イム・ミヌクが描き出す都市の姿。大林財団主催の水上パフォーマンスツアーと展覧会「Hyper Yellow」をレポート

2023年度の大林財団の助成「都市のヴィジョン-Obayashi Foundation Research Program」に採択されたイム・ミヌクが、日本でのリサーチを経て展覧会とパフォーマンスを開催。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

韓国を代表するアーティスト、イム・ミヌクが日本で制作・発表

韓国出身で世界的に活躍するアーティストのイム・ミヌク(1968〜)は、2023年度の公益財団法人大林財団の助成「都市のヴィジョン-Obayashi Foundation Research Program」に採択され、東京で2年がかりのリサーチを実施。その成果として、東京の駒込倉庫を会場にした展覧会「Hyper Yellow」(3月1〜12日)と、隅田川と東京湾周辺を屋形船で周遊する水上ツアー・パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」(3月2日、3日)を開催した。主催は大林財団。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

これらふたつは、演劇的発想を用いて新たな“劇場”を立ち上げるプロジェクト「シアターコモンズ'24」のプログラムとしても実施され、展覧会で見たイメージがツアー中に現れるなど、相互に関連・補完しながら響き合うものになっていた。本稿では内覧会およびトークイベント(3月4日、大林組30階レセプションルーム)での作家の言葉を交えて、その様子を紹介したい。

イム・ミヌク、トークイベントにて 撮影:佐藤駿

イム・ミヌクは映像、インスタレーション、パフォーマンス、音楽など、様々な表現手段を用いて作品を発表してきたアーティスト。国内外での個展開催や国際展への参加など、世界的に活躍している。日本では「あいちトリエンナーレ2019」に参加し、そのなかの「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた際には、抗議としてパク・チャンキョンとともに真っ先にビエンナーレへの出品辞退を表明したことも記憶に新しい。これは直接的なアクションだが、その作品自体も、韓国の近代化や急速な経済発展、政治と市民の関係などを扱い、非常にポリティカルだ。ただし、それらは音(楽)への豊かな感性や、巧みなメタファー、人間への深い洞察力、そしてユーモアに彩られ、決して硬直したものでも、いかめしいものでもない。今回東京で見せた作品も、歴史や文化のリサーチから出発しながら、鑑賞者の虚を衝くような突飛なイメージが飛び出し、予測不能な体験を生み出していた。

展覧会「Hyper Yellow」

会場の1階と2階にわたる本展には、オブジェ、平面作品、映像などが並ぶ。作家が取材した様々なモチーフや題材が絡み合う複雑な展示で、一見してその全貌を理解するのは難しい。ここではいくつかのキーワードをもとに本展をひもといていきたい。

まず、「火の祭り」と「水の祭り」。作家はこの度のリサーチで、奈良・東大寺で1250余年の歴史を持つ「お水取り」と呼ばれる行事(=火の祭り)と、東京の富岡八幡宮の祭礼である「深川八幡祭り」(=水の祭り)に取材した。「都市のヴィジョンというものを、私は祭りを通して伝えたいと思いました」(イム・ミヌク、以下同)

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

会場に入ってまず目に入るのは、空間に浮かぶ3本の細長いオブジェ彫刻だ。作家が「ポータブルキーパー」と呼ぶこれらは、破壊と喪失、忘れられた時空、犠牲者への哀悼と記憶の復元を意味する祭儀的オブジェだという。そのうちのひとつ「奈良ポータブルキーパー」はお水取りで用いられるお松明を参照にした竹製。本展開幕日の3月1日はちょうどお水取りが始まる日でもあり、このポータブルキーパーを通じて現地と会場を“同期”させるという。時空を超えた世界観に、鑑賞者は早々に巻き込まれる。ガラス製の「東海ポータブルキーパー」、テラコッタでできた「西海ポータブルキーパー」は、それぞれ東の「水の祭り」と西の「火の祭り」を暗示し、ブイのかたちをしている。船と海のイメージが、水上パフォーマンスを予感させる。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

祭りを支え、また祭りのような儀式によって支えられる「共同体」もキーワードだ。

「韓国で成長するなかで、共同体という単語は苦痛をもたらす単語のひとつでもありました。団結や統一が教育のモットーとしてあったからです。そうした過程で、私は共同体について考えるようになりました」

「(急速な近代化の過程で)韓国というのは祭りや儀式が消えてしまった国だと思っています。ですので、今回この作品を通じて、消えてしまった共同体やこれから到来する共同体について表現したいです」

次に、本展を貫く「移動」のイメージと「観光客」の視点。大林財団の助成が「都市のヴィジョン」であることからもわかる通り、本展は「都市」に言及するものだ。そして都市とは、世界各地で人々の移動の通過点であり、観光客の目的地である。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

移動には様々なイメージが含まれるが、まずは作家の出身地である韓国と日本のあいだにおける往還があげられるだろう。朝鮮半島と日本列島は古代から交流・交易を続け、日本は仏教をはじめ文化・芸術のルーツの多くを朝鮮半島から学んできた。また約100年前の日本による同地の植民地支配は、いまなお癒えない傷として残り、2ヶ国間の緊張関係のもとになっている。また、1950年代の朝鮮戦争に対する日本の政治的・経済的関与も韓国の現代史に大きな影響を与えた。作家はこれまで朝鮮戦争など韓国の歴史を作品で扱ってきたが、朝鮮戦争によって大きなトラウマを負ったという作家の両親の経験をはじめ、個人的な家族の葛藤や危機も反映されている。今回の展示は舞台こそ日本だが、作家のこれまでの作品の延長にあるものと言えるだろう。作家の個人史や国家や文化の成り立ちといった「ルーツ(起源)」も本展にとってテーマのひとつだ。

「今回は都市というテーマに加え、私が年齢を重ねたこともあり、自分の起源について探求したいという思いがありました。私が幼い頃から持っていた不安感や不確実な未来像について、祖母の世代や父の世代と強くつながる日本に、その起源があるかもしれないと考え、リサーチを進めてきました。また韓国では(1960年代以降の)急速な経済成長を「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼びます。私はかつて漢江でパフォーマンスを行いました。その経験を活かし、今回日本では隅田川で、江戸時代から続く屋形船の伝統を生かし『時間旅行』をしたいと思いました」。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

今回、ルーツを探求するリサーチを経て、逆説的に「日本という列島はひとつの根源がない国で、つねに開かれている」との考えに至ったという作家。こうした流動性や移動に関わるアイデアは、本展に通底するものとなっている。海や川もその象徴であるし、水上パフォーマンスツアーもまさに鑑賞者に移動を体感させるものだ。細長い空間を持つ駒込倉庫も、「船に似ていると思った」ことから会場に選んだという。 

本展には2020年からのコロナ禍も影響している。移動が制限され、環境客の姿が失われたことは、都市や街の風景を変え、経済にも大きな打撃を与えた。こうした変化を経て、作家は今回「環境客」の目線で、日本を見ようとしたと言う。

 「コロナを経て、私たちが移動の自由に対する情熱を強く持っていたことを感じました。コロナ禍が落ち着いたことで、改めて観光客や祭りに興味を持ちました。」

 お水取りで行われる法会「達陀(だったん)」では火のついた大きな松明を持ってお堂内を走り回る。この達陀には奈良時代の猿楽の影響があるとされ、そのルーツには朝鮮半島や中国大陸の芸能があるとも言われる。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

また今回作家は、映像作品や平面作品で十一面観音を重要なモチーフとしているが、これもお水取りに関係がある。この祭りの起源を伝える説話には十一面観音が重要な存在として登場し、東大寺二月堂には十一面観音像が納められている。そしてこの像はかつて朝鮮半島から伝来したものだ。

イム・ミヌク 東海史(スチル写真) 2024 3チャンネルビデオ 8分45秒

駒込倉庫の2階に展示された3チャンネルの映像作品《東海史》(2024)には、水上パフォーマンスの舞台となる隅田川周辺の風景とそこで走る人々や、お水取りの様子を撮影した映像と、3Dグラフィックスやアニメーションによる映像がミックスされている。なかでも現代人の頭が合体したような十一面観音は、ンパクトに満ちた姿だ。風に乗って飛ぶこの十一面観音像のキャラクターは、「横断する存在、そして境界線にいる存在のメタファー」。本作について作家は「失われた海と来るべき海を想起させる映像。私は都市を訪ねるたびに超現実的な感覚を抱くのですが、それを表現した作品です」と語る。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

会場にはほかに、作家が大きな興味を抱くイカの骨を用いた平面作品や、イカの骨をインクで紙に押したかたちから創作した文字のオブジェ、深川祭りで使われる神輿から着想を得て、パフォーマンスでも使われる手押し車などが展示された。

「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿
「Hyper Yellow」会場風景 撮影:佐藤駿

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」

3月2日、3日に開催された水上パフォーマンスツアー「S.O.S – 走れ神々」。観客を乗せた二隻の屋形船は、越中島桟橋を17時に出発した。ここから隅田川、そして東京湾周辺を巡ることになる。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

観客を乗せた屋形船は、「これからどんなことが起きるのだろう」というちょっとした緊張感と、非日常感による期待に満ちていた。女性乗務員が現れ、船長や船内キャストの紹介と安全ガイドを行う。いつもこの屋形船で仕事をしている人なのか、今日のために演じているパフォーマーなのか。果たしてもうすでにパフォーマンスは始まっているのか、いまいち判別が付かない。我々の戸惑いや照れを押し流すように、乗務員さんの「はい、乾杯!」の導きとともに、たまたま乗り合わせた観客≒観光客は卓上にあったドリンクを持ち上げ視線を交わす。船が隅田川を進む。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

「S.O.S – 走れ神々」というタイトルにあるように、本パフォーマンスは川辺を走るランナーがひとつのモチーフになっている。実際船から見ると、人々がよく走っている。これも「仕込み」なのか? それとも一般のランナーなのか? そんなことを思っていると、「シュエ」と名乗る船長のアナウンスが聞こえてきた。

「今日、この黄海ツアー舟遊びは、東京湾に水が満ちてきた2024年に始まりました。ハイパーイエロー春の航海コースは、芭蕉庵を通って、パリ広場や浜離宮恩賜庭園、そしてレインボーブリッジを通り、お台場アクアシティ、晴海緑道公園を巡るこの船は、音とともに都市をつなぐ時間となっています。水とともに、音とともに旅する十一面観音の物語、さあ、出発です」

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

しばらくすると、川辺でこちらに向かって手持ちのサーチライトを点滅させている人が見えた。その人からだろうか、船内に声が響く。「芭蕉は霧の向こうの浅草寺を見ながら、当時の江戸時代の都市のヴィジョンを持っていました。『しばしまもまつやほととぎす 千年』(松尾芭蕉)」。船内はざわめき、観客はスマホを外へ向けたりしていたが、あっという間に通り過ぎ、光は見えなくなった。後で確認したところ、どうやらこのとき船は、芭蕉記念館の分館である芭蕉庵史跡展望庭園の横を通っていたようだ。あの光の点滅は「S.O.S」だったのだろうか? でも、いったい何から?

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

しばらくすると今度は、「私が見えますか? 一緒に行きますよ!」と呼びかける声が聞こえ、それまで気配を感じなかったもう一隻の屋形船が隣に並んでいることに気が付く。向こうの船の乗務員がサーチライトを振り、こちらの船の乗務員も応えてライトを振る。そして私を含む観客も、向かいの船に向かって一生懸命に手を振った。

この感じはなんだっけ……と考えていると、ディズニーランドを思い出した。ウエスタンリバー鉄道や蒸気船マークトウェイン号などに乗り込んだ客は手を振り、並んでいる客もまた笑顔で手を振り返す。普段の通勤電車では絶対に起こらないこうしたやり取りは、客がたんなる客ではなく、自身もまた「夢と魔法の国」を構成する一員だという自覚を持つことで恥の感覚を超え、喜んでその役割を演じることで生まれる。このとき二隻の船にも、こうした観客の振る舞いによって、仮設的な共同体の意識が芽生えていたように感じた。お互いに手を振り合いながら、橋の下をくぐり抜け、また二隻は遠ざかる。

しばらく船に揺られていると、フランスから来たという男性と、韓国人女性のカップルの語りが聞こえ、川辺に男女のふたり組が並んでいるのが見える。ふたりはなぜか後ろ向きに走りながら我々を見送り、船内はほっこりとした笑いに包まれる。そしてフランスの歌手ジュリアン・クレールの歌が流れた。ふたりがいたのは隅田川とフランスのセーヌ川が友好河川提携を結んだことを記念する、パリ広場と呼ばれる公園だったようだ。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

水上パフォーマンスでは、何かが起こり、またしばし穏やかな時間が訪れ、場面ごとに異なる音楽が行程にリズム生み出しながら進んでいく。また当然、船の左右どちらに座っているかといった偶然の配置によって、各観客の見えやすいものや体験に細かな差が生じていることも書き添えておきたい。

次に、乗務員による「芭蕉の行脚の掟」の紹介を経て、船長が語り始める。「船を運航しているときに、陸地で起きた地震を見たんです。 死なんてないんだと思うようになりました」という言葉に始まり、「じつは私ととても親しい友人がいて、私たちはとても似ていたんです。 ある日、彼が遠くへ行ってしまうんです。 しかも私が行けない場所へ......。私たちのあいだには沈黙が流れて、それが最後でした」。言葉の一部は、駒込倉庫の映像《東海史》でも使われていたので聞き覚えがあった。そして家族や仕事を巡る個人史へ。川や海がつなぐもの、わかつものへと想像が誘われる。

船内前方には画面が設置されているのだが、そこに「F F F F F」という文字列が表示された。いったいなんの暗号かと思っていると、船外に見えてきた港の電光掲示に「F」の文字が点滅している。船外と船内をつなぐこの同期に、気づいた観客たちから感嘆の声が漏れた。本稿を書くにあたって調べると、この電光掲示板は、海上交通情報を航行船舶に伝えるためのもので、「F」は「自由信号(入・出航の両方可能)」だったようだ。作家が語った「開かれている列島」というイメージが思い出される。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:編集部
パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:編集部

さて、少しずつ日が落ち、辺りが薄暗くなってきた。レインボーブリッジが見え、観客たちがスマホを構える。その下を潜ると、再びアジア/日本とフランスの関係の奇妙な象徴が現れた。お台場に立つ自由の女神だ。日本とフランスの友好関係の記念として建てられたこの自由の女神像も《東海史》に登場しており、駒込倉庫で作家が語ったときに初めて知ったのだが、この女神像は陸のほうを向いている。ニューヨークにある自由の女神はが外から来る者を歓迎するように海に向かっているのに対し、お台場の自由の女神は内を向いているというのはなんだか示唆的だ。

ここでしっとりした歌が流れてくる。キム・ミンギの「友達」という曲を11名の声で歌ったものだった。お台場の自由の女神、そして十一面観音のテーマ曲といったところか。

船が向きを変え、そろそろ東京湾から川へと帰ろうとしているようだ。乗務員たちによるいくつかのパフォーマンスがあり、日が暮れたことで、船内外の景色が一変する。東京の夜景に浮かぶ、レインボーブッリッジやマンション等の無数の灯り。音響の力も相まって、なんとも言えないマジカルな時空に包まれたようだった。

本パフォーマンスはここまで見てきた通り、決して大掛かりな仕掛けはない。夕暮れという自然現象を最大限に使い、少しの操作やちょっとした演出で、ある意味観光客向けとも言えるベタな東京の夜景を、まだ見ぬ景色へと異化してしまった。鮮やかで見事な手腕だ。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿
パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

いよいよ終わりがが近づき、晴海緑道公園で本パフォーマンスはクライマックスを迎える。そこではパフォーマーが踊り、もうひとりが深川祭の神輿を再解釈した手押し車を引いていた。船内にはお水取りの達陀で松明が燃える音が響き、「火の祭り」と「水の祭り」が象徴的に融合する。この小さなハレの景色を名残惜しみながら、船に乗った我々一行はまた桟橋へと戻ってきたのだった。

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿
パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」 撮影:佐藤駿

作家が展覧会と本パフォーマンスで生み出した「時間旅行」。それは、朝鮮半島と日本列島を含む東アジアの歴史に流れる巨大な時間や、作家とその家族の時間、船に乗っていた人々の個人史、そしてコロナ禍と近過去〜近未来といった様々な時間が交差するものだった。鑑賞者/観光客は、自分の個人史やそのときたまたま何が見えたかという偶然性が絡み合うなか、作家の導きによってそれぞれ固有の「都市のヴィジョン」を目撃しただろう。

展示「Hyper Yellow」
キュラトリアルリサーチ/プロジェクトマネジメント|権祥海、チェ・ユウン(韓国)
制作|azymkim
撮影|イム・ソンジュン
映像制作|イ・ウンソル
グラフィックデザイン|Studio Hik

パフォーマンス「S.O.S – 走れ神々」
構成・演出|イム・ミヌク
出演|塩澤嘉奈子、ジョ・ヘジョン、徳安慶子、徳安優子、三島早稀、好光義也、レモニエ・ジョン
キュラトリアルリサーチ/プロジェクトマネジメント|権祥海
音楽演出|チャン・ヨンギュ
音響演出|オ・ヨンフン
技術スタッフ|庄子渉
制作|武田侑子
映像撮影|嶺隼樹
制作記録|カク・ソジン
協力|江戸前汽船株式会社

主催|公益財団法人大林財団
助成|都市のヴィジョン-Obayashi Foundation Research Program
広報・協力|シアターコモンズ実行委員会(事務局:NPO法人芸術公社)

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。