「Third Eye, situated works - 知覚の拡張ーそこにある眼差し」会場にて、ダニエル・ビュレン
1938年フランス生まれのダニエル・ビュレンは、1960年代半ばから60年以上にわたり、8.7cm幅のストライプ──自ら「視覚的道具(outil visuel)」と呼ぶ不変の記号──を軸に、世界各地の空間を変容させてきた。
パリのパレ・ロワイヤル中庭に設置され、論議を巻き起こした《Les Deux Plateaux(二つの台地)》(1985〜86)、ポンピドゥ・センターでの回顧展「存在しない美術館」(2002)、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館での「The Eye of the Storm」(2005)、さらにフランク・ゲーリー設計のルイ・ヴィトン財団との協働《The Observatory of Light》(2016)など、その実践はつねにアートや建築とその制度の境界を問い直してきた。
そのビュレンの最新個展「Third Eye, situated works - 知覚の拡張ーそこにある眼差し」が、SCAI THE BATHHOUSE(東京・谷中)で開幕した。新作《Prismes et miroirs : Haut-relief》全6点で構成される本展では、プリズムと鏡面を組み合わせたレリーフが、鑑賞者の前方と背後を同時に視界へ引き込む。
1970年の東京ビエンナーレ「人間と物質」展以来、日本との縁が深い作家は、京都の庭園で「借景」の思想に出会い、風景を「フレーミング」するのではなく「借りる」という概念に自身の哲学との深い共鳴を見出した。
今回のインタビューでは、本展に関連することだけでなく、「in situ」と「situated work」の概念的な差異、ストライプが「道具」である理由、そして日本文化との感性的親和性まで、先日88歳を迎えた作家にその思考の核心について話を聞いた。

──今回の展覧会タイトル「Third Eye(第三の眼)」には、どのような意味を込めていますか。私たちが普段見ている視覚を超えて、何を示唆しているのでしょうか。
タイトルはある種メタファーとして、「第三の眼」としていますが、現実は鏡の使い方や、用い方によって与られています。あなたはひとつの作品の前に立ち、その作品を見た瞬間──特定の形状やレリーフなどを持つそれを見た瞬間──あなた自身の視覚では、背後で起きていることが見えるということです。それはまるで第三の眼を持っているかのようなもので、目の前にあるものと、作品を通して背後に映るものを同時に見ることができる。つまり、頭や背中に第三の眼を埋め込むような難しい手術をしなくても、それを可能にするということです。私はこのタイトルをいままで使ったことはありませんが、鏡を使う作品では「第三の眼」という考え方をよく用いてきました。
そしてこの作品の制作を始めたときの目標のひとつは、見る者の視野を拡張することでした。絵画を見るとき、視線は自然とその表面に向かいます。私が関心を持っていたのは、その表面だけでなく、向こう側とこちら側も同時に見ようとすることでした。鏡を使えば、こちらも、あちらも見ることができます。


──副題に「situated works」とありますが、あなたが長年用いてきた「in situ」という言葉とのあいだに、概念的な違いはありますか。
いい質問ですね。「in situ」はほぼ最初期から使っています。じつは私がアートの世界にこの概念を言葉を通じて導入した最初の人間でした。それ以前、美術史においても使われていませんでした。ルネサンスのフレスコ画のような作品でさえ──あれこそ本当に最初のin situ作品だったのに。
──situated worksは、取り外して動かすことができるのに対して、in situは、場所ありきの作品ですよね。
はい、そうですね。今回のような作品を見せるとき、私は依然として場所、場の特性、配置といったことに強く関心を持っています。これはin situ作品に非常に近い。しかし同時に、in situとの大きな断裂もあります。この作品は持ち運ぶことができ、別の場所に置くことができるのです。それでも場所に対する同じ問いかけは残っています。異なりますが、少なくとも失われてはいない。それはまた鏡のおかげです。ですから、自分の仕事のなかで混乱を生じさせないために、差異化をしたかったのです。「situated work」と呼ぶことで、作品がどこかに状況づけられており、どこにでも置けるわけではないという点にアクセントを置いています。

in situ作品は根本的に移動できません。3世紀にわたって保存するか、あるいは展覧会が終われば作品は破壊されなければなりません。通常は破壊されて終わりです。このような作品(situated work)では、作品が美術館や個人の手にある限り、彼らはそれを活用できます。そのたびに作品は少し異なるものになりますが、いくつかのルールに従えば、作品を破壊する必要もなく、維持することも簡単です。それは意志の問題ではなく──「触れるな」と言っているのではなく──触れようがないのです。私が制作したどの作品も、訪れるすべての人と視覚的につながっている多くの要素があります。もし作品の要素を取り出して別の場所に設置したら、どんなメッセージを伝えたいのかさえわからなくなります。これが両者の大きな違いです。