公開日:2023年10月14日

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)レポート。震災という転換点、小さな場所から大きな場所に飛び立つこと

青森県立美術館で2度目となる奈良美智の個展が開催。世界最大の奈良美智作品のコレクションを誇る同館ならではの独自企画で、巡回のない単館での開催となる

会場風景より、《Midnight Tears》(2023) 撮影:編集部

「震災の後、みんなが生きるのが精一杯の状態のときに作品を作れなかった。キャンバスも張りたくなかった。本当に描きたかったら地面や壁に描けばいいじゃないかと思ったけど、筆も握れなくて、それで粘土を触り始めたんです」。そう話すのは青森県弘前市出身のアーティスト、奈良美智だ。

東日本大震災から12年間。奈良の作風が転換期を迎えたこの時期の活動を振り返るとともに、これまで公開されることのなかった初期作、近作を通して奈良の40年以上にわたる軌跡と一貫した姿勢を探る展覧会「奈良美智: The Beginning Place ここから」青森県立美術館でスタートした。会期は10月14日~2024年2月25日。担当学芸員は高橋しげみ。

会場風景より 撮影:編集部

出品作品は約200点という大規模なもの。プレス会見で奈良は「明確な展示プランがあったわけではないが、一回作品を置いたところで(配置はそこでいいと)決めた。こういう作業が楽しかったのは初めてで、自分を客観的に見られる機会にもなった」と、開館前から関わりのある美術館での設営作業をリラックスした表情で振り返った。

5章からなる展覧会を順に見ていこう。

「家」が表す故郷とのつながり

1章のテーマは「家」。プレス会見で奈良は、本展には「自分だったら恥ずかしくて(展覧会に)出さないような初期の作品が並んでる」と話したが、展覧会冒頭を飾る絵画《カッチョのある風景》(1979)は、最初期の作品であると同時に展覧会に出品するのは初めてということでそのなかの一点と言えるのではないだろうか。

会場風景より、《カッチョのある風景》(1979) 撮影:編集部

「カッチョ」とは、日本海から吹く強風から家を守るための津軽地方特有の防風柵のことで、作品の中には津軽の風景とひとりの割烹着姿の女性が描かれている。武蔵野美術大学在学時に描かれた本作は、じつは奈良が学校の不要物置き場に置いて(捨てて)いたもので、それを拾ったのが奈良の予備校時代の教え子であったアーティストの杉戸洋。杉戸はこれまで本作を大切に保管し、故郷の展覧会であればと本展で初めて貸し出された。

いまの作風からはかけ離れた作品は新鮮に映るが、本展の学術協力を行った横浜美術館館長の蔵屋美香はこう語る。「2000年前後、奈良さんの作品にはマンガやアニメの影響があると言われていましたが、私はそうではなく、松本竣介らオーソドックスでゆったりした20世紀の画家たちの影響があると思っていました。今回、《カッチョのある風景》の実物を初めてみて、そういった作品(松本竣介や、奈良が大学で師事した麻生三郎の作品)から始まっていることを確信しました」

会場風景より、左から《Untitled》(1984)、《Futaba House, Waiting for Rain Drops》(1984)

本章には《カッチョのある風景》以外にも、奈良が1988年にドイツ留学するまでに手がけた作品をこれまでにない規模で見せるが、注目したいのは「家」のモチーフの描かれ方だ。しっかりとした筆致で描かれた三角屋根の家、炎や煙が出ている家、屋根のない家、そして、かろうじて家の造形を保つ家……それぞれの家は、奈良と故郷のつながりを示唆しているのではないかと学芸員の高橋は推測する。

子供、家、双葉など、その後も描かれる代表的なモチーフが見え隠れする1章は、これから世界へはばたいてく作家を予感させる、高揚感を誘うイントロが聞こえてくるような章になっている。

会場風景より、《Merry-Go-Round》(1987) 撮影:編集部
会場風景より

作家が積み重ねてきた人生と絵具の重なり

2章「積層の時空」は、近年の絵画やドローイングを通して奈良作品におけるレイヤーの重要性を浮き彫りにする。本章で特異な存在感を放っていたのは、ポスターのメインビジュアルにもなっている《Midnight Tears》(2023)だ。じんわりと温かい温度をたたえているような重層的な画面とそこに描かれている子供の顔を見ていると、暗い空間でキャンドルに灯る火を眺めるときに似た感情が呼び起こされる。こちらを見つめる子供の目からは涙が流れ、その涙に鮮明にフォーカスが合うように描かれているのが印象的だ。

会場風景より、《Midnight Tears》(2023) 撮影:編集部
会場風景より、《Midnight Tears》(2023)。涙は絵具の垂れが偶然涙のように見えたことから生まれた。奈良は「偶然を偶然じゃなく必然として受け止める描き方をしている」と話す 撮影:編集部

20分もの時間をかけて 本作を鑑賞したという蔵屋は、来場者には短くても1〜2分は作品の前に立ってほしいと言い、本作で得た体験を次のように語った。「人間を超えた何かを目の前にしていて、それがこちらに迫ってきて圧倒されるような感情を抱きました。奈良さんはよく“自分の幼少期に培われた、自分の奥底にある感性を大切にしよう”とか、その感性を揺り動かすものが作品だという言い方をされるんですが、それって具体的には今回のような経験なのかなと思いました。自分を超えた大きなものが迫ってくる。そして目はじっとこちらを見てくる。そのとき私たちは日頃考えていること、傲慢さなどを捨てて謙虚にならざるを得ず、自分に昔から根付いている感性が目を覚まし、普段見えないものが見えてくるんじゃないかと思います」。

会場風景より、日本初公開となる《Hazy Humid Day》(2021)。台湾の風景や人々のことを思いながら描かれた 撮影:編集部

学芸員の高橋は、近年の絵画について「作家が積み重ねてきた人生の厚みと積層が符合している」とコメント。2章にしてすでに展覧会のクライマックスを見届けたような満足感があるが、展覧会はまだまだ序盤、次は3章「旅」へと続く。

会場風景より、《In the Empty Fortress》(2022)。旧作のドローイングを重ね合わせて制作された 撮影:編集部

東日本大震災後、自分の足元を確かめる「旅」

東日本大震災以降、奈良はアイデンティティの地盤を確かめるように様々な場所への旅を続けた。津軽の農夫でありサハリンに出稼ぎに行っていたという祖父のエピソードを母親から聞き、2014年にはサハリンを訪れ、そこからルーツを求めて北へ北へと足を伸ばした。3章ではそんな旅のなかで生まれた作品と旧作を交えて紹介する。

会場風景より、《Peace Head》(2021) 撮影:編集部
会場風景より、「トビウ・キッズ」シリーズ。左から《シウ》、《ユノア》、《コウ》、《ココネ》、《レノア》(2017) 撮影:編集部

震災の後、筆を握ることができず粘土を使った作品制作をしていた奈良は当時のことをこう振り返る。「震災のあと、負の地盤に引き寄せられてすべてマイナスになってしまったのをプラスにしていこうとして巨大な粘土の塊と格闘していました。母校でレジデンスをしたり旅をしたりするなかで、自分は美術をやるために生きているのではなく、自分が生きるなかに美術の要素が少し占めているにすぎないことがわかりました。人とコミュニケーションを取ったり子供と一緒に絵を描いたり、あくせくせず自分がやりたいことをやるという生き方に変わりました」

会場風景より 撮影:編集部

会場風景より、左から《Mumps》(1996)、《The Last Match》(1996) 撮影:編集部

奈良がようやく筆を持てるようになったのは、自身にとっても「希望の絵」だと言い、2012年に代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」で大きなバナーに複製された《春少女》(2012)から。本作品のバナーは本章と4章「No War」の架け橋となるような場所で展示されている。

会場風景より、《春少女》のバナー(2012) 撮影:編集部

NO WAR

音楽が好きで、とくにロックミュージックとの交感によって多数の作品を生み出してきた奈良。奈良作品によく見られる「No War」というスローガンやピースマークは、奈良が中学生時代から好んで聞いていたボブ・ディランやニール・ヤングらロックミュージシャンのスタイルから影響を受けたもの。ロシアのウクライナ侵攻、パレスチナ問題などが日々報じられる昨今、作品が宿すメッセージはより切実に感じられる。

会場風景より 撮影:編集部
会場風景より 撮影:編集部
会場風景より 撮影:編集部

1990年代にドイツで描いた「NO NUKES」を掲げる子供の絵は、奈良公認で反原発デモで大々的にイメージ使用されたため、目にした方も多いのではないだろうか。「作品は多くの人々や社会に浸透する力を持つという観点で部屋を構成しました」と高橋。壁に掲げられた「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME」の文字は、作家にとって初の大規模巡回展となった2001年の展覧会と同名のインスタレーション《I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME》(2001)。透明なアルファベットの中にはインターネットで人々から募った奈良作品モチーフのぬいぐるみたちが肩を寄せ合っている。 「奈良さんの作品を模したグッズは奈良さんの作品世界を理解する上で重要だと思います。なぜなら、奈良さんの作品は奈良さんの作品の複製物を通して広く浸透していった面もあるからです」と高橋は解説。音楽も美術作品も、創作物が伝播していくパワーが伝わる章になっている。

会場風景より、《I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.》(2001) 撮影:編集部

会場風景より、《I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.》(2001)の細部 撮影:編集部
会場風景より 撮影:編集部

小さな世界から大きな世界へ、原点へ立ち戻る

展覧会の終着地は、作家のはじまりの場所でもあるロック喫茶だ。奈良が生まれた弘前市に1977年、「JAIL HOUSE 33 1/3」(以下「33 1/3(通称サーティースリー)」)という、ロックが聴ける喫茶店が開店し、80年代半ばまで営業していた。奈良は高校3年生のときにシンガーソングライターの佐藤正樹と出会い、手先の器用さを買われ、もとはアパートのガレージだった場所の内装から外装まで、店舗作りに関わったのだという。

会場風景より、「JAIL HOUSE 33 1/3」の再現 撮影:編集部

「JAIL HOUSE 33 1/3」の内装も再現された 撮影:編集部
会場風景より、当時の写真や資料が並ぶ 撮影:編集部

当時の写真や資料、お店を知る人の証言や奈良の記憶を頼りに再現された「33 1/3」の外壁には奈良の希望で本展のポスターが貼られている。「過去と未来が交わり合う、タイムトラベルのような本展の構成と響き合う場所になっています」と高橋。

奈良は当初は懐疑的だったというロック喫茶の再現について次のように話す。「展覧会でロック喫茶を再現しませんか?と高橋さんが言い出して“これ(ロック喫茶)がなければ奈良美智は存在しませんよ”みたいな感じで言われて、そうなのかな?と思ったけど、実際にそうでした。小さなロック喫茶で僕は初めて好きなものを作る仲間たちと出会い、いまで言うDIYで内装を作って、お花見をしたりソフトボール大会をしたり、小さなコミュニティにつながっていった。自分はいま大都市に興味がなくて、北海道や台湾の辺境と呼ばれるような場所の小さなコミュニティで何ができるかを考えてる。それは、あのロック喫茶が自分の出発点になってるんだと気づきました。高橋さんには感謝です。自分の中のずっと下のほうにあって、めくってもめくっても辿り着けなかったものを高橋さんが見せてくれた気がした」。

プレス会見での奈良美智 撮影:編集部

一般内覧会では当時を知る人々が再現された「33 1/3」の内装や当時の写真を見ながら談笑するなど、いまは存在しない場所を懐かしむ和やかな雰囲気で満ちていたが、「33 1/3」をはじめ、好きだった駅舎や馴染みの場所など、奈良にとっての思い出の故郷は山や自然以外にもう存在せず、寂しい思いをすることが多いのだという。そんな奈良にとっての故郷での展覧会について、高橋は特別な思いを語った。「この展覧会で“故郷は特別な場所”と言うつもりはないです。奈良さんは自分の故郷はなくなって“心の中にしかない”と言っていたけど、故郷というのは一時的でエフェメラルな、心の中にしか残らないものなのかもしれません。そして、そんなふうにすぐ消えてしまう、ありふれた小さな場所が奈良さんを育てたんだと思う。そんな小さな場所から大きな場所を想像できる人間が育つということが私にとって希望なんです。そのことを少しでもみなさんにわかってもらいたい。地方は衰退して小さな場所が増えていきますが、小さな場所だからこそ自分の世界を見つける感性や好奇心を働かせることで奈良さんのように大きな世界を抱けるという希望を感じます。展覧会を通じてどんなに小さな場所からも飛べるということを言いたいです」

1日では見切れないと思うので何度も展覧会に足を運んでほしいと作家が語った本展。できれば奈良がおすすめする雪景色の時期に足を運んで、心の中に忘れがたい光景を焼き付けてほしい。

青森県立美術館の「八角堂」に常設される《Miss Forest / 森の子》 (2016) 撮影:編集部


野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

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