公開日:2023年5月3日

「吉村弘 風景の音 音の風景」展(神奈川県立近代美術館 鎌倉別館)レポート。環境音楽のパイオニアは、どのように音と向き合っていたのか?

9月3日まで開催。詩や楽譜、自作の楽器から映像作品などを通じて多面的な活動に迫る

会場風景より、パフォーマンスや音のおもちゃなど機材一式

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館では9月3日まで、「吉村弘 風景の音 音の風景」展が開催されている。本展は、音楽家・吉村弘の没後20年を記念する回顧展。「環境音楽」のパイオニアとして知られる吉村の多面的な活動を、資料群や作品をもとに紹介する。担当学芸員は同館企画課長の長門佐季。

吉村弘は1940年横浜生まれ。早稲田大学第二文学部美術科卒業後、詩や音楽、演劇のグループへの参加を経て、74〜79年に小杉武久らによる音楽集団「タージ・マハル旅行団」の活動に参加。82年、日本でのアンビエント・ミュージックの先駆けとなる『Wave Notation Ⅰ Music for Nine Post Cards』を発表。その後も展覧会への参加や、釧路市立博物館や営団地下鉄南北線など公共施設のサウンドデザイン、『都市の音』(春秋社、1990)の刊行など、音に関する多方面な活動を展開した。2003年には、神奈川県立近代美術館のために制作したサウンドロゴ『Four Post Cards』が公開されるが、同年永眠した。

会場風景より

ブライアン・イーノが提唱した「アンビエント・ミュージック」。「環境音楽」として、国内ではじめて発表されたのが、吉村が1982年に発表した先述のアルバムだ(*)。だが、なぜいま吉村弘の回顧展なのか。長門は開催の経緯と見どころについて、以下のように話した。

コロナ禍になってから環境音楽へ注目が高まり、さらにレコードの売り上げも急増している。今年は葉山館の開館と吉村の逝去から20年の節目ということもあり、回顧展によいタイミングだと考えた。吉村は建築や都市と音の関係を初めて意識して制作した音楽家。音源化されている作品に限定されない、吉村の多岐にわたる活動を知るきっかけとなってほしい。

会場風景より

「Ⅰ 音と出会う——初期」では、キャリア初期のコンクリート・ポエトリーや楽譜、写真などを公開。エリック・サティやジョン・ケージ、一柳慧らの楽譜や吉村による楽譜の写し、創作グループ「麗会」や「タージ・マハル旅行団」での制作物が展示されている。吉村が音楽に興味を持ったきっかけは「家具の音楽」で知られるエリック・サティ。高校在学中、サティの楽譜に魅せられて音楽を志したという。

会場風景より

こうして著名な音楽家の名前ばかりを並べると、あたかも吉村がお堅い音楽家のように思えるが、決してそんなことはない。楽譜のなかには童謡もあるし、展示されている制作物はどれもじっくり見たくなる魅力と愉快さがある。

会場風景より、「3つの森のイヴェント」の指示書(1968)

例として、筆者が惹かれた「3つの森のイヴェント」の指示書(1968)を紹介しよう。指示書を見ると、5人のパフォーマーがいるようだが、そのうちの3人は「鳥の声」となっている(なぜ、1人ではないのか。なにより、「人」という数え方は正しいのだろうか)。上演はパフォーマーのひとりである吉村が、床に線を引くことから始まる(指示書の図では、線はどれも丸を描いている)。残るもうひとりのパフォーマーは、線が引き終えられたのを見て、丸の中に花束を置いていく。続いて、このパフォーマーは1分間、鈴をゆっくりと振るように指示される。鳴らし終えたら、鈴を手から離す(図においては、パフォーマーは椅子の上に乗っており、鈴は地面に落とされたことで「チャリン!」と音を鳴らす)。パフォーマーは、先ほど床に置いた花束を、「一本づつお客さんに手わたす」。花を配り終えたら、作品は終了する。

花束を置くこと、鈴を鳴らすこと、花をオーディエンスに手渡すこと。本作は、この3つの出来事に還元してしまうこともできる。しかし指示書のデザインやイメージ図があるからこそ、展覧会を訪れた人は、自分だけの上演を想像できるだろう。要所で見られる誤字や表記のゆれも、なんだか愛らしい。3人の「鳥の声」をパフォーマーにあてがい「3つの森のイヴェント」のBGMとして用いている点は、すでに「環境音楽」の萌芽を思わせる。

会場風景より、図形楽譜〈Fresh Wind〉と指示書(1969)
会場風景より、〈The Square for Flute, Aluto-Saxophone and Bird-whistle〉(制作年不詳)

「Ⅱ 音をつくる——作曲」では、吉村が制作した多様な楽譜を公開。「図形楽譜」は五線譜を四角形に変換したもの。たとえば「図形楽譜〈Fresh Wind〉と指示書」(1969)では、五線の代わりに正方形が組み合わされており、演奏のテンポも正方形の数によって指定されている。音符も、長方形と平行四辺形で表現されているようだ。

会場風景より、《絵楽譜〔無題〕1〜4》(制作年不詳)
会場風景より、絵楽譜《22°9 妙高ケーブルカー》(1994)

ほかにも、線を組み合わせたインク画や、兵庫県の鉄道に着想を得たであろう《22°9 妙高ケーブルカー》(1994)など、五線譜をイラスト化した「絵楽譜」シリーズも興味深い。

会場風景より、《映像「あるく」》(台本:1965、映像編集:大田晃、2023)

「Ⅲ 音を演じる——パフォーマンス」は、吉村のパフォーマンス作品を振り返るパート。吉村が台本、演出、声の出演をする《映像「あるく」》(台本:1965、映像編集:大田晃、2023)は「歩くこと」や「かたち」について、男女ふたりが詩的な会話を交わすという内容。映像ではスクリプトの原稿に合わせて、声や音楽、ものによる音が背後で流れている。

会場風景より、《トイピアノ》(1973頃)
会場風景より、《TWELVE POINTS》《LETTER GARDEN》(1987頃)
会場風景より、パフォーマンスや音のおもちゃなど機材一式

会場中央ではトイピアノを用いた作品や、木の葉を用いた立体作品などを公開。「音のおもちゃの一式」では、空き缶や紙コップを加工し多様な楽器に見立てており、吉村の自由な発想が伺える。

会場風景より、絵本『森のなかでみつけた音』下絵(2001)

驚くことに、吉村は絵本も手がけていたようだ。『森のなかでみつけた音』は、身の回りの音に関する素朴な疑問を投げかける絵本。先ほど紹介した「絵楽譜」のようなイラストが用いられている。

吉村弘 SOUND PLANET 1990 銅、真鍮、鉄、ステンレスワイヤー、アルミ 神奈川県立近代美術館蔵 撮影:上野則宏

ほかにも公演のポスターや、既製品を用いて作られた、演奏を想定したオブジェ《SOUND PLANET》(1990)なども公開。紙筒に爪楊枝が入れられた《筒状音具》(制作年不詳)は、会場で実際に音を鳴らすことができる作品だ。

吉村弘 [絵楽譜]FLORA 1987 印刷、紙 神奈川県立近代美術館蔵 撮影:久保良
会場風景より

続いて「Ⅳ 音を眺める——映像」。こちらの絵楽譜が描かれているのは、空を羽ばたく鳥や星座、人が走ったり、踊る姿。貴重な制作ノートや日記も見ることができる。

会場風景より、吉村弘が撮影した35mmリバーサルフィルム。映像作品と同年代のものがピックアップされた

吉村が撮影した5本の映像作品は、本展が初公開。それぞれ《Rain》《Tokyo Bay》《Summer》《Clouds》《Pianistic Interiors-May》(すべて1985)と名付けられており、穏やかな自然や都市の風景が上映されている。映像を通じて、吉村の音楽がいかに「環境的」かに気づかされる。

マウントされた35mmリバーサルフィルムは、吉村が長年撮影し続けてきた写真の一部。全部で3000枚近いフィルムが残っているという。吉村にとっては、周囲の音だけではなく視覚的な風景もまた、環境音楽のモチーフのひとつだったのではないだろうか。

会場風景より

展示の最後「Ⅴ 音を仕掛ける——環境」では、サウンド・アート作品を集めたグループ展シリーズ「サウンド・ガーデン」(ストライプハウス美術館、東京)など、美術館や公共施設に向けた音楽やポスターが並ぶ。

館内では、同館のために吉村が制作したサウンドロゴ『Four Post Cards』がかかる。鎌倉館(2016年閉館)で開館・閉館時に流れていた音楽が、7年ぶりに鎌倉別館で復活した。紹介した以外にも、雲型のモビールや、演奏を体験できる楽器など、動きを楽しむ作品も展示されている。

作品や資料を通じて、多様でありながらも吉村が「環境」へ一貫した関心を持っていたことが伺える本展。CDやレコードとして音源化された作品に収まらないユーモアや遊び心に、ぜひ会場でふれてみてほしい。

*──Mikiki「吉村弘、〈都市の忘れ音〉のタイムカプセル――記憶の景観」(テキスト:小沼純一)2020、https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/26708

吉村弘「HOT BREATH 地下室にひそむ魚たちの熱い吐息 実験室とメディアの箱」でのサウンド・パフォーマンス (1977年9月10日) 個人蔵 撮影:安齊重男 © Shigeo Anzaī

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。