生涯をかけた抽象表現:シモン・アンタイ「Folding」展(エスパス ルイ・ヴィトン大阪)レビュー(評:新畑泰秀)

独自の絵画技法を用いて活躍したアーティスト、シモン・アンタイ。フォンダシオン ルイ・ヴィトンの所蔵コレクションから、アンタイが1960年代初頭から80年代にかけて制作した主要作品が出揃う展覧会がエスパス ルイ・ヴィトン大阪で2024年2月4日まで開催中。本展を石橋財団アーティゾン美術館学芸員/教育普及部長の新畑泰秀がレビュー。

Portrait of Simon Hantaï in 1968. Photo © Édouard Boubat

知られざるフランス抽象画家の個展が開催

展示室の深奥にある青が印象的な画布に視線は導かれる。足を進めて作品の前に立つと、矩形の集合体で構成された巨大な画面。周囲の作品と併せて、鑑賞者はサファイアブルーの空間に没入させられ、視覚は画面全体を倦むことなく彷徨させられる。

Tabula, Meun 1975 Courtesy Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits : © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

シモン・アンタイ(1922〜2008)の作品を見る機会は日本では限りなく少ない。個展は1982年に大阪のカサハラ画廊での展覧会(11点の出品)があるくらいか。グループ展でも1992年に原美術館で開催された「Too French フランス現代美術展」などに限られる。美術館の所蔵品も乏しいが、大阪中之島美術館が大作《タブラ(青)》(1980、キャンバスに油彩・アクリル、289.0×435.5cm)を所蔵している。

自身の記憶も専らフランスでの経験に基づく。パリ市立近代美術館のコレクション展示でかなりの頻度で展示されているし、少し前になるが1999年に同館で開催された「抽象以後の絵画 1955-1975」展では中心的な画家として扱われていた。画業の総体を知る決定的な回顧展は2013年にポンピドゥー・センターで開催されたが、これはじつに衝撃的であった。ポンピドゥーはそれまでに少なくとも3度のアンタイ展を開催しているが、この展覧会はアンタイ画業が戦後フランス抽象絵画のひとつの重要な軸をなしていることが実感される内容であった。

シモン・アンタイの9点の絵画作品が来日し展覧会が開催されている。フォンダシオン ルイ・ヴィトンの「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環としてエスパス ルイ・ヴィトン大阪のために特別に企画された展覧会であるという。一昨年にパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンにて開催された「シモン・アンタイ生誕100周年記念展」と連続し、本展ではすべて財団所蔵コレクションにより構成された展覧会である。かつてパリ市立近代美術館を率いたスザンヌ・パジェとナタリー・オジェがアーティスティック・ディレクションを行うこの展覧会の内容には、シンプルな構成ながら画家の魅力を最大限に伝える確からしさが感じられる。それを支えるのが瀟洒な会場構成はカビネ・ボーダン&アソシエ・アーシテクトに拠るものだ。じつに洗練されている。やはりモノの見せ方は群を抜いて考え抜かれている。何が特別に、というわけではないが展示の要素に無駄がない。省くことが出来るところは徹底し、作品に鑑賞者が真摯に対峙できる空間が用意されている。

アンタイの歩みと手法

シモン・アンタイは1948年に妻ツィツァ・ビロとともに故国ハンガリーをあとにした。戦後の混乱期。1946年には王政が廃止されて共和国が成立するも、翌年にはソビエト社会主義共和国連邦の衛星国となった頃のことだ。フランスのビザ発給をまって、夫妻はイタリアを旅してまわり、その後目的地であるパリに入った。ほかの画家と同様にルーヴルに通ったが、いっぽうでパリ市立美術館を好んで訪れたという。1952年末にアンドレ・ブルトンと知り合う。シュルレアリスムとの邂逅は、彼の鮮烈で自由な発想を解き放つことになった。この時期、アンタイはフロッタージュ、コラージュといった技法に取り組み、プリアージュを試みたのもこの頃のことだったという。1953年頃にはシュルレアリスムのメンバーともなっている。この頃の作品は存分にファンタジーの世界を想起させるものとなっており、力強い色彩の中に有機的なフォルムが奔放に描かれている。

Femelle miroir I 1953 キャンバスに油彩 165.1×174.6cm Courtesy of Estate of Simon Hantaï

その後、アンタイはアブストラクシオン・ジェスチュエルの画家ジョルジュ・マチューと出会い、それがひとつの契機となって1955年にはシュルレアリスト・グループと決別し、マチューと親密な関係を築き始め、アンフォルメルにも関心を持つようになった。同時期に他国からやって来て、同様に戦後のいわゆる叙情的抽象にかかわるようになった重要な作家が幾人かいる。ザオ・ウーキー(1920〜2013)は中国で東西の絵画を学んだのち、1948年にパリに渡り、同時代の叙情的抽象の動向に交わるなかで、東洋的な宇宙観の息づく独自の画境を切り開いた。菅井汲(1919〜1996)が渡仏したのは1952年のこと。その絵画は東洋的なエキゾティシズムを讃えるものとして注目された。堂本尚郎(1928〜2013)は1955年に渡仏し、やがてアンフォルメルに接近している。

戦後フランスのいわゆる叙情的抽象が明確なかたちであらわれたのは、ミシェル・タピエが『別の芸術』(1952)を出版し、それらに「アンフォルメルの芸術」と命名した。いっぽうで1954年に美術批評家のシャルル・エスティエンヌは「タシスム」という言葉を一群の作品に対してあてた。「タシスム」とはフランス語の「染み」を意味する「タッシュ」からつくられた言葉である。1940年代から50年代にかけて特にフランスにおいてアンフォルメルの芸術、叙情的抽象と同義にしばしば使われる。エスティエンヌは、この言葉を使って一群の抽象画家たち、すなわちアルトゥング、スーラージュ、そしてアンタイらの表現に見出し、これを用語として理論づけた。

ところがこれら芸術家たちは、評論家たちによってアンフォルメル、タシスム、叙情的抽象の画家としてグルーピングされることをよしとせず、むしろこの状況を出発点として、朱に交わることなく、生涯をかけて自己の抽象表現を極めることに専念することになることは、それぞれの作家の本質を理解する上で留意すべき点であろう。

Archives Simon Hantaï, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

アンタイは自らが編み出した技法により、新しい抽象絵画を実践することを試み始めた。それは反復的な図柄を特徴とするパターン・ペインティングの応用であった。幾何学的な図柄を絵画の構図に取り入れたものであり、マティスの切り紙絵が先例にあたる。アンタイが1960年よりはじめたその技法は、「プリアージュ・コム・メトード」と呼ばれるものであった。アンタイの「プリアージュ pliage」は、しばしば「折りたたみ」と訳されることが多いが、この名詞は「曲がり、折り目、折り込み、折り曲げ」といった細かいニュアンスを持つ。アンタイにおける「方法としてのプリアージュ」技法もじつに多様な技法でありかつ多様な進化を続けた。たとえば画布を様々な形に折り込んだり、縫いあわせたりした上で表面を平らにし、そこに筆で絵の具を塗って乾かした後、折ったり、縫い込んだ部分を全て広げると、画布の上に色を塗った部分と塗られていない地の部分がイメージを形成する。それはキャンバス全面を覆うオールオーバーな画面となる。偶然できる同じような大きさの形態が空間を埋め尽くす。これはシュルレアリスムのオートマティズムと無縁ではないだろう。アンタイはこの技法を発展させる都度、シリーズ名をつけ、しばしば大規模なスケールで、形式的で独創的な構図を発展させた。当時、彼の作品はフランス美術界に広く知られ、意欲溢れる若手画家たち、たとえばシュポール/シュルファスを大いに刺激することになった。

われわれが、アンタイの手法に多少なりとも親近感をおぼえるとすれば、それは日本の伝統的な染色における「絞り」の技法と表現を想起するからであろう。絞り染めは、布の一部を縛るなどして、染料が染み込まないようにすることで模様を作り出す模様染めの技法の一つだ。絞り染めでは、布の一部を糸で縛ったり、縫い締めたり、折るなどして圧力をかけた状態で布を染めることで、圧力のかかった部分に染料が染み込まないようにすることで模様が作られる。模様染めの技法として絞りは非常に素朴なものであり、古来より世界各地に自然発生的に生まれたと見られる絞り染めが存在している。

マリアル

会場風景より 「マリアル(聖母マリアのマント)」シリーズ Courtesy of Estate of Simon Hantaï and Fondation Louis Vuitton, Paris 撮影:編集部

展覧会の最初に展示されているのはシリーズ「マリアル」からの3点。プリアージュの初期に当たる60年代初頭に制作されたもので、全27作品が制作されたという。このシリーズは、アンタイがジョット・ディ・ボンドーネによる《オンニサンティの聖母》(1310頃、ウフィッツィ美術館)に触発されてプリアージュを採用した初期の作品群だ。画面全体に無数の襞をほどこしたイメージは、聖母子の衣服の襞に着想を得たものだという。線描に頼ることなく、光と陰影によりリアルに描かれた繊細な襞だ。

ジョット・ディ・ボンドーネ オンニサンティの聖母 1310頃 出典:Google Art Project

アンタイの作品において、それらはプリアージュにより実際の襞となり、触知感のある絵肌を創造している。それは、一定のようで、まるでそうではない。画面中央は横の展開、下部は非定型でランダムだ。左端と右端の上部の皺は細かい。画面の凸凹は油絵具のインパスト(厚い塗り)ではなく、プリアージュの名残だ。これがこの絵画を大いに特徴づけている。視線は画面のあらゆる箇所を放浪させられる。繰り返される同じような個々のイメージは、押し合い、引き合う視覚的効果、すなわちプッシュ・アンド・プルを生みだしている。同じような形態の繰り返しのようであってそれぞれの形態は個々のイメージを持っている。

エチュード、ムン

1965年、アンタイはパリ市街を避けて、郊外のムンに移り住み、新しいシリーズに着手する前の1年間は制作の手を止めた。この頃アンタイは、自らのプリアージュ技法を概念的にまとめ、次なる展開として「空」すなわちは「白」を強調するイメージの創造に着手した。1967年より折りたたむのではなく、結び目を使った、その名を冠した「ムン」シリーズに取り組んだ。

左:Étude pour Pierre Reverdy 1969 キャンバスに油彩 242×210cm 右:Étude, Meun 1969 キャンバスに油彩 270.5×235cm Courtesy Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits : © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

出品されている1969年の《エチュード、ムン》は、「マリアル」のシリーズと比べて画面の隆起は目立たなくなっており、そのイメージはシルクスクリーンを思わせる。オールオーヴァーなイメージが維持されているが、模様の繰り返しはなく、それぞれが独自の表情を持ち、一定のバランスで画布を覆っている。シュルレアリスムのオートマティズムを感じさせるが、画面全体は絶妙なバランスを保っている。このシリーズはいっぽうで白い部分が印象的で、画家はこれをこのシリーズでは大いに強調している。キャンバスは4つの隅と中央で折られ、単色で数回塗られる。そしてあちこちの折り目や空白の部分が強調される。これは結果として次なる展開「タブラ」シリーズへの布石となる。

タブラ

Tabula, Meun 1975 Courtesy Fondation Louis Vuitton, Paris Photo credits : © Jérémie Souteyrat / Louis Vuitton

1975年の《タブラ、ムン》はふたつのシリーズの名を併せ持つ巨大な作品で、今回の展覧会のシンボル的なイメージとなっている。1960年代のムンを踏襲して白の空白を重視しつつ、青い矩形はほぼ同じ大きさ色彩ながら、ひとつひとつは独立した大きさ、青の濃淡、インパスト、筆触を持ち、それら個性の総体が力強いイメージを創出している。「タブラ」のシリーズは、キャンバスを等間隔で折り目を付け糸で縫い合わせ、シンプルなグリッドの図像を表現したアンタイの「プリアージュ」のひとつの集大成として知られている。1976年にポンピドゥー・センターで開催された図録には、この過程を示すものとして、キャンバスを糸で縢った白黒のイメージ(図A)と、それを裏返して、面から着色したイメージ(図B)が掲載されている。

図A 挿図典拠: Images from the exhibition catalogue Hantaï, Centre national d’art et de culture Georges Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris, Oaganisation: Pontus Hulten, François Mathey, Dominique Bozo, Laure de Buzon-Vallet, 1976
図B 挿図典拠:Images from the exhibition catalogue Hantaï, Centre national d’art et de culture Georges Pompidou, Musée national d’art moderne, Paris, Oaganisation: Pontus Hulten, François Mathey, Dominique Bozo, Laure de Buzon-Vallet, 1976

「タブラ」のシリーズは2つの段階からなる。第1期(1974〜1976)では、グリッドが緊密に織り込まれ、第2期(1980〜1982)では、正方形が拡大する。純粋で厳格な、ミニマルの抽象画へと進んでいる。これら2点は遺族が管理する画家のアトリエから直接購入したものであるといい、今回世界初公開となる。

会場風景より 「タブラ」シリーズ Courtesy of Estate of Simon Hantaï and Fondation Louis Vuitton, Paris 撮影:編集部

1975年のムンの矩形が大きくなっていて、2点の作品の色彩の明るさがちがう。右の作品が白を足している。タブラと対置させることにより空間の相性は良い。矩形が大きくなり、長方形となり少し大味になっている。しかし矩形の中の空間はひとつひとつの絵画が描かれたように複雑だ。ポンピドゥーは所蔵する《タブラ》(1974)について「このタイトルは絵画の伝統を忘れ、新たなスタートとした絵画的革新を指す言葉としてよく使われる『タブラ・ラサ』とも関係がある。この意味で、このシリーズは、プロセスの終わりを約束するものではなく、新たな始まりへの希望をあらわしている」、と説明している。

本展の意義と可能性

ザオ・ウーキーは2013年に、ピエール・スーラージュは2022年に没した。シモン・アンタイが亡くなったのはこれに先立つ2008年のことであった。戦後の熱い抽象を担った作家たちの画業の見直しは、本国フランスでは絶え間なく急ピッチで進む。わが国において、戦後フランス抽象絵画に対する関心はかならずしも高いわけではない。アンタイについては、叙情的抽象の系統として認識されることも、シュポール/シュルファスに近い画家としてもぼんやりと認識されようとも、明確に論じられ、議論されたこともほぼないだろう。

エスパス ルイ・ヴィトン大阪による今回の展示は、この作家の存在意義の一端を知る絶好の機会だ。いっぽうで、こういったコンテクストとは無縁の新しい世代の目には純粋に新鮮な絵画表現と映り、それがあらたな創造へとつながる可能性を感じた。

*執筆に当たって資料提供のご協力を五辻通泰氏より得ました。

新畑泰秀

新畑泰秀

しんばた・やすひで 石橋財団アーティゾン美術館学芸員/教育普及部長。横浜美術館主任学芸員、石橋財団ブリヂストン美術館学芸課長、石橋財団アーティゾン美術館学芸課長を経て現職。これまでに企画・担当した展覧会として、2004年『失楽園:風景表現の近代 1870-1945』、2008-09 年『セザンヌ主義』(以上横浜美術館)、2011年『アンフォルメルとは何か?』、2013年『都市の印象派-カイユボット展』、2014年『ウィレム・デ・クーニング展』(以上ブリヂストン美術館)、2021年『Steps Ahead』、2022年『ジャム・セッション 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策』(以上アーティゾン美術館)、2023年『ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開』等を担当。 著書に『明るい窓:風景表現の近代』、『失楽園:風景表現の近代 1870-1945』(ともに共著)等