公開日:2026年6月9日

歴史を抱く、未来をあやす。「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ」日本館、荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」レビュー(評:能勢陽子)

208体の赤ちゃん人形が集う荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」。運命と選択、歴史とケアが交差する本展を、能勢陽子(東京オペラシティ アートギャラリー シニア・キュレーター)がレビューする

「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館  荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景 2026  撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金

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作品と生が交わるとき

赤ちゃんをあやしている老若男女が行ったり来たりしている。赤ちゃんを抱いている人たちはたいてい笑顔で、周囲は和やかなムードに包まれている。しかし、溢れんばかりの赤ちゃんたちにジャックされたかの会場は、どこか異様でもある。来場者がいつしかパフォーマーになっている「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ」日本館の荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」(共同キュレーター:高橋瑞木、堀川理沙)は、ほかのどんなパビリオンや作品よりも流動的な生の活気に満ちており、ある幸せのオーラを放っていた。なお、展示の詳細については、こちらのレポートをお読みいただきたい。

「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館  荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景 2026  撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金

美術作品からは、作家の家族や友人たちとの交流、社会状況、また先達の作家たちからの影響が零れ落ちている。パフォーマンス・アーティストの荒川ナッシュは、結晶化するまでの作品に動機や滋養を与えた人々との関わりや時代的な背景を、史実とフィクションを織り交ぜながら展開する。しばしば作品は舞台上の役者のように擬人化され、作者の生や人々とのつながりを語り始める。「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ」日本館では、2024年に双子のクィア・ペアレンツになったばかりの荒川ナッシュの、子を持つことの喜び、責任、その複雑さといった経験が色濃く反映されていたが、そこにもやはり近しい人たちを含む多様な人々が招き入れられていた。

「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館  荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景 2026  撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金

吉阪隆正が1956年に設計した日本館の入り口右手のバナーには、双子とともに羽田空港からヴェネチアに向かおうとする荒川ナッシュとパートナーの姿が、吉阪とU研究室(吉阪研究室)の大竹十一の姿に置き替えられている。このイラストは、ハワイ在住の日系アメリカ人、R・キクオ・ジョンソンが描いたものである。どうやら赤ちゃんは、人間の子供というだけでなく、芸術家が共同で生み出す作品のことでもあるらしい。

吉阪は、建築だけでなく、都市計画や社会構造にも敷衍する概念として、「不連続統一体(DISCONT)」を掲げていた。それは、全体をひとつの秩序で統一しようとする近代建築に対して、それぞれが個別なまま不連続に全体を形成するという思想であり、「DISCONT」とは「どこでも/いつでも/それぞれが/こんなことでも/思い切って/なんでも/提案しよう」という日本語の頭文字をつなげた造語である。独立した4つの柱が支え合う建物とシームレスにつながる庭が空間を作る日本館は、その「不連続統一体」を体現したものと言える。登山家としても知られた吉阪の設計した日本館の導線は、さながら弧を描いて昇降する山のようであり、中心だけでなく、天井や壁の上の隙間でポーズを取る赤ちゃんたちは、これからの人生の探検家のようである。

「第61回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館  荒川ナッシュ医「草の赤ちゃん、月の赤ちゃん」展示風景 2026  撮影:Uli Holz 提供:国際交流基金

日本館には、ほかにも様々な参加者、協力者が加わっており、オープン時にパフォーマンスを行ったアジア系アメリカ人のアーティストコレクティヴ「FAC XTRA RETREAT」(*1)、1995年に日本館に初めて参加した韓国人作家のチェ・ジェウン(崔在銀)、日本館と韓国館のコラボレーションにより実現した2026年韓国館の出品作家であるチェ・ゴウンやノ・ヘリとキュレーターのチェ・ビンナ、作曲家のサージ・チェレプニン、映像作家の斎藤玲児、映像作家・ライターの中村佑子、AIを使った赤ちゃん服の生地のデザイン協力をしたNUNO、赤ちゃん服を縫った荒川ナッシュの母とその友人たちなど、多彩な顔ぶれの人々が参加していた。

FAC XTRA RETREATによるパフォーマンス《24アワー・ケア》(5月8日、9日) 撮影:Uli Holz Courtesy of the artists 提供:国際交流基金
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