
磯辺行久は若い頃から瑛九(えいきゅう)のデモクラート美術協会などに参加した前衛的な作家で、60年代に活躍した後、渡米して環境計画を学んでい ます。 なので前衛の60年代の作品と、環境計画を学んだ70年以降の作品は、まるで別の作家の展覧会の様子をていしてします。高校生の頃に参加したデモクラート 美術協会は、画壇などの組織に反抗すると共に、大きな意味でそれらへの依存心を拒否する集まりだったようなので、美術家だけでなく写真家や編集者・政治運 動家など様々なジャンルの人が集まっていたようです。

まず展示会場に入ると、その時代に制作していたリトグラフやワッペン型の作品が圧倒的な数で並んでいます。ワッペン型は「これは…国旗かな?」とか 「ワッペンというより、ポケットみたい。」と、いろいろなバリエーションです。ワッペン型の素材はミクストメディア(複数の素材)で出来ていると書いてあ りますが、よく見るとセメントも見えます。今の時代で同じような作品を作る作家なら、違う素材も選択したんじゃないかなと、そのマテリアルから時代が少し 顔を出したようでした。
ここでの作品群のタイトルは「untitled(無題)」ばかりです。自分の作品に「めんどくさいから…」「何をつけて良いのかわからないから…」 と「untitled(無題)」をつけてしまう作家もいますが(あ、私か!?)「untitled(無題)」はこのようなミニマルな作品に対して有効な効 果を持つタイトルです。先輩方が付けているからと、むやみに真似をするのはやめようねと、以前に教えて頂いたことがあります。ふむふむ。このようなミニマ ルな作品群から「untitled(無題)」が出てきたのねと、うっすら考えながら作品の反復運動を楽しみました。
そして箪笥の作品群の部屋になります。ここでは触って体験できる作品もあります。「わーい!」と子どもたちも一生懸命に扉を開け閉めしていました。
ここら辺までは、60年代のミニマルや前衛といった時代の流れと共に制作をしている様子が伺えます。

日本の1970年といえば、よど号ハイジャック事件、三島由紀夫の割腹自殺などを思い出しますが…60年代に問題になったイタイイタイ病や水俣病な どの公害の社会問題化で1971年に環境庁ができます。アメリカや日本だけでなく高度成長のしわ寄せのような公害があったからこそ、環境の大切さに人々の 関心が 向いた時代だったのかなと思います。
そういった時代の流れにあわせたように、磯辺行久はペンシルヴァニア大学で環境計画を学び、環境計画家として活動を始めてきます。それらのスケッチや計画プラン・資料や越後妻有トリエンナーレの映像などが展示会場には並べられています。

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