公開日:2022年7月2日

スティーヴ・マックイーンがイギリスのブラック・コミュニティを描く。映画アンソロジー『スモール・アックス』レビュー

アーティスト・映画監督として活躍するスティーヴ・マックイーンが、監督・脚本を手がけた5本の映画アンソロジー『スモール・アックス』が日本で配信開始。自身のルーツであるイギリスのカリブ系移民コミュニティに光を当て、1960〜80年代のロンドンを舞台とする本作について、20世紀イギリス文学・文化研究者の星野真志がレビュー。影響を与えた文学作品や思想、歴史的背景を含め、本作の意義と魅力を論じる。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

イギリス現代史で忘却されてきたブラック・コミュニティを描く5本の映画

『それでも夜は明ける』(2013)などで知られるロンドン出身のスティーヴ・マックイーン監督による映画5本のアンソロジー『スモール・アックス』の日本語字幕版が、今年5月から「スターチャンネルEX」で配信されている。本国イギリスでは2020年秋にBBCで放映されたこれらの作品は、マックイーンのキャリアにおいて重要な仕事であるのみならず、イギリス映画史においても画期的な作品として、今後も振り返られることになるだろう。

犠牲者から主人公へ

『スモール・アックス』の1作目『マングローブ』は、西ロンドンのノッティング・ヒルのカリブ料理レストラン「マングローブ」に向けられた警察の暴力に対して、住民たちが団結して闘った実話をもとにした物語だ。この地域では1940年代末以降、カリブ海地域からの移民たちがコミュニティをつくり、その過程で多くの「人種暴動」──実際には白人の差別主義者たちによる暴力行為──が起こった。なかでも1958年の暴動は、デヴィッド・ボウイが出演した映画『ビギナーズ』(1986)などでも描かれている。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

1968年に開店したマングローブは、すぐにこの地域のカリブ系移民にとって欠かせない社交の場となったが、それゆえにブラック・コミュニティを敵視する警察によって、ガサ入れという名目の執拗な嫌がらせの標的となった。1968年は、保守党のイノック・パウエル議員が、イギリスにこれ以上移民が増えれば「川が血で沸き立つのが見える」と述べた、通称「血の川演説」が行われた年であり、人種問題をめぐる緊張が高まっていた。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

1970年、店主のフランクたちは警察に対する抗議デモを組織するが、警官隊と衝突し、9人の参加者(通称マングローブ・ナイン)が暴力煽動の罪で起訴されてしまう。映画はこの過程と、翌年ロンドンの最高裁判所で行われた裁判を描く。

映画のクライマックスとなるのは、起訴された9人のうちのひとり、トリニダード出身の若者ダーカス・ハウが、法廷で自らの弁護人として語る場面である。ダーカスは『ハムレット』第一幕終わりの台詞を引用して語り始める──「この世は関節がはずれている、何という不運」。シェイクスピア版ではこのあと「歪んだ世を正すべくおれは生まれたのだ」と続くが、ダーカスは「おれ」を「ブラック・ピープル」と書き換えることで、「関節がはずれた」世界、すなわち制度的レイシズムのはびこるイギリス社会を正す集合的主体を立ち上げる(*1)。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

この裁判は、イギリスの法廷で警察側の人種偏見が初めて認められたという点で画期だった。現実のダーカス・ハウはその後もアクティヴィストとして活躍する。1974年に自らが編集する『レイス・トゥデイ』誌に書いた「犠牲者から主人公へ」という論説では、「無力な犠牲者」という黒人の描写に抗い、自分たちを集団的に組織してレイシズムに立ち向かうことの重要性を説いた(*2)。

映画にも登場するマングローブ・ナイン側の弁護士イアン・マクドナルドは、1977年に『レイス・トゥデイ』に寄せた文章のなかでマングローブ事件を「分水嶺」と呼び、「被告人たちが犠牲者の役割を演じること、弁護士の『専門知識』に頼るのを拒絶したこと」によって法廷の権力に立ち向かった画期的事件だったと振り返る(*3)。 マックイーンの作品はこの事件に注目することで、たんなる「犠牲者」ではない、抵抗する集団としてのブラック・コミュニティの歴史に光を当てる。これまでのイギリス映画では見過ごされてきたそのような歴史を語ることこそ、『マングローブ』の重要性であるといえよう。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

指導者と大衆──C・L・R・ジェームズの影響

抵抗する主体としてのブラック・コミュニティを描くことは、『マングローブ』だけでなく『スモール・アックス』全体を通じた主題である。この点については、トリニダード出身でロンドンに暮らしたマルクス主義思想家C・L・R・ジェームズ(1901〜89)の影響を抜きに語ることはできない。『マングローブ』冒頭では、ノッティング・ヒルの街を歩くフランクの映像にダーカスの声が重ねられるが、ダーカスが読み上げているのはジェームズが同志たちと書いた1958年の著書『現実に立ち向かう』(Facing Reality)からの一節である。作品中ではダーカスがジェームズの主著である歴史書『ブラック・ジャコバン──トゥサン・ルヴェルチュールとハイチ革命』(1939)を愛読するのみならず、ジェームズ自身と妻のセルマ(実際にマングローブに通っていた)も登場する。第4話の『アレックス・ウィートル』では、収監された主人公が、同じ監房のラスタから『ブラック・ジャコバン』を薦められる。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

ハムレットの独白を効果的に用いたダーカスの演説は、ジェームズのハムレット論を想起させる。ジェームズはハムレットを、古い世界(中世)から新しい世界(近代の個人主義的社会)への移行を体現する人物、そしてそのような新しい世界の到来に向けて人々に語りかける「有機的知識人」として読み解いた(*4)。 ハムレットによる「おれ」を主語にした独白を、ダーカスが「ブラック・ピープル」を主語として書き換えたことを踏まえれば、ダーカスの語りは、断片化された個々人の苦難を、抵抗する集団的意識へと結束させることで、新しい世界への移行を後押しするものと考えることができるだろう。

ジェームズは、大衆運動とそれを率いる指導者との関係を考えつづけた思想家だった。卓越した知性と体力をもってハイチ革命を率いた元奴隷のトゥサン・ルヴェルチュールが、やがて革命の担い手である大衆と乖離してしまったこと──この問題に向き合った『ブラック・ジャコバン』の結論部で、ジェームズは、来たるべきアフリカの脱植民地化を予期して次のように述べる。

行動を起こした人民のなかから、指導者たちが出現するであろう。ガイ病院やソルボンヌ大学にひとりいる黒人や、シュールレアリズム〔原文ママ〕かぶれや、または法律家からではなく、黒人警察の寡黙な新米警官や、フランス現地軍の軍曹や、またはイギリス警察の警官のなかから指導者たちが出現するであろう。 (*5)

『スモール・アックス』第3話『レッド、ホワイト&ブルー』 © McQueen Limited
『スモール・アックス』第3話『レッド、ホワイト&ブルー』 © McQueen Limited

ロンドンで警察官になる黒人青年リロイを描いた『スモール・アックス』第3話『レッド、ホワイト&ブルー』に、イギリス警察から指導者が現れるだろうというジェームズの予言の反響を読み取ることはできないだろうか。ジョン・ボイエガの演じるリロイは、ブラック・コミュニティからは警察の側に立つ「裏切り者」と罵られ、同僚の白人警官からはいじめを受けながらも、差別的な制度を内側から変えるために黙々と尽力する。5本のアンソロジーというかたちをとる『スモール・アックス』は、こうした個々人の闘いとブラック・コミュニティの集団的な闘いとの関係を描き出している。

革命家の使った皿は誰が洗うのか

革命についての語りにおいて、しばしば女性たちは周縁に追いやられてしまう。たとえばイギリスのブラック・パンサー党を描いた2017年のドラマ『ゲリラ』(Guerrilla)は、『マングローブ』にも登場するアルシア・ジョーンズ=ルコワントなどの女性活動家の役割をじゅうぶんに描いていないと指摘された(*6)。 それに対して『スモール・アックス』には、そうした男性中心の歴史語りを問い直そうという意図も読み取ることができる。

『スモール・アックス』第2話『ラヴァーズ・ロック』 © McQueen Limited
『スモール・アックス』第5話『エデュケーション』 © McQueen Limited

第2話『ラヴァーズ・ロック』を除いて各エピソードの主人公は男性であるものの、シリーズを通じて女性のキャラクターの存在感は大きい。『マングローブ』では、レティーシャ・ライト演じるアルシアが英国ブラック・パンサー党員として重要な役回りを担い、第2話『ラヴァーズ・ロック』では性暴力とそれに立ち向かう女性の姿も描かれる。『レッド、ホワイト&ブルー』で警察官になるというリロイの意志を支えるのは伯母であり、第5話『エデュケーション』で学校での差別に対して先頭に立って闘うのは女性教員たちである。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

この点に関して、『マングローブ』にC・L・Rの妻セルマ・ジェームズ (1930〜)が登場することは重要であろう。中井亜佐子が論じるように、C・L・Rが語るような「偉大な人間たち(Great men)」の歴史において、しばしば女性たちは不可視化されてきた。セルマは、マリアローザ・ダラ・コスタとともに「家事労働に賃金を」運動を主導したフェミニストであり、彼女の思想は、C・L・Rが資本主義と家父長制の関係について考えるうえでも影響を与えた(*7)。 『マングローブ』の前半、ソファに横になって『ブラック・ジャコバン』を読むダーカスに対して、パートナーのバーバラが「まずはあなたが散らかした台所を片付けなさい」と言う場面では、セルマの思想と活動を想起させられる。

アルシアがブラックパンサー党員として南アジア系の労働者たちの家庭を訪れる場面でも、彼女が男たちと居間で談笑するあいだに、ほかの女性たちは台所におり、そのうちのひとりが鍋を洗う手の印象的なクロースアップが差し挟まれる。この場面に、大学教育を受けた女性であるアルシアと、家事に従事する女性たちとの階級的差異を読み取ることもできるだろう。このようにして『スモール・アックス』には、人種・ジェンダー・階級をめぐるインターセクショナルな視点も書き込まれている。

『スモール・アックス』第1話『マングローブ』 © McQueen Limited

ポストコロニアル・メランコリアに抗って

『スモール・アックス』の今日的意義は、イギリスのカリブ系住民の歴史を振り返ることで、よりよく理解できる。1948年にイギリスで成立した国籍法の改正は、植民地の人々に市民権を与え、それによりカリブ海地域からの移民数が急増した。多くの移民が乗り込んだクルーズ船の名前にちなみ、この時代のカリブ系移民は「ウィンドラッシュ世代」呼ばれ、彼ら彼女らは、厳しい差別に直面しながら現代イギリスの多文化共生社会の礎を築いてきた。

ところが2010年代に入ると、保守党政権は、何十年もイギリスに住んでいるカリブ系住民の一部に対して、合法的にイギリスに滞在する権利がないと突然宣告し、不当に拘留し、国外退去を命じ始めた。対象となった人々は、細かい書類手続き上の不備などの理由で、「不法移民」取締り政策の対象となってしまったのである。この「ウィンドラッシュ・スキャンダル」が2017〜18年にかけて明るみに出ると、内務大臣は責任をとり辞職したが、イギリス社会全体で制度的レイシズムを問い直す機運が高まった。2020年にはアメリカからBLMの波が押し寄せた。『スモール・アックス』はそのようなタイミングで公開されたのだ。

スティーヴ・マックイーン © McQueen Limited

だが『スモール・アックス』が21世紀の現在ではなく、1960〜80年代という過去を舞台にしていることは重要だろう。現代イギリスの歴史語りにおいて、この時代の記憶はしばしば忘却されてしまう。文化批評家ポール・ギルロイは、21世紀の現代イギリスを覆う、失われたかつての偉大な帝国への郷愁を、「ポストコロニアル・メランコリア」と呼んだ(*8)。 そのような、イギリスが偉大な帝国として戦った第二次世界大戦の記憶に固執し、イギリス社会へのウインドラッシュ世代の貢献を無視するようなホワイトウォッシュされた歴史観に抗って、『スモール・アックス』は、ブラック・コミュニティの集団的記憶を呼び起こす。

この作品について『ガーディアン』のインタビューでギルロイが語ったように、『スモール・アックス』は、「現在の若い視聴者やメインストリームの視聴者に、この国の過去50年にわたる歴史がどんなものでありえたかについて、これまでとは異なる感覚を与えることで、歴史を浸透させるための試みである」(*9)。 そのようにして、イギリス現代史を──そして白人中心的なイギリス映画史を──刷新することで、この作品は、ウインドラッシュ・スキャンダルやEU離脱を経験した「関節のはずれた」イギリス社会を正すための第一歩となるのかもしれない。

*1──『ハムレット』は多くの日本語訳が出版されているが、ここでは『スモール・アックス』日本語版字幕を引用した。
*2── Darcus Howe, ‘From Victim to Protagonist: The Changing Social Reality’ (January 1974), in Here to Stay, Here to Fight: A Race Today Anthology, eds. by Paul Field, Robin Bunce, Leila Hassan, and Margaret Peacock (Pluto Press, 2019), e-book.
*3──Ian Macdonald, ‘Up Against the Lawyers’ (February 1977), in Here to Stay, Here to Fight.
*4──C. L. R. James, ‘Notes on Hamlet’, in C. L. R. James Reader, ed. by Anna Grimshaw (Oxford: Blackwell, 1992), 243–6.
*5──C・L・R・ジェームズ、青木芳夫訳『ブラック・ジャコバン──トゥサン・ルヴェルチュールとハイチ革命』増補新版、青木書店、2002年、370頁。
*6──‘The story of the British Black Panthers through race, politics, love and power’, The Guardian, 9 Apr 2017. https://www.theguardian.com/world/2017/apr/09/british-black-panthers-drama-photography-exhibition
*7──中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来──英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』月曜社、2020年、62–63頁。
*8──Paul Gilroy, Postcolonial Melancholia (New York: Columbia University Press, 2005), 87–106.
*9──‘Paul Gilroy: “I don’t think we can afford the luxury of pessimism”’, The Guardian, 15 Nov 2020. https://www.theguardian.com/culture/2020/nov/15/paul-gilroy-i-dont-think-we-can-afford-the-luxury-of-pessimism

『スモール・アックス』
監督・脚本・製作総指揮 スティーヴ・マックイーン
出演 ショーン・パークス、レティーシャ・ライト、ジョン・ボイエガ ほか
全5話

【配信】スターチャンネルEX
https://www.star-ch.jp/drama/smallaxe/sid=1/p=t/

星野真志

星野真志

ほしの・まさし 20世紀イギリス文学・文化研究。慶應義塾大学法学部等非常勤講師。共著に『ジョージ・オーウェル『一九八四年』を読む』(水声社、2021)、訳書にナオミ・クライン『楽園をめぐる闘い──災害資本主義者に立ち向かうプエルトリコ』(堀之内出版、2019)、オーウェン・ハサリー『緊縮ノスタルジア』(堀之内出版、2021)など。