公開日:2016年9月15日

地主麻衣子「新しい愛の体験」インタビュー

公開撮影によって新たな愛が生まれる瞬間をとらえる

映像を主なメディアとして扱いながら、文学やパフォーマンス、ドローイングと組み合わせ、映像表現のもつ可能性を模索してきた地主麻衣子(b.1984)。東京・初台のHAGIWARA PROJECTSにて開催中の個展「新しい愛の体験」では、今年2月にタイのチェンマイにて制作された新作映像を中心に発表。不安定な政治状況下におかれるタイで、あえて普遍的な “愛” をテーマにすえた地主に、今回の作品の動機や、自身の制作についての話を伺った。

“愛的な体験を浮かび上がらせる実験”としての公開撮影

本展のメインとなった映像作品は、タイ・チェンマイで出会った女性マンカイことピッチャヤー・ガムチャルンと、撮影者である地主との対話からなる。チェンマイに約一ヶ月間滞在し、撮影チームを組んで屋外で公開撮影した作品だ。
映像内のステージを再現した正方形の白いタイルやその上に吊るされた半透明のリボン、かごや柄杓といった小物が置かれ、スペース奥にその映像からのカットを抜粋した写真3点によって展覧会が構成されている。

《A New Experience of Love》
《A New Experience of Love》
Installation view, Photo by Kyo Yoshida

タイへのレジデンスは、東京・吉祥寺のArt Center Ongoingと、チェンマイのChiang Mai Art Conversation(CAC)というアーティスト・コレクティブが共同で展覧会をすることになったことがきっかけ。現地で制作し、チェンマイ大学アートセンターにて他の6人のアーティストたちとともにグループ展を行った際に発表したものを、日本で凱旋展示した格好だ。

「2014年に横浜のblanClassで《馬が近づいてくる音》という作品を、半分はパフォーマンス、もう半分は公開の映像撮影として行いました。このときに公開撮影を行ったことが自分の中で大きな転機となったので、またやりたいなと思っていました」と話す。レジデンス先のタイにて、自身二度目の公開撮影を敢行した。

今作では、マンカイという一人の女性に焦点を当てている。「マンカイはお世話をしてくれる人でもあったので、滞在中彼女とよく話をしました。ちょっと変わったところもあるけれど、面白い考え方をする人。この撮影をするにあたって誰か一人を選ぶなら、彼女と話がしたいと思いました」。実はマンカイ自身もアーティストであり、動物の死骸から作った剥製をもとにした作品を制作しているという。独特の死生観を持ちつつも、彼女にだけは凶暴な野犬たちも懐くといった愛情深い面も持ち合わせているマンカイは、42分の新作映像《新しい愛の体験》のなかで、地主の質問に答えるかたちで “完全な愛” について語っている。

《A New Experience of Love》
《A New Experience of Love》
2016, HD video, 42min. Courtesy of HAGIWARA PROJECTS

「”完全” に重きがある訳ではなくて、例えばひとりでいる時に愛を感じるか、人ではないものに愛を感じるかといった、数ある愛の中の一つという位置づけです。一般的な愛を体験する方法ではない状態で、そこに “愛的な体験が生まれるか” ということを考えるための撮影でした。話す内容も愛についてなのですが、それよりももうひとつ広い枠組みで捉えています。愛についての対話を3人のカメラで撮る、そこにお花と水を遣る人がいる、そういった行為自体が、愛を感じる何かしらの行為になりえるか、という作品でした」。

映像には、計3台のカメラが別角度からの視点でマンカイを捉えているため、正面からスタンドカメラを構える地主のほか、手持ちの機材で撮影する2人のカメラマンや、花をまき水を遣る女性、道行く人々や草木や芝生といった周辺環境が多く映り込む。

「それが私にとってとても大事なことでした。質問をする私とそれに答えるマンカイの間だけの関係性ではなく、あの場全体が私たちにとって何かしらの愛を感じる場になるか、という実験でもありました。例えばタイルの上に女性が撒いているラントム(プルメリアのタイの呼称)というお花はすごく綺麗だけど、タイでは苦しみや悲しさといった意味があります。花を撒いている女性はタイ人だから、もちろん花の意味を知っています。パフォーマンス中、マンカイの受け答えの内容や表情、身振りから雰囲気を読み取ってもらい、彼女が心からマンカイにそのお花をあげたいと思った時にだけ撒いてもらうよう指示しました。水もそうで、例えば水にはお清めの意味があり、冷たくひんやりとして気持ちがいいものです。しかし、水自体のビチョビチョとした感触や、土と混じり合うとジャリジャリするというように、不快なものにもなり得ます。また、タオルで水を拭くという行為も、花や水を遣る行為と同じように、本当にそれをしたいと思った時にだけしてもらいました。そう思わない時にはしなくてもいいよ、とも」。

「彼女はマンカイと直接は話さなかったけれど、明らかにそこにはコミュニケーションが生まれています。マンカイの身体感覚をダイレクトに変え、それによってマンカイの受け答えする内容も変化していくはずです。さらに私とパーソナルな話をしている最中、ほかのカメラマンに裸足の足元のアップを撮られる場合もあります。それは結構なプレッシャーになるはずで、やはりそこにはある種のコミュニケーションが生じます。そしてそれは多分、通常のコミュニケーションでも同じはずです。言葉を介さずとも人が人に何がしかの影響を及ぼす、そういった行いに興味がありました」。

地主は花や水それ自体がもつ両義の意味を抱えつつも、それを乗り越えた先における地点でこそ必要になってくる相手への思い遣りを行為に置き換え、目に見えるかたちで象徴的に映し出していた。

《A New Experience of Love》
《A New Experience of Love》
2016, HD video, 42min. Courtesy of HAGIWARA PROJECTS

スペインの小説家ロベルト・ボラーニョと、自身の制作との関係について

質問を “愛” にしぼった理由について「それは個人的な動機からきていて、2011年の震災から人が何を考えているのか、また、当たり前のものとして捉えていたコミュニティが分からなくなってしまいました。この展示の直前にトーキョーワンダーサイト本郷で発表した《遠いデュエット》という作品は、そういったものから生まれました。ただ深く潜り過ぎたことでダメージを負ったので、人間の良い部分を考えたかった。自分の中から生まれた動機でした」と述べている。

前作《遠いデュエット》は、スペイン・マドリードでのレジデンス先で撮影した映像作品。地主が敬愛する小説家、ロベルト・ボラーニョを主軸においたストーリーだ。

「ボラーニョの小説は私にとってのインスピレーションになっています。ボラーニョの文章は、 “私” つまり “I” という一人称からよく始まります。ボラーニョ自身はチリ人ですが、スペイン人がスペインの田舎を風刺している物語を一人称で書いています。例えるならフィリピンの人が、日本の長野の山奥の人たちを批評的に書いているような感じです。よくよく考えると、それは結構特殊なこと。それ以外にも、黒人の公民系運動に関わっていた年寄りだったり、アメリカ人のポルノ女優を主人公に設定するなど、人種、性別や境遇がボラーニョ自身と全く違う人物を “私” という文体で書いているところが面白いと思っています。そうやって色々なモノローグが重なって、ひとつの大きいものを書く。これはすごく21世紀的な物語だと思いました。私は物語に興味があります。ボラーニョは既に亡くなってしまって、おそらく彼の書きたかったことも途中で終わっています。それを引き継ぐと言ったらおこがましいですが、私なりの方法で、彼がしたかったであろうことを表現しようと思いました」。

今作《新しい愛の体験》では、タイ人のマンカイが一人称で、人類にとって普遍的なテーマである愛を語っている。その内容は、私たち日本人にとっても共感できる部分が端々に見つかる。「私が日本人とか、マンカイがタイ人であるということは自明のものとしてありますが、そこよりもっと深いレイヤーで考えたかった」。ボラーニョの小説のように、他人と自分との違いを比較しつつも共通する意識を立ち上らせることが、この映像内で起こっている。

《A New Experience of Love》
《A New Experience of Love》
Installation view, Photo by Kyo Yoshida

海外での制作が続き、より社会的な意味を含む作品へ

映像作品の最後は、大きな飛行機が通過する音で印象的に締めくくられている。「タイは軍事政権下で、軍の力をアピールするために軍用機が街を驚くほど低空飛行することがあります。また、チェンマイには民間の飛行場が街中にあります。撮影に集中していたので、あの時の飛行機が民間のものだったか、軍のものだったかは分かりませんが『最後の質問です』と言った瞬間にたまたま上空を通り過ぎていきました。そしてマンカイが、 “愛” とは『動きたくないとき』だと答えました。飛行機の音は偶然でしたが、出来た、と思えた記憶があります」。

タイでは2014年5月に起きたクーデター以後、政治的な発言や表現が規制されている。それはもちろん、アーティストの活動も例外ではない。「タイの状況は知っていました。今回は他のレジデンスのように行き先を自分で選ぶのではなく、行くか行かないかだけでした。そして、行くことにしました」。

前作《遠いデュエット》の中でも、スペインの女性が語る “メタファーとしての穴” に対する身の振り方に、その土地に根付くものの考え方や社会状況といった背景が作品内で浮き彫りになっていた。異国の地である海外で制作することによって、個人としてのものの考え方の一致とは対照的に、社会的な不一致がより明確に表れることとなった。

今後も海外で制作する予定があるという。「ポーラ美術振興財団の在外研修助成が通り、来年の2月からニューヨークへ渡ります。最初の3ヶ月間はレジデンスをしてその後制作をするため、計1年間滞在する予定です」。レジデンスの内容は、ニューヨークの即興詩と実験映画についてのリサーチという名目だ。「映画的な何かを作れたらいいなと思っています。どうなるかは分からないけれど楽しみです」。

Maiko JINUSHI
Maiko JINUSHI
Photo by Kyo Yoshida

インタビューの最後に、地主にとっての “完全な愛” とは何かを質問した。「実のところ、愛は “不完全” だと思っていました。それにマンカイも “完全な愛” はないと言うのを予想していたので、彼女が “完全な愛” はある、と言ったときはとても意外でした。しかもその答えは、人との関係の中で生まれる愛。それってすごくいいなと思いました。『あると思う、そしてそれは終わらないと思う。変わるかもしれないけれど終わらない』とマンカイが言ったとき、彼女のことがすごく好きになりました」。

今回の作品は、パフォーマンス時の撮影チームの関係性のなかで愛は立ち上がるのかという実験でもあった。マンカイのその答えと公開撮影の趣旨は、奇しくもとても近いものだった。「プリーズ、イマジン」と映像内で地主がマンカイに向かって優しく放つ言葉のなかに、物語が持つ奇跡の序章をかいま見る。

■展覧会詳細

地主麻衣子「新しい愛の体験」
会期:2016年5月28日(土) 〜 6月25日(土)
会場:HAGIWARA PROJECTS
住所:東京都新宿区西新宿 3-18-2 サンビューハイツ新宿101
開廊時間:火〜土曜日 11:00〜19:00
http://www.hagiwaraprojects.com/

Kyo Yoshida

Kyo Yoshida

東京都生まれ。2016年より出版社やアートメディアでライター/編集として活動。