公開日:2024年1月12日

11月、〈10月7日〉とHAUでのリジア・ルイス回顧 【連載】ヨーロッパのいまを〈観光客〉として見て歩く(7)

ハマスによる奇襲攻撃を受けたイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの大規模報復攻撃が始まって約2ヶ月。犠牲となる同区の一般市民を救う手立てを国際社会が見出せないままだ。そのような状況下で、ドイツではいかなる応答が現れているだろうか? 今回のレポートでは、ドイツの舞台芸術シーンにおける現状、同時期にベルリンで行われたリジア・ルイスの特集企画に触れる。

リジア・ルイス Complaint, A Lyric © Moritz Freudenberg

昨年10月7日に起きたハマスによるイスラエル奇襲攻撃では、約1200名のイスラエル人らが殺害された(イスラエル外務省による発表)。その報復として、イスラエルはパレスチナ自治区ガザへの大規模攻撃を現在も続け、戦闘開始後2万人超のパレスチナ人が死亡したとされる(ガザ情報当局による発表。2023年12月21日時点)。第二次世界大戦後の同地での民族紛争はこれまでも大きな問題となってきたが、今回の紛争でも、犠牲となる一般市民を救うための有効な手立てを国際社会は見出せないまま、暗澹たる状況が進行しているのは周知のとおりだ。

芸術や文化のフィールドにおいても、パレスチナ側への共感やイスラエルへの批判が即座に反ユダヤ主義的言動として受け取られ、職を追われる者、発表の機会を失うアーティストのニュースが続く。そのような状況下で、ナチスドイツによるユダヤ人迫害・虐殺という暗い過去を持つドイツではいかなる応答が起きているのだろうか? 今回のレポートでは、前半でドイツの舞台芸術シーンにおける状況を取り上げ、そして後半ではそれと同時期に上演されたリジア・ルイスの特集企画を取り上げる。

長く続いたパンデミックを経て、ヨーロッパのアートシーンはどう変化しているだろうか? 分断、難民問題、戦争、経済格差、環境問題、公正性、急速に発達する情報技術の是非。複雑で多様な問題に同時多発的にさらされる2023年から2024年の欧州を演劇研究者・内野儀がレポート。(全11回予定。Tokyo Art Beat/島貫泰介)

〈10.07〉への初期的応答

10月7日のハマスによるテロ攻撃への、イスラエルの〈過剰〉という形容詞ではまったく足りない報復攻撃のなか、同月26日付けの『rbb24』は「イスラエル非難を逡巡するベルリンの演劇シーン(Die Zurückhaltung der Berliner Theaterszene zum Angriff auf Israel)」と題されたバーバラ・ベーレント(Barbara Behrendt)による署名入り記事を掲載した。

rbbとは、公共放送「ベルリン・ブランデンブルク放送(Rundfunk Berlin-Brandenburg)」の略称で、そのHPにこの記事は掲載された。副題には「ベルリンの劇場は自らを議論の場とみなすことを好むが、ハマスのテロ攻撃後は著しく慎重な反応を示しているのはなぜか?―バーバラ・ベーレントによる分析」とある。

公共劇場で初期的応答としてステートメントを出したのはベルリナー・アンサンブルだけで、ドイツ座はソーシャルメディアのみ、フォルクスビューネは「慎重に検討した結果、ステートメントを出さないことに決めた」とここでは報告されている。日本でもその名が知られるイスラエル出身の作家のヤエル・ローネン(Yael Ronen)が、イスラエル系、パレスチナ系、シリア系住民に加えて、東欧からの難民が共存するベルリンの〈現在〉をコミカルに描いて多くの賞に輝いた『あの状況(The Situation)』(2015)は、マキシムゴーリキー劇場での今シーズンの再演が予定されていたが、ローネン自身の要望でキャンセルされ、それに対してパレスチナ系の出演俳優から抗議の声が寄せられたことにも同記事は触れている。

記事の後半は「ようやく応答しはじめた」という流れに触れ、「自身の声を再び取り戻しつつある劇場もある」という小見出しが題されている。また、同記事掲載と同じ日にシャウビューネ劇場で開催予定だった「討論の部屋(Streitraum)」において、イスラエル・パレスチナの問題を取り上げることも書かれており、実際それは開催された。

「討論の部屋」は同劇場では毎月の恒例企画だ。劇場のセキュリティを強化し、急遽この問題を取り上げることにした哲学者のキャロリン・エムケ(Carolin Emcke)の司会のもと、ドイツ・パレスチナ人協会会長を含む多様な参加者が議論した。私が記録映像(ドイツ語のみ)で理解したかぎりでは、正面から、パレスチナサイドから見たイスラエルの問題が論じられていたという印象である。

同記事の冒頭で取り上げられた劇場には、10月10日にステートメントを出したHAUもある。この連載でも「フリーシーンを代表する」といった形容詞でHAUを紹介してきたが、同劇場によるステートメントは、ハマスのテロを非難するいっぽう、「私たちの思いは、爆弾や暴力を恐れなければならない現在の危機的状況や紛争地帯にいるすべての人々とともにある」とある。この「簡潔な」一節を「最も印象的」だとベーレントは書いている。パレスチナやガザ地区といった具体名を出しにくいドイツの状況下では、これが精いっぱいの応答、という意味だろう。

HAUとは何か?

ところでHAUとは、そもそもどういった劇場組織か? 正式名称はヘッベル・アム・ウーファ劇場(Hebbel am Ufer)といい、三つの上演空間(HAU1・2・3)とヴァーチャルなサイト(HAU4)を擁している。発足当時、使われなくなっていた劇場を束ね、2002/3年シーズンに稼働し始めた、専属劇団を持たないインデペンデントの上演組織である(HAU4はコロナ禍の2020年から稼働)。HAU1は伝統的なプロセニアム劇場で575席、ブラックボックスのHAU2が197席、同じくHAU3が97席を有する

日本とも縁が深いマティアス・リリエンタールが初代芸術監督で、2012年以降から現在まで、アネミー・ヴァナケレ(Annemie Vanackere)がその任に当たっている。国際性と実験性を特徴とし、リミニ・プロトコルやシー・シー・ポップといったポストドラマ的コレクティヴの活動拠点ともなり、方法論的・理論的最先端を常に意識させるようなプログラミングで知られてきた。

HAUにおけるリジア・ルイス回顧展

そのHAUでは、11月、HAU1~4までのすべてを使ったリジア・ルイス(Ligia Lewis)回顧展「哀歌―あるリリック リジア・ルイスによるレトロスペクティヴ(Complaint, A Lyric A Retrospective by Ligia Lewis)」が開かれた(15~19日)。このレトロスペクティヴでは、HAU2の上演空間以外のスペースで展示された映像インスタレーション『死ぬより死んでいる(Deader than Dead)』とサウンド・インスタレーション『哀歌―あるリリック』も含まれる。

ドミニカ出身のルイスはアメリカ合衆国フロリダ州で育ち、現在ベルリンを拠点とするアーティストである。カテゴリー的にはダンスだが、自ら出演するだけでなく、構成、振付、演出まで手がける。回顧展では、三部作「青、赤、白(BLUE, RED, WHITE)」、『悲しい揺らぎ(Sorrow Swag)』(2014)、『マイナーな物(minor matter)』(2016)、『水の意志(メロディーにて)(Water Will[in Melody])』(2018)に加えて、『動かない動かなくない(Still Not Still)』(2021)、『あるプロット/あるスキャンダル(A Plot/A Scandal)』(2022)の計5作品が上演された。

リジア・ルイス Sorrow Swag © Dieter Hartwig

サミュエル・ベケットやジャン・アヌイといった20世紀演劇からの引用を含みつつ、青の照明と濃霧のような上演空間で繰り広げられる白人男性1名による語りと身ぶりの『悲しい揺らぎ』。ルイスと黒人男性ダンサー2名が、ありとあらゆる関係性(身体的、キャラ的)をダンス的に追求する『マイナーな物』。水をふんだんに使ったダイナミックでシアトリカルな舞台装置とむき出しの照明装置のなか、グリム兄弟の「わがままな子供(The Willful Child)」を出発点として、ジャンルとしてのメロドラマをモチーフに華麗な衣装と極端に少ない動き(活人画の連鎖)を特徴とする、ルイスを含む4名のパフォーマーが出演する『水の意志』。

リジア・ルイス Water Will(in Melody) © katja illner

〈黒い聖母〉のイメージと中世フランスの「哀歌(complainte)」をモチーフにする『動かない動かなくない』にはルイスは出演せず、この回顧展で最大となる7名の多種多様なパフォーマーが登場する。それぞれに固有の当事者的(=受動性の)身ぶりを反復しつつ、ここでは断片的な挫折する親和的関係性や暴力の発動が、笑いの感覚を喚起しながら披露されていく。HAU1の広い舞台を使いつつ、照明装置や舞台装置も総動員しての〈負のタンツテアター〉的スペクタクルである。

黒人(女性)奴隷の問題を主題化しつつ、歴史的に幅広い人物的素材に取材して構成された『あるプロット/あるスキャンダル』は、ルイスのソロ・パフォーマンス。奴隷制の理論的支柱としてのジョン・ロックからはじまり、サント・ドミンゴの奴隷解放運動の指導者マリア・オロファ、キューバの芸術家で革命家のホセ・アントニオ・アポンテ、1900年代初頭にイスパニョーラに住んでいたルイスの曾祖母ロロンなど、黒人(女性)たちの抑圧と抵抗の歴史を〈上演〉する、劇場機構も最大限に活用した〈仮面劇〉的スペクタクルである。

ジリア・ルイス A Plot / A Scandal © katja illner

それでも私たちは生きて動いている

近年、終わったジャンルとみなされがちだったピナ・バウシュ的〈タンツテアター〉の伝統に、ポスト植民地主義の理論的枠組にある〈脱植民化〉のモメントを持ち込んで再活性化しているともみなされるルイスだが、私個人はミニマルでありながら豊穣な身体的知的インプットで観客の身体とシンクロする『マイナーな物』にもっとも感銘を受けた。

「黒と白」といった政治的文脈に回収されやすい対比を大きく踏み越える〈色〉へのこだわりを常に見せるルイスだが、本作では3名のパフォーマーの眼が、それぞれ〈黒目〉だけに見えるカラーレンズを装着している。6つの〈黒目〉が、照明の光を乱反射させつつ多義性を胚胎しながら観客を眼差し射貫くのだ。

リジア・ルイス minor matter © Dorothea Tuch
リジア・ルイス minor matter © Dorothea Tuch

こうしたディテールへのこだわりだけではない、ほぼ連続的に繰り出される3つの具体的個の身体/3人のダンサーの身ぶり的身体/3名の代理表象的身体が、それぞれのステータスを混濁させつつ、動き続けることの〈肯定性〉が、何よりこの暗い時代における〈タンツテアターの可能性〉だと感じられたのだ。いや、呼び名はどうでもよい。批判でも否定でもない、〈それでも私たちは生きて動いている〉という〈肯定性〉の在処と在り方こそが、ルイスが探求する主題にほかならないのである。

内野儀

演劇研究。1957年京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(米文学)。博士(学術)。岡山大学講師、明治大学助教授、東京大学教授を経て、2017年4月より学習院女子大学教授。ベルリン自由大学国際演劇研究センター “Interweaving Performance Cultures”招聘研究員(2015-6年)、同大学演劇学研究所客員研究員(2023-4年)。専門は表象文化論(日米現代演劇)。単著に『メロドラマの逆襲―〈私演劇〉の80年代』(勁草書房、1996年)、『メロドラマからパフォーマンスへ―20世紀アメリカ演劇論』(東京大学出版会、2001年)、『Crucible Bodies: Postwar Japanese Performance from Brecht to the New Millennium』 (Seagull Press、2009年)。『「J演劇」の場所―トランスナショナルな移動性(モビリティ)へ』(東京大学出版会、2016年)。共著に『Brecht Sourcebook』(Routledge、2000年)、『Tokyogaqui um Japao imaginado』(SESC SP、2008年)、『亞州表演藝術――從傳統到當代』(進念‧二十面體、2013年)、『Okada Toshiki & Japanese Theatre』(Gomer Press、2021年)、『Staging 21st Century Tragedies』(Routledge、2022年)等。公益財団法人セゾン文化財団評議員、公益財団法人神奈川芸術文化財団理事、福岡アジア文化賞選考委員(芸術・文化賞)、ZUNI Icosahedron Artistic Advisory Committee委員(香港)。「Dance Research Journal of Korea」(韓国)国際編集委員、「TDR」誌(Cambridge UP)編集協力委員。