要求と抵抗 2019
碓井ゆい 要求と抵抗 2019

また、本展には作品ではなくインフラとして、碓井が制作した「授乳室」も2つ設置されている。なんと同館には常設の授乳室がないという問題があり、それにアーティストが応答したもの。水戸芸術館が開館したのは1990年だが、当時でさえ美術館という公共施設に「授乳室」がなかった、つまり乳幼児とその保護者の来館は重要視されていなかったということだ。Tokyo Art Beatのスタッフにも、過去にトイレで授乳した経験がある者もいる。

本展やこの「授乳室」をきっかけに、美術館という施設・制度自体の「ケア」観点での見直しが進むことを期待したい。

碓井ゆいが制作した「授乳室」

石内都の「幼き衣へ」シリーズは、江戸後期から昭和初期頃の幼子の着物を写したもの。背中側の首元から悪いものが入り込まないように、魔除けとして縫い目や刺繍を施した「背守り」、近所の人々から集めた端切れを縫い合わせて作った「百徳着物」。子育てが、家族だけでなく地域ネットワークに支えられていた、当時の共同体とケアのあり方について考えるきっかけになるだろう。

石内都 「幼き衣へ」シリーズ 2013

ヨアンナ・ライコフスカ(1968年ポーランド生まれ)は、認知症を患った自身の母親の姿になって、街を徘徊するパフォーマンスを記録した映像作品。介護施設や街にいる人々が、徘徊老人に向ける視線や善意が映しとられている。

ヨアンナ・ライコフスカ バシャ 2009

「見えないもの」とされてきた人々と行為

マリア・ファーラ(1988年フィリピン生まれ)は、日本で育ちのちにロンドンへと渡った経歴を持ち、移民の経験や女性たちに向けられるまなざしをテーマに、彩り豊かな絵画を制作する。家政婦やベビーシッターといったケアワークは、特に欧米ではアジアや南米などにルーツを持つ移民の人々によって担われてきた。社会的に弱い立場に置かれ、まるで見えないかのように扱われてきた人々が、日常に必要な労働を支えてきたのだ。

マリア・ファーラ

リーゼル・ブリッシュ(1987年デンマーク生まれ)は、ブタペスト動物園にいるメスのゴリラを撮影した《ゴリラ・ミルク》(2020)を展示。この映像作品は、作家と同じ名前を持つこのゴリラの母乳が、研究のために採られて保管されているという事実に衝撃を受けたことをきっかけに制作されたという。出産を繰り返し、おっぱいは垂れ、歯は欠けてしまい、性的な魅力がなくなったゴリラは、いったいどう扱われるのか。

リーゼル・ブリッシュ ゴリラ・ミルク 2020

また《クィアな授乳》(2022)という冊子も、作家が自身の出産・育児で感じた怒りをもとに制作された。これまで授乳に象徴される育児は、男性中心社会のなかで見えないものとされてきたが、作家は「性差を超えて授乳を考えよう」と呼びかける。

クィアの視点も重要だろう。先日更迭された岸田文雄首相の秘書官は、「同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」などと発言したが、実際にはすでにともに暮らしているヘテロセクシュアル以外のカップルや家族もいる。逆に日本で暮らすことを諦め国外で暮らしているクィアもいる。同質的な男性中心のホモソーシャル社会からは見えなくても、確かにそこに暮らしがあり、人々がいるのだ。

会場風景

ケアと自分との距離

学芸員の後藤は、「ケア」を展覧会のテーマに設定した経緯を以下のように語る。

「誰かをケアするというとき、その視線はケアする対象に向いているけれども、同時に社会のインフラのあり方や政治とも大きく結びついていることに関心があった。
そうした視点は、いま活動しているアーティストたちが、キャリアのなかで転換期を迎えたときに大きく影響してくるし、美術史のなかで誰の名前が残っているか(残っていないか)ということにも影響している。そこで「ケア」というものと、その主な担い手となってきた人々に焦点を当てる展覧会が必要になるのではないかと考えた」。

「ケア」という行為は、主体的に誰かをケアしたことがあるかという経験の有無によっても、見える世界が大きく異なってくる。しかしこうしたケアを、当事者だけにとどめず、より開いていこうとするとき、本展はどのような役割を担いうるだろうか。

「作家が15組いて、ケアの当事者性においてもグラデーションがある。たとえばAHA!の作品は、第三者の育児日記をもとにしつつ、その「想像しきれなさ」に挑んでいこうという作家の試みでもありました。育児経験がある人であれば、日記に書かれていることと自身の経験を照らし合わせることができる。いっぽうで、育児の経験がなかったり、そこに書かれていることに「踏み込めなさ」を感じる人は、そのこと自体が自分の立ち位置を自覚的に考えるきっかけになる。ケアする当事者だけでなく、そうではない人にとっても、ケアとつながる距離感を見つけられるのではないか」。

内覧会を出ると、磯崎新によるシンボルタワーの下で、小さな子供連れの親子や小学生たちが楽しそうに過ごしているのが目に入った。ケア労働の厳しさや葛藤、制度的な問題は尽きないが、人と人とが関わり合う中で生まれる「ケア」には当然豊かさも灯る。市井の人々の日常とこの展覧会がシームレスにつながることを願う。

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。