公開日:2022年7月22日

大拙に始まる表現の系譜を見る。ワタリウム美術館「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」レポート

国内外の芸術家に影響を与えた仏教哲学者・鈴木大拙の思想に迫る展覧会が、東京のワタリウム美術館で7月12日~10月30日に開催中。大拙の書をはじめ、ジョン・ケージやナムジュン・パイクなど「禅」に連なる表現の系譜を紹介する。(撮影:白尾芽)

会場風景より、左から、鈴木大拙 書《わたしゃしやわせ》(金沢ふるさと偉人館蔵)、棟方志功 書《不生》(1958、日本民藝館蔵)、鈴木大拙 書《山是山》(金沢ふるさと偉人館蔵)

鈴木大拙から現代アートへ

“禅”を世界に広め、『禅と日本文化』『日本的霊性』などの著作で知られる仏教哲学者・鈴木大拙(1870〜1966)。長年アメリカで生活した大拙は、美術や音楽、文学など、ジャンルを超えた国内外の表現者たちに大きな影響を与えた。ワタリウム美術館で開催中の「鈴木大拙展 Life=Zen=Art」は、そんな大拙に始まる表現の系譜を紹介する展覧会だ。

本を読む鈴木大拙 86才 メキシコ エーリッヒ・フロム邸にて 1956 © D.T. Suzuki Museum

東洋と西洋の思想を架橋する存在

大拙は1870年石川県金沢市生まれ。第四高等中学校予科で西田幾多郎と出会い、生涯の盟友となる。東京帝国大学在学中、鎌倉円覚寺に参拝を続け、居士号「大拙」を受ける。97年に渡米して出版社に務め、1909年に帰国。翌年学習院教授となり、教え子のひとりに柳宗悦がいた。11年にはビアトリス・アースキン・レーンと結婚し、ともに英文雑誌『Eastern Buddhist』を創刊する。50年に再渡米し、58年にかけてハーバードをはじめとする大学で「仏教の哲学」と禅思想についての講義を行った。66年、96歳で逝去。

大拙最大の業績は、禅文化や仏教哲学を西洋に紹介したことだ。大拙は若くして渡米し、英語とともに西洋の思想も学んだ。そのうえで、自らの禅体験や研究をもとに仏教を伝え、東洋と西洋の対話の場を開くことに尽力した。後年のコロンビア大学の講義には、音楽家ジョン・ケージや、『ライ麦畑でつかまえて』などで知られる小説家のJ・D・サリンジャー、精神分析学者のエーリヒ・フロムらが集ったという。

会場風景。スライドショー『相貌と風貌 - 鈴木大拙写真集』より 岡村美穂子、上田閑照著 2005年 禅文化研究所

15歳のときにニューヨークで大拙に出会い、晩年の活動を秘書として助けた岡村美穂子(鈴木大拙館名誉館長)は、7月15日のイベントで当時の様子を語った。

「騒々しいニューヨークで、大拙先生と過ごす時間はとても静かなものでした。一度、無心no mindとはどういう意味か尋ねたら、百足に足の動かし方を聞いた途端に動けなくなってしまった、という話をなさりました。つまり無心とは意識以前の次元を指している。大拙先生の思索のはじまりには、“何かを分けないでおく”ということがあったのです。“大拙”は大ばかという意味で、ばかであることは至難の業であるともおっしゃっていましたね」

本展は4階、靴を脱いで上がる座敷からスタートする。展示室には、《無》《用》など、大拙による書を展示。《△□不異○(色不異空)》は、大拙が敬愛した臨済宗の禅僧・仙厓義梵の《○△□》、そして絵画に表現されるべきは「絶対の抽象である」と宣言したカジミール・マレーヴィチの作品と並べられている(映像展示)。シンプルな形態の空間的な広がりと、そこに見いだされるユーモアが感じられる構成だ。ここではまず心を落ち着けて、静かに書画を味わってみてほしい。

4階の会場風景。右より、鈴木大拙 書《玅用》《無》(ともに鈴木大拙館蔵)。左の映像展示は、仙厓 書《○△□》(出光美術館蔵)、カジミール・マレーヴィチ《黒の十字》、鈴木大拙 書《△□不異〇(色不異空)》(鈴木大拙館蔵)
鈴木大拙 書「△□不異〇(色不異空)」(映像展示)鈴木大拙館蔵 © D.T. Suzuki Museum

西田幾多郎、柳宗悦……大拙を取り巻く人々

続く3階では「大拙を取り巻く人々とアーカイヴ」と題して、大拙と親交のあった人々による書や資料を紹介。まず目を引かれるのは、英語で書かれた《Man’s Extremity is God’s Opportunity》という大拙の書だ。「人間にとっての難曲こそ、神にとっての機会である」。大拙にとって、キリスト教神秘主義思想はつねに重要な比較対象であったことがうかがえる。

3階の会場風景
鈴木大拙《Man’s Extremity is God’s Opportunity》(鈴木大拙館蔵)の展示風景

大拙と生涯関わりのあった西田幾多郎は、「無」字の公案を受け、「無」の探求を続けた哲学者である。とくに代表的な著作『善の研究』は、主客が未分となる純粋経験=東洋的な禅の体験を西洋哲学の術語で再構築したものであり、大拙の方法と重なるところは大きい。

また柳宗悦は、大拙が学習院ではじめて英語を教えた生徒のひとり。柳は民藝以前から朝鮮の美術における「質素そのもの」の美を評価し、芸術と宗教を軸とする独自の思想を形成していった。晩年の柳は、日々の仕事そのものに宗教的な法悦を見出す「妙好人」の概念を介して、再び大拙と密接な関係を持ったという。

会場風景より、柳宗悦の書や書籍が並ぶ。中央上、柳宗悦《トマレ六字》(1950年代)、下左より、羅漢像 (朝鮮時代)、羅漢像(朝鮮時代末期)、『工藝』第40号(1934)、『美の法門』私版本(1949)。すべて日本民藝館蔵

「禅は無道徳であっても、無芸術ではありえない」

2階の展示室には、ここまで見てきたような大拙の思想の、さらに自由な広がりを感じさせるアーティストたちの作品が展示されている。

とくにカウンター・カルチャーが隆盛を極めた1960年代のアートシーンには、禅の思想の影響が色濃い。本展では前述のケージやヨーゼフ・ボイス、ナムジュン・パイクなど、フルクサスに関わったアーティストの作品にそれを見て取ることができる。

会場風景より、手前がヨーゼフ・ボイス《阿呆の箱》(1983)

たとえばパイクは1962年の「フルクサス現代音楽祭」で、頭に墨を付けて紙に線を引く《ゼン・フォー・ヘッド》を発表。93年には、「インドラの網」とともに華厳が用いる「十面の鏡」の比喩にも見える《ニュー・キャンドル》を制作している。これは、実際に火の灯ったロウソクとカメラ、プロジェクターを用いて、揺れ動く光の像を幾重にも生み出すという作品だ。

ナムジュン・パイク《ニュー・キャンドル》(1933)の展示風景

ケージは、龍安寺の石庭にインスピレーションを得たことがよく知られている。また、展示作品の《十牛図(Zen Ox herding Pictures)》は、制作の過程で生まれた55枚の水彩画を、ケージの死後にレイ・カスとステファン・アディスが作品として再編成したもの。ケージが強い関心を持っていた、悟りにいたる段階を図と詩で表す「十牛図」の形式に倣い、それぞれの絵に禅との関連が深いケージの言葉が添えられている。

2階にはそのほかにも、大拙と手紙を交わしていた南方熊楠の手記や、人間の生々しさをデジタルイメージに落とし込む山内祥太の作品などを展示。大拙に始まり、ローカルとグローバル、ジャンルや世代を超えた表現の系譜を感じることができるだろう。

会場風景より、手前がジョン・ケージ《マルセルについて何も言いたくない》(1969)、奥が《十牛図(Zen Ox herding Pictures)》(1988、RAY KASS蔵)
山内祥太《舞姫_Screening Edition》(2022)の展示風景

なお本展では関連企画として、安藤礼二、進士五十八、深澤直人、落合陽一を講師に迎えたレクチャーコース「大拙を体験する 2022」も開催。大拙の思想をもっと深く知るための機会として、あわせてチェックしてほしい。


*作品保護のため、会期中に一部展示替えがございます。

白尾芽

しらお・めい 1998年神奈川県生まれ、東京工業大学大学院(伊藤亜紗研究室)在籍。ダンス研究/ライター、編集者。ウェブ版「美術手帖」で執筆のほか、芸術文化に関わる情報誌の制作などに関わる。