公開日:2022年3月12日

ウィーン在住の日本人作家が、モスクワでの個展をボイコットするまで(文:丹羽良徳)

ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、混沌を極めるいま、アーティストの丹羽良徳がウィーンで考えたこと。

モスクワ市の多くの郵便局でプーチンの缶バッチが販売されており、ロシア政府は日頃から市民教育に熱心である 撮影:丹羽良徳

▶︎ 丹羽良徳はこれまで、「共産主義」や「貨幣価値」「物や土地の所有権」などをテーマに、国内外の公共空間や政治的な場に介入し、制作を行ってきた。その作品はロシアをはじめとする国家体制に言及するものも多く、たとえば《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》(2012)は、モスクワ市内の一般家庭を訪れ、1991年ソビエト連邦共和国が崩壊後も残されている、ソビエトの初代指導者ウラジーミル・レーニンの肖像画、写真、プロパガンダポスター、バッジなどあらゆるグッズを探し集めるものだった。
丹羽は現在ウィーン在住。モスクワで個展を開催予定であったが、2月24日、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始したことで状況は一変した。世界中の、とくに欧州の文化機関が混沌とした状況に置かれるなか、モスクワのキュレーターやウィーンの作家仲間らと意見を交わすなかで、丹羽が考えたこととは。侵攻直後の約2週間ほどの様子を綴った、緊急寄稿を公開。【Tokyo Art Beat】


モスクワ市の多くの郵便局でプーチンの缶バッチが販売されており、ロシア政府は日頃から市民教育に熱心である 撮影:丹羽良徳

国家を愛せるか

国家だけが合法的に殺人を行う。こんな滅茶苦茶な世界に誰がしたのかと路上で喚きたくもなるけれども、状況はそれよりも遥かに冷徹で厳しい。

僕はいまを生きる多様な人間個人の集合体として国家が現れるのだから、個人そのものが最重要であり最優先課題だと考える。もっと言えば、国家など消滅してもらって構わない。むしろ国家制度など滅ぼしたほうが人類のためだ。プーチンは、国民よりもさらに上位に存在する国家の利害がすべてに優先する。歴史のなかに存在する国家こそが最優先課題であり、そこに生きるか弱い個人などは無視される。強いロシアを取り戻すという目的のため彼はウクライナに侵攻した——。

僕はいまオーストリアの首都ウィーンで暮らしている。ウクライナのキエフまで1000kmあまり、ちょっと遠いけれど、車でなんとか行けなくもない場所だ。オーストリアは第二次世界大戦後、中立国を宣言しNATOにも加盟していないが、オーストリア外務省の説明によれば、軍事的には中立を保持するが、国際法の尊重や政治的には中立ではなく、暴力に対して中立ではいられない(*1)。戦争が始まってから、多くのウクライナ国民が被害を被った。また多くの戦争に反対するロシア国民も逮捕され、言論を奪われた。これでは国家云々の話ではないはずだ。実際、ウクライナ侵攻が始まってから、僕が暮らす近所でも、ウクライナから逃れてきた家族に出会った。彼らは、空き物件を持っている大家の好意でなんとか住む家を確保できたらしい。戦争が始まったある瞬間を境に、瞬間的に自分の暮らした国や街を捨て、行き先もわからないまま異国に避難するその恐怖が想像できるだろうか? 国家の都合により、多くの国民が徴兵され武器を手に戦争に向かう、戦死するかもしれない。

少し時間を遡る。2020年12月頃から、モスクワ市近代美術館のキュレーターから、2022年秋頃から始める連続個展企画として、僕の個展を開催したいという相談を受けていた。2012年に同美術館で開催された「ダブル・ヴィジョン ー日本現代美術展」(*2)のために制作した映像作品《モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す》(2012)を鮮明に覚えていたという若いキュレターからの依頼で、2020年代における歴史を<改めて読み直す>新作を依頼された。

丹羽良徳 モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す 2012 3チャンネルのヴィデオ ヴィデオスティル
丹羽良徳 モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを捜す 2012  3チャンネルのヴィデオ ヴィデオスティル

何度かSkypeで話し合いを重ねた結果、SNSを駆使し近年ロシアで急激に支持を伸ばすソ連時代の独裁者ヨシフ・スターリンがロシアでいかなる存在であるかに迫る作品に絞った。ソ連時代へのノスタルジックな感情の先にあるナショナリズムへの欲望をとらえようと考えていた。これは、僕が2010年から13年頃に連続的に制作した「共産主義をめぐる四部作」の後継作品とする予定だった。新型コロナウイルスの影響で一部ビザの発給が停止されていたため、モスクワ渡航の話はすぐに進まなかった。感染状況が少しだけ収まった2021年暮れに、文化交流ビザを取得し10日ほどモスクワの現地リサーチをすることが叶った。久しぶりに降り立った懐かしいモスクワは寒く、−17度まで下がり屋外作業は困難だった。若者世代が組織したスターリン主義グループとも接触しインタビューを試みるなど順調に進み、これが美術館での初個展となるはずだった——。

クレムリンの脇に設置されたスターリン像をリサーチする様子 撮影:丹羽良徳

2月24日、プーチンが始めたウクライナ侵攻が始まり、つい先日訪れたばかりのロシアがウクライナを侵攻しているニュース映像を見ながら、モスクワの楽しかった記憶は瞬時に吹き飛び、すぐに美術館のキュレーターからメッセージが届いた。ひどく感情的でまとまりない文章で、何をすべきかあまり把握できていない様子だった。すぐに「文化交流を諦めない、できることはたくさんあるはずだ」と返信したが、心の中は穏やかではなかった。彼女はいまから両親の住む街に向かうため電車に乗るという、この暗黒の状況のなかでも正気を保つためにも両親の傍にいて安心させることが必要だったからだ。偶然、僕は新しい展覧会のために作ったドローイングを持って額装屋に向かっていた。その途中で何度もORF(オーストリア連邦放送協会)の速報を読んでいた。侵攻が開始されてすぐにチェルノブイリが標的にされていると知り、トラムの中でゾッとした気分になり汗が出た。原子力発電所(*3)および立入禁止区域に戦闘が及んでいて、石棺にダメージを与えれば人為的に放射性物質を撒き散らすことになるからだ。その日だけでも10万人規模の人が行き先がわからず国外脱出をし、隣国がその受け入れを行った。オーストリアでも大統領が緊急演説を行い、EU各国でウクライナから脱出した人々を受け入れることになった。

このとき、僕は自分が思っていた以上に落ち込んでいて、混乱していた。会う人にも「暗すぎる」と言われる。結局何ひとつ考えがまとまっておらず、何人かのオーストリアの友人らと話をしたが、全員が「モスクワの展覧会はボイコットすべきだ」と即答した。「あらゆる手段、あらゆるチャンネル、すべてを遮断すべき」という人もいたが、僕の心はまだ揺れていた。それは「ボイコットするのは非常に簡単で、勇敢な姿に見えるかもしれないが、果たしてそれはなんのためになるだろうか?」という疑問を払拭しきれなかったからだ。もはや自分の展覧会がどうのこうの話ではなくなっている。圧倒的な暴力、そして言論統制、全体主義が始まってしまっているからだ。独裁者プーチンにとって、ある芸術家のボイコットなど「存在しない」に等しいだろう。むしろ、彼にとっては、僕など消えてくれたほうが都合がいいのかもしれない。しかし連帯を示し団結し、小さな力をかき集めることで影響力を示すことは可能かもしれない。が、しかし芸術家にとって展覧会をボイコットすることは文字通りの「自殺」であり、ひとつの文化交流のチャンネルを奪うことになる。果たしてそれは正しいことなのか、このときははっきりした答えはなかった。

撮影:丹羽良徳

モスクワ在住の日本美術研究者の友人からもメッセージが届いた。以前彼のサイトでインタビューを受けて、モスクワにリサーチで訪れたときには一緒にベトナム料理を食べに行ったりと仲良くしていた。彼もまたひどく落ち込んでいて何かできないかと模索していた。この暗黒の時代においては、反戦の意思表示とともに、団結することが必要だ、日本のアーティストから愛と支援を、そして個人的なエピソードを集めたページを作りたいというので、彼のプロジェクトに賛同し告知文を手伝ったり、日本のメディアへの連絡、そして公開方法についてもいろいろ協議しているところだ。幸いにも、ウェブ版「美術手帖」「artscape」「Tokyo Art Beat」などが報じてくれたおかげで、いくらかのアーティストからのメッセージが届き始めている。ただ、言論統制が厳しくなるロシアでこのような明確に反戦を訴えるのは、彼の身に何が起こるのか予測できない。

その間にも、戦火はどんどん広がり、 首都キエフでも大規模な戦闘が始まっていた。ウィーンやそのほかの都市に住む友人たちも様々な情報をソーシャルメディアに投稿して共有した。ウィーンでも反戦デモや、作品売上をウクライナから避難した人たちに寄付する展覧会が開催され、僕も一部で参加した。オーストリア内務省は空き物件を持つ人たちに呼びかけ、ウクライナから逃れた人に一定期間貸し出すための調整をし、無数の公的・民間イニシアティブがウクライナの資金援助のため特別口座を開設し、無数のボランティアがウクライナから逃げる人たちへ食事や宿を提供するために奔走し、いくつかのアーティスト・イン・レジデンス施設がウクライナからのアーティストを一定期間受け入れたり、エストニア美術アカデミーはウクライナの学生を対象に無償で教育の機会を提供することに決めた。またウィーンに住むウクライナ出身の友人は父親が戦闘服に身を包み戦場に向かう写真をアップした。

数日後、テレビ電話を通じてようやくモスクワ市近代美術館の担当キュレーターと話をすることができた。

ひどく疲れた表情で顔色も悪い。言葉も少ない。彼女の説明によれば、1通の手紙が届き、反戦運動に署名したことを理由に退職せざるを得なくなったという。つまり、彼女はもはや美術館職員ではなく、無職の状態だ。彼女を含め2名の職員が解雇された。彼女は混乱しきっていている。僕は少しでも慰めようとしたが、どれだけ彼女に響いたかはわからない。テレビ電話の向こう側で、彼女は俯いていて、つねに携帯電話のメッセージ受信音が響いていた。

彼女の顔を見て話をしたことにより、怒りとともにようやく自分の考えていることに輪郭が見えてきた。すくなくともプーチン政権が崩壊するまでは、プロパガンダとして利用されかねない、また職員の安全すら保証できない国家権力に従属する公的機関とのコンタクトを遮断し、ロシアとウクライナの民間レベルでの文化交流を継続することに決めた。多くの戦争に反対するロシア市民も被害者であり、僕はロシア文化全体を拒否するキャンセル・カルチャーには乗らない。

3月2日夕方。ようやく書き終えたステートメントをソーシャルメディアに投稿した。

2022年3月2日にソーシャルメディアに投稿した内容

数日前、モスクワの友人が恐れたことが現実になった。ロシア国内のFacebookやTwitterは遮断された。独立系のメディアも放送終了となった。ロシア政府がフェイクニュースとみなせば最大で禁錮15年となる法案ができ(*4)、多くの外国メディアがロシア国内で活動を一時停止。翌日からあらゆる形式の反戦デモ、反戦運動に関わる者は「過激主義者」とみなされ、処罰や投獄される可能性があるので、彼が呼びかけた反戦メッセージを集めたサイトもロシア国内では公開できないという。僕らは作戦変更を余儀なくされたが、数日前から「平和のための手紙」と題してnoteで少しずつ公開を始めた(*5)。これにより、僕らは国家や民族を超えたつながりを回復させていく契機になるはずだ——。

ロシア連邦の国家元首を名乗るウラジーミル・プーチンは、ロシアが存在しない地球に何の用があるのか?という趣旨の発言をしている。かつて大日本帝国が繰り返した戦争を思い起こさせる。僕はどの国家もどの民族もそれ自体を愛したことはないし、これからも決して愛すことはない。自分の限られた人生のなかで出会う個人彼ら自身を愛し、ウィーンに住む恋人や友人や世界中でともに働くアーティストの仲間たちを愛し、ともに生きる。国家の暴走を止めるのは、我々国民による努力以外に手段がない。

撮影:丹羽良徳

*1──オーストリア連邦放送協会「ウィーンはモスクワを激しく批判する」https://orf.at/stories/3251387/
*2──2012年3月13日〜5月9日、モスクワ市近代美術館にて開催。主催:国際交流基金、モスクワ市近代美術館、ロシア芸術アカデミー、在ロシア日本国大使館ほか。キュレーター:エレーナ・ヤイチニコヴァ、保坂健二朗。その後、イスラエルのハイファに巡回した。
*3──ほかの原発にも攻撃を加えたことや、プーチンが核兵器の使用もちらつかせているため、スイスでは核シェルターとヨウ素剤の使用法を周知、オーストリアでも一時的にヨウ素剤の需要が高まったと報道された。
*4── 朝日新聞デジタル「ロシア、フェイクニュースと見なせば禁錮刑に 欧米メディア取材停止」https://www.asahi.com/articles/ASQ356J15Q35IIPE00N.html
*5──「平和のための手紙」モスクワ在住の美術研究者の呼びかけによって始まり、さまざまなアーティストや表現者に反戦メッセージを求めた。届いたメッセージは日付ごとに随時公開している。https://note.com/victorlake/m/mc66b3c3864aa

丹羽良徳

丹羽良徳

にわ・よしのり 1982年生まれ。アーティスト。ウィーン在住。作品タイトルに明示されるスローガン的で自己説明的で、そしてほとんどの場合は非生産的で無意味な行動を公共空間で実現するときに生じる軋轢や問題などを含めた過程の一部始終を映像記録に収めることによって、制度化された公共概念の外縁を描く。最近の展覧会は、グループ展「抵抗の5つのエクササイズ」(エレツ・イスラエル美術館、テルアビブ、2022)、グループ展「ヒトラーを処分する 地下室から博物館まで」(オーストリア歴史館、ウィーン、2021)、グループ展「憤慨せよ!—怒りの時代の芸術」(クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ、2020)、芸術祭「シュタイヤーマルクの秋」(グラーツ市内、2018)など。 ポートレイト撮影:イェレナ・マクスタイ