最終更新:2022年5月8日

「どこまでが自分の作ったもので、どこからが自然のままかという境界に関心がある」。毛利悠子インタビュー

Tokyo Art Beatのインタビュー企画「Why Art?」は、映像インタビューを通して百人百様のアートへの考えを明らかにする企画。同企画の一環として、注目のアーティストに話を聞いた。今回登場するのは、美術家の毛利悠子。

毛利悠子。東京藝術大学の取手校舎にて

世界各地で見つけた日用品やジャンクをコラージュし、諸条件によって変化してゆく「現象」にフォーカスしたインスタレーション作品を制作してきた美術家の毛利悠子にインタビュー。

毛利はどのような文化に触れ美術家になったのか、なぜ作品を作り続けてきたのか、そしてコロナ禍での制作について話を聞いた。

「Higher Calling」展(White Space、北京、2021)会場風景

私の作品の役割は、流動的に変動していくマテリアルや状況の変化を見せること

——「アートとは何か? なぜアートをやるか?」と問われたら、どう答えますか?

大きい話だから、即答するのは難しいかもしれないです。コロナ禍もあって社会状況が大きく変化し、ここ数年で自分の制作スタイルも変わったし、美術大学で学生に教えるようにもなった。だから、このインタビューからヒントが見つけられたらいいな、と思っています。

——「作る」ことに「教える」が加わったのも大きいのでは?

大きいです。学校で出会う20代の人たちも私もアートに取り組んでいるのは一緒だけれど、世代的な価値観や触れてきた美術やカルチャーもまったく違うし、私が受け持っている学科は海外からやってきた学生も多い。素朴なことですが、「アート」という単語の意味するところや考え方は人によって全然違うんだとあらためて気づかされる日々です。

私の場合、王道のアートヒストリーを学んで美術を始めたのではなく、音楽やサブカルチャーを通じて表現活動が始まっていて。そこからやってきた自分に「美術で何ができるのか?」という試行錯誤を、かれこれ20年続けてきた感じがします。ただ、COVID-19のパンデミックとなってまるで状況が変わってしまい、工場で働く職人のような気持ちでスタジオにカンヅメし、出荷する日々が続いている(苦笑)。

「ブルームバーグ・パヴィリオン・プロジェクト|毛利悠子:サーカス」(東京都現代美術館、2012)会場風景 撮影: 新津保建秀


——毛利さんのInstagramを見ると、こんなに大量の木箱を作る日々はなかっただろうなと思わされます。海外展覧会への作品発送とリモートでの設営作業が日常になってますね。(*取材日:2021年10月4日)

ホントに。ただ見方を変えると、コロナ禍のような、これまで予測できなかった状況に私の作品が介在するのは面白くも感じるんです。私の作品の役割は、マテリアルや時間を含めた現象や状況の流動的な変化を見せることだと思っていて。定まらなさやプロセスに目を向けることは自分にとってリアリティを感じる手段なので、先の見えない状況のなかで、かえってやる気が燃えあがった感じもある(笑)。結果的に2021年が、生涯でいちばん多くの展覧会に参加した年になりました。

もしもこれまでと同じように現地におもむいてサイトスペシフィックな作品を作っていたら、即興音楽家のようにその場で感じたものに反応してひたすら制作に向かっていたはずで、作品に内在するものについて深く考える時間は生まれなかった。もちろん大変だったけど、コロナ禍とは、自分の制作について考える貴重な時間でもありました。

毛利悠子

親近感やリアリティからのスタート

——毛利さんはこれまでどのような文化から影響を受けてきたのでしょうか?

世代的に、自分が若かった1990〜2000年代に、大竹伸朗さんや中原昌也さんのような人の活動から受け取ったものが大きいと私は思っています。とくに共感したのが、大竹さんが著書『既にそこにあるもの』(ちくま文庫、2005)で書かれていた「「既にそこにあるもの」との共同作業(…)の結果が自分にとっての作品」という言葉でした。彼は地方都市の看板や風景といった「既にそこにあるもの」を作品のモチーフとしてきたし、中原さんの場合はB級ホラー雑誌やポルノ雑誌なんかを切り抜いたコラージュでアルバムジャケットを作っていた。

小杉武久さんが変なスピーカーとラジオと釣り竿で作った音のフィードバックシステムも「これなら私でもできるかも」と思わせてくれた。そういった親近感がきっかけになって、私も作品を作りはじめたんです。たとえばロダンの彫刻に出会うような圧倒的な存在への憧れ──もうそんな人はいないかもしれませんが──からではなく、自分があるカルチャーと地続きにあるという親近感やリアリティからスタートしている。

——親近感やリアリティとは、言い方を変えるとその物質や現象に対して、興味を抱きながらコミュニケーションを取れる、ということでしょうか?

もっと単純です。漆を素材に作品を作ってくださいといきなり言われても無理だけど、小学生でも扱えるマテリアルだったことが大きかった。実際、私が作品に使っているのは、電池とモーターがあればできる電子工作の初歩です。

——誰でも扱えて、誰でも作れる。

私はフルクサスを偉大だと思っているのですが、その理由のひとつは、モダンからコンテンポラリーにかけてのアートヒストリーのなかで、もっとも多くの作家を生み出したムーブメントだからです。極言すれば、実験的なことをすれば誰でもアーティストである、と。行為のほうが大事だから、ナム・ジュン・パイクのバイオリンのように、壊れて原型を留めてなくてもいい。

フルクサスにはパイクやオノ・ヨーコ、久保田成子といったアジア人もたくさん関わっています。彼らはみな、自分が持っていた文化背景を超えて、物珍しいこと面白いことを日々やりつづけることで交配的に発展していきました。そこでは新しいことをする勇気や度胸が必要で、そういった行為を通じてある境界を超えていくことで表現が生まれた。そしてそれは個人の活動だけで完結せず、様々なかたちで継承されました。そういう流動的で、自分の表現をひとつにしぼるのではない在り方にリアリティを感じます。コンセプトやコンテクストよりも大事な何か、のちに各々のコンセプトやコンテクストになっていく何かが胚胎していたようにも見えるんです。

——それが毛利さんの表現の基盤だとすると、コロナ禍はどんな影響をもたらしましたか?

発見は多くありました。リモートでのインストールのために編み出した技術はいくつもあります。極端なことを言うと、自分の死後に作品が展示されるためのプラクティスのようなことすらできた(笑)。

あと、遠隔操作であることによって、むしろローカリティを発見することもありました。最近、本物のフルーツを使った《Decomposition》という新作を考えました。フルーツに電極を挿して水分量を測り、乾燥したり腐敗したりすることで起こる抵抗値の変化によって音階が変わるという作品です。それを台湾、香港、それから勤務地である取手市(東京藝術大学取手キャンパス)の隣にある龍ヶ崎市の3ヶ所で同時展示したんです。台湾では亜熱帯のフルーツ、龍ヶ崎では地元で採れる野菜を使いました。

いっぽう、香港は土地の狭いビジネスのための街だから、基本的に畑もファーマーもいなくて、季節の果実はぜんぶ輸入品だったんです。「悠子、香港に“地のフルーツ”なんてないよ」とキュレーターに言われてハッとしました(笑)。しかも、いまの香港は検閲が厳しくて、「都市ごとの農作物の輸出入量について言及するのは、ポリティカルな背景があってのことか?」なんて行政から問われて、そこからキュレーターとの議論が始まったりもした。


——予想しないことが起こるわけですね。

われわれ人間だけでなく、フルーツですら国境を越えるのは大変だった(笑)。
「decomposition」には「分解」とか「腐敗」という意味があります。腐葉土を作る「コンポスト(compost)」と同根の言葉で、バクテリアがフルーツを分解して腐らせていくプロセスを示しています。そして接頭辞の「de」を取り除いた「composition」には「構築」とか「作曲」という意味がある。フルーツの乾燥や腐敗による抵抗値の変化は厳密には作曲ではないけれど、それを可聴化する装置を構築しているという点では、私は「compose」している。

これまで私が作ってきた作品は、どれも「どこまでが自分の作ったもので、どこからが自然のままに放っておかれたものか」という境界への関心が反映しているように思います。ジョン・ケージは易を使ったりして、作品生成の多くを自分以外の何かに委ねました。ピエール・ブーレーズはケージの手法を「怠惰による偶然性」だと批判したけれど、その言い方は、私にはかえってポジティブなものに感じられます。私、世界にすでにある様々な力にお任せした「怠惰」な作品を作っていきたいんです(笑)。

墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ for V.T. 2018 「毛利悠子 ただし抵抗はあるものとする」(十和田市現代美術館、2018)展示風景

作品と“乾き”の問題

——十和田市現代美術館での個展(「毛利悠子 ただし抵抗はあるものとする」、2018年)の際に長いインタビューをしていて、いま言ったような両犠牲についても話しました。またその際に「レコードをこする小さな摩擦にも革命を起こす可能性がある」と語っていたことも印象に残っています。

このとき展示した作品《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ》のテーマになっているのは、ルイ・オーギュスト・ブランキという19世紀フランスの革命家で、彼は長い幽閉状態の末に、独自の宇宙論的思弁である『天体による永遠』を書いています。彼をとらえているのは宇宙規模の回転・旋回としての「revolution」であると同時に、目の前で起こりつつある「革命」でもある。ベンヤミンによると、ブランキは革命を「進歩への進行ではなく、さしあたってはただ現在の不正を一掃する決意」としてとらえ、「やがて来るもののために計画を立てることを拒絶した」人間です。

この人物描写は、私の制作態度にとてもフィットしました。革命とは、未来へのユートピアの構築ではなく、たったいま起きている抵抗や摩擦なんだ、だとしたらいま目の前で回っているレコードのスクラッチも!?と、そこで気づいたわけです。たとえばブランキが遺したこの言葉などは、いまの世の中にも通じるものがありませんか?──「だれも未来の秘密を知ってもいなければ、握ってもいない。どんな見通しのきく人でさえも可能なのは、せいぜい予感やかいま見た眺めや束の間のぼんやりした瞥見であろう。革命のみが、地面をならすことで地平を明るくし、ヴェールを少しずつはがし、新たな秩序へ向かう道路というよりは多数の小径を切り開くだろう。服のポケットのなかにこの未知の国の完全な地図が入っていると言い張る者たち、その者たちは気狂いだ」。私たち表現者は無数の小径、けもの道や裏路地を、未来への見取り図なしに作っている気がする。

——アナキストの大杉栄は、投獄中に『ファーブル昆虫記』の翻訳をしています。マルクス主義と自然科学の関係性を考えれば、それは当然とも言えますが、社会変革を実践しようとする人が、昆虫たちのミクロコスモスに関心を持っていたのは興味深いことです。

コロナ禍で取手のスタジオにこもっていると、都会の喧噪から離れ、個人的な時間が増えていきます。季節の巡りで虫の鳴き声が変わり、周囲の自然の匂いも変わっていく。素朴な物言いに聞こえるかもしれませんが、そういう小さな物事の巡りから受けるインスピレーションには、本当に多大なものがあります。熊谷守一ではないですけど、取手にいるしゃくとり虫を観察することが世界に及ぼす影響について考えたいというか。

誰も指摘してくれないから自分で言いますけど(笑)、たとえば地下鉄駅で起きている水漏れ観察から始まった《モレモレ東京:フィールドワーク》(2009–)も、自然と政治との相剋がテーマのひとつだったりします。この国のインフラ工事の粗雑さ、その場しのぎで済ませる態度みたいなものを暗に示したつもりですが、そういうアプローチができるのも、もしかするとアートの力かもしれません。このシリーズはもうじき写真集としてまとまる予定です。

モレモレ東京─フィールドワーク 2009- 撮影:毛利悠子

——小さな事物から大きな事物へと関心が向かうようになったのもこの約10年の毛利さんの変化のようにも思います。多摩美の卒業制作では、磁場と電力が持続的にフィードバックしあうシステムを構想したそうですが、運動や現象への関心は引き継がれつつも、その視野は広がっている。

そりゃあ学生の頃よりかはテーマも大きくなったとは思うけど……20代の頃は勢いや衝動で作っていたけれど、40代にもなると体力が落ちてきて、省エネでずる賢く作る方法を覚えたってことかな(笑)。

——たしかに30代前半までの毛利さんは、アートヒストリーとの接続を仮に意識していても絶対言わなかっただろうなと思いながら聞いてました(笑)。

言わなかった。日産アートアワードに出品した《モレモレ:与えられた落水》のステートメントでデュシャンの文脈を直接的に言及するかどうかも相当悩みました。わざわざ自分で言わなくても誰かが気づいてくれるんじゃないか、と。ただ、自分の仕事はサブカルチャーや音楽から発したものとはいえ、それがコンテンポラリーアートの枠組みと無縁であるとは思わなかった。自分が若かった頃だって、マイク・ケリー、リタ・アッカーマンやレイモンド・ペティボンなど、サブカルチャーとコンテンポラリーアートを行き来していた人を見ていたからです。

モレモレ:与えられた落水 2015 Photo by Blaise Adilon リヨン・ビエンナーレ2017での展示風景


——今日見ることのできるデュシャンの作品の質感や、彼のアイロニカルなユーモアを「乾いている」と私は感じますが、たとえば《大ガラス》を平面的な集積回路として見立て、そこに《モレモレ東京》から派生した水を流すというアイデアは破天荒でユニークだと思いましたよ。乾燥ラーメンみたいにカサカサになったデュシャンに水をかけたら、どんなふうに再生するかという実験というか。

「乾く」って表現、面白いですね。作品の避けられない運命として、時間が経って歴史化されたらやっぱりカサカサになる以外はない。でも、制作当時のデュシャンにとって、そのへんにある既製品でレディメイドのシリーズを作ることは相当に生々しかったはずだと思うんです。彼の作品を多数所蔵するフィラデルフィア美術館を訪れて、それははっきりと確信しました。

あるいは、ダブリンのヒュー・レーン・ギャラリーに保存展示されているフランシス・ベーコンのスタジオは、伝説的な乱雑さが再現されてはいるけれど、いまやドライに乾き切っている。ベーコンがあの汚いスタジオで、絵具や肉体のネチョネチョのなかに身を置くリアリティを感じながらペイントしていたことは言うまでもありません。私、ロンドンにあるベーコンのスタジオ跡地を訪れたこともあるんですけど、その路地の雰囲気のほうがある意味生々しかった。

——歴史や人の営みのなかで、あらゆる芸術は不可逆的に乾いていくんでしょうね。それにどう抗うかってことを考えるのも、またひとつの美術の命題というか。

先に出た例で言えば、大竹伸朗さんや中原昌也さんが地方の看板や古い雑誌から新たな作品を作ることは、乾いていたものに水をかける営みだし、パイクのバイオリンは壊れているからこそ「乾き」をまぬがれているのかもしれません。

「乾く」問題で思い浮かぶのはアレクサンダー・カルダー。初期はモーターで動くおもちゃのような作品を作っていたけれど、最終的には風で動くモビールになっていった。機械は壊れて動かなくなるけれど、風はなくならない。私たちが死んでも、カルダーの作品が生っぽく見える、豊かに動いているのはすごくいい。

——カルダーが扱う抽象的な形状や色彩はもはやありふれたものではあるけれど、モビールの動きには「いままさに発生している」というリアリティがありますね。

そうですね。もしかすると、時の流れや地形の変化によって風のコンディションは変わるかもしれない。でも、それによって生まれる新たな動きには、その時々の社会背景が反映されることになる。だから、風を素材に選んだ彼はすごいと思う。水や電気といった、私が死んでもなおありつづけるであろう素材を私が選んでいることが、作品を生きながらえさせる結果につながればいいなと願ってはいます。それこそ《スパイラル・ジェッティ》は環境が変わって、文字どおり乾いちゃったじゃないですか(作品がダメになったと言ってるわけではないです)。素材選びは本当に難しい。

私が作る作品ももちろんどんどん乾いていくと思うけれど、ちょっと修理して電気を流したら「あ、動いた、感動〜」みたいなことがあってほしい。そういう、「もの」ではなくて「こと」を作品に残せたらいいですね。

毛利悠子(もうり・ゆうこ)
美術家。1980年生まれ。コンポジション(構築)へのアプローチではなく、環境などの諸条件によって変化してゆく「事象」にフォーカスするインスタレーションやスカルプチャーを制作。これまでの個展に「Parade(a Drip, a Drop, the End of the Tale)」(ジャパンハウス サンパウロ、2021)、「Voluta」(カムデン・アーツ・センター、ロンドン、2018)、「毛利悠子:ただし抵抗はあるものとする」(十和田市現代美術館、2018)のほか、第14回リヨン・ビエンナーレ(2017)、第34回サンパウロ・ビエンナーレ(2021)、第23回シドニー・ビエンナーレ(2022)など国内外の展覧会に参加。2017年に第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。

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島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。

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