公開日:2009年3月20日

桐箪笥の本質を守りながら:小倉タンス店

2009年1月より新しくスタートするこの連載は、日本のクラフト&デザインについてのレポートをJapan Brandとのコラボレーションによってお届けします。

伝統的な桐箪笥というのは、昔から娘が嫁入りするときに親が持たせる嫁入り道具の一つで、一代だけでなく二代、三代と修理しながら受け継いでいくものだった。ところが今、日本人の生活スタイルが変化し、日本の家具文化も忘れられつつある。そうした中、桐箪笥の産地である新潟県加茂市では、桐箪笥の技術を守りながらその可能性を現代に広げようとする取り組みが進んでいる。創業天明3年(1783年)の老舗、小倉タンス店を訪ねた。

取材:山本玲子

熟練の職人が手のひらで感触を確かめながら、桐箪笥に鉋をかける

桐箪笥の本体に「だいわ」という四角い枠をとりつける。金属の釘は一切使わず、木製のダボを打ち込んでなじませる

Q: 加茂は山に囲まれて、家具作りにはよさそうな環境ですね。

A: 当社は、昔はもっと加茂川の近くを拠点にしていました。ところが“暴れ川”と呼ばれてよく氾濫したため、うちも財産を流されて。そこで川から離れた今の土地に移ってきました。加茂は昔から木工の町でしたが、桐箪笥が産業として興った理由として、よい材料と道具と交通手段があったからだと思います。加茂は地形が京都に似ており、三方が山に囲まれて真ん中に川が流れている。そのため山が近くて木を出しやすく、運びやすかったのです。また隣が三条で金物商の町ですから、品質のよい道具が手に入りました。歴史的には、明治の頃、日本海沿岸の山形や富山などへも出荷し、戦後は全国的にOEMのようなことをして栄えてきた経緯があります。

Q: 一般の消費者にとっては、桐箪笥は高くて手が届かないというイメージがあります。

A: 加茂の桐箪笥は、昔から高級品だったわけではなく、220年前は“民芸”いわゆる「用の美」の分野に位置づけられていたのですよ。その原型は、引き出しのついていない、ただの箱、いわゆる「長持ち」でした。江戸の庶民が少し豊かになって、それまで一枚しかなかった着物が二枚三枚に増えたので、それをストックしておくために生まれた。 日本人はものごとを突き詰めていく性質なので、その後、技術も材料もどんどんよくするなど、高級路線に向かっていきました。私が25年前に入社した80年代のバブルの時が高級桐箪笥の絶頂だったかもしれません。

隙間のない桐箪笥。ほぞ組や木目が美しい。昔ながらに砥の粉で塗装して仕上げる

JAPANブランド事業で制作された「KAMO」ブランドのアイテム。桐箪笥や建具、照明など生活空間全体をプロデュースする

Q: 桐箪笥のデザインについてはどう考えていますか。

A: 我々は、デザインについては何も考えてこなかった。悪い言い方をすると、「伝統の上にあぐらをかく」というか。昭和40年代までは桐箪笥は婚礼家具の定番で、様式も決まっているため、何も考えなくても仕事ができました。プラモデル作りのようなものでね、パーツを切り取って、組み立てて、塗装する。その通りにやっていけば、そこそこできちゃうわけですよ。 ところが、やがて洋家具が主流になってきた。従来にはない、新しいものを目指す必要が出てきたのです。箪笥組合としても、80年代には有名デザイナーにデザインを依頼するなど色々挑戦しましたが、結局どれも成功しませんでした。桐箪笥の商品としてのライフサイクルが終わったのかな、と思いました。

Q: 商品としてのライフサイクルとは?

A: 例えば、昔はモノクロテレビが主流だったのが、東京オリンピックを契機にカラーテレビになり、今は液晶テレビの時代でしょう。それと同じで製品には寿命というものがある。桐箪笥は成熟しきって、そのライフサイクルをとっくに超えてしまった感じがあるのです。だから、時代に合わせて新しい製品の開発をしていく必要があると思います。

Q: そうした危機感もあって、加茂商工会議所の呼びかけを受けてJAPANブランド育成支援事業(※注1)に参加されたわけですね。実際に4年間取り組んでみていかがでしたか。


A: 最初は、何も分からないまま、「ブランドって何」「お客さんに喜んでもらえるものって何」というところから始めました。そうした中で、デザイナーの岩倉榮利さんとのやりとりが私にとっては本当に勉強になりました。一番学んだのは、ブランディングの手法についてです。ブランド価値を高めるというのはどういうことか。最初はピンときませんでしたが、実際にモノができあがってみると「こういうことだったのかなあ」と、なんとなく分かるようになる。

Q: 具体的には。

A: 例えば伝統的な桐箪笥は、本体の下に「だいわ」という四角い枠がつきます。主に畳への荷重を分散するためにつけるのですが、決まり事として無意識に染みついているので、それをわざわざ変えるという発想はまず出てきません。ところが岩倉さんの場合は「箪笥はこういうもの」という固定概念がないため、洋室に合わせて脚をつけるという発想がさっと出てくる。「想像=創造力」なので、想像できなかったら新しいモノを作れないのだということは、実際にやってみて分かったことです。

ずらりと並んだ道具。職人一人ひとりが道具をカスタマイズして自分の手にあった道具にしていく。道具も手の一部だ

鉋で丁寧に削ることによって、大量の削り屑が出る

Q: しかし今までとは違うことを始めるにあたって、職人さんを説得するのは大変だったのでは?

A: 職人の最初の反応は、「面倒くさい」(笑)。今まで通りなら簡単ですから、当然といえば当然です。職人にとって新しいものができて楽しいとかうれしいという感覚は、商品としてお客さんの元に届いて、そのフィードバックが返ってきてから生まれるのだと思います。それは少し先になるでしょう。一方で、新しいデザインを採り入れたとしても、加茂の桐箪笥の本質として残すべきところはきちんと残していくつもりです。その最も重要な本質とは、「隙間のない仕事」。桐箪笥の引き出しは隙間がゼロで、とても気密性が高い。ですから、上の引き出しを押し込むと、中の空気が押されて下の引き出しがひょっと飛び出してきます。

Q: 確かに隙間がまったくありません。どのようにして隙間をなくすのですか?

A: 最初に大きなサイズの引き出しを作ってから、本体の引き出し開口部分の大きさに合わせて鉋で徐々に削って調整していきます。手間も時間もかかりますが、その代わり本当に隙間がゼロになる。以前、ドイツの展示会で現地のマイスターが桐箪笥を見に来た時に、「信じられない。我々にとっては非常識だ」と驚かれたことがありました。洋家具の場合は、最初から棚より小さいサイズの引き出しを作り、底板も上げ底にしてわざと隙間を作りますが、桐箪笥は正反対のことをやるわけです。にもかかわらず、彼らが作る引き出しより調子がよいので、「我々にはない技術力」だと言われました。これが桐箪笥の本質なのだと思います。

板の木目をきれいにそろえる。職人が最もこだわるところだ

引き出しは本体の開口部よりも大きなサイズを作ってから鉋で削っていく。これにより、隙間のない究極の気密性が生まれる

Q: ほぞ組(※注2)や、本体の木目も大変美しいですね。

A: ほぞ組というのは、中の構造や材料をそのまま見せる作りのことですから、よい材料を使って熟練の職人が手がけないといけません。今の洋家具の多くはパーティクルボード(おがくずを接着剤で固めたもの)を使っているため、表面に化粧板を張り、ほぞ組を外に見せることはしない。我々にとってほぞ組を見せるということは、プライドというよりは、昔から当たり前のように守り続けてきたことにすぎません。また、木目の美しさはパーツ作りの段階が重要となります。何枚かの板を使って木目をきれいに合わせて、まるで一枚の幅の広い板に見せるように接着するのです。この作業を板組(いたくみ)と呼びますが、これも熟練の職人が木と対話しながら進めます。

Q: 職人さんの高度な技術によって生まれ、またそれが何代も使い続けられていくことを考えると、「桐箪笥は高くて手が届かない」と簡単には言えないような気がしてきました。むしろ安い家具だからといって使い捨てにする現代感覚の方がおかしいのかもしれません。

A: 我々は、引き出しの隙間を作らないことや、同じ材料を使っていかに美しく見せるかという伝統技法を愚直に守ってきました。言い換えれば、そこに守るべき、伝えるべき価値があるからこそ、200年の時を超えて桐箪笥は残ったと思うのです。一方で、「昔ながらのまま、何ひとつ変えません」と変化を拒むことではない。守るべき本質的な価値を残して、その時代の生活や感性に合わせて変化していくことも必要です。現代人がフローリングやクローゼットのある空間に暮らしているならば、それに合う新しい形を追求する。伝統の本質を理解していないと、残すべき部分が分からなくなり、「加茂の箪笥」ではなくなってしまいます。そのバランスが大切なのだと思います。

※注1:
「JAPANブランド育成支援事業」地域の小規模事業者をはじめとする中小企業が、地域の伝統的な技術や素材などを活かして世界に通用するブランドの確立に取組むプロジェクトを支援。「KAMO traditional WOOD Japan」プロジェクトは、加茂の桐箪笥や建具メーカーなど7社が集まり、岩倉榮利氏によるデザインのプロダクトを制作して「KAMO」ブランドとして展開している。
※注2:
釘を使わずに複数の板材を接合する組み立て方法

小倉タンス店 
新潟県加茂市新栄町7-22

小倉健一、小倉タンス店九代目店主



同プロジェクトの各地参加者の生の声

太田明さん、加茂商工会議所副会頭


220年という歴史を持つ桐箪笥は、長く続いてきた畳文化の中で様式がほぼ固まっています。ところが日本人の生活スタイルが和から洋に変わり、「新築住居に畳の部屋がない」「桐箪笥を置くスペースがない」「そもそも和服を着ない」といったことが理由で、桐箪笥を置く機会がどんどん減っている。現在、加茂には約40社の桐箪笥メーカーがありますが、明らかに規模は縮小しています。職人は高齢化し、このままいくと技術をもった職人が途絶えてしまうでしょう。 そこでJAPANブランド事業では、フローリングや絨毯のスペースにも置ける桐箪笥を作ろうと、デザイナーの岩倉榮利さんにお願いして新しくデザインしてもらいました。洋室に合わせて脚をつけるなど、マンションにおいてもおかしくないものになりました。ただし、技術や素材は伝統手法を守り、塗装も昔ながらに砥の粉を使っています。 現在、JAPANブランド事業では、桐箪笥が4社、屏風が1社、建具が2社の合計7社が協力して「KAMO」という一つのブランドを推進しています。もちろんブランドが数年で簡単にできるはずがないということは、百も承知です。しかし皆で「ブランドとは一体何か」ということから考え、試行錯誤しながら進めてきて、ようやく考え方が一本にまとまりつつあります。最終的には法人化を目指したいと考えています。 私たちがJAPANブランド事業に取り組む目的は、商品が売れることも重要ですが、それ以上に従来の伝統的な家具を作っていた職人に新風を吹き込みたい。実際、4年間続けているうちに、産地全体として“洋物”にも挑戦してみようという動きがあちこちで生まれてきたのは喜ばしいことです。

Japan Brand

Japan Brand

Tokyo Art Beat・TABlogでは、「CasaBrutus(カーサブルータス)」とともに、JAPANブランドと恊働する公式メディアとして、各地のプロジェクトを紹介していきます。 日本各地の歴史や文化に育まれてきた素晴らしい素材や伝統的な技術を生かして、現代の生活や世界の市場で通用するブランドを確立しようとする取り組みです。中小企業庁、日本商工会議所、全国商工会連合会が中心に連携をとりながらも、地域の中小企業、職人、デザイナーなど数多くの専門家たちが同JAPANブランド(ジャパンブランド)プロジェクトに参加しています。