アートと地域の幸せな関係とは? 島袋道浩がガイドする国東半島アートツアー

島袋道浩、宮島達男、アントニー・ゴームリー。国東半島と結びついた現代アートの作品を訪ねて

《首飾りー石を持って山に登る》で記念写真を撮る島袋道浩(中央)と参加者たち

アーティストと行く国東半島

2022年3月12日〜13日、「アーティスト島袋道浩と行く国東半島1泊2日」と題された1泊2日のアートツアーが行われた。本企画は、別府市を拠点に数々のアートプロジェクトを行なってきたBEPPU PROJECTが企画する「国東半島文化旅行舎」のツアーのひとつ。美術家の島袋道浩のガイドのもと、国東(くにさき)各地に点在するアート作品を巡り、同時に土地の歴史や風土、食や暮らしにも触れる旅だ。

島袋道浩 撮影:筆者

アートツーリズムやツアーパフォーマンスなど、旅や移動に紐づくアートとその周辺の動向はこの10年で一気に目立つようになったが、その変化の根本にあるのは、近代以降に確立していった都市生活者のためのアート(すなわち、ある程度の個々人の自由・自立を確保するための制度やインフラの存在を前提とした表現)が情報環境やグローバル経済の拡充とともに大きなパラダイムシフトを迎えつつあるときに、いまいちど自分たちが立っている土地やその文脈を探り、19世紀末から現在まで驚くべきスピードで打ち棄てられている「古いもの/こと」とあらためて関係を結び直すことの必要を、多くの人々が無意識のうちに感じているからだと筆者は思う。そこで召喚されるのは、反動的な「素朴でていねいなくらし」、ときにナショナリズムとも危うく結びつく「超自然的なスピリチュアリティ」であったりするのだが、そういった懐古主義への俗情との上手なつきあい方を探りながら、もてなす側、もてなされる側の双方が人間や社会について思いを馳せることが、こういったプログラムの(アート側にとっての)要点であろう。そういった想像を描くことができれば、人は、なんらかの「次」に進むための創造もできる。

その意味で、今回のツアーはとても豊かな経験をもたらすものだった。2日間にぎゅぎゅっと様々な要素が濃縮した旅であったので、ここではその一つひとつを微細に取り上げることはしない。あくまで筆者個人の視野に映った旅の記録である。

国東に贈られた首飾り

3月12日朝。大分県中部にある別府駅、大分空港を経由して10数名の参加者とツアースタッフ、そして島袋が集合した。大型バスが向かうのは、北東部に広がる国東半島。大分県全体で見れば、ヤンキーの横顔から突き出たリーゼントの部分、半島だけで見れば、火山である両子山(ふたごやま)を中心に据えたパラボナアンテナのかたちをしたこの土地は、いくつもの峰と谷がぐるりと円形に連なる、逆さに置かれたお椀のようでもある。

参加者に配られた国東半島の地図 撮影:筆者

そのかたちから着想を得てつくられたのが、島袋の新作《首飾りー石を持って山に登る》。半島東部にある祇園山の山頂にある同作を見るには、やはり彼の新作である《光る道ー階段のない参道》を登る必要がある。祇園山の頂上には八坂神社跡があり、ここ旭日地区の人たちに現在も親しまれている。晴れた日には伊予灘の向こうに四国・愛媛を臨める土地は、たしかに「あさひ(旭日)」と呼ぶにぴったりだ。お正月や東からまっすぐ日が登る11月10日、住民たちは声かけあって山を登り、美しいご来光を眺めるのだという。かれらの登山の助けとして手すりをつけ、夜になるとそれが一本の光の線として輝くことから、島袋は本作を「光る道」と名づけた。

島袋道浩 光る道ー階段のない参道 撮影:島袋道浩(2点とも)
地元の子供たちは参道をすべり台がわりにして遊ぶそう。島袋が階段をつくらなかったのもそれが理由

階段のない参道を登るのはなかなかハード。参加者全員がぜぇぜぇ言いながら5分ほどかけて登り切ると環状列石が見えてくる。これが《首飾りー石を持って山に登る》。沖縄や瀬戸内、北海道など全国から集められ円環状に並べられた大小の石群はたしかに大地に贈られた首飾りのようだ。さらにガイドスタッフと島袋は、隕石と沖縄発祥で現在は国東半島でのみ生育される植物・七島藺(しっとうい)でつくったという大きなネックレスを石のひとつにかける。このネックレスは、地元の人たちに管理を委ねており、特別な行事のたびに借り出すことになっているのだという。

設置当初の《首飾りー石を持って山に登る》 撮影:島袋道浩
隕石ネックレスを掛けた沖縄の石灰岩。その上や表面には誰かが積んだ石たち 撮影:筆者

2021年の設置当初は島袋らが用意した石のみだったが、「石を持って山に登る」というインストラクションに導かれて、現在は来訪者が持ち寄った様々な土地の石が集まりつつある。石を拾う、持ち歩く、置く、という人の行為はごく単純なものだが、長い時間を経て、その集積はひょっとしたら願掛けや祈りのための新しい習慣になっていくかもしれない。未来における不特定多数の人々の行為は、大地やこの土地に賑わいをもたらす贈り物になりえるだろうか。

実際、ここで一同が早い昼食を食べていると、登山を趣味とするおじさんが現れて石を置いていくという一幕も(ツアーではいくつかの演出的仕込みがあったのだが、この登場はまったくの偶然!)。彼にとっては、ここは登るべき山であって、アートであるという認識は強くないはずだが、そのような複数の異なる認識がいっとき結ばれたりするのが、混ざり合う文化の醍醐味だ。

絵馬のように健康やコロナ退散を願掛けされた石たち 撮影:筆者
登頂の記念に島袋を撮影するおじさん 撮影:筆者

アーティストの手を離れ、地元の人たちが作品を守る

次に訪れたのは、成仏地区に2014年に設置された宮島達男の《Hundred Life Houses》。1から9までを表示するデジタルカウンターの瞬きが、生まれ死んでいく生命の時間を想起させる作品で知られる宮島だが、山奥にひっそりと置かれた同作にはほかとは異なる独特の空気がある。

岩壁の下の地面を掘ると、縄文・弥生時代の痕跡が発見されたそう
デジタルカウンターを入れた家型のオブジェ。その側面には、プロジェクト参加者によるメッセージやイラストが彫られている

成仏地区の住民41世帯、そして日中韓の学生など若者59人でつくられた同作は、地域の力がなければ決して実現しなかったプロジェクトである。広い壁面に設置したいという作家のリクエストに応えて、この岩壁を探し出した国東市の職員。昭和45年の発掘調査で、岩壁下に広がる土地が縄文時代からの住居跡だと知りつつも、「現代アートがやって来ることで地域が変わるかもしれない」と受け入れた住民。そして脆い岩肌を剥落させることなく工事を成し遂げた地元の電気工。この土地の歴史と特性を熟知している人たちの知と手があって、《Hundred Life Houses》は生まれることができたのだ。

ツアー後の3月27日に行われた連続対談イベント「Dialogue in KUNISAKI」では、宮島、国東市職員の河村任、成仏地区の地域おこしグループ「成仏桜会」を交えての座談会が行われたが、現在も続く作家と地域との関わりは公私を超えたものになっている。桜会の人たちは作品の維持・管理を担うだけでなく、作品鑑賞に訪れた人たちに漬け物や自家製ピザでもてなすこともあるのだそう。

作品は作家のものだが、作品の命を守り続けるためには作家の力だけでは到底足りない。成仏におけるアートと人の関わりからは、作品が地域に委ねられることで生き続ける、分有・共有の思想を見ることができる。このことは、次の目的地である千燈地域に2013年度に設置されたアントニー・ゴームリーの《ANOTHER TIME XX》にも通じる。鉄製の人物彫刻を修験道の聖地に設置するにあたっては、多くの賛否があった。また、重さ630キログラムの彫刻を峰に設置するための技術的なハードルは高く、自衛隊によるヘリコプターでの輸送も困難であった。そのときに救いの手を差し伸べたのが、国東で椎茸栽培に従事する農家だった。彼が扱うことのできる材木のワイヤー運搬技術がなければ、作品がその姿を天空に現すこともなかっただろう。

中央に立つ土色の人物像がゴームリーの《ANOTHER TIME XX》。コーティングをほどこさない鉄の駆体は、遠い未来に朽ちて土地と一つになるかもしれない

創造性を促すインストラクション

山間部を巡り、バスは北の海沿いに出る。Googleマップだと細長い小島がぽつんと浮かんでいるように見える馬ノ瀬は、干潮時には島と突堤が陸続きになり、歩いて渡ることのできる景勝地だ。

島袋道浩は、ここに土地の名前と同じ《マノセ》という作品を設置した。しかし具体的なかたちがあるのは、ステンレス製でつくられた「石をつむ」「流木をたてる」「穴のあいた石をさがす」というメッセージのみ。どういうことだろう?

半世紀はもたせることを考えてつくったというステンレス製の文字板。これが朽ちてなくなった頃には、積み石や流木立てがこの場所の文化になっているかもしれない 撮影:筆者

石だらけの砂浜に降りて、島に向かって歩き出すと作品の意味するところが明らかになる。あちこちに流木が突き刺さり、石が立ち並んでいる。茜さす夕陽の効果もあいまって、ちょっとした「あの世」感すら醸している。

干潮時に現れる道 撮影:筆者
積み石ごとに個性がある

「石をつむ」ことは、最初に訪ねた《首飾りー石を持って山に登る》に通じ、「流木をたてる」は、宮城県石巻、リボーン・アート・フェスティバルでの島袋の出品作《起こす》(2017年)の精神的な続編と言えようか。どちらもシンプルな振る舞いを求めた作品だが、それがゆえに誰もが創造性を発揮することを促されるのが特徴だ。ツアー参加者はもちろんのこと、たまたま馬ノ瀬に立ち寄ったとおぼしきバイク乗りたちも戯れに石積み遊びにチャレンジしていた様子。作者のわからない素晴らしい石積みに出会うと、不思議な感動を覚える。

また「穴のあいた石をさがす」というインストラクションは、人々の視線を足元に向かわせ、無数の石の世界にある石一つひとつの個性に気づくきっかけをつくり出す。島袋によると、この海には石を食べる虫がいるらしく、なかには指輪のように見事な穴を穿たれた石もあった。

これらを総称して《マノセ》と名づけたのは、馬ノ瀬という土地自体を人々に知ってほしいと作家が願ったからだが、たしかに積む、立てる、探す、といった自発的な振る舞いは、見知らぬ場所と筆者のあいだに、形容しがたい愛着のようなものを生じさせる。「知る」ということは、たんに本やインターネットから情報を得るだけではなく、触知的な経験によって身体や記憶に染み込ませていくことなのだろう。

誰かが立てた『もののけ姫』のコダマのような石 撮影:筆者

今回のツアーだけの特別な贈り物

隠れキリシタンにゆかりのある岐部地区に2014年に設置された川俣正の《説教壇》に立ち寄ったあとは、本日最後の目的地である来浦(くのうら)地区。ここに設置された島袋道浩の《息吹》は、約20年間壊れたまま放置されていた堤防の灯を蘇らせた作品。夕陽の落ちる時間になると、人間の呼吸のようなリズムで電灯の灯が瞬く。

ここでは参加者への贈り物として、大分の名酒「西の関」の古酒、そしてつまみとして奥松農園の塩トマト、地元のはもの皮巻きが振る舞われた。さらにお酒を注いだ湯呑みは、島袋が地元の陶芸工房である「くにさきかたち工房」と一緒につくった特製だ(のちにこれも旅のお土産として参加者に贈られた)。ウィスキーや紹興酒を思わせる酒の深く甘い味と、それを引き立てる地元の味。寄せては返す波もまた「息吹」のようなリズムとなって、心地よい夕暮れに花をそえる。

島袋道浩 息吹 撮影:島袋道浩
堤防に設置された特製のテーブルに酒と料理を広げて乾杯
デザートのような甘みに塩が引き立つ奥松農園のトマト「汐姫」(右)と、林田かまぼこの「はもの皮巻き」(左)

ここでのスペシャルな贈り物はこれだけではなかった。どこからともなく現れたのはアーティストの梅田哲也。日用品や光や水を使ったインスタレーションで知られる彼は、ここでカセットコンロと長さの異なる円筒形の缶を使った即興のパフォーマンスを行った。米と水の入った缶を熱することで生じる高周波の音は、缶の長さ・大きさによってそのトーンを微妙に変える。いわば手づくりのパイプオルガンから発せられる音の場は、明滅する《息吹》の光、じょじょに闇に沈んでいく波音と合わさって、美しいハーモニーをつくり出す。30分ほどのパフォーマンスの最後は、街灯の下に全員が立ち、夜の海に静かに目をこらし、打ち寄せる波に耳を澄ませるというもの。祝祭的でもある場の雰囲気を静かに閉じようとする梅田の、ささやかで心に残る演出。

パフォーマンス中の梅田哲也
夜の海と《息吹》

早朝からサプライズが盛りだくさん

ホテルに泊まり、夜が明けて。2日目は、なんと早朝6時30分から最初の予定が組まれているあたり、島袋道浩の本気がうかがえる。前日に配布された手描きの地図を頼りに、参加者一人ひとりがホテル近くの砂浜へと向かう。2日間とも天候に恵まれた今回のツアーだが、朝の光はひときわ美しく心地よい。木立を抜けて、左にゆったりと蛇行する道を進むと、「パンッ」という破裂音が。昨夜に続き、梅田哲也によるパフォーマンスが海沿いで行われている。

朝の砂浜で梅田哲也のパフォーマンス
野球部の朝練を思わせる、梅田の早朝パフォーマンス 撮影:筆者

ドライアイスから発せられる二酸化炭素で缶のコルクを打ち上げる仕組みのパフォーマンスは科学の実験のようでもあるし、梅田とアシスタントの2名によるプライベートな朝練のようにも見える。これは作品ではあるけれど、作品未満の手触りがある。ちなみに筆者は、もう一度この様子を見るために戻ったのだが、もはや観客がいなくなった後もかれらはパフォーマンスを続けていた。誰のためでもない表現がそこにある、ということに痺れる。

さて。そんな朝練(?)の風景を離れ、さらに歩くと見慣れないカラフルで巨大な物体が目に入る。あれはいったい?

撮影:筆者

「「「気球だ!」」」

撮影:筆者(3点とも)

朝焼けに照らされた気球がゆっくり上がったり下がったりする姿は、果てしない自由を感じさせる。気球に乗ったレインボー衣装の人物(レインボー岡山)にうながされ、さらに奥へと進むと、そこにはエプロン姿の島袋とアシスタントの姿。即席のカフェスタンドでは、モーニングとしてコーヒーやたまごサンドやタコ飯が振る舞われる。なんと贅沢な朝だろうか。

コーヒーは「はなcofee」の豆を使用。たまごサンドとタコ飯は1日目の昼食でもお世話になった「えみちゃんキッチン」
朝日と気球を眺めながらのモーニング
撮影:筆者

アートと地域の幸せな併存を求めて

ここまでで、国東に常設された現代アートを巡る旅はおしまい。1日目と打って変わり、2日目は島袋道浩がぜひオススメしたい国東半島の文化や歴史を知るツアーが中心となった。この記事では名前をあげる程度にとどめるが、平安時代末期に彫られた熊野磨崖仏、九州最古の木造建築であり国宝でもある阿弥陀堂を擁する富貴寺、デザインに景観的要素を取り入れたことで知られる行入(ぎょうにゅう)ダム、国東の神仏習合の文化をいまに伝える大嶽山神宮寺などを巡った。

熊野磨崖仏。不動明王像前で記念写真
富貴寺。阿弥陀堂の前で住職からレクチャーを受ける
行入ダム上の遊歩道。切り立った岩肌は国東の特徴的な景観だ
大嶽山神宮寺が所蔵する8体の焼き仏。平安末期につくられたが、明治期の火事で現在の姿に


今回のツアーの中軸になっているのはもちろん島袋と彼の作品ではあるが、訪れた様々な場所で印象に残ったのは、むしろ国東で暮らす人々や、かれらが根付く土地の文化や歴史だった。それぞれの作品は、もちろん作品としての自立性を持つが、同時に土地の固有性と有機的に結びつき、制度的に保証された「アート」の確かさを長い時間をかけながら融解させていくプロセスにあるかのようだ。そのようにして人々の手で芸術が守られ続けられることと、文化や歴史の一部になっていくことの併存が可能だとすれば、それは一過性の消費コンテンツとしての地域アートとも、アートマーケットのための商材になるのとも違う、第三の道を作品と作家に与えることになるだろう。しかもそれはまったく新しい概念ではなくて、そもそも人の暮らしや文化や表現の本質に近い場所へと現代美術が回帰していくことでもあるかもしれない。

記事の冒頭で、筆者はいくつかの懐古主義的傾向を批判的に書いたが、そういった俗情性にもまた人の営みや欲望はある。それを受け入れがたいものとして否定するばかりではなく、ときに共存し、ときに批判し合いながら、アートのためだけでもなく、経済のためだけでもなく、イデオロギーのためだけでもない、しかしあらゆる人の営みとそれを支える文化・歴史・土地との関係性を結ぶ「表現」のありようは実現可能なのではないか。国東の旅のなかで、筆者はそんなことを考えた。

島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。