公開日:2023年10月26日

「杉本博司 本歌取り 東下り」(渋谷区立松濤美術館)レポート。日本文化の本質的営みに向き合った新たな展開

杉本が和歌の伝統技法「本歌取り」を日本文化の本質的営みととらえ、自身の作品制作に援用。新作も多数揃う本展をレポート

会場風景より、杉本博司《富士山図屏風》(2023、作家蔵、撮影:編集部)

杉本博司の個展「杉本博司 本歌取り 東下り」が、渋谷区立松濤美術館で11月12日まで開催中だ。本展は、杉本が和歌の伝統技法「本歌取り」を日本文化の本質的営みととらえ、自身の作品制作に援用したもの。2022年、姫路市立美術館でこのコンセプトのもとに「本歌取り」展を行い、今回の展示ではそこから新たな展開を見せる。

会場風景より、奥から杉本博司《カリフォルニア・コンドル》(1994、作家蔵)、《厘細録 ブロークン・ミリメーター》(2005、小田原文化財団蔵) 撮影:編集部

「本歌取り」とは何か?

「本歌取り」とは、有名な古歌(本歌)の一部を意識的に自作に取り入れ、そのうえに新たな時代精神やオリジナリティを加えて歌を作る手法のこと。作者は本歌に匹敵する、あるいは超える歌を作ることを求められるという。

展示は地下1階の第1会場から始まるが、これまでに何度か松濤美術館を訪れたことがある人ならば、いつもの展示と異なるポイントに気づくだろうか? 同館を設計した白井晟一を敬愛し、その魅力を理解する杉本なりの敬意として、通常の展示では光が入らないように覆われている会場中央の吹き抜け部分から自然光を入れ込んでいるのだ。

美術館の中央吹き抜け部分 撮影:編集部

デジタルカメラから写真技術の原型まで、新旧撮影技術が共演

自然光による柔らかな光が色彩を際立たせるのが、本展を象徴する《富士山図屏風》(2023)。葛飾北斎《冨嶽三十六景 凱風快晴》を本歌とした、展覧会オープンの2日前にできたばかりの新作だ。杉本はジープに乗って道なき道を行き撮影し、撮影した写真を細かくつなげて構成。「自分にとってはデジタルカメラを使った珍しい作品。写真というのは1980年代で終わったと思うが、ここまでカメラが進化すると使いこなしたくなる」と話す。

会場風景より、杉本博司《富士山図屏風》(2023、作家蔵) 撮影:編集部

デジタルカメラを用いた作品のいっぽうでは、写真の祖を「本歌取り」した作品も。科学者・数学者であり、現在の写真技術の原型である「ネガ・ポジ法」を発明したウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800〜77)。その初期写真のネガをもとに杉本がポジ(陽画)を作った作品も吹き抜けを取り囲むように展示されている。

会場風景より 撮影:編集部

会場中央では、これまで公開される機会が少なかった《法師物語絵巻》(15世紀)の全場面が一挙公開されている。「いつももったいぶってちょっとしか見せなかったけど今回は全場面を見せています。私の古美術研究もここまで来ました」と、自身の作品収集の歩みを振り返って笑顔を見せる杉本。本作を「本歌取り」するかたちで、11月9日に狂言公演が行われる(渋谷区文化総合センター大和田4F さくらホールにて。チケットはすでに完売)。

会場風景より、杉本博司《春日大社藤棚図屏風 》(2022、作家蔵) 撮影:編集部

コロナ禍で生まれた書の作品

第2会場となる2階に展示される新作の「Brush Impression」シリーズは、写真暗室の中で、印画紙の上に現像液や定着液に浸した筆を用いて文字を書いたもの。「書」と「写真」を融合させる方法は、コロナ禍でニューヨークのスタジオを長期間空けた際に使用期限切れとなった印画紙の活用法として見出された。杉本は文字単体で意味を持つ表音文字のすばらしさを語り、火や水などの言葉はそのもののイメージを思い浮かべながら印画紙に文字を書きつけたのだという。意外にもコロナ禍を機に書のトレーニングを始めた作家だが、これからは「老後の楽しみとして書をやっていきたい」ということで、今後ふたたび新機軸となるような書の作品を見る日は近いかもしれない。

会場風景より、杉本博司《Brush Impression いろは歌[四十七文字]》(2023、作家蔵) 撮影:編集部 *現在は《Brush Impression 愛飢男(四十五文字)》を展示

会場風景より、左から杉本博司《Brush Impression0905 「月」》、《Brush Impression0906 「水」》(ともに2023、作家蔵) 撮影:編集部

杉本が「仕上がりに非常に満足している」と話すのは、展覧会オープン間際に完成した立体作品《数理模型 025 クエン曲面:負の定曲率曲面》(2023)。数式によって定義される曲面を立体化した数理模型を現代日本のもっとも精度の高い工作機械を使って制作した本作は、数理模型の造形に魅せられた作家のこだわりが随所に詰まった作品だ。本作において「本歌」は数式、「本歌取り」は模型、そして模型を撮影することは双曲線関数の「二次本歌取り」にあたるという、杉本のユーモアと文化芸術にとどまらない関心の広さが垣間見える作品だ。

会場風景より、杉本博司《数理模型 025 クエン曲面:負の定曲率曲面》(2023、作家蔵) 撮影:編集部

「海景」から「宙景」へ

杉本は自作をも「本歌取り」する。代表的シリーズであり、U2のアルバムジャケットにも用いられた「海景」は「古代の人間が見ていた海を現代の私たちも見ることができるのか?」といった問いを契機に生まれたが、本作は杉本がソニー、東京大学、JAXAと手を組んだ新作《宙景》(2023)と併置されることで、「本歌取り」される・されないの拮抗を見せている。海から宇宙へ。本展の魅力は、異種格闘技的な組み合わせの妙とせめぎ合いの緊張感かもしれない。

会場風景より、写真奥が《宙景001》(2023、作家蔵)、手前はギベオン隕石(1838発見、小田原文化財団蔵) 撮影:編集部

会場風景より、杉本博司《時間の矢》(1987、火焔宝珠形舎利容器残欠:鎌倉時代[13-14世紀]、海景:1980、小田原文化財団蔵) 撮影:編集部
会場風景より、《桂花の舎 移築案模型》(2023、杉本博司蔵) 撮影:編集部

なお本展では、白井晟一が晩年に手がけた桂花の舎(旧千博文邸)の模型が展示されているが、同邸は杉本設計「江之浦測候所」の近隣に移築されることがわかった。2年後の公開を目指し、「建築の半分は白井の魂が乗り移ったのように改装する」という新たな桂花の舎のオープンも大きな話題を呼びそうだ。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。