
永田康祐 撮影:中島良平
映像、写真、パフォーマンス、インスタレーションと、手法を横断しながら制作を続けるアーティスト、永田康祐。1990年愛知県生まれ、神奈川県を拠点に活動し、自己と他者、自然と文化、身体と環境といった近代的な思考を支える二項対立、またそこに潜む曖昧さに関心を寄せてきた。「食べること」や「翻訳」「発酵」といった身近な営みを起点に、人間と世界がどう関わり合っているのかを問い続け、近年は食文化におけるナショナル・アイデンティティの形成や、食事作法における身体技法や権力関係、食料生産における動植物の生の管理といった問題を、ヴィデオエッセイやコース料理形式のパフォーマンスとして発表している。主な展覧会に「総合開館30周年記念 恵比寿映像祭2025『Docs ―これはイメージです―』」(東京都写真美術館、2025)、「野良になる」(十和田市現代美術館、2024)、「見るは触れる 日本の新進作家 vol.19」(東京都写真美術館、2022)、「あいちトリエンナーレ2019:情の時代」(愛知県美術館、2019)などがある。
2019年の「あいちトリエンナーレ」への参加をきっかけに、アートの文脈で映像作品を発表してきた永田だが、その代表作6点を一挙に上映する特集上映「Fire in Water 永田康祐映像作品集」が、8月22日よりポレポレ東中野を皮切りに、各地の映画館で展開される。美術館や芸術祭という場を離れ、映画館というあらたな環境で自身の作品がどう受け止められるのか。特集上映のスタートを直前に控えた永田に、これまでの制作の歩みを聞いた。【Tokyo Art Beat】
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──《Translation Zone》(2019)と《Purée》(2020)という最初の2作品を拝見したときに、論文調のテキストを淡々と読み上げる声に、映像が寄り添うように展開していく印象を持ったのですが、そのスタイルに至った経緯からお聞かせください。
美術大学で建築を学び、そのあとは工学系の研究室で働いていたのですが、専門性の枠にとらわれることが少ししんどくなっていったんですね。その頃から、構造設計や建て方などで彫刻系のアーティストのサポートをすることがあって、専門家として研究するのとは異なるアプローチで、関心のある対象を自由に選んで扱うアーティストの活動に興味を持つようになりました。出身は芸術系の大学ですけど、いわゆるファインアートの専門教育を受けたことはなくて、手探りで彫刻や写真を制作するようになり、初めて映像作品として作ったのが《Translation Zone》でした。

元々、ご飯を作るのも食べるのも好きで、食べ物に関して面白いと感じたことをメモしていました。「あいちトリエンナーレ」の参加オファーがあったときに、たまったメモをもとになんかできないかなとまとめていたら、長めのエッセイができてしまったんです。結局どう作品にできるかの出口が見つけられず、苦し紛れにエッセイを読み上げ、その内容に映像をつけて作品に仕上げました。当時は、ヴィデオエッセイやエッセイフィルムという言葉も知らなかったのですが、その制作スタイルがしっくり来たんです。自分の考えと、作品としての出力のあいだの摩擦が少なくていいなと。
──「あいちトリエンナーレ」に取材で訪れ、あまり時間がなくて《Translation Zone》をきちんと拝見できなかったのですが、淡々と研究発表のように話すナレーションと料理のシーンが結びついた作品として記憶に残りました。
「あいちトリエンナーレのような芸術祭は作品がたくさんあるので、ある程度の長さのある映像作品なんて素通りされてしまうだろうと思っていたら、意外と人溜まりができていたんですね。もちろん集中して見てくれている人たちもたくさんいたと思うのですが、多分、ただぼーっとチャーハンを作っている画を見ているみたいな状態の人もいたと思います。僕もYouTubeとかダラダラ流し見をしてしまいますが、人が何かをしている映像は集中せずとも見れてしまうような気がします。そこで何が起こっているのかは追っていつつも、頭のなかでは、よそごとを考えていたりする。《Translation Zone》は単位時間あたりの情報量が多い作品ですが、その情報を受け取りながらも、自分もこういう経験があるとか、映像ではこう言っているけど自分はこう思うとか、内的な対話が発生するような余白がある。料理をしている映像というのは、そういう意味でちょうどいいものなのかなと感じています。