坂本龍一《鏡:KAGAMI》(台北公演)レポート。MR(複合現実)がもたらすパーソナルかつ集合的な追悼の気持ち

ニューヨークでの初演を経てロンドンやマンチェスター公演も成功。世界で4ヶ所目、アジアでは初演となった台北の公演をレポート

坂本龍一《鏡:KAGAMI》(台北公演)風景 撮影:編集部

一周忌の2024年3月 台湾で溢れる坂本への哀悼

坂本龍一が71歳で惜しまれながら他界して、早くも1年が経つ。この3月、台湾では3つのイベントが相次いで行われた。3月8日から10日にかけては、台中の國家歌劇院にて、高谷史郎との共同制作によるシアターピース『TIME』が上演された。3月15日からは、各地の劇場にて、最初で最後のコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』が公開中であり、そして3月16日から23日まで、台北の國家戲劇院にて行われたのが、MR(mixed reality:複合現実)による公演《鏡:KAGAMI》だ

Ryuichi Sakamoto by Luigi & Iango

活動初期から、音楽の可能性を追い求めるなかで、つねに新しいテクノロジーに向き合い続けてきた坂本が、死を意識して、自らの演奏のアーカイヴを残したいと考えていたことと、アメリカでTin Drumというフルディメンショナル映像を発案したプロダクションを主宰するトッド・エッカートが、長らく交友関係にあった坂本のMR作品を制作したいと考えてアプローチしたことから実現したプロジェクトである。

エッカートはパートナーであるマリーナ・アブラモビッチのMR作品《The Life》(サーペンタイン・ギャラリー、2019)や、藤本壮介とのコラボレーション(ヴィクトリア&アルバート博物館、2021)で知られる、この分野の旗手である。収録は2020年12月半ば、直前のピアノソロ配信に続いて行われ、ポストプロダクションに長い時間がかかったため、残念ながら坂本が完成した作品を見ることは叶わなかったが、2023年6月のニューヨークでの初演、その後のロンドンやマンチェスター公演も成功を収め、台北は世界で4ヶ所目、アジアでは初演となった

〈KAGAMI : Ryuichi Sakamoto & Tin Drum〉 Credit: National Theater & Concert Hall, Photography: Chen-Chou Chang

坂本の死後、2冊目の自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の繁体中文版が、日本や韓国と同時発売されたことや、映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』の誕生日特別先行上映が、1月17日に台湾各地の3つの映画館で行われたことからも分かるように、台湾には坂本ファンが非常に多い。《鏡:KAGAMI》は、今年の台湾国際アートフェスティバル(TIFA)の目玉イベントとして、やや高めの価格設定にも関わらず、発売からそれほど待たずにチケットが売り切れ、計13回の追加公演を併せて、80人限定・60分の公演が、8日間で計50回行われた。

MRという技術の魅力

坂本自身の人気もさることながら、《鏡:KAGAMI》がMR作品であることも人気の理由だろう。台湾にはもともと、政府が長らくメディアアートをサポートしてきた経緯があり、VR用ヘッドセットの先駆的メーカーもある。現代アートや映画だけでなく、博物館や美術館の体験型教材なども人気だが、ほとんどの技術がVR(virtual reality:仮想現実)かAR(augmented reality:拡張現実)によるものであるため、現実世界と仮想世界がより大きく複合的に関わるMRという技術が、新しもの好きの台湾の観客の大きな期待と好奇心を集めていることは、容易に想像できる。没入型の仮想体験を可能にするVRと、現実世界をベースにしつつデジタルコンテンツを楽しむことができるARのふたつの特徴を合わせた体験が可能になるというので、MRを体験したことのない筆者も楽しみに出かけた。

〈KAGAMI : Ryuichi Sakamoto & Tin Drum〉 Credit: National Theater & Concert Hall, Photography: Chen-Chou Chang

公演のしつらえの親密性

《鏡:KAGAMI》の台北公演の会場は、國家戲劇院(ナショナル・シアター)のステージ部分で、観客はまず開演前にロビーに集合し、必要な者は視力調整の登録を済ませてから、ステージ袖に設置された展示空間へと案内された。もちろんここでは飲み物などは提供されないのだが、この公演のために坂本自身も出向いて京都の「松栄堂」で調香してもらったというお香の香りも漂っており、高級レストランのアペリティフ・バーのようなイメージを持った。坂本の在りし日の姿を写した5枚の大きな写真の間にある中央のスクリーンでは、映画『CODA』の代表的なシーンがループで放映され、フロアには、坂本の英語のステートメントが投影されていた。

映像が一巡したタイミングで、観客は会場へ案内され、ぐるりと円状に配置された椅子に着席すると、スタッフがヘッドセットを配布し、装着を手伝ってくれる。ちなみに使われているのは、米国の「Magic Leap 2」をカスタマイズしたデヴァイスで、非常に軽量で、装着感が楽だった。

〈KAGAMI : Ryuichi Sakamoto & Tin Drum〉 Credit: National Theater & Concert Hall, Photography: Chen-Chou Chang

驚いたのは、着席してしばらくして聞こえてきた華語のアナウンスが、監督のエッカート自身によるものだったことだ。エッカートはこの公演に親密性を持たせたいという点で、現地の言葉で語ることを選んだ。その考えは坂本とも一致していたとのことで、彼のそんな思いを、おそらく練習を何度も重ねてのアナウンスから感じることができた。

演奏する坂本の周りを漂う映像の妙

デバイス越しに暗い空間の中央を眺めていると、視線の先に蓋のないグランドピアノと、椅子に座ったスーツ姿の坂本が登場し、そのまま演奏を始めた。初期の楽曲「Before Long」(1987)のゆったりとした旋律に合わせ、小さな雲のようなパーティクルがフロアの上で生まれては浮かび、中央の坂本の方へ流れては消えていく。その流れに引き込まれるように、筆者を含めた観客の多くが、椅子から立ち上がってピアノの周りに集まっていった。

Courtesy of Tin Drum

セットリストは、坂本のキャリアを俯瞰する代表曲を中心にした10曲。「Energy Flow」(1999)、「戦場のメリークリスマス」(1983)、「Aqua」(1998)、「ラストエンペラー」(1988)などの人気曲のほか、ピアノソロとして長らく演奏されることのなかった映画『戦場のメリークリスマス』(1983)の挿入曲「The Seed and The Sower」などもあった。「Energy Flow」の演奏時には、空間には雪のようなものが舞い、上方に浮かぶスクリーンに雪景色が映し出され、放置されて朽ちかけたグランドピアノが現れた。前出の自伝の表紙になっているニューヨークの自宅の庭のピアノと同じものだという。現在は、坂本に頼まれて、エッカートがアップステート・ニューヨークの自宅の庭で保管しているとのことで、よりさらに崩壊が進んでいるように見えた。坂本が晩年にたどり着いた自然観や死生観に沿うような、抑制の効いた映像で、もっとも美しく感じた

坂本自身による解説は、「Energy Flow」とラストの未発表曲「BB」(2018)のみで、「BB」については、ベルナルド・ベルトルッチが亡くなったとき、すぐに作曲して彼に捧げた曲とのことだった。短くも穏やかで安らかなこの曲を、坂本が心を込めて弾いている姿が印象に残った

坂本龍一《鏡:KAGAMI》(台北公演)風景 撮影:編集部

観賞中のふたつの後悔

演奏の途中では、坂本が弾きながらふっと見せる笑顔のような表情が見えることがあった。じつのところ、5人がかりでCGで後付けしたという動く前髪や、撮影時の360度48台のカメラを使ってもなお、ピアノの影になっておそらくキャプチャしにくかったのであろうディテールなど、坂本の外観にはCG的テクスチャの人工感はやはり否めないところはあったのだが、全体に、この稀有な音楽家を失った喪失感の大きさを感じざるを得ない体験であることから、坂本が時折見せる柔らかな表情はいくらか救いになった。また、指先の動きと音楽もほぼシンクロしており、ピアノリサイタルで下手(奏者に向かって左側)の客席に座ることの多いピアノ奏者や学習者たちにとっては、ペダルのタイミングなどを含め、良い参考になるのではないかと思った。私も今回その辺りに陣取っていたのだが、終わってから通常のコンサートではなかなか不可能な角度からも観賞すべきだったと後悔した。

〈KAGAMI : Ryuichi Sakamoto & Tin Drum〉 Credit: National Theater & Concert Hall, Photography: Chen-Chou Chang

ただ個人差はあるかもしれないが、立っている場所によっては周囲の人の姿がぼんやりして見えにくい場合があるので、場所を替える時には、ヘッドセットを外すほうが良いように思った。とはいえ、前に人がいても、妨げられることなく演奏者がはっきり見えるという体験はリアルではあり得ないもので、とても新鮮だった。

また、サウンドが映像と立体的に連動しており、スピーカーからというより、中央にある楽器から聴こえると言っても遜色ないリアリティを持っていたことも素晴らしかったと思う。公演1日目の午後に会場で行われたエッカートと台湾のラジオパーソナリティであるマー・シーファン(馬世芳)による対談でも、撮影の際にいかに心を砕いてサウンドが収録されたかという話題になり、エッカートは、もし坂本のすぐ後ろに立ったなら、その呼吸の音が聞こえたはずだと話している。今後観賞の機会がある人は、ぜひ、呼吸の音を聴きに行ってみてほしい。筆者はチャンスを逃してしまってとても残念だった。

会場の様子 撮影:編集部

パーソナルかつ集合的な追悼の時間

台湾のソーシャルメディアの投稿では、見ながら泣いたという告白を多く見かけたが、観賞中にも啜り泣きに気がつくことがあった。最初に気がついたのは、『async』(2017)収録の「Andata」だった。坂本がタルコフスキーの映画『サクリファイス』(1986)で使われたバッハのマタイ受難曲のコラールのような曲を自分でも作りたいと考えて取り組んだ楽曲だ。《鏡:KAGAMI》というタイトルにもタルコフスキーへのオマージュの意味がある。最後の2枚のアルバムで、坂本が、自分の好きなものや、より原点に立ち返るような純粋な音楽の喜びにどんどん近づいていったことを思うと、確かに感極まるものがあった。その後の曲でも、時折あちこちで観客が泣いている様子が伺えた。

80人それぞれの観客の誰もが、坂本と向き合う非常にパーソナルな時間を過ごし、否応なしにその不在を確認しながらその死を悼み、それがさらに集合的な体験でもあるという特別さは、MRならではの特筆すべきものだと思う。ラストの「BB」の最後の音を鍵盤の上にかがみ込むように弾く坂本の姿が消えて、空間が真っ暗になると、しばらく沈黙が続き、それから静かな拍手が起こった。台湾でのピアノソロリサイタルによく足を運ぶ筆者には、生前の坂本龍一だったら浴びたであろう、台湾の観客の雄叫びのようなブラボーの声や、爆音轟く拍手のことを思わずにはいられなかったが、それでも心には温かなものが残った。

坂本龍一《鏡:KAGAMI》
公式ウェブサイト:https://npac-ntch.org/programs/21554-2024TIFA
会場:國家兩廳院
会期:2024年03月16日〜2024年03月23日

岩切澪

岩切澪(いわきり・みお) 台湾在住アートライター、翻訳者。福岡出身。京都を経て、2000年より台北在住。1999年より、主に日台の美術専門メディアにて現代アートに関するレビューや書評などを執筆。2002年〜2006年アジア・アート・アーカイヴ(香港)台湾担当研究員。2010年前後からは、出産・子育てを機に、現代アートのみならず教育や農、食なども芸術と捉え、関連の文筆・出版活動を行う。時折、小さな展覧会や上映プログラムも企画。