公開日:2022年8月10日

「ドクメンタ15」レポート。本当に「キャンセルされるべき芸術祭」だったのか?

「ドクメンタ15」が6月18日〜9月25日に開催中。ドイツ・カッセルで5年に1度開催される世界最大級の現代アートの祭典「ドクメンタ」だが、インドネシアのアート・コレクティヴ、ルアンルパが芸術監督となった今回は、これまでと大きく異なる内容に。「反ユダヤ主義」の問題が浮上し大きく揺れる本展だが、実際に訪れてみると、そうした「炎上」とはまったく異なる景色が広がっていた。現地よりレポート。(写真:齋木優城+江原梨沙子)

「ドクメンタ15」より、タリン・パディの展示風景

世界最大級の現代アートの祭典、ドクメンタ

ドクメンタ(documenta)とは、ドイツ・ヘッセン州のカッセルで行われる大型芸術祭である。5年に一度しか開催されないため、ドクメンタへの訪問をずっと楽しみにしていたというアートファンは多いだろう。15回目となる今年、キュレーションをつとめたのはインドネシア・ジャカルタを拠点に活動するコレクティヴのルアンルパ(ruangrupa)。アジア系がキュレーターとして選出されたのは、1955年の発足以来、初めてのこと。筆者は、ドクメンタ15の開始からおよそ1か月が経った7月末にカッセルを訪れた。

ドクメンタの総合案内所的な役割を果たす「ruruHaus」の外観

「反ユダヤ主義」をめぐるスキャンダルの背景と現場の対応

すでに多くのメディアが報じている通り、今回のドクメンタには「反ユダヤ主義(Antisemitism)」という大きな問題が指摘されていた。騒動発端は、2022年1月にまで遡る。ドイツの活動家グループ「反ユダヤ主義反対連盟(Bündnis Gegen Antisemitismus Kassel)」が、ドクメンタ15に反イスラエル主義者が関与していると主張し、パレスチナのコレクティヴであるザ・クエスチョン・オブ・ファンディング(The Question of Funding)らのドクメンタ15への参加を激しく批判するブログを公開したのだ(*1)。実際にはコレクティヴのメンバーは反イスラエル運動への賛同を示しておらず、キュレーションを担当したルアンルパもこのブログに反論した(*2)。

これに続くもうひとつの問題は、ドクメンタ15の開幕後に勃発した。参加アーティストのタリン・パディ(Taring Padi)の《People's Justice》(2002)に、ユダヤ人を揶揄するような表現があったのだ。この作品には明らかなユダヤ人への偏見的表現が見られたため、強いバッシングを受け作品は会場から撤去された(*3)。

カッセルの街並み。ruruHausを擁するモールはすっかりドクメンタ一色

以上が、国内外の多くのメディアがさかんに報じているスキャンダルの概観である。とくに本国ドイツでは、国内大手新聞が開幕前から繰り返し反ユダヤ主義疑惑について報じていたため、読者の中には今回のドクメンタに対してネガティブなイメージを抱いている人もいるかもしれない。しかし、ここで立ち止まって考えてみよう―「反ユダヤ主義」だけが、今回のドクメンタ15を語る唯一のキーワードなのだろうか? この芸術祭は、炎上した「悪い」芸術祭だったのだろうか? 実際に会場を訪れた筆者は、まったく違う印象を受けた。

「ルンブン」を囲むゆるやかなコミュニティ

メイン会場のひとつ、フリデリアチヌム美術館。柱の装飾は、ルーマニア人アーティストのダン・パージョフスキー(Dan Perjovschi)が手がけた
フリデリアチヌム美術館の目の前には、アボリジナルにルーツを持つリチャード・ベル(Richard Bell)による《Tent Embassy》の展示も

ドクメンタ15は、欧州最古の美術館のひとつであるフリデリアチヌム美術館を中心とし、カッセルの街中周辺に散らばった32か所の会場で開催されていた。先述したように、今回のキュレーターを務めたのは、ジャカルタを拠点とする非営利コレクティヴの「ルアルンパ」。彼らは、アートと社会科学、政治、テクノロジーなどが出会う学際的なアプローチにより、様々な文脈で芸術的なアイデアを推進することを目的として結成された。個人ではなく集団がキュレーターに就任するのも、アジア系がキュレーターに選ばれるのも、ドクメンタ史上では初となる試みである。彼らは、ドクメンタ15のコアとなるキーワードとして、インドネシア語で共同米倉を意味する「ルンブン(Lumbung)」を掲げた。収穫した米を貯蔵し、それをコミュニティで分け合うことと同じように、物質的・知的資源を共有していこうという精神が、今回のドクメンタの基盤となる姿勢だ。

ルアンルパは、5人の協力者を芸術チームに招き、彼らとともに14のコレクティヴから「ルンブンメンバー」を募集した。その後、各メンバーはさらに多くの団体を巻き込み、与えられた予算や会場を分かち合いながら、コラボレーションの輪を広げていった。結果として、参加アーティストの総数は1500人を超えたという。このようなプロセスは、権威ある個人のキュレーターが権威ある個人のアーティストを選んでいく、という従来の展覧会づくりとは一線を画しているといえるだろう。

ルアンルパが掲げたキーワードは、「ルンブン」以外にもいくつかある。「ノンクロン(Nongkrong)」は、仲間と一緒にお茶をしながらお喋りすること(沖縄方言の「ゆんたく」にかなり近いだろう)。「マジェリス(Majelis)」は、「集会」をさすインドネシア語。そして、こうした小規模な集まりでの気軽な会話から生まれるアイデア、共有された知識や新たな発見は「ハーベスト(Harvest)」と呼ばれ、私たちの「ルンブン」へと蓄えられていく。目指されているのは、権力によって強者が弱者を動かすのではなく、独立した個人がそれぞれの役割を生き、出会いによって得られた収穫を共同体へと還元することで、自然界のようなエコシステムを保つことだ。

グッドスクールの展示風景より
グッドスクールの展示風景より。シミュレーション・ゲームに興じる子供たち

このようなドクメンタ15のモットーを見事に体現して見せてくれたのは、ルアンルパ、セラム(Serrum)、グラフィス・フル・ハラ(Grafis Huru Hara)からなるコレクティヴ、グッドスクール(Gudskul)の展示空間だ。たくさんの椅子やテーブルが置かれ、人々は持続可能なアートの実践を考えるために用意されたシミュレーション・ゲームに興じたり、映像作品を前に感想を語り合ったりと、思い思いにくつろいでいた。

「美術館」にふさわしいアートって、なんだろう?

今回のドクメンタは、参加アーティストのほとんどがコレクティヴであり、なかでも、東南アジア、アフリカ、オセアニア、ラテンアメリカなど、「グローバルサウス」(*4)の国々のアーティストたちが中心となっている。キュレーションの節々には、従来の美術史上に記述されてこなかったアーティストたちへのまなざしが散りばめられ、これまで無きものとされてきたマイノリティの文化にも光が当てられていた。

「One Day We Shall Celebrate Again」より、マウゴジャータ・ミルガ=タス作品
「One Day We Shall Celebrate Again」より、マウゴジャータ・ミルガ=タス作品
「One Day We Shall Celebrate Again」より、タマーシュ・ペリ作品

フリデリアチヌム美術館2階でグループ展「One Day We Shall Celebrate Again」を行っていたのは、「RomaMoMA」プロジェクトだ。ここでは、欧州最大の少数民族でありながら、美術史上では不在とされてきたロマの芸術活動を可視化することを試みられる(*5)。彼らは「これまで専門機関による体系的な取り組みがなかったなかで、ロマ系アーティストの非公認の芸術作品をどのように展覧会という場で紹介することができるのか?」という問いにアプローチする。「RomaMoMA」の「MoMA」は美術館のプロトタイプを指し、大文字の「美術史」を作ってきた美術館というシステムの支配的な権力を暗に批判するとともに、作品展示のためのトランスナショナルな空間という意味も含んでいる。

踊り場にタペストリー作品を展示したのは、マウゴジャータ・ミルガ=タス(Małgorzata Mirga-Tas)。彼女の作品は現在イタリアで開催中のヴェネチア・ビエンナーレでもポーランド館を代表し、大きな話題を呼んでいる。メインの展示室にはタマーシュ・ペリ(Tamás Péli)による巨大な油彩画《Születés/Birth》(1983)が展示されていた。ドイツでもっとも伝統のある美術館での展示だからこそ、RomaMoMAのメッセージはより訴求力をもって私たちに迫ってくる。

Archives des luttes des femmes en Algérieの展示風景
Archives des luttes des femmes en Algérieの展示風景

次の部屋に見えてくるのは、アルジェリアを拠点とするコレクティヴ・Archives des luttes des femmes en Algérie(アルジェリア女性の闘いのアーカイブ)による展示である。彼女らは、アルジェリアのフェミニスト・アクティビティに関する文書や映像のデジタルアーカイブを構築する活動をしている。

Another Roadmap Africa Clusterの展示風景

また、展示室の真ん中にラジオのブースのようなスペースを設けていたのは、アフリカの複数都市をまたいで活動する国際ネットワーク・Another Roadmap Africa Cluster (ARAC)だ。2015年にウガンダで設立されたARACは、アフリカをベースにした美術教育に取り組んでいる。彼らは、いわゆる欧米中心的な美術教育ではなく、アフリカの言語で芸術やデザインの知識にアクセスできる環境をめざし、「スクールブック・プロジェクト」という出版プロジェクトに取り組んでいる。ドクメンタの会場ではこのブックプロジェクトの過程を公開しているほか、ゲストスピーカーを招いての対談やワークショップを毎週開催している。

リチャード・ベルの展示風景
リチャード・ベルの展示風景

また、3階の踊り場エリアを中心として館内の様々な場所に作品が展示されていたのは、オーストラリアを拠点とするリチャード・ベル(Richard Bell)だ。彼は、オーストラリア先住民アボリジナルのルーツを持ち、ブリスベンを拠点とするアボリジナルアートコレクティヴ・proppaNOWのメンバーとしても活動している。鮮やかなタッチのペインティングは、黒人差別へ明白なアンチテーゼを訴えかけている。

階段そばに展示されていたリチャード・ベルの作品
階段そばに展示されていたリチャード・ベルの作品。キャプションの文字にも注目

現代アートの実践は、地元に尊厳をもたらすか?

Wajukuu Art Projektが手がけた建築インスタレーション

美術館のすぐ近くにあるドクメンタハレ会場には、ナイロビのコレクティヴ・Wajukuu Art Projektが手がけたトタン屋根の入り口から入場する。この建築的なインスタレーションは、東アフリカのマニヤッタ(マサイ族の伝統的な住居)を、スラム街にある廃材を使って再現している。中に入ると、広がっているのは廃材で作られた大型のインスタレーションとドキュメンタリーの上映室だ。

Wajukuu Art Projektの展示風景
Wajukuu Art Projektの展示風景
Wajukuu Art Projektの展示風景。ドキュメンタリーでは、地元の子どもたちにアートスクールを開講する様子が記録されている

Wajukuu Art Projektは、ナイロビの工業地帯中腹のムルクスラムを拠点としている。工場からは毎日大量の汚染物が出てスラムを汚しているが、彼らは地元の若者たちを工場に雇用することはない。仕事のない若者たちはゴミを拾って売る暮らしを続け、経済的な不安定さからドラッグに走る者も多いという。Wajukuu Art Projectは、このようなスラムの現状を、美術教育を通じて変革しようとしている。彼らはムクルスラムに図書館を作り、アートクラスを開催することで、現地の若者たちに安心して学べるセーフスペースを提供している。アートの制作と販売から地元に雇用を生み出し、アートクラスを通じて若者の居場所をつくることは、彼らが暴力や犯罪に走ってしまう可能性を軽減させるだろう。

Baan Noorgの展示風景。実際にスケートを楽しんだり、階段に腰掛けておしゃべりしたり

中央のホールには、巨大なスケートボードハイプ《Skate to Milk》が設置された。この作品を手がけたのは、タイ・ノンポーを拠点とするコレクティヴのBaan Noorgだ。アーティストにとって、このプロジェクトは、自分たちの故郷の歴史と現代の若者文化を結びつけるものである。ハイプの隣にはスケートシューズが置かれ、その場にいる人は誰でもここで遊べるようになっていた。

この作品と関連し、カッセル市内では2022年9月1日まで使用済みのスケートボードの寄付を受け付けており、これらはノンポーに送られる。スケートボードの部品は新たに組み直され、ノンポーの子供たちに贈られる予定だ。また、このボードは、地元のスケートボードプログラムを運営するための資金調達にも役立てられる予定である。

会場の壁を覆う巨大な壁画を手掛けたのは、バングラデシュを拠点とするBritto Arts Trust

ゲットーから教会へ、精霊たちが行進する

トム・ボガート&ミシェル・ラフルール《Famasi Mobil》展示風景
トム・ボガート&ミシェル・ラフルール《Famasi Mobil》展示風景

メインの美術館エリアを出て街中を歩くと、地元の建物を生かした素晴らしい展示に出会うことができる。ベッテンハウゼン地区にある聖クニグンディス教会で展示をしていたのは、ハイチのポルトー・プランスを拠点とするコレクティヴであるAtis Rezistans。彼らは2009年から地元アーティストたちを集めた芸術祭「Ghetto Biennale」を開催している。

トム・ボガート&ミシェル・ラフルール(Tom Bogaert & Michel Lafleur)の《Famasi Mobil》シリーズは、ハイチの生活に根差したユニークな彫刻作品だ。ギリシア神話に登場する名医・アスクレピオスの持物から着想を得たという彫刻は、全面を錠剤で覆われている。ハイチでは、鎮痛剤や抗生物質、コンドームからバイアグラの模造品まで販売する移動型薬局が多くの人にとっての医薬品の供給源だという。聖母像の前に置かれた薬の彫刻は、かつてこの空間で疫病の治癒を願ったかもしれない人々と、新たな病と闘う現代の人々の姿をオーバーラップさせもする。

Atis Rezistansの展示風景
教会の壁画はボロボロになっており、修復のためのテープが貼られていた。これはドクメンタ15の作品ではないが、「廃教会」といえるかもしれないこの場所が展示に与えた影響は大きい

ハイチの歴史は複雑だ。彼らには、スペイン人の侵略によって、先住民であるタイノ・インディアンが滅ぼされた過去がある。その後、フランスの植民地とされ、プランテーションシステムが生まれた。しかし、非人道的な奴隷貿易の結果、アフリカ人とクレオール人の奴隷たちは、白人農園主に対してハイチ革命を引き起こすこととなった。幾度もの反乱を経て1804年に独立を勝ち取るまで、ブードゥー教はハイチ人たちの心の拠り所であった。ハイチで奴隷化された西アフリカ人たちは民間信仰を続けたが、これは「奴隷の宗教」だとして白人たちから厳しく弾圧された。奴隷主である白人たちに自らの信仰を咎められぬよう、キリスト教と西アフリカの信仰を習合させたのが、ブードゥー教のはじまりだ。彼らは、聖書ではなく精霊を信仰している。

会場を埋め尽くす大量の人形は、あの世とこの世をつなぐ精霊たちを表している。聖クニグンディス教会が建設されたのは1927年。祭壇のフレスコ画はすっかり剥げ落ち、現在は修復の途中だった。空間を埋め尽くすブードゥー教の人形は、ぼろぼろのキリスト像と意味深なコントラストを成している。

《The ‘Floating Ghetto’》展示風景

また、天井から宙づりにされているのは《The ‘Floating Ghetto’》と呼ばれる浮遊構造物。この作品は、Atis Rezistansが拠点とするポルトー・プランスのジャン・ジャック・デサリネス大通りを模している。

トム・ボガート&ミシェル・ラフルールの展示風景
トム・ボガート&ミシェル・ラフルールの展示風景

教会中庭に展示されていたのは、トム・ボガート&ミシェル・ラフルール(Tom Bogaert & Michel Lafleur)の《Bonbon Tè Majik》という作品。西側諸国の人たちは、しばしば「ハイチ人は極貧だから泥を食べている」という話を信じてきた。この噂は半分本当で、半分嘘だ。確かに、ハイチでは土を食べる習慣があるが、それは貧しさからというよりむしろ、土に含まれるミネラル分で妊娠中の栄養を補うことができると考えられているからである。このキャラバンで行われるイベントでは、実際に食用の土を使って作られたケーキや飴を買うことができる。

これまで光が当たっていなかった場所にも、スポットライトを

ヒュブナー工場跡
ヒュブナー工場跡では、地元の産業を支援する物販や寄付ができる自動販売機が

ヒュブナー社工場跡地は、今回のドクメンタで初めて使用される会場だ。入口そばには物販スペースが配置され、ここで得た収入は今後カッセルの地元産業へと還元される。

Jatiwangi art Factory (JaF)の展示風景
Jatiwangi art Factory (JaF)の展示風景

会場内でもひときわ目をひいたのが、インドネシアのJatiwangi art Factory (JaF)によるインスタレーションだ。積まれたレンガを囲むように、人間のかたちが描かれた有機的な作品がたくさん吊るしてある。しかし、画材は油絵具でも、インクでもないようだ。

じつは、これらの作品は土からできた顔料で描かれている。巨大な紙の上に人間を寝ころばせ、その上から直接顔料を振りかけることで制作されているようだ。20世紀初頭、ジャティワンギは粘土産業が盛り上がりを見せ、いまでは東南アジア最大の屋根瓦の生産地となった。JaFは粘土を使ったアート活動を通じて、ジャティワンギの人々が自分たちの地域に対する尊厳を持つことができると考えている。彼らはこのプロジェクトを「Kota Terakota」と名付け、世界各地で展開している。

Subversive Filmの展示風景
Subversive Filmの展示風景

この会場の奥には、上映スペースが。上映されていたのは、Subversive Filmの《Tokyo Reels》が公開する数十本もの映画だ。これらの映画はすべて、パレスチナとその地域に関連する作品である。

このプロジェクトは、Subversive Filmを代表するフィルムメーカーのモハナド・アクビ(Mohanad Yaqubi)が、観客のひとりから声をかけられたことに端を発する。その観客を通じて紹介された人物こそが元日本赤軍メンバーの映画監督、足立正生だった(*6)。足立は1970年代にパレスチナに渡り、ゲリラ隊を追ったドキュメンタリーを制作するとともに、多くのフィルムリールを日本に持ち帰っていた。彼が保管していたフィルムはいずれも戦禍に焼失したと思われていたものばかりだったという。Subversive Filmはこれらのフィルムリールを修復・デジタル化し、アーカイブするとともに字幕作成や上映会といった普及活動にも取り組んでいる。このような実践は、失われたと思われていた史料を現代に提示し、パレスチナ解放闘争の記憶を風化させずに伝えていくための挑戦である。

ハレンバート・オスト
タリン・パディの展示風景。今回訪れた会場のなかでもとくに人が多かった

ハレンバート・オストもまた、今回のドクメンタで初めて使用された会場である。ここは、かつては屋内市民プールだった。ここで展示を行っていたのは、冒頭でも紹介したタリン・パディだ。彼らは、スハルト政権崩壊直後の1998年に結成されたコレクティヴであり、木版画のほか、街頭デモやパンクロック音楽といったパフォーマンスによっても知られている。この空間に展示された作品は撤去された作品とは違うものだが、管見の限りではこの会場が今回のドクメンタでもっとも混雑していたように思う。連日のスキャンダラスな報道が鑑賞者に与える影響を目の当たりにするとともに、彼らの作品が持つ政治的なメッセージ性の強さを改めて実感することとなった。

The Question of Fundingの展示風景
The Question of Fundingの展示風景

カッセル中央駅からほど近いWH22は、旧ワイン会社を改装したスペース。かつてはバーやクラブで賑わっていたが、今は1軒のみ営業している。この空間では、パレスチナのコレクティヴ・クエスチョン・オブ・ファンディングらが展示を行っていた。クエスチョン・オブ・ファンディングはガザ地区を拠点とするコレクティヴ・Eltiqaと協働し、制約の多い国際的な資金調達モデルにパレスチナの文化機関が依存し続けている現状に疑問を投げかける。興味深いのは、クエスチョンオブファンディングは参加者が現物サービスを交換できるブロックチェーンベースのサービス「Dayra.net」を利用するよう呼びかけていることだ。実際に、ここに展示されている作品は、じつは購入することができる。このプロジェクトは、イスラエルの文化政策に疑問を呈してはいるものの、開幕前に指摘されていたような反ユダヤ主義の文脈に基づいたものではないだろう。

「ケア」のまなざし、子供たちに託す未来

「rurukids」スペースの様子。子供たちのなかには、このドクメンタが人生初の芸術祭である子たちもいるはずだ。私たちにとっては「既存の文脈を外れた異端のアート」であっても、彼らにとっては「ただのアート」なのかもしれない
「rurukids」スペースの様子

最後に記しておきたいのは、ドクメンタの会場のいたるところに見られたケアの視点である。メイン会場のひとつ、フリデリアチヌム美術館に足を踏み入れるとすぐに、「rurukids」と名付けられた可愛らしいスペースが目に入る。この空間は、子供たちが芸術や文化を学び、様々なアクティビティに参加するための場所だ。連日、ルンブンメンバーと触れ合いながらアートを学ぶことのできるワークショップが開催され、会場には子供たちが描いた作品がたくさん展示されていた。また、このスペースの奥に進むと、参加アーティストのグラツィエラ・クンシュ(Graziela Kunsch)が手がけたキッズスペースがある。このスペースは毎日午前10時から午後5時まで開放され、3歳までの赤ちゃんとその家族が利用できる(*7)。今回のドクメンタは、ほかの芸術祭と比較しても圧倒的に子供の姿が多かった。ルアンルパが、ただ作品を見せるだけではなく、次世代へとアートの営みをつないでいこうとしている姿勢がよくわかる。

フリデリアチヌム美術館にはクワイエット・スペースのほか、図書館や託児所の設備も

また、会場内にはクワイエット・スペースと名付けられた休憩室が点在していた。芸術祭には様々な種類の作品が集い、そのエネルギーはすさまじい。時には大きな音や光を含む作品や、ショッキングなイメージを目にしてパニックになってしまうこともあるかもしれない。クワイエット・ルームでは、作品を楽しみたいけれど少し疲れてしまった、という人がひとりの時間を過ごすことができる。ニューロダイバーシティへの理解が進むなか、このような取り組みが芸術祭においても拡大していくことは必須といえよう(*8)。

昨年のターナー賞にノミネートされたニューロダイバーシティのアーティストたちのコレクティヴ・Project Art Worksもドクメンタ15に参加していた。

Project Art Worksの展示風景

今回のドクメンタは、開催前から様々な憶測が飛び交い、前評判はスキャンダラスなものとなった。しかし、実際に開幕後の会場に足を運んでみると、「炎上」の雰囲気はまったくなく、芸術祭の雰囲気は驚くほどに和やかでリラックスしたムードだった。これは、参加人数1500人を超えるアーティストたちそれぞれの実践が、スキャンダルが落とす影を振り払うほど力強かったからにほかならない。ドクメンタ15では、既存の「アート」の文脈で不在とされてきたアーティストたちが可視化され、「アート」とは何か?という問いが私たちに投げかけられる。その問いに答えるために考えを巡らせ、友人と語り合うこと―この経験によってこそ、ルアンルパが掲げる「ハーベスト(収穫)」が得られるのだ。

ヒュブナー社工場跡地に設けられたスペース。「これはどんな作品ですか?」と係員に尋ねると、「作品じゃなくて、ただのんびりするための場所です」との返事が
Jatiwangi art Factory (JaF)の展示風景。映像に合わせて赤瓦を楽器のように叩き、その場にいる人と即興演奏をする

あるいは、カッセルという都市そのものにとっても、今回のドクメンタが与える影響は大きいだろう。今回宿泊したAirbnbのホストは、ドイツ語ではなく訛りのあるフランス語を話す女性だった。彼女に市内でお勧めのレストランを尋ねると、「伝統的なドイツ料理もあるけれど、ケバブ料理の美味しい店がいいですよ。カッセルでは最近難民をたくさん受け入れているので、レストランは多国籍になってきています」と返事が返ってきた。メルケル政権下で大量の難民を受け入れたドイツでは、カッセルのような小さい街であっても外国人の割合が増えてきているのだという。今回のドクメンタでは、聖クニグンディス教会やヒュブナー跡地のように、昔からこの場所にある建物で異なる文化圏の新しいプロジェクトを実施し、その結果得た収穫をコミュニティに還元するという動きがみられた。このような活動のサイクルは、異なる文化を受け入れ、共生していくことに対して、草の根的な貢献をすることになるだろう。

カールスラウエ州立公園にインスタレーションを設置したのは、アルゼンチンを拠点とするLa Intermundial Holobiente。ポストヒューマン的な対象との対話をテーマとしているため、公園の堆肥場を展示場所に選んだという

そのいっぽうで、Artnet誌が公開したレビューは、西洋型の大規模芸術祭とアートマーケットが抱える問題を浮き彫りにもする(*9)。ヴェネチア・ビエンナーレ、アートバーゼルといった大規模なアートイベントが重なった今夏、アート関係者の多くがヨーロッパを訪問していることは容易に想像できるだろう。しかし、ドクメンタ15にかぎっては、目に見えて関係者の訪問数が少なかったというのだ。記者のケイト・ブラウン(Kate Brown)氏は、この理由のうちのひとつは、今回のドクメンタに「伝統的なアートビジネスが存在しない」からではないかと分析している。今回のドクメンタで発表された作品はどれも既存の美術史の文脈には組み入れられていないようなものだった。幾人かの批評家は、1500人以上のアーティストが集ったこの芸術祭に「アートがない」とさえ評しているという。

確かに、いまのカッセルには台座に載ったブロンズ像は置かれていない。ルアンルパと今回の参加アーティストたちが、従来のアートマーケットのなかで価値を高める目的ではなく、多様なバックグラウンドが集い、対話を重ねながらアートについて思考していくというオーガニックな実践のために制作をしているからだ。インスタントな収益を生む作品がないことを理由にドクメンタ15をスキップしたアート関係者たちが、このエネルギーを感じることができないのは気の毒なことだ。「ルンブン」に蓄えた知識を本当に分け与えてもらわねばならないのは、伝統的なアートマーケットの内側にいる人々、あるいはグローバルノースに暮らす人々であるのかもしれない。

ドクメンタに合わせ、カッセル市内を走るトラムも衣替えしていた
ヒュブナー社工場跡地には、様々な地方の食べ物を売る屋台エリアも。売上はコミュニティへと寄付される

*1──“Documenta fifteen: Antizionismus und Antisemitismus im lumbung,” bga-kassel, 7 January 2022, accessed 8 August 2022, https://bgakasselblog.wordpress.com/2022/01/07/documenta-fifteen-antizionismus-und-antisemitismus-im-lumbung/
*2──反ユダヤ主義反対連盟は、クエスチョン・オブ・ファンディングがBDS(イスラエルに対するボイコット、投資の引き揚げ、経済制裁を行う)という親パレスチナ運動を支持しているのではないかと主張。この主張は根拠が薄く、ルアンルパとドクメンタは関与を否定している。しかしながら、多くのメディアで反ユダヤ主義の疑念が繰り返し報じられ、さらに5月にはクエスチョン・オブ・ファンディングの展示エリアに死を暗示するような脅迫的落書きが発見されるなど、ドイツ国内での状況は依然として混沌としていた。
*3──この作品の発表は、前述した反ユダヤ主義反対連盟の問題とは別のベクトルを持っている。この記事では画像を掲載しないものの、作品にはユダヤ人の特徴を揶揄するような表現が登場しており、迫害という負の遺産を抱えるドイツの常識では、ユダヤ人を揶揄する表現を公の場で行うことは決して許されるものではない。アーティストが異文化圏から来たグループであり、歴史的な文脈を完全には共有していないことからこのような表現に至ってしまったのだとしても、やはり看過できない問題であるといえる。そのいっぽうで、議論の余地を与えず作品を撤去せざるを得なかったことや、ドクメンタ運営側とアーティスト間で十分なコミュニケーションが取れていなかったことも問題視されている。それはある意味、このような制裁がグローバルサウスのアーティストに対して西洋的な規範を押し付けていることにもつながりかねないからだ。このような騒動を受け、参加アーティストのヒト・シュタイエルはドクメンタ15からの作品引き上げを発表した。また、7月半ばには総監督を務めるザビーネ・ショルマンが辞任している。
*4──地理的な南北のことではなく、資本主義社会の中で経済的・社会的に不利益を被っている国々を指す。
*5──このプロジェクトは、ヨーロッパ・ロマ芸術文化研究所(ERIAC)とハンガリーのアーティスト・コレクティヴOff-Biennale Budapestのコラボレーションによって実現した。
*6──足立正生氏がパレスチナに渡った経緯とそこでの映画の実践については以下のインタビューに詳しい。金子遊, “足立正生監督インタビュー,” neoneo, 06 Jan 2013, accessed 7 August 2022, http://webneo.org/archives/7102
*7──部屋は、食事やお昼寝、おむつ交換など、家族が赤ちゃんの世話をするエリアと、赤ちゃんが自由に遊べる(作家はこれを「赤ちゃんが自分の世話をする場所」と呼んでいる)遊びのスペースに分かれており、寄付によって集まったたくさんのクッションが置かれていた。
*8──ニューロダイバーシティとは、「Neuro(脳・神経)とDiversity(多様性)という2つの言葉が組み合わされて生まれた、「脳や神経、それに由来する個人レベルでの様々な特性の違いを多様性と捉えて相互に尊重し、それらの違いを社会の中で活かしていこう」という考え方であり、特に、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害といった発達障害において生じる現象を、能力の欠如や優劣ではなく、『人間のゲノムの自然で正常な変異』として捉える概念」(経済産業省のサイトより)。このようなクワイエット・ルームの取り組みは、美術館においても始まっている。イギリスのテート・グループでは各美術館にクワイエット・ルームを設けるほか、テート・リバプールでは毎月「Quiet Hour」という時間を設けており、カフェの音楽からトイレのハンドドライヤーまで、大きな音が出る機械を停止して静かに鑑賞することができる。
*9──Kate Brown, “Documenta Presents an Invigorating Alternative to a Market-Driven Art World. Maybe That’s Why the Industry’s Establishment Has Largely Dismissed It,” artnet news, 1 July 2022, accessed 7 August 2022, https://news.artnet.com/market/documenta-art-market-2135862

齋木優城

齋木優城

齋木優城 キュレーター/リサーチャー。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了後、 Goldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。現在はロンドンに拠点を移し、研究活動を続ける。