長く続いたパンデミックを経て、ヨーロッパのアートシーンはどう変化しているだろうか? 分断、難民問題、戦争、経済格差、環境問題、公正性、急速に発達する情報技術の是非。複雑で多様な問題に同時多発的にさらされる2023年から2024年の欧州を演劇研究者・内野儀がレポートする。(全12回予定)
コロナ禍の影響をいち早く脱したように見えるヨーロッパの舞台芸術界だが、21世紀に入ってのキーワードとなっていた<移動>については、どうなっているだろうか。
ここでいう移動とは、EU圏を拠点とするアーティストが圏内を自由に移動することや、先月書いた、ドイツ演劇における「公共劇場vs.フリー・シーン」という制度間の移動、たとえば、ゴブ・スクワッドのようなコレクティヴが公共劇場と共同制作するための移動である。
コロナ禍前には、国際共同制作という国境を越える制作方法も、ヨーロッパ各地の芸術祭を中心に広がっていた。完成した作品を招聘するのではなく、新作を委嘱してフェスティヴァルで初演する方法だ。作品創作の文脈から切り離された圏域で上演するのではなく、作り手と受け手双方の文脈を考慮に入れつつ、クリエーションを行うのである。
物理的移動がほぼ解禁された2023年、日本を拠点にするアーティストたちは、どのような動きをみせているだろうか? この点に注目して、ベルリンからライプチッヒへ。さらに、ウィーンとブリュッセルへ出かけることになった。
まずはライプチッヒから。分野は現代美術だが、同市郊外の工場再開発地域にあるピットラーヴェルク(Pittlerwerk)で、「ディメンジョンズ―1859年以降のデジタルアート(DIMENSIONS—Digital Art since 1859)」という国際展が開かれ、池田亮司や高谷史郎らが参加している。ライプチッヒ郊外の広大な敷地(10000平方メートル)に60の作品が展示される。同展が起点としている1859年は、フランスの写真家・彫刻家フランソワ・ウィレム(François Willème)が24台のカメラで同時撮影した映像を重ねあわせ「最初に3Dスキャンと印刷というコンセプト」を直観的に把握した作品を発表した年だという。
展示は「メディアアート―ヴィジュアルアート、イマーシヴ・アート、ロボティック・アート、アルゴリズム生成アート」と「VRとAR」の二部構成。巨大な装置から落下する水を制御しつつ、流れる水流が低解像度3Dディスプレイともなる高谷の《ST\LL for the 3D Water Matrix》(2014)(*1)や、様々なビッグデータの生データ(RAWデータ)を視覚言語に「再分節化し、美学的・聴覚的崇高を魔法のよう呼びだす」(展覧会カタログ、P199)池田の《data-verse 1》(2019)や、彼らが関わったダムタイプの上演作品から立ちあげられた《MEMORANDUM OR VOYAGE》(2014)。あるいは、リアルな環境のみを素材としてVR映像世界へ変換するベルリン在住の黒川良一によるVRを用いたインスタレーション《in s.asmbli》(2020)や京都・西陣織の老舗「細尾」とのコラボレーションによる伝統織物とコンピュテーションを出合わせる堂園翔矢+細尾の《Subspieces (Petals)》(2020)と古舘健+細尾の《Shusu / Moiré & Aya / Lines》(2022)も出品されている。
広大な敷地を歩いていると、デジタルアートの歴史をある種の展望の元に一望できるという機会を与えられ、国際展ならでは、などという俗っぽい感慨を抱いた。そこには作家名とともに記される<日本>という国家的属性も含まれる。ドイツで開催されるデジタルアートの国際展において日本が確固たる場所を占めているのである。国際展の常連である高谷や池田、あるいは、黒川、堂園、古舘による伝統文化とのコラボレーションといったローカルとグローバルな諸文脈が、デジタルアートのジャンル内で交錯しつつ、多様な解釈可能性を開いている。
4月にベルリン・シャウビューネで開かれた「FIND(Festival Internationale Neue Dramatik)」には、庭劇団ペニノが『笑顔の砦』(タニノクロウ作・演出、4月22〜23日)で参加した。ベルリンを代表する公共劇場がシーズン中に開催するFINDは、2000年から行われている海外からの招聘作品中心の小規模なフェスである。
『笑顔の砦』は、2007年に初演されたタニノの初期作品で、その後、19年にリクリエーションとして再演。地方都市を舞台とし、刹那的に生きる漁師たちと介護のために認知症の母と引っ越してきた息子が住むぼろアパートの二部屋を緻密に再現した舞台装置を使い、人物たちの日常が描かれる。ベルリン公演後に本作は、ミラノの「FOG Performing Arts Festival」とブッリュセルの「KFDA(kunstenfestrivaldesarts)」を回っている。コロナ禍以前の海外ツアーのパターンが再開したのである。
そのKFDAには、倉田翠が主宰するakakilikeも、『家族写真』で参加した(5月12~16日)。同集団にとって、これが初の海外公演である。
リアルタイムで写真撮影が行われ、ダンス的な動きを中心に「家族」というフィクショナルな枠組だけを維持しながら、唯一言葉を発する「父親」らしき形象を交えつつ、複雑なレイヤーで演じられる『家族写真』は、「『家族」が本来的にはらむ不穏さ」(山﨑健太による2018年の東京公演時の劇評より)を描き出す。
KFDAは劇場主宰ではないインディペンデントなフェスで、1994年にキュレーターのフリー・レーセンを中心に創設。これまでの国際舞台芸術祭のあり方を根本的に見直すキュレーションで一気に注目を集めることになった。すでに触れた国際共同制作を前面に押し出すとともに、若いアーティストのショーケース的な場としての機能も重要視したからだ。
その精神は、レーセンを継いだクリストフ・スラフマイルダー(在2007~18)を経て、現在の3名による共同キュレーション体制まで生き続けている。KFDAには観客として世界中の有力キュレーターが集結するので、akakilikeの本公演が、今後国際的な活動へと展開していくことが期待される。ここでもまた、コロナ禍前と同様のショーケース的な場への<日本>の参加と交流が始まっているのである。
岡田利規が主宰するチェルフィッチュも、07年のKFDAにおける『三月の5日間』でヨーロッパデビューを果たし、その評価を受けて国際共同制作作品を委嘱され、KFDAでの『フリータイム』初演(2009)へとつながった。岡田はその後、チェルフィッチュとしての海外ツアーを続けるいっぽう、劇作家・演出家として、ミュンヘン・カンマーシュピーレやハンブルク・タリア劇場などのドイツの公共劇場界にとって、欠かせぬ存在となっていく。その岡田は、ウィーン芸術週間(WIENER FESTWOCHEN)のオープニング作品として『リビングルームのメタモルフォーシス』を上演した(岡田利規作・演出、藤倉大作曲、5月13~15日)。
ウィーン芸術週間は5月から6月にかけて美術を含むあらゆるジャンルが参加する巨大フェスで、すでに名声を確立したアーティストから若手の紹介、招聘作品から共同制作まで、多様な機能をもっている。2019年、その芸術監督に就任したのが上記したスラフマイルダーで、本作は同氏の委嘱による新作上演である。
岡田と音楽家のコラボレーションはこれが初めてではないが、今回は現代音楽の作曲家でロンドン在住の藤倉大がクリエーションに参加し、「音楽劇」として上演された。音楽は7名編制のクラングフォルム・ウィーンによるライブ演奏。
舞台上にはその7名が広がって着席していて、舞台後方下手側にタイトルにあるリビングルームらしい空間がある(美術はdot architectsが担当)。俳優はまず、そこで演技を開始。時間が経過するにつれ、リビングルームの枠組は次第に解体されていき、俳優は一人ひとり前面の舞台に浮遊するかのように漂ってくる。
「父」的形象(矢澤誠)が支配する家父長制の空間としてのリビングルームが、まずは支配下にある女性たち(青柳いづみ、朝倉千恵子、川﨑麻里子、椎橋綾那)の抵抗を受け、さらに次第に「気配」と呼ばれる他者の他者性(フロイトの「不気味なもの」)的形象(大村わたる)によって浸食され解体されていく。これは、解放なのかカタストロフィーなのか。
岡田の具体と抽象が絶妙に響き合う言語態と、台詞の意味ではなくその言語態に応答したとしか思えない藤倉の音楽、そして何より、これまで以上に主体的自在さを感じさせる俳優たちの身ぶりと語りによって、濃密かつ複雑な視覚的・音響的・言語的時間が刻まれていく。
本作はコロナ禍前に始まった新しいかたちの国際共同制作の到達点であり、そこではもはや<日本>は、<日本>であって<日本>ではない。あるいは、生成変化のほかに何もない、惑星的でさえあるカオスである。
今回取り上げた少ない事例の範囲内ではあるが、美術の国際展における<日本>は、場合によって意味を持つ属性として記される程度である。他方、言語を扱う舞台芸術の場合、ショーケース的作品紹介あるいは招聘上演というプロセスにおいて<日本>は、その芸術的期待値の構成要素となることは当然あるだろう。
ただ、日本のサブカルが浸透し、ラーメン屋が珍しくないヨーロッパの大都市部において、<日本>は他者性の象徴的存在とはもはや考えられていないのでは、と2ヶ月あまりが経過した滞在で感じている。岡田とその上演チームのように、<日本>はともかく、あなた方はアーティストとしてどんな新しい体験を与えてくれるのかが問われる場合も、これから増えてくるのではないだろうか。
*1──《3D Water Matrix》は高谷史郎の発案で制作された装置で、この装置を使って高谷の《ST\LL》とクリスチャン・パトロスの《魔法使いの弟子》(ともに2014)が展示された。《ST\LL》は、水滴の落下速度とストロボ光の明滅を緻密に同期させることで、無数の水滴が空中で静止したり回転したり上昇したりしているように見せる作品。水滴を落下させるバルブの開閉とストロボの明滅を同期させるプログラムは古舘健が担当した。
http://www.epidemic.net/en/videos/takatani/creation-3D-water-matrix-video.html
内野儀
内野儀