潘逸舟、菅野歩美、チーム・チープロが有楽町を舞台に新作を制作。アーティスト招聘プログラムが実施中の「YAUオープンスタジオ」をレポート

「有楽町アートアーバニズム(YAU)」は、アートとビジネスのプレイヤーの交流を促し、街とクリエイターが相互に高め合える土壌づくりを目指す実験的プロジェクト。YAUの活動を紹介するとともに、オープンスタジオで行われたトークの様子をレポートする。 編集協力:杉原環樹 写真:Tokyo Tender Table

「YAUオープンスタジオ」より。THE COPY TRAVELERSのコーナー

就労者人数約28万人という東京の大手町・丸の内・有楽町エリア。この都内有数のオフィス街で有楽町アートアーバニズム実行委員会が運営する「有楽町アートアーバニズム(YAU)」は、アートとビジネスのプレイヤーの交流を促し、街とクリエイターが相互に高め合える土壌づくりを目指す実験的プロジェクトだ。

3月9〜12日、プロジェクトの拠点であり、日頃から多くの表現者やアート関係者、ビジネスパーソンが出入りする有楽町ビル10階の「YAU STUDIO」にて、オープンスタジオが開催された。期間中はYAUに関わるアーティストの展示が行われたほか、プロジェクトの一環として現在実施中の「アーティスト招聘プログラム」に参加している潘逸舟、菅野歩美、チーム・チープロという3組のトークセッションも行われた。本記事ではYAUの活動を紹介するとともに、トークの様子をレポートする。

「YAU」とは?  有楽町を、アーティストがいる街に

YAU STUDIOの入る有楽町ビルが2023年秋で閉鎖されると発表されている通り、有楽町エリアでは現在、新しいまちづくりが本格化している。「大丸有地区」と総称されるエリア一帯のうち、とくに有楽町では、ハード面の開発にとどまらず、イノベーションが生まれ続けるエコシステムの形成を目指す、創造性の高いエリアづくりが進んでいる。

その一環として実験的に行われているプログラムが、オフィス街とアートの相乗効果を生み出すことを目指した「有楽町アートアーバニズム(YAU)」だ。頑強なオフィスビルが立ち並び、ビジネスパーソンの往来が主となるこのエリアを、アーティストも多く滞在・生き来する街にする。「アートアーバニズム」という造語には、そうしたかたちで異なる価値観がまろやかに交流し、互いに高め合いながら共存するイメージが込められている。

「YAUオープンスタジオ」より。KANAKO SAKAIのコーナー

「YAUオープンスタジオ」より

2022年2月より始動したYAUは、「実証パイロットプログラム」という性格上、その活動内容はつねに変化し続けている。プロジェクトの拠点「YAU STUDIO」には、アーティストのスタジオをはじめ、⼀般社団法⼈bench(以下、ベンチ)が企画・運営する舞台芸術分野に向けた稽古場があるほか、2023年1月からはコワーキングスペースとしての機能も実装。互いの動きが見える開かれた空間に、アーティストやキュレーター、アートマネージャー、学生など、アートに関わる様々な人々が集い、制作・活動や交流を行う場として活用している。

「YAUオープンスタジオ」より。TOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCH「Archiving as Progressive Vol.02 | 100 WINDOWS」
「YAUオープンスタジオ」より。TOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCH「Archiving as Progressive Vol.02 | 100 WINDOWS」

また、舞台芸術のマネジメントを行うベンチが主催し、2022年5月に上演したパフォーマンス作品『今ここから、あなたのことが見える/見えない』(演出・構成=倉田翠)に出演したのは、周辺エリアで働く12名のワーカーたちだ。YAU STUDIOに備えられている稽古場を使用し、2週間ほどのワークショップを通して、ワーカーとクリエイターたちが稽古を重ねた。演者それぞれが自分自身のことを語る内容が強い共感を呼び、同年11月には東京国際フォーラムでの再演が実現。上演後もメンバー間での交流が続けられており、オフィスワーカーとアートを結びつけた、成功例のひとつとなった。

アート関係者に空間を使ってもらうだけではない。普段はなかなか接する機会のない領域の交流も盛んに行われており、たとえば月2回ほどの頻度で開催されている「YAU SALON」は、多分野で活躍するプレイヤーがホストとなり、参加者と意見を交わすトーク/ワークショップイベントだ。これまでパノラマティクスの齋藤精一や建築家の青木淳、国際政治学者の藤原帰一、メディアジーンの今田素子らのほか、多くのアーティストや演劇人、研究者などが登壇し、参加者とディスカッションを繰り広げてきた。

そして2023年2月からは、新たなプログラムとして「YAUアーティスト招聘プログラム」が始動。有楽町という街、そこに出入りする人々、あらゆる資源や環境、企業のアイデアや知見などとアーティストをつなぎ、出会いと交流を通して行う制作活動をサポートする取り組みで、3組のアーティスト、潘逸舟、菅野歩美、チーム・チープロを招聘している。

菅野歩美:伝承や怪談話をベースにしたプロジェクト

YAUの活動を広く知ってもらうことを目的に、YAU STUDIOを開放し、各種の展示やワークショップなどを展開する「YAU オープンスタジオ」が3月9〜12日に開催された。

会場ではTOKYO PHOTOGRAPHIC RESEARCHやTHE COPY TRAVELERS、ファッションブンランドのKANAKO SAKAIなど、普段からYAUを拠点にするチームが各々の活動やスタジオを紹介。ほかにも、東北を舞台にした宮島達男の「時の海 - 東北」プロジェクトや、泉太郎のトーク、VRと写真を駆使した松井祐生(関川卓哉)の展示、YAUのアーカイヴコーナー、布施琳太郎の自主企画のトークや「ビジネスパーソンのためのアート相談窓口」なども開かれた。

YAUオープンスタジオより。YAUアーカイヴ展示

YAUオープンスタジオより。松井祐生(関川卓哉)によるインスタレーション

その最終日には、アーティスト招聘プログラムに参加する3組のアーティストがそれぞれにトークイベントを行い、自身のこれまでの作家活動を振り返るポートフォリオトークと、作品プランの経過報告、来場者を交えてのさらなるアイデア出しを行った。

この日最初に登壇したのは、土地にまつわる物語や伝承を、映像インスタレーションで表現するアーティストの菅野歩美。「私たちが土地に何を求めていて、何を失いつつあるのかを、制作を通して研究している」という。菅野はまず、2021年以降の近作や展覧会をいくつか例に出し、自身の活動を振り返った。

菅野歩美

菅野は近年CGを使った作品を中心に制作しているが、そのきっかけとなった作品が、2018〜19年に交換留学で行った台湾でのフィールドワークをもとにした《The Essential Space》(2021)だ。台湾に点在し、独自の文化を築いた集落「眷村(けんそん)」のひとつに関心を抱いた菅野は、現地での調査を重ねるうち、近隣住民の間に「首のない猿の幽霊が出る」という伝承が存在することを知った。

なぜ猿なのか? なぜ首がないのか? といった疑問と、現地の歴史背景や、猿という動物が持つ特性などを連想ゲームのようにつなげていった菅野。やがて「blender」というCGソフトにデフォルトで搭載されている「モンキーヘッド(スザンヌ)」というオブジェクトが、その名称からじつは彼らの頭なんじゃないかという思考に至り、CGでの制作を試みることにしたという。作品は、地図をもとにCGで作成した村の映像と、実際の村をビデオカメラで撮影した映像、そして調査の過程で行った連想ゲームの内容を台湾語で話すスザンヌの映像を組み合わせるという構成となっている。

続いて菅野は、実際に訪れたことのない福島県の西会津を、遠隔でのリサーチのみをもとにCGで再現し、ツアー形式で紹介するという映像作品《未踏のツアー》(2022)と、奄美大島に移住した妹とともに、現地を巡った記憶を頼りに制作した《アトピアで盆踊り》(2022)を紹介。後者は、移住者である妹が、どのようにしてその土地の伝統的な先祖供養の行事に参加し、受けとめれば良いのかということを思い、制作したという。いずれも、実際の土地と、菅野が再構築した画面上の土地との間に存在するズレ、そこに実際に住む人間と、ゆかりのない人間とがその土地に持つイメージの差異を浮き彫りにしながら、どこか郷愁を感じさせる作品だ。

菅野歩美のプレゼンテーションの様子

会場から、伝承をコンセプトに据えるようになったきっかけを問われると、幼い頃より祖母から民間伝承を聞かされていたというバックボーンを挙げながら、「出身が東京の八王子市で、そこで四谷竜頭(りゅうず)の舞という伝統行事に参加していたんです。でも東京や八王子と聞いてみんなが思い浮かべるのは、普通に都市とか高尾山。そうやってもともとあったものが上塗りされていると感じたことをきっかけに、大学在学中から、伝承をモチーフにした作品を作っていました」と経緯を明かした。

今回の招聘プログラムでも、「有楽町という土地にまつわるオルタナティブなフォークロアを作る」というコンセプトを軸に、制作をしていくという。例えば、怪談は土地と人の関係から生まれるものとも言えるが、トークの終盤では会場から、有楽町にまつわる怪談話や個人的な恐怖体験などを募り、作品のアイデアを膨らませる時間が設けられた。YAU STUDIOが入居し、今年10月に取り壊しが決定している有楽町ビルの怪談話をひとつの糸口にしてみてはどうかという話題になると、「いつも流れていないトイレがあるらしい」といったプチエピソードで会場は湧き上がった。「これからできるだけYAU STUDIOに通いながら、ビルや有楽町に関する怪談話を収集していくので、何かあれば教えてください」(菅野)。

チーム・チープロ:身体を晒すこと、集まること

続いて登壇したのは、パフォーマンス・ユニット、チーム・チープロの松本奈々子と西本健吾。「個人や集団の記憶を、主に二人の体を媒介に記録し、作品として再構成する」というコンセプトのもと、作品ごとに制作チームをつくり、リサーチベースのテクストの朗読を交えたダンス作品を手がけている。トークはまず、2022年の秋に「KYOTO EXPERIMENT」で上映された、《女人四股ダンス》の紹介からスタートした。

松本奈々子(チーム・チープロ)

アーティストの前田耕平と、ダンサー・振付家の内田結花をプロジェクトメンバーに招いた本作は、かつて極めて儀礼的で魔術的な身振りだったという四股の動きを用いて、月経について語るという作品だ。制作にあたり、メンバー全員で月経にまつわる個人的な経験談や社会的な言説などを交換し合った。上演時には、制作過程で出た質問や、民俗・歴史的な逸話、メンバーの月経体験をしたためた日記の内容が読み上げられ、演者たちは、そこから得たインスピレーションやエネルギーを四股の動きに落とし込む。「月経のない人間とある人間が月経について話すことの困難。月経のメカニズムについて正しく語れても、なお残る不条理さ。それらも含めて月経のある世界を共有するために、儀式というフィールドを作った」と二人は話した。

続いて二人は、実践している「イマジナリー・ワルツ」と、特徴的な概念「妖怪ボディ」を解説した。「イマジナリー・ワルツ」は、想像上の人・物・風景・出来事・歴史とワルツを踊るシリーズ。コロナ禍で外出がままならない期間中に考案したといい、2021年の「KYOTO EXPERIMENT」では、「鴨川」と「たぬき」に加え、明治時代、社交ダンスが輸入されたばかりの頃に京都に存在したという「ダンス芸妓」とともに踊る、《京都イマジナリー・ワルツ》を上演した。

いっぽう、「妖怪ボディ」とは、手塚治虫の逝去後に見つかった「女と動物、あるいは女と無機物の合間」を模したような妖艶なイラストに共感した二人が、それをこれまで自分たちが表現してきたイマジナリーな踊りにリンクさせ、「もしかしたらわたしたちは妖怪になろうとしているのではないか」と感じたことから生み出した概念だ。「人々が感じる違和感のようなものが土地や場所に蓄積していき、何らかの形を纏ったものが妖怪となるとも言われていますが、僕らも特定の場所に入ってそこの歴史を調べながら踊りを組んでいきます。調査の過程で見たものや聞こえた音、感触などが松本さんの体に付着していくというイメージです。その場所に根差した妖怪の体を手に入れたいと思っています」(西本)。

西本健吾(チーム・チープロ)

二人の独特な空気感に会場全体が包まれながら、次第にトークは本題に差し掛かる。現在取り組んでいる2つのプロジェクトについての経過報告だ。まずはジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『ヒステリーの発明』から着想を得、古代ギリシア語の「子宮」を語源とする「ヒステリー」を題材にした「hysteria project」。松本は、女性のヒステリーを病的なものとして診察しつつも、その得体のしれなさに戸惑う男性医師と、「日常のルールからは逸脱した体を演じること」で、診察の場を表現の場として捉えていたと推測される女性たち、という構造に関心を持ったという。「科学的な今の社会において、どういうふうに女性の体を想像して、踊りを立ち上げるのかを考えるプロジェクト」であり、今後継続的にオープンなスペースでの勉強会や読書会、フィールドリサーチを重ねていく予定だという。

そして有楽町を舞台とした「yurakucho project」。こちらは二人が日々有楽町を歩いて見聞きし、歴史を調査して得た情報やキーワードを、ホワイトボードにマッピングしながら報告が進められていった。夕暮れに有楽町を歩いていた松本が出会したという、風景を割くように滑走して行ったスケーターボーイ。住んでいる人はほとんどいない有楽町に、仕事や買い物という目的で集まってきては、また去っていく、淀みのない群衆。対して、同じ場所に鎮座し、きれいに日光が当たっていた托鉢中の僧侶。箱根駅伝と東海道五十三次のスタート地点であること。1938年に結成され、70年代頃まで続いたという「日劇ダンシングチーム」。数寄屋橋公園に集まり、踊りながら説法を唱える「踊る宗教」。その教祖である北村サヨ。アメリカで再燃しているローラースケートブームと、二人が最近熱中して見たという、プロレスとローラースケートを融合させたようなスポーツ「ローラーダービー」の動画……。それらのキーワードをひとつひとつリンクさせていき、最終的に「身体を晒すこと」「集まること」を軸とした表現に落とし込んでいくという。

「yurakucho project」の説明はホワイトボードにキーワードをマッピングしながら進められた

潘逸舟:もし先に東京に住んでいたら、
アーティストにはなっていなかったかもしれない

日も落ち始めた頃、この日最後の登壇者となったのは、「社会と個の関係のなかで生じる疑問や戸惑い」を、映像やインスタレーションなどあらゆるメディアを駆使して表現するアーティストの潘逸舟だ。都市部でのレジデンスは今回が初めての経験だということから、トークは自身の生い立ちから東京に出てくるまでの経緯を中心に、潘ならではのユーモラスな語り口で進められた。

潘逸舟

上海に出自を持つ潘は、9歳で青森に移住。画家になろうと考えるほど絵が好きだった父の影響もあり、自身にとって絵を描くことは自然なことだったといい、ミケランジェロやモナリザといった巨匠の作品を自分に似せて描いた中学生時代の初期作をスライドで展開した。現代美術との出会いも、ちょうどその頃だ。

当時の青森には、現代美術の情報があまりなく、弘前市の図書館に毎日通い、エゴン・シーレやアンゼルム・キーファーの画集などを眺めながら、画家になる将来を夢見ていた。2001年に国際芸術センター青森(ACAC)ができると、浜田剛爾(ごうじ)やマリーナ・アブラモヴィッチといった、自らの肉体を用いてパフォーマンスを繰り広げるアーティストたちの存在を知り、衝撃を受けた。引き続き静物画や風景画を描きながらも、ACACに足繁く通い、情報を集めた。

そうこうしているうちに、「ふと、自分でもやりたくなってきたんですよ」。高校生の潘は、中心市街から自転車で30分ほど離れ、畑に囲まれたゲートボール場を会場に、展覧会を開催することを思いつく。手書きのチラシをコンビニでコピーし、現在の弘前れんが倉庫美術館に置いてもらった。そこで初めて行ったパフォーマンス《My star》(2005)は、使用している教科書やキャンバス、着ている服をできるだけ鞄につめて、歩きながら地面に置いていくという作品だ。菜の花を燃やして儀式をするという実験的な作品や、土の中に鏡を埋めて空を見る作品も展示した。結局2人しか観に来なかったが、現代美術のおもしろさに気づき、上京への思いが募る経験となった。

卒業後、晴れて東京芸術大学の先端芸術表現専攻に入学。「やっと東京に出られるとわくわくしていたら、キャンパスが茨城の取手だった」ものの、府中に住まいを構え、あらゆるアートスペースに通い、見られるものはすべて見た。ところが、いろいろなものを吸収するのと引き換えに、今度は逆に作品が作れなくなった。「吸収しすぎて、自分にとって表現するっていうことがよくわからなくなってしまったんですね。もし先に東京に住んでいたら、アーティストにはなっていなかったかもしれない。青森では、何かに出会ったときの、よくわからないけど惹きつけられてしまう力によって美術を見ていたけれど、東京ではある種の情報として展覧会を見ていたなと。そこの違いをすごく感じた」と、東京という街のなかで表現を行うことの難しさも語った。

潘逸舟のトークの様子

その後、2015年にはレジデンスでニューヨークに滞在するが、「あなたがここに来た理由は何か?」と日々問われ、そのプレッシャーから逃げるように英会話教室に通い詰めた。そこで出会う人々と交流を深めるうちに、もっと緩やかな時間のなかで生きていることを表現したいと考え、自由の女神やコロンブスなどの像に扮し、涅槃像として横たわる姿を記録した「Reclining Statues」シリーズ(2015)を開始した。続いて対馬でのレジデンスで水中撮影に苦難したことや、一体だけ休憩している兵馬俑に扮した《休憩しているポーズを考える人》(2019)、「自分の生活や、社会に生きている自分の姿形をそのまま映してくれる、鏡のような存在」であるという海を主題とした作品群、自分の履いた靴と社交ダンスをするシリーズなど、自身の経験をベースにした作品の数々をエピソードとともに紹介しながら、作家活動の振り返りを締め括った。

今回、YAUの招聘プログラムでは、「地下鉄」に着目。神戸でのレジデンスに参加していた2019年、移動や移民に関するリサーチをする過程で出会ったベトナムからの技能実習生が「地下鉄の路線図を見ても、自分がどこに行けば良いのかわからない」と話してくれたことがきっかけとなり、地下鉄に関心を抱いた。有楽町では、しばらくは、地下鉄の駅でうろうろしながら撮影したり、地下鉄に乗りながら思慮を巡らしたりしながら、リサーチを続けていくという。

三者三様の招聘プログラムは、様々な職種の人たちが集まるYAU STUDIOという環境やネットワーク、街やチームが持つ資源を最大に活かしながら、5月まで現在進行形で進められている。忙しなく流れるオフィス街の中心で、アーティストはどんなインスピレーションを受け取り、どのようなアウトプットを見せてくれるのだろうか。その経緯を見守りながら、次のアップデートを楽しみに待ちたい。

オープンスタジオの最終日には関係者や参加者を交えた打ち上げも行われた

YAU アーティスト招聘プログラム vol.1
- チーム・チープロ 《ブギウギ・S》のための9日間
- 菅野歩美 中空のページェント
- 潘逸舟
マイ・アンダーグラウンド

会期:2023年5月26日〜6月4日 12:00-18:00(イベントは別途開催時間に準ずる)
会場:YAU STUDIO(千代田区有楽町1-10-1 有楽町ビル10F)、有楽町まちなか
アーティストトーク:5月27日 18:30-20:00
イベント参加お申し込み:こちら(アーティストトークおよびチーム・チープロによる《ブギウギ・S》ショーイング+ディスカッションのみ要予約)
主催:有楽町アートアーバニズム(YAU)

菊地七海

菊地七海

きくち・ななみ 編集/ライター。1986年生まれ、国際基督教大学卒業。『美術手帖』や書籍、ウェブサイトなどで編集・執筆を行う。アート、スポーツ、ライフスタイルなど、多ジャンルに適応しながら活動中。