公開日:2022年5月3日

ヴェネチア・ビエンナーレ2022現地レポ!【1】女性+ジェンダー・ノンコンフォーミングの作家が90%を占めるメイン展示「The Milk of Dreams」編

2022年開催の第59回ヴェネチア・ビエンナーレの様子を現地から2本立てで速報。第1弾は、ジャルディーニとアルセナーレを舞台とするメイン会場での企画展「The Milk of Dreams(夢のミルク)」展をレポート。ポストヒューマンや身体、テクノロジーをテーマに、参加作家の大半を男性以外が占める本展が示すものとは?

シモーヌ・リー Black House 2019

新型コロナウイルスの影響で開催が延期されていた第59回ヴェネチア・ビエンナーレが、ついに開幕した。会期は2022年4月23日から11月27日。国際展覧会「The Milk of Dreams」(キュレーター:セシリア・アレマーニ)における金獅子賞は、アメリカのシモーヌ・リーが受賞した。この記事では、「The Milk of Dreams」の様子を、写真を交えながら紹介していく。(クレジットの無い写真は筆者による撮影)


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金獅子賞のイギリス館から緊急設置された「ウクライナ広場」まで


2022年のヴェネチア・ビエンナーレは、参加アーティストの大半が女性

「The Milk of Dreams」というタイトルは、シュルレアリスムの芸術家レオノラ・カリントンの小説にちなんで名づけられた。同展には58か国から200人以上のアーティストが参加しており、そのうち180人以上のアーティストがこれまで国際美術展に参加した経験をもたない。また、ビエンナーレの127年の歴史のなかで初めて、女性あるいはジェンダー・ノンコンフォーミング(性に関する旧来の固定観念に合致しない人)のアーティストが参加者の90%を占めることとなった。同展は、「身体の表現とその変容」、「個人とテクノロジーの関係」、そして「身体と地球の関係」という3つのテーマに基づいて構成された。

シモーヌ・リー Black House 2019

シモーヌ・リー Black House 2019

会場に入って真っ先に目に飛び込んでくるのが、シモーヌ・リー(Simone Leigh)の《Brick House》。高さ5m近くにも及ぶこの巨大な彫刻作品は、目のない黒人女性の姿をしている。スカートのような胴体の造形は、ベナンとトーゴのバタマリバ建築、チャドとカメルーンのムスグム族のテレウク住居の建築要素を取り入れている。彼女は髪をコーンロウに編んでおり、その毛先には貝殻があしらわれている。この貝殻は、アフリカの奴隷貿易の通貨でもあり、バタマリバ族にとっては占いに欠かせない道具でもあった。黒人女性の身体に対する偏った見方を力強く跳ね除けるこの作品は、展覧会部門での金獅子賞を受賞した。

ベルキス・アヨン La consagracion cycle(コピー) 1991

リーの彫刻を取り囲むように展示されているのは、ベルキス・アヨン(Belkis Ayon)による絵画作品である。しかし、これらのうちの一部はオリジナルではなくコピーだった。なぜなら、これらの作品は、サンクトペテルブルクの国立ロシア美術館の所蔵品だからである。ロシア軍のウクライナ侵攻を受け、今回のビエンナーレはこの軍事侵攻に明確な反対の立場をとっており、ロシア政府の関係機関や個人が展覧会やイベントに出席することを認めなかった。

「絵画」と「彫刻」だけじゃない、多種多様な表現が集う場所

「The Milk of Dreams」には、これまで美術史のなかで過小評価されてきたアーティストの作品が揃っている。たとえば、ミルランデ・コンスタント(Myrlande Constant)は、ビーズを使った大判の作品を展示した。作品の主題はブードゥー教の神話とハイチの風景に基づいており、異なる人種・宗派・国籍の人物が一緒に儀式を行う様子が鮮やかな色使いで描かれている。彼女は長らくブードゥー教徒のための旗を作る工場に勤務していたが、従業員のほとんどは男性であったという。コンスタントは、伝統的なイメージをガラスビーズという女性的な素材で再現することで、男性中心的な文化を覆した。

ミルランデ・コンスタント GUEDE (Baron) 2020

ミルランデ・コンスタント GUEDE (Baron) 2020
ルース・アサワ(Ruth Asawa)の作品。作者のアサワは10代の頃にアメリカで日系人強制収容所に暮らした過去を持つ。半透明のワイヤーを繭のように連ね、子宮をイメージさせるかたちを作り出した
トシコ・タカエズ(Toshiko Takaezu)の作品。作家の両親は沖縄県出身の米国移民2世で、タカエズ自身も日本画や茶道といった文化に影響を受けている

また、「A LEAF A GOURD A SHELL A NET A BAG A SLING A SACK A BOTTLE A POT A BOX A CONTAINER」と題されたコーナーでは、これまで語られることのなかった「器」に焦点があてられた。タイトルは、SF作家のアーシュラ・K・ル=グウィンの文章に由来する。歴史のなかでは、勇ましい男性が使うものとして剣や弓、槍といった武器については繰り返し語られてきたが、収穫した果実を保存する器や、日常の細かな道具を収める袋など、「いれもの」の存在は透明化されてきた。ここでは、女性作家が手がけた工芸作品を集め、男性的なナラティブを脱することが試みられる。

エマ・タルボット Where Do We Come from? What Are We? Where Are We Going? 2021

イギリスを拠点にするエマ・タルボット(Emma Talbot)は、エレーヌ・シクスーの「L'écriture Féminine(女性的エクリチュール)」を引用し、絵画と言語、そして思考の概念的関係性を探っている。今回展示された《Where Do We Come from? What Are We? Where Are We Going?》は、ゴーギャンの有名な作品をイメージソースとしつつ、ビビッドな色合いのテキスタイルとカリグラフィによって女性の個人的経験を表現している。

エマ・タルボットの作品。彼女はこのビエンナーレのためにイタリアでの6ヶ月間のアーティスト・イン・レジデンスを経験した

同じ部屋には、ニューヨークを拠点とするドミニカ人アーティスト、フィレレイ・バエズ(Firelei Báez)の作品も並ぶ。彼女は、古代の民話を再検討することで、大西洋横断奴隷貿易に関する歴史の新しい解釈の可能性を想像した。アフリカン・アメリカンの身体を幻想的なタッチで描き出し、ディアスポラの記憶と文を個人的な経験と重ね合わせている。

フィレレイ・バエズ Muzidi Calabi Yau Space 2022

サイボーグの誘惑──機械と人間の境界を考える

「The Seduction of the Cyborg」と題されたコーナーでは、テクノロジーの現在と未来を想像させるような作品が展示された。サイボーグとは、「サイバネティック(cybernetic)」と「オーガニズム(organism)」を組み合わせた造語で、ロボットやアンドロイドとは異なり、人工的な技術によって、強化された機能や能力を持つ人間のことを指す。

ラヴィニア・シュルツ(Lavinia Schulz)&ワルター・ホルト(Walter Holdt)による作品

レベッカ・ホルン(Rebecca Horn) Kiss of the Rhinoceros  1989

1985年、ダナ・ハラウェイは、この言葉を再利用して、人間と動物とのあいだの境界がどのようなものであるかを探求した。この展示では、ハラウェイのフレームワークをもとに、「サイボーグ」としての身体がもたらす現代的で開放的な主体性を提示する。これはまた、女性と機械のイメージにつねに付きまとってきた男性的な空想──魔性の女としての「ヴァンプ」、理想の女性のかたちを模した機械人形としての「未来のイヴ」など ──から、女性の主体性を取り戻す試みでもある。

池⽥⿓雄の作品

日本出身の池⽥⿓雄工藤哲巳は、今回の展覧会では非常に珍しい男性アーティストとなった。60年代の日本を中心に活動した池田は、地球外生命体のようにも見える抽象的な作品を数多く残している。動物的だがどこかに人間らしさの残るイメージと曲線的な線は、これらの生物の巻きひげや皮膚に鑑賞者の視線を誘導する。また、工藤哲巳が手がけた奇妙に光る花々は、愛らしい自然を表現しながらも、核戦争後あるいは黙示録的な風景を想起させ、相反する概念を同居させたものとなった。

工藤哲巳 Flowers from Garden of the Metamorphosis in the space capsule 1968

同じ部屋に並んだのは、タンザニアにルーツを持ちながらもフランスとカナダで暮らすカプワニ・キワンガ(Kapwani Kiwanga)の作品。彼女は、歴史研究とサイトスペシフィックな体験を結び付けるインスタレーションを公開した。カラフルな色に染められたテキスタイルと彫刻作品を組み合わせ、透明さの異なる層を織り交ぜた空間が生み出されていた。角度によって見え方の変わるテキスタイルは、神秘的な美しさと同時に、都市部を照らす警察の投光器や、18世紀初頭のニューヨークで制定された「ランタン法」(14歳以上の奴隷に日没後にランタンやろうそくを持たせる法律)をも想起させる。

カプワニ・キワンガ Sunset Horizon 2022

また、記しておきたいのが2人の韓国人女性アーティストの存在だ。イ・ミレ(Mire Lee)は、大型のキネティック・インスタレーションを公開した。スチール製のラックにホースから血のような液体がにじみ出た骸骨のようなものが絡まり、粘着性の液体が絶えず流れ続けている。骸骨は陶器でできており、そこに注ぐ血のような液体は釉薬の一種だ。ポンプを使って流れ続ける釉薬は人間の心臓と血液を思わせる。この作品は展覧会最終日に焼成される予定だが、骨のような陶器にはそれまでずっと釉薬が注がれ続ける。

イ・ミレ Endless House 2022

チョン・グムヒョン(Geumhyng Jeong)は、ロボット彫刻とマルチチャンネルビデオを組み合わせたミクストメディア・インスタレーションを展示した。彼女は自分の身体とDIYパーツで作られた動物型のロボットを使い、人間と機械のあいだに生まれる不気味な関係性を強調している。奇しくも、ナショナルパビリオンでも韓国館は有機物と無機物の境界を攪乱するようなキネティック・インスタレーションを展示しており、図らずも類似の問題意識を三者三様のかたちでプレゼンテーションすることとなった。

チョン・グムヒョン Toy Prototype 2021

動き続ける、変わり続ける、世界各国のアーティストたち

広告のなかの言葉とグラフィックに着目した作品を生み出し、フェミニスト・アートの旗手とも言える存在のバーバラ・クルーガー(Barbara Kruger)は、巨大な部屋をテキストで埋め尽くした記念碑的な新作インスタレーションを公開した。

バーバラ・クルーガー Untitled (Beginning/Middle/End) 2022

アルセナーレ会場の最後を締めくくったのは、プレシャス・オコヨモン(Precious Okoyomon)の大規模なインスタレーションだった。会場に入ると、建物のなかであるにもかかわらず川のせせらぎが聞こえ、土のにおいが鼻を抜ける。

プレシャス・オコヨモン To See the Earth before the End of the World 2022

ナイジェリア系アメリカ人のオコヨモンは、岩、水、野草、カタツムリ、ツルなど、自然の素材から彫刻的トポグラフィを制作している。今回の会場にも実際に土が敷かれ、川が流れ、鑑賞者はまるで散策するかのように小道を辿って丘を登った。オコヨモンにとって、自然は植民地や奴隷の痕跡と不可分のテーマだ。たとえば、作品に登場する葛は、日本原産だが、綿花の乱獲で悪化した土壌の浸食を防ぐため、アメリカ政府によって1876年にミシシッピ州の農場に導入された。しかし、葛はその後アメリカの大地に文字通り根を張り、いまでは政府が制御することが不可能なほど広がっている。あるいは、サトウキビは作家自身の祖母がナイジェリアの自宅の裏庭で栽培していた植物だという。葛やサトウキビは会場の中で成長を続け、変化と再生のシンボルとして機能するのだ。

キュレーションへの批判:女性が多いと「質が低い」のか?

「The Milk of Dreams」は、歴史のなかで過小評価されてきた女性やディアスポラのアーティストたちを拾い上げ、ヴェネチア・ビエンナーレが内包する権威主義的な傾向に真っ向から逆らうキュレーションを行っていた。しかし、アレマーニの試みがすべての鑑賞者に歓迎されたわけではない。たとえば、ファイナンシャル・タイムズ紙は参加アーティストの90%が女性となったこの展覧会を「考えられないほどジェンダーバランスが悪い(absurdly gender-unbalanced)とし、「女性に限定した人選によって、アレマーニは展覧会の質を犠牲にしている。この代償は、市内で行われた男性アーティストによる素晴らしい展覧会との対比からも明らかだ(by choosing almost exclusively women, Alemani has paid a severe price in terms of quality, a cost obvious too in the contrast with many superb exhibitions by male artists across town)」とさえ評した(*1)。ここで指す市内の素晴らしい展覧会とは、おそらくアカデミア美術館でのアニッシュ・カプーア展、デュカーレ宮でのアンセルム・キーファー展を指しているのだろう。

今回のビエンナーレに作品を展示した女性アーティストたちの多くは、確かにキーファーやカプーアほどの世界的知名度はない。学究的な蓄積も彼らに比べれば少なく、刺繍や編み物のように、従来サブカテゴリに分類されてきた作品も多かった。しかし、それが本当に「質の低さ」を意味するのだろうか? そして、芸術の質を担保するのは「作者の性別」なのだろうか?──言わずもがな、答えはNOだ。参加アーティストの90%が男性であった場合に、その「質」について「男性が多いので質が低い」と批判する声はほとんど上がらないだろう。

皮肉にも、幾人かの批評家たちのリアクションは、美術業界における男性中心主義を再び炙り出すこととなった。女性アーティストたちは、男性アーティストに比べて実力がないから無名なのではない。アートワールドが内包する男性中心・白人中心的な構造ゆえに、チャンスが巡ってこなかった過去があるのだ。

アンセルム・キーファー「Questi scritti, quando verranno bruciati, daranno finalmente un po’ di luce」展示風景より

このような意見を通じて、私たちはアレマーニの取り組みがいかに有益かつ重要なものであったかを再認識することになる。豪華絢爛なデュカーレ宮に展示されたキーファーの作品は、確かに息を呑むほど素晴らしかった。そして、「The Milk of Dreams」にも、それにまったく引けをとらない素晴らしい作品が集っていた。このビエンナーレのキュレーションは、現代の美術史において最も重要な転換点となったと言っても過言ではない。

*1──Jackie Wullschläger, “Venice Biennale meets the moment with outstanding pavilions,” Financial Times, 23 Apr 2022, accessed 28 April 2022, https://www.ft.com/content/08416acb-b1b0-4026-aab4-aecbbeb7bccf

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金獅子賞のイギリス館から緊急設置された「ウクライナ広場」まで

齋木優城

齋木優城

齋木優城 キュレーター/リサーチャー。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程修了後、 Goldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。現在はロンドンに拠点を移し、研究活動を続ける。