杉本の写真作品は、「ジオラマ」や「蝋人形」など現存しえない光景を写して実物のように描くシリーズ、劇場で映画1本分の露光を行いスクリーンを写したシリーズ、著名建築をアウトフォーカスで写してその「建築意匠」としての特徴を描くシリーズなど、非常に明確なコンセプトを持っている。 「写真」という表現手法は現実と無関係ではいられないが、それが機械として有しているトリックとでも言うべき機能があり、杉本の仕事は現実の世界と写真で描くことができる世界との関係性を問うていると言うことができるだろう。
また、杉本がそういったコンセプト部分を完璧に表現するのに充分な技量を持っており、作品それ自体に説得力があるといった点も重要である。
たとえば《劇場》シリーズで長時間露光される画面の中に、適度にホワイトアウトしたスクリーンと、無理なく視認できる無人の客席の光景を同時に得るのは難しいであろうし、《海景》で得らている空と海の微妙なグレー階調と完璧なフォーカスもすばらしい。
ところで、本展で注目しておきたいのは会場構成である。展覧会というものはコンセプトや作品のクオリティありき、ではあるが、一方でそれらをより豊かに表現しているのはキャプション・資料類であったり、会場構成であると私は思っている。
本展にはきちんとした順路があるが、まずエントランス部に飾られているのは、展覧会のポスターなどに使われ、タイトル<時間の終わり>との深い関係を暗示しているかのような《劇場》シリーズの一作である。
《劇場》シリーズは、劇場のスクリーンを長時間露光で撮影したもので、基本的に客席の観客や、映画作品が上映されていたはずのスクリーンには何も映っていない。
ところが一見すると白いだけのスクリーンにも撮影時はフィルムが投影されており、実は長時間に渡って無数のイメージがカメラという装置を通過した過程で得られたイメージがそれなのである。本来写真1枚には収める事ができないはずの「時間」を科学的には収めているという、杉本の最も有名な仕事のひとつである。
杉本の作品には、《劇場》の他、《ジオラマ》《海景》など写真表現における様々な時間の扱い方を試みたシリーズが多く、この作品が導入部分に展示されている意味は大きい。
ところが、最初の展示室に足を踏み入れた時、ほとんどの観客は期待を(気持ちよく)裏切られるだろう。
最初に目に飛び込んでくるのは、整然と並んだ、柱のように細長い展示壁(ただしエントランスからは何も飾られていないように見える)と、マルセル・デュシャン《大ガラス》のレプリカだからだ。東京大学総合研究博物館との合同企画による《観念の形》シリーズである。
こうした意外性も、展覧会構成の重要なポイントだ。
否が応でも必ず目に留まる《大ガラス》は、デュシャンが試みた3次元における4次元的な表現(作品形骸とは異なる部分で我々に訴える)ということで参照されている作品である。
これがあることで、テーマとして時間を扱っているわけではないが、やはり現実の世界と写真で描くことができる別の次元の世界との関係性に切り込んでいるという、杉本にとっての《観念の形》シリーズの位置づけがよく分かる。
このシリーズは東大博物館が保有している数理模型(三次関数の数式を立体に表現した三次元モデル)や機構モデル(産業革命期の機械の動きを示す教材)、すなわち観念的な理想モデルを写真に写しこむことで芸術的次元における再表現をする試みである。
数理模型のシリーズは先に述べた展示壁の裏側に設置されており、普段我々が生きている現実の世界では意識されない別の部分という意味での「裏側」に、数理模型が描く観念の世界が存在している事を暗示しているとも言えるだろう。
これを観客が、数理模型の描く曲線と同様に、というわけではないが、同様に回転しながら見てまわっているのが少しおかしい。
機構モデルのシリーズと合わせて、整然とした展示配置もこの空間の雰囲気作りの重要な要素である。
ブラックキューブで展開された《海景》のインスタレーション的な展示も圧巻である。
海の水平線を捉えたこのシリーズは、同モチーフであるにも関わらず、撮影された条件によりモノクロの階調が驚くほど変化に富んでいる。作品の数と絶妙なライティングはそれらをよく表現している。
また、能舞台の併設や、我々の時間感覚を撹乱させるような池田亮治のミニマルなサウンドは、《海景》のコンセプトが太古でも現代でも変らないかもしれない原風景の表現であると言う部分をより説得力のあるものとしている。
今まで見てきた《海景》のシリーズとはまた異なった印象を持ったという方も多かったのではないだろうか。
《壁の色》シリーズは点数こそ少なかったが、様々な角度に仕立てられた「壁」にできる陰影を写した作品群である。
展示室自体の壁にも角度をつけるなど遊びを入れてある一方で、ライティング自体が作品に陰影を作り出さないよう、採光には細心の注意が払われていた。
他には森美術館の常套手段ではあるが、直島の《護王神社》の模型を通して見えるのが、海面ではなくてビルの外に見える夜景である、というのも悪くない。
オープニングの<ハピネス>展では、確か《海景》が東京の地平線がよく見渡せる空間に展示されていたが、数少ない高層ビルにある美術館においては、こういった形でサイトスペシフィックな作品展示が可能なのである。
以上断片的ではあるが、個展としてのクオリティの高さに加えて、展示構成の魅力も充分に味わえる企画である。時にはこういった視点で展覧会を鑑賞するのも悪くないので、未見の方にはぜひ意識していただきたい。
Makoto Hashimoto
Makoto Hashimoto