公開日:2024年2月4日

「決定版! 女性画家たちの大阪」展(大阪中之島美術館)レビュー。女性日本画家や美人画の定説を打ち破る展覧会(評:北原恵)

島成園をはじめとする多くの女性の日本画家が活躍していた約百年前の大阪。約150点の作品と関連資料で、当時の美術界と画家たちを紹介する展覧会が2023年12月23日〜2月25日に開催。

島成園 無題 1918 大阪市立美術館蔵 *通期展示

「決定版!」の展覧会

「決定版! 女性画家たちの大阪」は、大阪ゆかりの女性の日本画家だけを集めた、これまでで最大規模の展覧会である。59名による、前後期入れ替えを含めて186点が並ぶ。タイトルからは主催者の意気込みと、ここまでに至る長い道のりを感じさせるが、いかに、本展覧会が「決定版!」なのか。見どころやポイントをレポートする。(2024年2月25日まで、大阪中之島美術館のみでの開催)

島成園と大阪ゆかりの女性日本画家たちに関する研究

「女性画家たちの大阪」展は、5部構成から成り、従来、紹介されてきた美人画だけでなく、南画・花鳥画(第3部)や郷土の表現(第4部)を充実させたところに、今回の特徴がある。

第1部は、なんといっても大阪の女性日本画家の存在を東京の画壇に知らしめ、大正時代の活況の先駆者となった島成園である。そして第2部で、成園を中心に作られた「女四人の会」のメンバーたちの作品へ続く。最終章「新たな時代を拓く女性たち」では、弟子や無名の画家たちの作品が多数並べられ、大阪での裾野の広がりを一気に見せた。

島成園 影絵之図 1919頃 木原文庫蔵 *後期展示
木谷千種 をんごく 1918 大阪中之島美術館蔵 *前期展示

島成園や大阪ゆかりの女性の日本画家の研究は、本展企画者の小川知子学芸員によって切り拓かれてきた。小川は、これまでこのテーマで、展覧会を2度開いたことがある。2006年の「島成園と浪華の女性画家」展には、2週間足らずで2万人以上の来場者が詰めかけ、2008年「女性画家の大阪 —美人画と前衛の20世紀」展も評判を呼んだ。昨年の「大阪の日本画」展でも、女性画家の出品作が多かったのが印象に残る。つまり、20年以上、小川が作品を掘り起こし、調査し続けてきた成果が、今回の「決定版!」だと言えよう。

2006年と2008年の展覧会が美人画を中心としていたのに対して、今回は、美人画に加えて、数多く存在した文人画の女性画家たちの作品を見せた。それは、女性画家の作品の多様性を示すにとどまらず、文人画家を育む豊かな大阪の土壌にあらためて目を向けさせるものだった。

生田花朝 だいがく 昭和時代 大阪府立中之島図書館蔵 *後期展示

大正期、女性日本画家を輩出した大阪

では、本当に大阪には女性画家が多かったか? そうであれば、なぜ、多かったのだろうか?

大阪でとくに女性の日本画家たちの活躍が目立つのは、100年前の大正期である。島成園が文展に入選し、京都の上村松園、東京の池田焦園と並び「三都三園」のひとりとして一躍注目されたのが、大正元年(1912)のこと。実際、大正時代に限ってみると、文展・帝展という国家認定の展覧会に入選した在阪画家のうち、約4分の1が女性だったというから、驚きである。なぜなら、当時、美術界全体における女性画家は4%しかいなかったからだ。

だが、大阪の女性画家ブームは、大正期に突然現れたわけではない。江戸時代から教養人の文人画(南画家)サークルに女性を受け入れ、パトロンが画家を支え、経済力のあった近世大坂以来の伝統が背景にある。当時活躍した女性画家たちは、その多くが南画家として山水や花鳥を中心に制作し、その後の明治生まれの女性画家は美人画を描くようになった。

実際、跡見学園の創設者として有名な跡見花蹊は、南画に必須の漢学を関西で身に付けて、東京での活躍の礎としたと言われている。また河邊青蘭は、大正末の画家所得番付では、土田麦僊や上村松園を凌ぐほど人気だった。その女性だけの世界を描いた《態濃意遠図》(1889)は、細部を見ていて飽きない。

河邊青蘭 態濃意遠図 1889 実践女子大学香雪記念資料館蔵 会場風景より 撮影:編集部 *通期展示

セクシュアリティ、階級、老い:女性画家の視点 

小川は、「女性、男性とひとくくりにはできないものの」、と前置きしたうえで、言う。「女性の描く美人画は、本当の女性を描いている」から面白い、と。 

身近な世界を描いた画家もいれば、鳥居道枝のように恵まれた環境の自分とは異なる境遇の女性をテーマに、女性労働者や娼妓を描き、社会的視点を持った画家もいた。さらに、女性画家たちによるセクシュアリティの表現も気になる。1916年、島成園を中心に女ばかり4人で初めての展覧会を開催した「女四人の会」は、井原西鶴の『好色五人女』をテーマにしている。それは男性の創った女性のセクシュアリティを女性から描き返す挑戦だったと言えよう。それを貫くのはいまも決して容易ではない。

女四人の会(大阪三越) 1916 大阪中之島美術館蔵 左から岡本更園、吉岡(木谷)千種、島成園、松本華羊
「第2章 女四人の会」の展示風景 撮影:編集部

そして、右頬にあざのある若い女性を描いた島成園の自画像、《無題》(1918)は、明らかに従来の「美人画」の枠組みから抜け出している。だが、当時新聞では、作品は求婚広告だと揶揄され、さらに《無題》というタイトルが生意気だと、散々批判された。そして、展覧会の最初に展示された成園の《祭のよそおい》(1913)——。少女たちのあいだにも厳然として存在する階級格差を描き分けたこの作品は、いつ見ても胸を打つ。

島成園 無題 1918 大阪市立美術館蔵 *通期展示

女性画家たちの「老い」に対する視線も興味深い。

たとえば、島成園の《伽羅の薫》(1920)に描かれたのは、もう若くはない太夫である。成園は、自分にとっても馴染みのある世界だった大茶屋の実家を持つ母・千賀をモデルにし、太夫の「痛ましい濃艶さ」を、デフォルメした長い顔と身体や着物に描き込んだ。それは、品格を保つために出品作には太夫を描かなかった上村松園の美人画の世界とも、ほかの男性画家たちともまったく異なる女性の姿である。

島成園 伽羅の香り 1920 大阪市立美術館蔵 会場風景より 撮影:編集部 *通期展示

成園が「老い」を見つめる視線は、自分自身にも容赦なく向かう。《自画像》(1924)には、ほつれ髪で目の下に隈のある32歳の自身の姿が描き出されている。背景には、化粧をして自在に男女を演じる歌舞伎役者の絵が見え、自分の老いを嘆くのではなく、直視して社会的にとらえようとする意志を感じさせられた。展覧会の最後を締めくくった島成園の《自画像》——。そこには企画者の共感と暖かいエールが込められている。

島成園 自画像 1924 大阪市立美術館蔵 会場風景より 撮影:編集部

小川は、図録で「大阪の女性画家という大きなテーマを扱う展覧会は本展をもって最終回となるだろう」と述べているが、基礎研究の道筋をつけ、既存の女性日本画家や美人画に対する定説を打ち破る本展は、私にとっては新たなスタートである。

北原恵

きたはら・めぐみ 大阪大学名誉教授。東京大学大学院・総合文化研究科・表象文化論博士修了、学術博士。2001〜08年甲南大学教員、2008〜21年大阪大学教員。専門は、表象文化論、美術史、ジェンダー研究。主な著作・編著に、『アート・アクティヴィズム』『攪乱分子@境界』(インパクト出版会)、『アジアの女性身体はいかに描かれたか』(編著、青弓社、2013年)他。1994年に『インパクション』で始まった社会と美術、視覚表象を論じる「アート・アクティヴィズム」を、現在『エトセトラ』で連載中。ジェンダーや人種、ポストコロニアルの視点から、美術など視覚表象を研究するHP、「Art Activism: 視覚文化 / ジェンダー研究(Visual Culture / Gender Studies)」を主宰。