公開日:2024年2月21日

戦争中も文化は続く。ウクライナの作家ニキータ・カダンの軌跡【シリーズ】ウクライナ侵攻から2年、アーティストのいま(1)

ウクライナ侵攻後も国内外で活動を続けるニキータ・カダンを紹介。2024年7月から東京と新潟で個展も

ニキータ・カダン 地方の星 2022

2022年2月24日、ロシアはウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始した。それから2年。この戦争が終わる見通しは立たず、いまなお過酷な状況が続いている。

Tokyo Art Beatでは2022年の侵攻直後、ロシア東欧美術・文学研究者の鴻野わか菜にウクライナとロシア出身の4名のアーティストのインタビューを寄稿してもらったが、今回はこの2年を経て、新たにウクライナとロシアの作家の作品と現状に迫るテキストを全3回で掲載する。

今回は、2015年のヴェネチア・ビエンナーレに選抜されるなど国際的に活躍するウクライナのアーティスト、ニキータ・カダンについて。カダンは2022年以降もキーウなどを中心に制作や発表を続けており、今年7月からはアートフロントギャラリー(東京)および「大地の芸術祭」(新潟)が開催されるMonET(越後妻有里山現代美術館)で個展が予定されている。

ソ連の歴史や記憶、そしてウクライナ国内の暴力をめぐる作品を発表してきたカダン。この戦争の時代において、美術の力を信じる作家の言葉を受け取ってほしい。【Tokyo Art Beat】

*2022年の記事はこちら

ソ連という歴史と記憶

ニキータ・カダン(Nikita Kadan、1982〜)は、2007年に国立美術アカデミー(キーウ)を卒業。ペインティング、インスタレーションなど様々なジャンルで制作し、PinchukArtCentre賞(2011)、カジミール・マレーヴィチ賞(2016)などを受賞。ウクライナの現代アートを牽引してきた。

ニキータ・カダン Photo by Bert de Leenheer

カダンにとって、歴史と美術史は創作と思索の源泉である。カダンが8歳だった1991年、ソ連は崩壊しウクライナは独立するが、ソ連という歴史、記憶とどのように向き合うかは、作家にとって大きな課題であり続けた。

《台座 排除の実践》(2009〜11)は、白い石膏ボード製の台座とテクストで構成されているが、巨大な台座は展示会場の天井に接しているため、その上にモニュメントを置くことはできない。テクストは、ソ連崩壊後のウクライナにおける記念碑撤去の記録である。ソ連解体後、ウクライナだけでなく旧ソ連邦各国で、ソ連の政権やイデオロギーにまつわる記念碑が破壊され、現代アートにおいても記念碑撤去は重要なトピックとなった。

ニキータ・カダン 台座 排除の実践 2009-11

ウクライナの作家ジャンナ・カディロワ(→インタビュー)は、ベールをかけたままの記念碑である《記念碑から新しい記念碑へ》(2009)を制作し、観客は自分が見たいものをベールの中に想像することができると述べたが、カダンは台座の上に新しい偶像を置くこと自体を拒否している。本作は現在、ポンピドゥー・センターに所蔵されている。

いっぽう、《赤い山脈》(2019)は、20世紀のウクライナの彫刻家イワン・カワレリゼが各地に建てた著名なモニュメントの台座のみを復元した作品である。ロシアの革命家フョードル・セルゲーエフのみならずウクライナの国民詩人タラス・シェフチェンコの彫刻も除去し、英雄不在の台座を提示することで、記憶の抹消という問題について考察する。記念碑の除去は、カダンにとって精神の解放と記憶の喪失という相反する意味を持っている。

《巨人の小さな家》(2012)では、1970年代の建築現場の労働者用の住居コンテナと、同時代のソ連のネオモダニズム建築を引用した幾何学的なファサードが組み合わされる。内部には、社会主義体制下の労働者の生活を紹介する切り抜きが貼られている。本作は、ソ連崩壊後のウクライナの新しい資本主義社会における労働者の境遇の変化を表現しているというが、それと同時に、ソ連において労働者が国家的英雄として称揚されながらも実際には劣悪な環境での生活を強いられていた歴史も示している。本作の形状は、ソ連の理想と現実を対置したイリヤ&エミリア・カバコフの《赤い車輌》(2001)にも通じている。

ニキータ・カダン 巨人の小さな家 2012
ニキータ・カダン 巨人の小さな家 2012
ニキータ・カダン 巨人の小さな家 2012

《私的な太陽》(2013)では、ソ連時代に大量生産された太陽の光を思わせる放射状の線から成る窓格子を制作。窓を塞ぐ格子は、外部からの侵入を妨げるだけでなく、移動や外出の自由を制限するという意味で抑圧の象徴となるが、その格子がユートピア的世界を表す太陽の形をしているという矛盾に、社会の矛盾を重ねている。この窓格子は、貧しい日常とユートピアの相克の場である。

ニキータ・カダン 私的な太陽 2013

社会に蔓延する暴力も、カダンの創作の重要なモチーフである。

《処置室》(2009〜10)は、現代のウクライナで広く行われている警察による拷問を主題としている。同じ場面を皿とポスターで表し、ポスターはソ連時代の『医学事典』のスタイルを使用している。拷問を受ける人間は、痛みにかかわらず穏やかな表情をしているが、それは拷問を甘受し警察制度の欠点を黙認している社会の無関心の比喩であるという。

ニキータ・カダン 処置室 2009-10
ニキータ・カダン 処置室 2009-10

また、《ポグロム》(2016〜17)は、1941年にウクライナ西部の都市リヴィウで起きたユダヤ人虐殺の写真をもとに描かれた木炭画の連作であり、単純化された表現主義的な描写によって過去の虐殺を普遍化し、人類の歴史における暴力全体について問いかける。

ニキータ・カダン ポグロム 2016-17
ニキータ・カダン ポグロム 2016-17
《ポグロム》展示風景

戦争

2014年のロシアのクリミア侵攻以来、戦争はカダンの創作の中心的テーマであり続けている。《だれもが海のそばに住みたい》(2014)もクリミアを舞台とした作品である。クリミアには歴史的に様々な民族が暮らしてきたが、クリミア・タタール人は、1944年、スターリンにより対ドイツ協力の嫌疑をかけられ、約20万人が中央アジアやシベリアに強制移住を迫られ、その過程で7万人から9万人が死亡した。ソ連崩壊前後に故郷への帰還運動が活発化したが、帰還後も生活基盤の整備や政治参加の方法などの問題が残った。

ニキータ・カダン だれもが海のそばに住みたい 2014

本作では、クリミア半島の領有をめぐって争ってきた民族、国家の記憶と、作家の個人的な思い出を、「ソ連的楽園」を彷彿とさせるモダニズム建築によって表現する。クリミア・タタールの新しい居住地の家屋の写真にモダニズム建築を重ねることで、現実と理想の乖離を描き出す。

ニキータ・カダン だれもが海のそばに住みたい 2014
《だれもが海のそばに住みたい》展示風景

《植物の保護》(2014)では、カダンは戦争によって損傷を負ったウクライナ東部の建物を撮影し、その写真の上にソ連の古い本から切り抜いた植物のイラストを重ねている。2つの相容れないイメージを配置し、過去と現在、そして破壊の後の再生について思索する。戦場における植物がカダンの作品において希望や再生の象徴であることは、2015年のヴェネチア・ビエンナーレに出展した《冒瀆の困難》において、作家がウクライナの戦地で集めた瓦礫の中に植物を植えていることからも伺える。

ニキータ・カダン 植物の保護 2014

また、武力紛争で破壊されたドネツク郷土博物館を題材とする《シェルター》(2015)でも、防空壕を思わせる下部の空間にセロリが植えられている。なお、上部では博物館の展示が再構築され、積み上げられたタイヤのバリケードが戦地の緊張を伝えている。

ニキータ・カダン シェルター 2015

戦争では、人命、建物のみならず、多くの歴史遺産やアーカイブが失われていく。《アーカイブに関する考察》(2015)は、社会的混乱と緊縮財政の中でアーカイブが手の届かない贅沢品となるとき、人類の体験や物語が破壊されて崩れ落ちる状況を表現したという。

ニキータ・カダン アーカイブに関する考察 2015
ニキータ・カダン アーカイブに関する考察 2015

カダンは歴史を参照することの重要性をつねに意識している作家であるが、《修正主義シンドローム》(2021)は、歴史への新たな接し方を提案するプロジェクトである。本作でカダンは、戦間期からソ連時代にかけてスタニスラヴィウ(現イワノ=フランキウシク)とリヴィウに住んでいたN.という架空のアーティストを作り出し、彼になりかわって作品や書簡を制作した。N.は若い頃に見たモダニズムの作品を記憶に基づいて再構成する絵画を描いていたが、精神を病み、歴史上の出来事について自分が語ったことが過去の歴史に影響を与え、現在をも変化させると思い込む。だがカダンは、本作に寄せたテクストの中で「私たちは常に過去、歴史、博物館を作り変えている」と書いている。たしかに、歴史をどうとらえ直すか、そしてそれによって現在の自分をどう規定するかは、人間の普遍的な課題であるはずだ。

2022年、ウクライナ侵攻後の活動

2022年2月24日にウクライナ侵攻が始まると、カダンは故郷キーウで、市民の避難所となった地下のギャラリー「ヴォローシン」で展示をしながら最初の1ヶ月を過ごした。爆撃が続くさなかも、カダンはこのギャラリーで、ウクライナのモダニズム美術、1970年代の非公認芸術などの展覧会を次々に開催した。「これらの展覧会は、人生における平和なもの、実際に受け入れることのできるものとしての文化を保持する方法です」と、カダンは2022年4月、筆者に語った。同年3月9日、カダンはタラス・シェフチェンコ国家賞の視覚芸術部門賞を受賞したが、戦時の授賞についてカダンは「人生が完全にサバイバルだけを目的とするものに変貌したわけではないことを示すサイン」だと述べている。

侵攻開始後に初めて制作した作品は、ウクライナの大地を描いた《大地の影》(2022〜)だった。豊穣だったウクライナの大地に死傷者を思わせる人影が横たわっているが、大地は力強くうねり、そこに内在する力の強さが可視化されている。

ニキータ・カダン 大地の影 2022

それから2年、カダンは、ウクライナ西部のイワノ=フランキウシクで始まった避難民のアーティスト達のためのレジデンスや、リヴィウ、キーウを転々としながら制作を続けている。徴兵対象年齢にあたるため自由に出国することはできないが、その都度許可を得て海外でも展示を続けている。《モバイル・サークル》(2022)では、ルーマニアのイアシュイの広場に対戦車障害物を設置。本作はウクライナの戦況の拡大に応じて直径が変化する。展覧会終了後、カダンは「必要となるかもしれないので」という理由で対戦車障害物をイアシュイ市に寄付したが、その行為自体に、戦争はどこででも起きうるのだ、対岸の火事ではないのだということを人々に理解してほしいという思いを読み取ることができる。

ニキータ・カダン モバイル・サークル 2022

《シェルターII》(2022〜23)は2層構造の作品で、上部には本が詰められている。これは爆撃時に割れた窓ガラスから身を守るためにウクライナで人々が窓辺に本を積んでいる実際の情景に基づいている。下部は土で満たされ、空爆による生き埋めを示唆している。カダンは生々しい戦争の状況を、悲しみや追悼の念に満ちた静謐な作品に昇華させる。

ニキータ・カダン シェルターII 2022-23

《ホストメリの彫刻》(2022)は、ミサイルで破壊されたキーウ近郊の都市ホストメリの住宅の屋根の金属を用いた彫刻だ。展示場所であるケルン近郊の石と組み合わせることにより、ウクライナの戦争と西ヨーロッパの日常を対置させ、戦地と平和な地のつながりを表現した。

ニキータ・カダン ホストメリの彫刻 2022

カダンが敬愛するポーランドのユダヤ系作家ブルーノ・シュルツの生地ドロホビチ(現ウクライナ)の博物館で2022年に展示した《地方の星》でも、ホストメリの廃墟の鉄、ガラスが用いられている。それらをライトボックスの上にオブジェのように配置しつつ、シュルツの小説『春』から引用したテクストと対置し、現在の戦争と、1942年にゲシュタポに殺されたシュルツの死と生を結び、戦争と暴力の歴史を現出させる。

ニキータ・カダン 地方の星 2022
ニキータ・カダン 地方の星 2022

2023年には、サウンド・インスタレーション《Tryvoha セイレーンとマスト》を発表。Tryvohaはウクライナ語で「不安」を指す。Sirenは、ギリシャ神話の女神セイレーン(海中の岩上に坐して歌い、その歌に惹きつけられた船乗り達を破滅させた)と空襲警報のダブルミーニングである。一見すると心地よさそうな空間だが、中に入ると、オペラ歌手レナ・ビエルキナの歌が響き渡っており、その声は空襲警報を思わせる。

ニキータ・カダン Tryvoha セイレーンとマスト 2023

7月に東京と「大地の芸術祭」で個展

カダンは今年7月、アートフロントギャラリー(代官山)で、日本初の展示となる個展「ダンサーと爆発」を開催予定であり、エドガー・ドガの《ロシアの踊り子》(1899年頃)をテーマにしたドローイング等を展示する。カダンの両親は研究者で、家には多数の本があった。子供の頃、カダンが両親の蔵書でドガの《ロシアの踊り子》を初めて見た時はモノクロの図版だったので気づかなかったが、カラーで見ると、踊り子がウクライナの国旗の色(黄色と青)のリボンを持っていることや衣服の色から、ウクライナの踊り子を描いたものであることがすぐ分かったという。20世紀の西ヨーロッパではウクライナのバレエダンサーが活躍していたが、彼らはロシアのダンサーとして記述されることが多かった。ドガの作品のタイトルが持つ問題も美術関係者の間では長年認識されており、本作を所蔵するロンドンのナショナル・ギャラリーは、2022年4月、本作のタイトルを《ウクライナの踊り子》に変更した。カダンは本展で、ドガの作品を主題とする新作ドローイングと、彼が子供の頃に初めてこの絵を見た本を展示し、文化の受容のあり方について再考する。

ニキータ・カダン 別の場所から来た物 スケッチ 2023

7〜11月開催の「大地の芸術祭」(新潟県)でも、MonET(越後妻有里山現代美術館)で、個展「影・旗・衛星・通路」を行う。《ホストメリの彫刻》を妻有の石で制作し、《大地の影》の旧作と新作も展示する。また、同芸術祭で、津南の信濃川発電所暗渠水槽の廃墟部分に、手に入れることのできない幸福の象徴としての、誰も入ることができない児童公園《別の場所から来た物》を設置する。ソ連の公園にしばしば置かれていた宇宙船型の遊具等を制作するが、サイズは一般の遊具より大きく、銀色に光り、溶けかかっており、それが普通の公園ではないこと、ソ連的ユートピアに終焉が訪れたことが示される。

2023年10月、場所の視察のために来日したカダンとともに、神奈川県立近代美術館葉山館で開催された「100年前の未来:移動するモダニズム 1920-1930」を訪れた。同展では、日本と外国の文化往来にみる同時代性に焦点を当て、ダヴィト・ブルリューク、ヴィクトル・パリモフらの作品を展示していたが、カダンはウクライナ出身のブルリュークの日本での活動に以前から深い関心を持ち、いつか日本にレジデンスで滞在して当時の文化交流を題材に新作を作りたいと考えているからだ。展覧会の帰途、カダンにこんな質問をした。

「ウクライナ侵攻が始まったとき、ジャンナ・カディロワは、美術は無力だったと感じて2週間ほど創作ができなかったと語りました。ウクライナでもロシアでも日本でも、多くの作家や研究者が、美術や文学や学問がこの戦争を止めることができなかったことに絶望した時期があったと思います。あなたはどうでしたか」。

カダンは次のように答えた。「この戦争は人類最初の戦争ではありません。そして歴史を振り返れば、戦争中に美術がいかに大きな役割をはたしてきたかは明らかです」

戦時中のウクライナ市民の言葉を集めた著書『戦争語彙集』(ロバート・キャンベル訳、岩波書店)を出版したウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーが、2024年1月に国際交流基金の招聘で来日し、彼と話したとき、スリヴィンスキーは、「この戦争が始まったとき、私は自分が文学者として何をなすべきかを考えるために、第二次世界大戦中に私の敬愛する作家たちがどのような活動をしていたかを参照しました」と述べた。カダンもまた、戦争開始前から歴史を原点とする作品をしばしば創作してきたが、戦争という非常事態に置かれたときに、そしてまた現代社会の混乱の中で、私たちが歴史から学ぶことは、世界における自分の位置やあり方を見失わないために、そして俯瞰的な視点と未来への展望を得るために意味を持つのだということを、カダンの創作は語っている。


*ほかの回はこちら

ニキータ・カダン 公式サイト:http://nikitakadan.com

鴻野わか菜

鴻野わか菜

こうの・わかな ロシア東欧美術・文学・文化研究。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。イリヤ&エミリア・カバコフの「カバコフの夢」(越後妻有)キュレーター。編著書に『カバコフの夢』(現代企画室、2021)。