公開日:2009年3月20日

手の感触を頼りに彫る、薩摩の黒い切子:薩摩びーどろ工芸

2009年1月からはじまった連載第7弾。日本のクラフト&デザインについてのレポートをJapan Brandとのコラボレーションによってお届けします。

洗練されたカットの幾何学模様が織りなす切子の美。切子と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、江戸切子の方だろう。歴史上、切り子の端は江戸切子に発するということで落ち着いている。しかし実は、この切子文化、江戸からは遠く離れた薩摩の地でも触れることができる。しかもここ数年は、この薩摩切子がにわかに注目を集めている。その的となっているのが、黒の薩摩切子の存在だ。途絶えていた伝統工芸技術を復刻させたばかりか、不可能と言われていた黒色のガラス生地に、カット細工を施すことに成功したからだ。不可能に挑戦した工房の名は、薩摩びーどろ工芸と言う。同工房の切子師、弟子丸努に話を聞いた。

JAPAN BRANDのプロジェクトから生まれた黒切子。「完全受注生産、注文から3ヶ月待ち」という状況も商品はいつも売り切れる。

Q: まず、薩摩黒切子を生み出したこの工房のあらましについて教えてください。

A: 薩摩びーどろは、加藤征男という人物が1994年(平成6年)に設立した工房です。彼は、ガラスの吹き師で生粋の職人です。普通、切子の製作では、ガラスの生地をつくる吹き師と模様をカットして入れていく切子師がいますが、彼の場合は前者。出身は栃木ですが、職人としては東京で働いていた。腕利きとして名を馳せていて、稼ぎも随分あったみたいです。ところがあるとき、薩摩切子の復元に力を貸してほしいと依頼を受け、鹿児島にやってきました。それで、いろいろな紆余曲折があって、薩摩びーどろ工芸を立ち上げたわけです。

Q: 加藤さんは現在、薩摩びーどろ工芸の代表者ですよね?

A: はい。現在70歳の彼は15歳の頃から職人をやっている。大変な苦労をした人で、小さな街のガラス工房から大手のガラスメーカーにまで勤めてきた経験から、ガラスの生地づくりのことなら大概のことは知っている。彼の昔話を聞くと面白いですよ。

ガラスの生地をつくる吹き場。夏場は温度がかなり上がる。

薩摩切子の工房には、吹き師と切子師という2種類の職人が働く。

Q: 昔の職人の世界はきっと今よりも厳しい世界だったのでしょうね。

A: どうも、そうみたいですね。休みは、第一、第三日曜日だけ。吹き場の温度はいつも50度。夏でも扇風機は一台しかない。先輩の職人さんたちには、口ごたえしたら殴られる。彼らの作業着を、亀の子たわしと石鹸で洗濯させられる。その癖、技術については、誰も何も教えてくれない。彼らからすると、ライバルに技を覚えられて、給料を多く取られてしまうと困るわけですね。

Q: 今という時代からは想像もつかないくらいの過酷さですね。でも、そんな状況でどうやって腕利きの職人になることができたのですか?

A: 職人の世界では、「技は、目で盗んで覚えろ」とよく言いますよね。彼は実際に、それをやってきた人なわけです。「どうやったら上にあがれるか」をいろいろ考えた。それで、それには、まず吹き場の窯を使えるようにならなければいけないと、窯焚きをしていた人をうまく丸め込むことにしたわけです。それで、重たい石炭を1階から2階にあげる作業の手伝いをしたんですね。そしたら、案の定、親しくなって、「いつも悪いね」と使わせてくれたそうです(笑)。それで、窯を使わせてもらって、目で盗んだ技を自分の体に覚えさせていったそうなんです。

手前の生地が切子師によってカットを施されていくことで、徐々に鮮やかな模様が浮き上がる。

高度な技術が要求された復元品、「ちろり」。両側面に色ガラスが融着されている。

Q: それでは、こちらの工房には、今もそんな厳しい文化が残っていたりするのでしょうか?

A: いや、それは、加藤の方で「良くない」と考えたみたいで、残っていません。教えるときも優しく教える。「頭ごなしに怒鳴りつけると、萎縮してしまって技の習得どころではなくなる」という考えがあるようです。それでも、彼も怒ることはあるんですけど、朝は絶対に怒らない。「朝、怒って、その日一日、嫌な想いを胸に働かれては困る」と考えているようですね。今は、職人が技を習得したいと思えば、工房も自由に使えるわけですから、
技を学びたいと思えば、いくらでも学べる。

Q: 弟子丸さんは、いつからこの世界に飛び込まれたのでしょうか?

A: 切子師になったのは、18歳のときからですね。だから、この仕事をしはじめてからはもうすぐ24年目に入ります。

真剣な眼差しを向ける切子師、弟子丸氏。回転しているのはダイアモンドホイール。

黒い色のガラスに模様を削っていく。最初は真っ黒のため、感触としては「暗闇で彫っているのと同じ」という。

Q: どうしてまた薩摩切子という、珍しい伝統品の職人になることにしたのでしょうか?

A: 元々、モノをつくるのは昔から好きだったんですよ。それに、普通の営業職とか事務職とかには、自分は向いていないな、なりたくないなって思ってたんです。そんな中で高校の先生が、こういうのがあるよって教えてくれて、「じゃあ」ということで、工場の方に連れていってもらった。それが、最初のきっかけで、「おおっ、こんなものがあるのか!」って、「俺はこの土地で生まれ育ったけど知らない世界だな」って。それで興味を持ちはじめたんです。だから、連れていかれた場所が陶器の工房だったら、今頃、陶芸家になっていたかもしれませんよ(笑)。

Q: 途絶えた伝統を復元させて、そこから技術を確立していくのは難しかったのではないですか?

A: 薩摩切子の技術の復活取得という点に関しては、尚古集成館に現存する薩摩切子の写真集を見ながら取り組みました。大まかなやり方に関しては、江戸切子の職人を招いて教わりました。それで、薩摩切子の技術の復活という点に関しては、尚古集成館に現存する薩摩切子の写真集を見ながら取り組みました。二次元のものを三次元のものとしてイメージしながら手を動かしていく。それと、他産地のつくり方というものもを参考にしながらつくりました。最初は手探りで無我夢中でやっていたんです。そしたら、段々とコツが掴めてきた。こうなるとこうなるとか、そういうことが分かるようになっていったわけですね。

「当たり」をつける職人さん。

最初の状態では、黒色ガラスがいかに真っ黒いかがわかる。

Q: 工程がどんな具合か、簡単に説明してください。

A: まず、ガラスの生地の表面に線を引きます。「当たり」と呼ばれる作業で、模様を彫るための目安になるわけです。その後が「荒削り」です。水を流しながら工業用ダイヤモンドが埋め込まれた円盤にガラスを押し当てて、彫り込んでいく。こうすることで、表面が磨りガラス状になるんです。その次がカットの仕上げとなる工程で「石掛け」です。ガラスの荒い状態から細かい模様を彫ったり、面のざらつきを滑らかに整えたりします。そして、最後の仕上げとなるのが「磨き」です。ただ、これもいろいろな種類の道具を使ってカットしたラインを一本一本磨いてつやを出していきます。

Q: 薩摩切子の一番の特徴というのは、「ぼかし」だと聞いているのですが、これは一体どうやってできるものなんですか?

A: まず最初に薩摩切子とは、透明なガラスが厚い色の着いたガラスで覆われてできていることを知ってください。ここに斜めのゆるやかな角度でカットを入れます。すると、厚い色ガラスが斜めの角度の溝になります。つまり、溝が深くなって、透明なガラスに近い部分になると、どんどんと色のグラデーションで薄くなっていくということなんです。江戸切子なんかは反対に、鋭角で彫られている。だから、くっきりとした切れのある印象のカット模様となるわけです。つまり、入れるカットが緩やかだから「ぼかし」の表現となるわけです。

削りの作業は、内側から当たりを見て彫り進めていく。

まだガラスの生地が透明ではない状態。この状態から木、ゴム盤、毛ブラシ、パフなどで磨く工程を繰り返しいていくことで、透明感と艶のあるクリスタルガラスが出来上がる。

Q: JAPANブランドのプロジェクトにおいては、一際目立つ「薩摩黒切子」という製品を開発され、かなりの人気を博しているようですね。

A: 今、この製品を手に入れようと思ったら最低3ヶ月は待ってもらわないといけません。製品ひとつひとつが職人の手作業でつくられていくので、どうしても注文に追いつかないんです。

Q: 一番人気のロックグラスでも価格が7万円以上もする商品なのに、注文が後をたたないというのは、凄いことですね。こんなご時世だというのに…。

A: ウチでは主に富裕層の方々が主なお客さんなのですが、普通のサラリーマンの方でもお金を貯めて買いに来たりもするくらいなんです。また、営業サイドの話では、全国の催事場などで、私が顔を出してデモンストレーションをすると、いつもより売れたりもするようですね。

まだ、磨かれていない状態の黒切子のタンブラー。

磨かれた後、透明感が出る。

Q: 確かに、黒切子は、素人目で見てもそのクオリティの高さが伝わってくるような気がします。ところで、これはどんな発想から生まれた製品なのですか?

A: もともとはウチの営業が、「鹿児島は、黒酢、黒糖、黒豚、黒塩、黒牛、黒麹、黒文化の土地なのだから、鹿児島らしい薩摩らしい切子といったら、黒切子なんじゃないかって」と言い出したわけです。でも、実際、そんな簡単なものじゃないんです。黒い色ガラスを削るというのは、裏側が何も見えないわけですから、暗闇の中で手の感覚だけで切るのと同じことですからね。「そんなのできるわけない」、それが私ら職人の当たり前の意見でした。でも、「なんだ、できないのか」なんて、営業にあっさり言われると、ちょっと悔しいですから(笑)。いろいろ試してみたわけですね。

Q: なるほど。切子師の一般論としての不可能に挑戦したということですね。

A: これは手の感覚だけでカットを施していくわけですから、危険も伴います。それでも、いろいろ試行錯誤でやっているうちに、「あれ、意外とできるもんだな」ということで、出来上がってしまった(笑)。 だから、技術的な知識の少ない人間の言うことに耳を貸すということも大事なんですよ。

後輩たちの育成も考慮しながら工場を取り仕切る弟子丸工場長

切子師たちのエリアには、多くの女性スタッフも活躍する。

Q: その商品が大人気の商品として、メディアでも市場でも受け入れられているわけですよね。そういう状況が起こったことに関しては、どんな風に受けとめておられるのでしょう?

A: 他の人が真似できない技術があるというのは凄い価値のあることなんだなぁと改めて感じています。ただ、一日一個とか二個つくるのが精一杯な商品なので、ビジネスをベースに考えると辛いですね。今、この作業ができるのは、私だけなので、今後は、後輩たちにも教えていかないといけない。でも、その技術指導には時間もかかる。年数でいったら、最低10年位はかかりますからね。そのあたりが工場長としては悩みどころです。

Q: なるほど。それでは最後に、弟子丸さんの今後の夢をお聞かせください。

A: ひとことで言えば、世界進出でしょうか。もう既に海外、特にヨーロッパでは、ある程度の手応えは感じているんです。技術的、質的には、どこのメーカーにも負けないという自負はあります。だから、「ガラスと言えば、バカラ」ではなくて、「ガラスと言えば、薩摩びーどろ切子」と言われるくらいに知られるようになったらいいなと思っています。ただ、私ら職人にできることは、淡々と技術を磨いていくことです。今は、日々の商品の生産の他にも、薩摩切子の写真集に載っているすべて、薩摩切子の全アイテムを形にするという作業をやっています。計百数十のアイテムがあって、現状では半分から3分の2位は形にできている。今はこれらの全制覇を目指しているんです。

薩摩びーどろ工芸 鹿児島県薩摩郡さつま町永野5665番地5

弟子丸 努。1967年、鹿児島県生まれ。薩摩切子・切子師、薩摩びーどろ工芸・工場長。

A Word from a Regional Project Participant

尾ノ上智宣さん。鹿児島県商工会連合会支援部事業支援課

薩摩の産品であり逸品として挙げられるのは、「薩摩切子」と「薩摩が誇る美と技のコラボレーション」というプロジェクト名で2005年度(平成17年度)から取り組んできました。同事業で特に力を注いだのは、国内外の市場での展示商談会と広報事業活動でした。海外では、フランス、オーストリア、ドイツで展示商談会を行ってきました。二品とも、完成に至るまでには熟練した職人の技術が必要になります。また、すべて手作業のために、量産をすること自体が難しいわけです。それをより日常生活の中に取り込んでもらうには、知ってもらうこと、市場性を高めることが大切だと考えたわけです。このプロジェクトで取り組んだのは、「黒から生まれる色彩とぬくもりのモノづくり」というテーマに沿ったものでした。薩摩切子の場合は、薩摩びーどろ工芸が「黒色切子」の製品化に成功し、市場でも受け入れられているということもあり、鹿児島の地域メーカーにはかなり良い影響を及ぼす好事例になったのではないかと考えています。これに対して、大島紬の方は、都市に通じた流通経路ではなく、小売業者の販売流通経路による新商品開発というものにチャレンジしました。ブランド名はSOF。大島紬のマフラー、スカーフ、セーター、バッグなどの小物雑貨の新しいアイテムです。大島紬に関しては、奄美大島という離島にあることもあり、取りまとめる難しさがあります。しかし今後も時間をかけて、各メーカーと良いリレーションを取りながら地域の活性化を目指していければと考えています。

Japan Brand

Japan Brand

Tokyo Art Beat・TABlogでは、「CasaBrutus(カーサブルータス)」とともに、JAPANブランドと恊働する公式メディアとして、各地のプロジェクトを紹介していきます。 日本各地の歴史や文化に育まれてきた素晴らしい素材や伝統的な技術を生かして、現代の生活や世界の市場で通用するブランドを確立しようとする取り組みです。中小企業庁、日本商工会議所、全国商工会連合会が中心に連携をとりながらも、地域の中小企業、職人、デザイナーなど数多くの専門家たちが同JAPANブランド(ジャパンブランド)プロジェクトに参加しています。