公開日:2023年4月15日

写真家・金村修が写真集の選び方を伝授。flotsam books×金村修「写真集を楽しむ」

代田橋にあるアートブックショップflotsam booksが開催しているワークショップ「写真集を楽しむ」にて、写真家・金村修にインタビュー。写真集をめぐる素朴な疑問に、金村修が答える

flotsam books外観

代田橋のアートブックショップflotsam booksで定期的に開催されている「写真集を楽しむ」は、店主・小林孝行が、写真集への素朴な疑問を、第一線で活躍する写真家に投げかけるワークショップ。

本記事では、2022年7月に開催された、金村修をゲストに迎えた回のトークを公開。金村は、日本写真協会賞新人賞(1997)、土門拳賞(2000)の受賞や、写真集『Spider’s Strategy』(2001)など知られ、90年代、バブル崩壊後の東京など、都市のすがたを冷徹なまなざしでとらえた写真を発表してきた。また、2001年から写真作家を目指す人を対象にした、作品講評形式のワークショップも行っている。

そんな金村は、どのように写真集と出会い、選び、読んできたのか。1万字ほどと少々長いが、写真集の見方を知りたい人はもちろん、写真史を学びたい人にとっても、その一例として参考になるはずだ。

左から、金村修と小林孝行

写真集との出会い

小林:最初に買った写真集って覚えていますか?

金村:まず最初に買ったのは鈴木清先生の4冊目、『夢の走り』(1988)でした。なぜかというと、80年代は写真が流行っていたから。ある雑誌は深瀬昌久さんの「三大連載」として今日食べたご飯とか、はちゃめちゃな企画をやっていて、そこから『夢の走り』や『夢の町—桑原甲子雄東京写真集』(1977)を知りました。

鈴木清『夢の走り』(1988)

小林:何歳くらいの頃でした?

金村:20いくつだと思う。そのころ荒木経惟さんとか流行っていて。いまと違って、写真とか実験映画、音楽はクロスオーバーしていました。雑誌も紀伊國屋に置いてあったけれど、ほとんどはわいせつ罪で捕まっちゃって、それでダメになっちゃったんだけれど。ただ、ポルノみたいな写真とアート系の写真が同居していたのが、すごく猥雑で面白かったですね。

小林:その頃は写真を始めていたのでしょうか?

金村:始める前ですね。僕は実験映画を撮ろうと思ってイメージフォーラムに行ったんだけれど、全然ダメで(笑)。かわなかのぶひろさんに「お前、動いているのはダメだから、止まっているものでもやったらどうだ」って言われて。で、写真を始めた。だから写真作品を見ていなかったけれど、アジェとかは当時ちょっと見ていたかな。でも、たとえば、アーヴィング・ペンとか全然見てなかったです。

桑原甲子雄『夢の町—桑原甲子雄東京写真集』(1977)

写真集、どこでチェックする?

小林:写真集を選ぶときのポイントをお聞きしたいです。まずは、当時どこに買いに行っていたのでしょうか?

金村:池袋のリブロとかですね。レコードもそうだけど、だいたい店員がよく知っているから、店員の言うことを聞いているといいものに出会える。レコード屋なんて特に試聴なんかさせてくれないから。「お前これ聞け」って言われて。まあ買うほうも買うほうなのですが(笑)。

小林:最近よく行っているお店はありますか?

金村:いまはここ(flotsam books)とSO BOOKS

小林:SO BOOKSは写真集専門と言っていいくらい、クラシックなものからコンテンポラリーなものまで、定番のものはだいたい置いてありますね。

金村:店主が非常に詳しいです。

小林:SO BOOKSの店主は、私の比じゃないです。やっぱり、詳しい人や尊敬している人、付き合いのある人からおすすめを聞くのがいいですよね。ちなみに、90年代はSTUDIO VOICEでよく写真集が紹介されていて、「写真集の現在」っていうかたちで詳しいガイドみたいなものが定期的に発刊されていました。

金村修

金村:あの頃は写真集の表紙を出しても著作権で怒られませんでしたね。「別冊宝島」は、ダイアン・アーバスの写真を使っていたりしました。いまじゃ考えられない、訴えられますね(笑)。

小林:クラシックな写真集ってどこで見られるのでしょうか?

金村:東京都写真美術館の図書館は充実していて、読みたい写真集は閉架でも閲覧請求票をカウンターに提出すれば見られます。

小林:写真集ってわりと高いので、気軽に買えるわけでもないですからね。

金村:あとMEMっていう、NADiffの3階にあるギャラリーでは、金子隆一の追悼展がやっていましたね。金子さんは60年代以降の写真集もZINEも全部持っていました。彼はもともとお坊さんで、本の保管場所として、寺が非常にいい環境だったそうです。展覧会を見ると、金子さんがどれだけ偏見なく写真集を持っているかわかります。普通、偏見なく置いたら大変ですけれど(笑)。

写真集、どう選ぶ?

小林:書店に入って、まずどこを見ますか?

金村:コンテンポラリーアートとか見るかな。

小林:なるほど、写真集ではなく?

金村:写真集も見ますが、結局買おうかなと思うのはよくわかんないやつで、ぱっと見てわかるやつは買わないですね。たとえば、去年Ryu IkaさんのZINEを買ったとき、ぱっと見ただけでは全然わからなかった。

小林:以前、ゲストに来ていただいた田附勝さんは、「何かわからないもの、理解不能みたいなものを一回知りたいというか、自分のなかに取り込みたい」というのが、買う/買わないのポイントになると言っていましたね。

金村:やっぱり認識を広げたいですからね。レコードでも若い頃ジョン・ケージの「4分33秒」を買ったのですが、どんなレコードか聞いてみたら……。まあ、聞いてみてください。自分が難聴になったのかなと一瞬思ったけど、まあそれも含めて、ね。レコード屋に文句を言いに行ったのですが、店員に「それがわからないのか」って言われて。でも世の中そんなものだな〜みたいな。たとえば、森山大道さんの『写真よさようなら』(1972)は捨てカットで構成されていますよね。フィルムのいちばん最後を集めているっていう。それは撮ろうっていう意欲で撮っている写真じゃないから、森山さん自身でもわかんない写真だったのではないでしょうか。すでにわかっているものはそんなに面白くないのかもしれません。

小林:買わないものを聞こうと思ったのですが、自分でもわかっているもの、予想がつくようなものは買わないと。

金村:たとえば、都会を題材とした写真集なんか買わないです。都市を撮影して、ごちゃごちゃしているものとかは、自分でも撮れるので買ってもしょうがないし。たまに場所が気になることはあるけど。鈴木清先生に『夢の走り』について、「テーマはなんですか?」と聞いたら、「テーマはない」と言われました。「なんで作ったのでしょうか?」と聞いたら、写真集がどうしても作りたくて、しかし写真がないと。つまり、作りたいっていう情熱だけで作ったものですって言っていて。だから、写真自体はめちゃくちゃです。何のために作ったかって「写真集を作りたいがために作った」っていうのが面白いなあと思って。写真集って何かあるじゃないですか、農民とか第三世界を写しているとか。それなしでも、本って作ることができるのだなあと。

小林:金村さんも片っ端から手に取るわけではないじゃないですか。何か手に取る基準はあるのでしょうか?

金村:平積みして上に置いてあるとおすすめかな、とか思いますね。まあでも僕は知っている本屋しか行かないから。たまに大きい本屋にも行きますが、商売でやっているところなので、そんなに面白いものは置いてないし。まあ、お店に行って聞くのがいちばんかな。あと全然わかんないものとか。以前、ページ開いたら破れる写真集がSO BOOKSにありました。すごいものを仕入れるなあと思いましたね。

flotsam books店主・小林孝行

写真集、どう読む?

小林:写真集を見るときの、金村さんなりのポイントがあれば教えてもらえますか。

金村:まず実際問題として、写真の見方がわからない人は多いですね。たとえば多くの美術評論家はわからないって言っています。絵はタッチや個性が出るからわかるんだけど、写真は機械で撮っているから。たしかに複製だし、誰が撮っても同じですよね。だから見方って非常に難しいと思います。でもじーっと見ていると、なぜかわかることありますね。

小林:やっぱり、感覚的なことなのでしょうか?

金村:ちゃんと見ていることが大事かな。それから、本物というか、プリントを見たほうがいいと思います。写真集ってまた別の形態だと思うので。とはいえ、写真集にしかできないこともありますね。写真集って直線でしか開けない。展覧会場だとバーっと並んでいるから、見る時の時間が違う。本だと基本的に一直線だけれど、行ったり戻ったりできるので、タイムマシンに乗っているっていうか。

小林:時間を読者に委ねている感じがありますよね。写真集のなかに別の時間軸があるような。とはいえ、はっきりとしたストーリーのある写真集もありますよね。

金村:物語性があるものはそんなに好きじゃないですね。たとえば荒木経惟さんの『センチメンタルな旅』(1971)という写真集は、物語を使って実は物語じゃないっていうものだと思います。物語的な写真集としては、土門拳さんの『筑豊のこどもたち』(1960)がまず挙げられますね。これは虐げられた労働者をどのように写すかっていう、社会主義リアリズムが基本にあるから。でも写真集っていくら物語を作っても、最終的にはやっぱりディテールが写るから。結局、想定していたものと違う物語に流れていく可能性も多いし。やっぱり、見るときのポイントはディテールが立ち上がっているものかな。細部が写っているもの。たとえば、桑原甲子雄さんの『夢の町』はすごく細部が写っています。でも、彼の写真はあまり上手くないですね。対して、木村伊兵衛さんはやっぱりうまい。

小林:金村さんの言う「上手さ」ってどういうことでしょうか?

金村:画面に幾何学的な構図が作られていることです。桑原さんも作ろうとしているけれど、何か破綻している様に見えます。なぜかというと、写っているもののほうが強いから。写真は構図と写っているものっていうふたつがあるから。たとえば、子供の写真は写っているものだけが面白い。それを幾何学的に整理すると見やすいし、両方あったほうが面白い。

土門拳『筑豊のこどもたち』(1960)

小林:ちょっとうろ覚えなのですが、前に鈴木理策さんが武蔵美で話されていた「見ることについて」という講義のなかで、「人間の目はピントがつねにいろんなところに移動していて、全部がきちんと見えているわけではない。それに比べてカメラで撮る写真は、絞ったら全部にピントが合うことになるので、自分が意識していないところまで見えたりする。それが面白い」というようなことをおっしゃっていました。

金村:僕も割とパンフォーカスの写真は手に取りますね、情報がいっぱい写っているから。あれは人間の肉眼の視点ではないですからね。

小林:それはカメラでしかとらえることのできないものなのでしょうか?

金村:きっと普通の状態では難しいですね。ちなみに統合失調症になりかかると、視界がパンフォーカスになってすごい気持ちが悪いらしい、と聞いたことがあります。実際にそのような症状があるかわかりませんが、もしそうだとしたら当然、気分が悪くなりますよね。全部ピントが合っていて、世界がみんな迫ってくるわけですから。

小林:写真集として写真を見るときに、意識していることはありますか?文章を先に読む、とか。

金村:文章は最後に読むかな。まれに文章のほうが面白いなって人もいますけどね(笑)。ただ、自由に見るということはできないはずです。自分なりに見るとき、人は自身の記憶の蓄積で見ますからね。たとえば若い頃、僕が写真集を見ていた当時は、写真を全然知らなくて映画を見ていたから、映像の記憶で見ていました。僕が好きな小津安二郎は、パンフォーカスで奥行きがなく構図がすごく好きでした。なので、自分が撮影するときにはそういう撮り方もするし、そういう写真集は手に取りますね。

小林:写真集を映画的にも見ているのですね。

金村:映画と写真集ってちょっと似ています。物語性というのもあるのでしょう。あと、基本的に映画も止まっていますからね。たとえば、25歳のときにロバート・フランクの『アメリカ人』(1958)を写真学校で見たら、ジム・ジャームッシュの真似かと思いました。ただ、映画のいいところは、見たカットどんどん忘れていくこと。写真集は戻れる。

ロバート・フランク『アメリカ人』(1958)

いい写真集とは?

小林:金村さんにとっていい写真集ってどういうものでしょうか?

金村:僕は『夢の走り』がいちばん好きなので、なるべく意味がないような写真集ですね。たとえば第三世界の悲惨な現状が写っている写真とかって、本質的には興味ないですね。日本だって悲惨だろ?と思うし。答えが決まっているわけなので。

小林:撮る側として、写真集を見るときに作家の追体験をするような感覚ってあるのでしょうか?

金村:それはあんまりないかな。作家が考えていることとか、全然興味ないです(笑)。

小林:出てきた最後のイメージに興味あるかどうか、と。

金村:自分で解釈し直そうと思っていますからね。作家が考えていることなんて、みんな結構つまらないのではないでしょうか?

小林:受験の国語のテストで、作家の気持ちを答えてくださいという問題があってよく揶揄されていますね。でも、どういうアプローチでとか、制作のプロセスもあまり気にされていないのですね。

金村:たとえば、森山大道さんって文章を読むとえらい湿っぽいなとか。そんなジメジメしなくていいじゃんと思ったりします。文章が面白いのは荒木経惟さんかな。荒木さんはふざけてる(笑)。言ったことと矛盾していることを平気で言いますからね。「写真は俳句だ」って言ったと思ったら、次のページで「写真は短歌だ」とか。俳句と短歌って全然違いますからね。そういう矛盾したものがいっぱいあるものは面白いかな。だからこれから文章がある写真集って増えるかもしれません。といっても、2行書いたら1行空けるとか詩みたいな文章じゃなくて。最近の若い子の写真集の文章って、改行しすぎじゃない?と思ったりします。僕は絶対改行しないから。だから誰かが改行してくれるのですが。というか、改行ができないんですよね。改行っていうことにすごく腹が立つというか。

荒木経惟『センチメンタルな旅』(1971)

小林:区切りをつけたくないのでしょうか?

金村:なんで改行しなくちゃいけないんだって思っちゃいます。まあ、改行したほうが読みやすいですが(笑)。

小林:読み手からしたら、段落があったほうが読みやすいですもんね。

金村:そうですよね。でもなんかワーっとつながっているほうが気持ちいいという。結局、編集者に改行されますが……。

初めて買う人へのおすすめ

小林:写真集を買ったことがない人に、おすすめがあるとしたらどんなものがいいでしょうか?

金村:写真家になろうかなというのであれば、リー・フリードランダーがいちばん勉強になります。作品を全部トレースしている同級生もいました。たしかに、トレースしたくなるような写真集ですからね。あと、ゲイリー・ウィノグランド。表現ってやる前に考えるじゃないですか、何をするにしても。『Women Are Beautiful』(1975)を見たとき、作ることを考えなくていいんだ、と思いました。音楽だったらフリー・インプロビゼーションみたいな。フリードランダーみたいな構図で、ウィノグランドみたいな自由さでできると面白いですね。

そうではなく、純粋に趣味で楽しみたい、って言うんだったら、たとえばベッヒャー夫妻はいいですね。彼らはヴェネチア・ビエンナーレで、写真としてではなくて、彫刻として賞を取っています。たしかに、本は彫刻として考えることもできますよね。立つし、立体だし。ちょうどいま、「閉まらない本」を作っています。写真を貼りすぎて閉まらないと、立つんですよね。これはオブジェだし、読んでも楽しいなと思って。

あと、ロバート・フランクとウィリアム・クラインを読んでいると、フランクがどうしても好きな人もいるし、クラインが好きな人もいる。そこで写真の好みが結構分かれますね。クラインがすごく好きだな、フランクはついていけないって人は、上手い写真が好きでしょう。ドラマチックでジャーナリスティックなかっこいい写真。フランクだと、露出が少々狂ってて、曖昧な感じ。クラインは、被写体を写している写真で、フランクはもうちょっと、被写体と自分の関係みたいなものがある気がします。この場で自分は何を考えているのかなとか。そこで二手に分かれると言えるかもしれません。

アウグスト・ザンダーは狂気的です。この人は人間のすべてを類型化したかったわけで、それってナチスと同じなわけなので。撮影している量もすごいです。

ゲイリー・ウィノグランド『Women Are Beautiful』(1975)
アウグスト・ザンダー『20世紀の人間たち』(1991)

小林:こう見ていくと、クラシックなものが多いですね。

金村:クラシックなものってやっぱりいいですよね、50年経って残っているわけなので。あと昔の写真家は結構適当に撮っているので、そこらへん真似したほうがいいですよ。ウィージーって地下鉄のトイレで現像していたから(笑)。トイレから出てくる現像後のウィージーの写真が残っています。あるいは、ウォーカー・エヴァンスは公園の噴水で(フィルムや印画紙の)水洗をやっていたといいます。かなり適当だと思う。多分ネガ腐ってるんじゃないかな(笑)。

あと見ておくべきは、ルイス・ボルツ。この人の展示はすごかった。川崎市民ミュージアムで、90年代に回顧展が開催されていて、数点の作品が、市民ミュージアムの1階の1番上、天井近くに飾ってあるんですよ。見えないわけですけど、見えないのがいいらしいです。

川崎市民ミュージアムにて開催された、国内初のルイス・ボルツ回顧展「ルイス・ボルツ▶法則」(1992)に合わせて制作された論集

小林:写真自体は大きかったのでしょうか?

金村:小さかったです。「あそこになんかあるぞ」と思ったらそれがボルツっていう。

小林:ボルツの他にも、ロバート・アダムスとかアンソニー・ヘルナンデスなど、「ニュー・トポグラフィクス」と呼ばれている人たちは、面白い写真家が多いかもしれません。

金村:主観性がないから、見ていて気持ちいいですよね。ボルツは特に新しいことをやっていました。横浜美術館での展示のときは、壁面にずーっと小説を書いていて。ボルツほど頭がいいんだから、なんか哲学的な難しいことを書いているのかと思ったら、どうも読んでいると推理小説だという。早く亡くなってしまったのが残念ですね。

あと写真集とプリントって全然違いますね。フリードランダーはプリントがすごく下手なんですよ。誰だ、このフリードランダーの写真をプリントしたやつは?って思ってたら本人だっていう(笑)。

小林:ちゃんとしたプリンターがやっているのと全然違う?

金村:そのほうが断然上手いです。けれど、フリードランダーは毎朝5時に起きて毎日プリントしているんだそうです。

小林:プリントの上手い下手の違いは、どう分かるのでしょうか?

金村:階調が出ているかどうかですね。ちなみに写真集のフリードランダーはすごく上手い。オーソドックスなプリント技法を知りたかったら、フリードランダーの写真を見ればいいですね。ちゃんとグレートーンが出てくるから。白からグレーが出る写真がいちばんいいかな。僕はできなかったのですが。なんか、体が許さないって言うかね、グレーなんか色じゃねえってね(笑)。

リー・フリードランダー『写真集「リー・フリードランダー」』(1987)

写真集の読み方、どうやって鍛える?

小林:写真集をこれから買う人に向けて、選ぶ基準やセンスを磨く方法があればお聞きしてもいいですか?

金村:とりあえずクラシックなものを見たほうがいいと思います。クラシックなものっていいから、そこから出られなくなるっていうね。でも音楽だってエルヴィス聴いていればいいってわけじゃないしね。ある程度はクラシックなものを見て、ダイアン・アーバスとか、フランクとか、ナン・ゴールディンとか、買わないまでも図書館で見て。

小林:定番ですもんね。写真をやっている人はなんとなく知っていたりしますよね。

金村:あと共通言語でもありますからね。それなしに人と喋ると辛い。アーバスもゴールディンも知ったこっちゃないっていう人は誰も話してくれないから。

小林:どこをとっかかりに話そうかなってなっちゃいますよね。

金村:共通言語を覚えるっていうか、あいうえおを喋りましょうっていう感じかな。本当はアーバスの写真が一枚家にあるといいのでしょうけど、そんなもの1000万円くらいしますからね。一回ニューヨークで勧められたことありますね。アーバスが自分で売っているときに15枚くらい見せてくれて、「1000万でどうだ?」って言われて「考えとく」とか言って(笑)。

小林:ずっと考えていたいですね(笑)。

金村:なんかあれはよかった。すごく写真が乱暴なんですよね。ちゃんと定着とかやってないじゃんみたいな。生々しいっていうのかな。それ見てからかな、写真は下手なほうがいいんだって思うようになりました。倉田精二さんの『FLASH UP』とかもバーンとフラッシュを焚いたり、乱暴と言えば乱暴じゃないですか。あるいは後期の頃の倉田さんはオートバイに乗っていて、この人だと思った人を見つけると、オートバイのエンジンをかけたまま停めて、その人の接近していきなりフラッシュを焚いて撮るんですよ。その後は停めていたオートバイに乗って逃げる。他人の迷惑を顧みない人が多かったよね。写真集が、作る過程で人に迷惑をかけているなあという目線で見てみると、ちょっと面白いかもしれません。そうじゃないと友達しか写せないから。だから、僕は小動物と死が写っている写真集は買わないです。うさぎとか猫とか。そういう写真集の場合、たいてい最後のほうでおばあちゃんが点滴を打っていたりとかする。見た瞬間閉めちゃいます。自分のことしか興味ないのかって思ってしまうので。

倉田精二『FLASH UP』(1980)

小林:日本の写真集のおすすめはありますか?

金村:ホンマタカシさんとかいいのでないでしょうか。いちばん最初の『TOKYO SUBURBIA』(1998)はよかった。いま買うと高いと思いますけど。あと、宣伝写真も意外にいいですよ。展覧会だけど、東京都写真美術館でやっていた「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」とかよかったですね。HIROMIXも意外といいですよね。あとは土田ヒロミさんの『俗神』(1976)とか、東京を撮っている長野重一さんの『遠い視線』(2001)とか。でも写真の歴史ってすごいですよね。90年代から2000年代になると、いきなり横田大輔で、もう「美術家」っていう感じですもんね。この10年、20年で写真ってすごく進歩したのだなって思いますね。どれも東京都写真美術館の図書館にあるから、一度見たほうがいいと思います。

ホンマタカシ『TOKYO SUBURBIA』(1998)
土田ヒロミ『俗神』(1976)

あと山内道雄さんっていう、ストリートスナップを撮っている写真家は面白かったです。山内さんは自分で写真集のデザインをするだけど、言っちゃなんですがそれがかっこ悪いんですよ、それも含めていいです。イーゼルも自分で作るし。でも、そのイーゼルが曲がっているんですよ(笑)。買えばいいんじゃんって言ったけれど、そんな手作りのかっこ悪さもいいなと思いました。いま、みんなかっこいいじゃないですか。

小林:すごくきちっとしているっていうか。

金村:山内さんの写真集のカッコ悪さを見習ってほしいね。世の中でいちばんカッコ悪いと思いますね。これ怒られますけど(笑)。

小林:写真家によっては、写真集にすることに興味もない人もいらっしゃいますよね。

金村:そうですね、僕も全然興味なかったので。編集者とデザイナーにおまかせみたいな。だって色校正見たって分からないじゃない。『SPIDER'S STRATEGY』(2001)を作るとき、10個くらいの色が出てきて、どれがいい?って聞かれて、「お任せします」って言いました(笑)。写真集はやっぱり自分のものっていうより、アートディレクターと編集者の世界かな、と思います。Ryu IkaさんのAKAAKAから出版されている『The Second Seeing』(2021)は随分違っていましたね。編集者が作ったらやっぱり売れ線になってくるし。わかりやすくなってくるし。自分で作っていると繊細さが出てきますからね。

金村修『SPIDER'S STRATEGY』(2001) 出典:https://bookdummypress.com/store/p/spiders-strategy-by-osamu-kanemura-signed

参加者の質問

小林:金村さんに聞いておきたいことがあれば。

——写真集を読み返すことってよくありますか?

金村:結構ありますね。最初に読んだだけだと、体にストーリーがまだ入ってこないっていうか。いいやつだと何回も読めますし、僕も繰り返し見るほうだったかな。『夢の走り』はずーっと見ていました、何回見ても分からないから。いまもよく分からないんですけど。そういう意味だと、中平卓馬さんの『来たるべき言葉のために』(1970)とか全然分からないですね。謎としか言いようがない。10冊買うと、8冊くらいつまらないけれど、それも含めてですね。レコードや映画もそうだけれど、買い物も失敗しないと。

——最近はどこで、何を撮っていますか?

金村:最近は東京、ニューヨーク、大阪で、動画を撮っています。大阪はずいぶん変わってきました。僕が『SPIDER'S STRATEGY』を撮ったときとは街が違うと思います。

——過去の自分のフィルムやデータを見返すことはありますか?

昔の自分の写真見たってしょうがないじゃないですか。何万カットもあるし。あと、昔の作品を見るとみんな面白く見えます。だから、全部焼かなきゃって思ってしまうので見ませんね。

flotsam books店主・小林孝行

flotsam books 
ふろっとさむぶっくす 2010年にオンラインストアとしてスタートし、2020年1月に実店舗を東京・代田橋にオープン。 写真集を中心に新刊、古書、洋書、和書を問わず、独自の視点でセレクトし、気取らない姿勢で 統一された店内は、訪れるたびにいつも新たな出会いが待っている。店頭では定期的に作家の展示が行われ、ファンとの交流の場にもなっている。店主・小林孝行。1978年岡山県出身。
https://www.flotsambooks.com/
https://www.instagram.com/flotsambooks/

金村修
かねむら・おさむ 1964年東京都生まれ。写真家。1992年、東京綜合写真専門学校在校中にオランダ・ロッテルダム写真ビエンナーレに招聘され、1996年、MOMAによる「世界の注目される6人の写真家」の1人に選出される。1997年、日本写真家協会新人賞、第13回東川町国際写真フェスティバル新人作家賞、2000年、第19回土門拳賞、2014年、第39回伊奈信男賞を受賞。写真集に『Spider's Strategy』(Osiris、2001)『I can tell』(芳賀書店、2001)『Concrete Octopus』(Osiris/Pierre von Kleist Édition、2017)ほか、著書に『漸進快楽写真家』(同友館、2009)。タカザワケンジとの共著『挑発する写真史』(平凡社、2020)がある。
https://kanemura-osamu.com/

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。フランス・パリ在住。