コンセプチュアル・アートを「再発明」する:ケリス・ウィン・エヴァンス「L>espace)(...」展(エスパス ルイ・ヴィトン東京)レビュー(評:星野太)

ネオン管、音、写真、ガラスなどさまざまな素材を用いて、鑑賞者の知覚や現実の概念を揺さぶるようなスタイルが特徴のケリス・ウィン・エヴァンス。エスパス ルイ・ヴィトン東京で2024年1月まで開催中の個展 「L>espace)(...」(「espace」は打ち消し線つき)を、東京大学大学院総合文化研究科准教授で、美学、表象文化論研究者の星野太がレビュー。

ケリス・ウィン・エヴァンス「CERITH WYN EVANS - L>espace)(…」展示風景(エスパス ルイ・ヴィトン東京、2023) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

謎めいた作家 ケリス・ウィン・エヴァンス

ケリス・ウィン・エヴァンス(1958〜)は謎めいた作家である。英国ウェールズのラネリーに生まれたエヴァンスは、ロンドンにあるセント・マーチンズ・スクール・オブ・アートとロイヤル・カレッジ・オブ・アートで美術と映像を学んだ。その後、1980年代半ばにデレク・ジャーマンの助手を務め、ほどなくしてみずからも映像作品を発表し始める。当初はおもに映像を用いていたエヴァンスだが、次第にその表現の幅を広げていき、現在ではガラスやネオン電球を素材とする造形作品により知られている。

エヴァンスを「謎めいた作家」というのは、さまざまなメディウムにまたがるこのアーティストの作品が、通常の鑑賞者はもちろんのこと、現代美術をそれなりに見慣れた人間にとっても容易にとらえがたいものであるからだ。わたしがエヴァンスの作品と対峙したときにしばしば感じるのは、その洗練された外観と、その背後にある複雑な思想との、一種独特なギャップである。

静謐でありながら、かすかな当惑をもたらす作品

現在、エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中の個展「L>espace)(...」(「espace」は打ち消し線つき)では、フォンダシオン ルイ・ヴィトンが所有するエヴァンスの作品のうち、主要な5作品を目にすることができる。以上の論点を敷衍するにあたり、まずはそれぞれの外見的な特徴をみていくことにしよう。

ケリス・ウィン・エヴァンス「CERITH WYN EVANS - L>espace)(…」展示風景(エスパス ルイ・ヴィトン東京、2023) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

まず、ギャラリーのほぼ中央には、エヴァンスの代名詞とも言えるネオンサインが浮かぶ。展示されているのは《...in which something happens all over again for the very first time》(2006)と《Sentiment》(2010)の2作品であり、それぞれ「...in which something happens all over again for the very first time」(何かがまさに初めて一から再び起こるなかで…)、「Little you know the subtle electric fire that plays within me, for you...」(君は知らない、あなたを想い、私の中で弾けるかすかな電気の火花を…)という文字がネオン管で記されている(*1)。

こうした詩的な一文にふれるとき、まず鑑賞者のうちに生じる反応は、これらが何か特定の文学作品からの引用なのではないか、というものだろう。事実、エヴァンスの文学に対する造詣は深く、過去にはマラルメやプルーストを引用した作品を発表したこともある。今回の展示作品について言うと、《Sentiment》の一文は、『草の葉』で知られるアメリカの詩人ホイットマンの《Little You Know》という詩の一節から取られている。他方、《...in which something happens all over again for the very first time》のほうは、エヴァンスが2006年にパリで開催した個展のタイトルだ。後者のフレーズに具体的な典拠があるのかどうかは定かではないが、「何かがまさに……」という──先行詞を欠いた──関係代名詞節は、そのあからさまな論理的矛盾(all over again / for the very first time)ともあいまって、表現としては静謐でありながら、それを見る(読む)者のうちにかすかな当惑をもたらさずにはいない。

ケリス・ウィン・エヴァンス《“LETTRE À HERMANN SCHERCHEN” FROM ‘GRAVESANER BLÄTTER 6’ FROM IANNIS XENAKIS TO HERMANN SCHERCHEN(1956)》 (2006) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

次に、同じくエヴァンスの代名詞といえる、シャンデリアの作品に目を転じてみよう。展示室の入口近くにぶらさがっている《“Lettre à Hermann Scherchen” from ‘Gravesaner Blätter 6’ from Iannis Xenakis to Hermann Scherchen(1956)》(2006)は、あるテキストをモールス信号に変換して明滅させるシャンデリア・シリーズのひとつである。表題が示すように、この作品のテキストとなったのは、作曲家ヤニス・クセナキスが指揮者ヘルマン・シェルヘンに宛てた書簡である。作品タイトルにあるGravesaner Blätter 6とは、この書簡の宛先であるシェルヘンが1955年から66年にかけてマインツで発行していた雑誌(の第6号)のことだ。シャンデリア付近のモニターには、頭上で点滅するモールス信号の元になったフランス語のテキストが表示されているが、その内容は「操作」「概念」「確率」といった抽象概念をめぐるもので、ふたりの議論の前後を把握していない鑑賞者にとっては、たとえ読んでも容易に把握しがたいものがある。

会場風景より、《A=F=L=O=A=T》(2014) 撮影:編集部

残る作品についても見ていこう。展示室の奥にある2作品のうち、ガラスでできた巨大な造形作品は《A=F=L=O=A=T》(2014)と題されている。これは、展示室にある五作品のなかで唯一、フォンダシオン ルイ・ヴィトンから委嘱されたコミッション・ワークである。どこか有機体を思わせるその形状をつぶさに見ると、螺旋状に並べられた20本のガラス製フルートが、上方にある送風機とチューブでつながれていることがわかる。そしてこれらはいかにも楽器らしく、送風機が作動するたびに、一定の間隔で抽象的な音を鳴らすのだ。

会場風景より、《STILL LIFE(IN COURSE OF ARRANGEMENT...)Ⅱ》(2015) 撮影:編集部

最後に、本展のなかでもっとも異彩を放っているのが、本物の赤松を用いた《Still Life (In course of arrangement...) II》(2015)である。これは、鉢植えも含めて高さ2メートルほどの赤松が、ターンテーブル上でゆるやかに回転しているだけのシンプルな作品だ。エヴァンスは若い頃に日本(CCA北九州)でレジデンスをした経験があり、近年では能の上演にも関わっている。そうした背景に鑑みれば、この赤松の作品は、エヴァンスと日本の深い関わりを──ごく遠回しにではあれ──示唆するものだと言えよう。

マルセル・ブロータースへのオマージュ

以上のような多様な作品を前にしたとき、ほとんどの鑑賞者は、これらにフィットする適切な言葉を探し求めて四苦八苦するはずだ。おそらく、現代美術の「文法」にある程度通じている鑑賞者にとっても、事情はさほど変わらないのではないだろうか。エヴァンスの作品の多くは、ネオン管やガラスといった透明感のある素材を用いていることもあり、基本的にはシンプルで洗練された外観を大きな特徴とする。他方、その背後にある作家の思想や意図に鑑みるなら、それらがただ外見的な洗練をめざしているのでないこともまた明らかだろう。ここには、ひたすら厳格なコンセプチュアリズムにも、ごく一過性のスペクタクル的消費にも与することのない、今日の芸術実践にしばしば見られる構造的なとらえがたさがある。

エヴァンス本人はみずからの作品について、それが敬愛する美術作家へのオマージュであるということを、しばしばインタビューなどで明らかにしている。なかでも、ベルギー生まれの作家マルセル・ブロータース(1924〜76)に対してエヴァンスは称賛を惜しまず、これまで明示的にブロータースを意識・参照した作品をひとつならず手がけてきた。今回の出品作品で言えば、最後に見た《Still Life (In course of arrangement...) II》がまさしくそうだ。ブロータースは晩年に「デコール(装飾)」という演劇的なインスタレーション形式を発明したが、その代表的な作品が、ヴェネチア・ビエンナーレで発表された《冬の庭》(1974)である。このインスタレーションのなかで、ブロータースはコンゴを植民地化したベルギー王国を批判する意図で、コンゴ産のヤシの木を作品に用いた。両者のあいだにあからさまな対応関係はないものの、《Still Life (In course of arrangement...) II》をはじめとする松を使ったエヴァンスの作品からは、そうしたブロータースへのひそやかなオマージュが見て取れる(*2)。

美術にとどまらず、文学や音楽といった異なるジャンルへの関心も、今回の出品作品からはっきり見て取れるだろう。アメリカの詩人ホイットマンや、おもにフランスで活動した建築家・音楽家クセナキスなど、エヴァンスの作品は、過去の偉大な芸術家たちへの参照なしにはありえない。とはいえ、これのみを取り出してみれば、現代美術によくある知的な仄めかしにすぎず、そこに取り立てて注目すべきものはないと考えられるかもしれない。

ケリス・ウィン・エヴァンス「CERITH WYN EVANS - L>espace)(…」展示風景(エスパス ルイ・ヴィトン東京、2023) Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits: © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

ここでひとつ思い起こされるのが、前述のマルセル・ブロータースについて、美術批評家のロザリンド・クラウスが述べていることだ。クラウスは『北海航行』という著書のなかで、ブロータースのことをおおよそ次のように評している──すなわち、美的経験が日常のすみずみにまで行き渡った現代社会において、当世のアーティストは、大ぶりのインスタレーションを通じて日常にはないスペクタクルを提供したり、あるいは反対に、絵画や彫刻をはじめとする伝統的なメディウムに回帰したりする。他方、そのどちらでもない選択肢として、みずからの用いる──しばしば時代遅れの──メディウムを、従来とは異なるしかたで「再発明」するアーティストがいる。そして、ジェームズ・コールマンやウィリアムズ・ケントリッジに代表される(とクラウスが考える)そのようなアーティストの始祖こそ、まさにブロータースだ、というのだ(*3)。

コンセプチュアル・アートを「再発明」するエヴァンス

ケリス・ウィン・エヴァンスが、ここでクラウスが言うところの第三のグループに含まれるかどうかはわからない。ただ、次のことは確かだと思われる。エヴァンスによる──どこか執拗なまでの──過去の芸術家たちへの参照は、いまや時代遅れのものとなった異なるジャンル間の照応を、新たなしかたで賦活するものだ。そこで真に意味をなすのは、ホイットマンの詩や、クセナキスの音楽を文字通りに呼び出すことではない。むしろ──今回であれば《“Lettre à Hermann Scherchen”...》がその典型であるように──かれらになんらかの意味で関係のある素材を暗号めいたしかたで変換することが、エヴァンスの基本的な方法であると言えよう。エヴァンスはそれをしばしば「翻訳(translation)」と呼ぶのだが、つまるところその核心は、ある歴史的・文化的リファレンスを思いもよらぬかたちで造形物に変換する、その方法の意外性にこそある。

おそらくこれは、今日においてコンセプチュアル・アートがとりうるひとつの戦略である。まず何よりも思惟の力に基礎をおくコンセプチュアリズムは、それが純粋であろうとすればするほど、最終的には言葉(言説)に還元されることをまぬがれない。それはコンセプチュアル・アートが本来的に抱え込まざるをえない隘路だが、他方でそれを放棄した果てに待っているのは、一見それらしい形態による思惟の中途半端な上演にほかなるまい。ゆえに、エヴァンスをはじめとする一部の作家たちは、思惟の「変換」に賭けるのだ。そこでは、かつてこの地上に存在した先達の作品ないし思想に、新たなかたちが与えられる。ここから、エヴァンスが「再発明」するメディウムとは、ガラスをはじめとする物質的な支持体ではなく、これまでの膨大な芸術的アーカイヴであると言えるかもしれない──マラルメ、プルースト、ホイットマン、クセナキス……かれらの言葉はそこで、光に、音になる。

*1──ただし、ホイットマンの原文では「Little you know the subtle electric fire that for your sake is playing within me」となっており、エヴァンスのネオンサインは厳密な引用ではない。なお、以上の( )内の日本語はいずれも、エスパス ルイ・ヴィトン東京が会場のQRコードで提供している作品解説に拠っている。

*2──たとえば、アンドリュー・マークルによって行なわれた『ART iT』におけるインタビューを参照のこと。「ケリス・ウィン・エヴァンス インタビュー(3)」(https://www.art-it.asia/u/admin_ed_feature/SCIAXf4NKgdnpze81hkJ/:2023年9月10日最終閲覧)

*3──ロザリンド・クラウス『ポストメディウム時代の芸術──マルセル・ブロータース《北海航行》について』井上康彦訳、水声社、2023年、110-111頁。

星野太

1983年生まれ。美学、表象文化論。東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に『食客論』(講談社、2023)、『崇高のリミナリティ』(フィルムアート社、2022)、『美学のプラクティス』(水声社、2021)、『崇高の修辞学』(月曜社、2017)、訳書にジャン=フランソワ・リオタール『崇高の分析論』(法政大学出版局、2020)などがある。