コロナ禍をきっかけに、欧米を中心にアジア人を対象とした痛ましいヘイトクライム(特定の属性の個人や集団に対する偏見・憎悪をもとでに引き起こされる嫌がらせ)が増加しているという。ヘイトの背景には何があるのか、そして、主に日本に住む私たちには関係のない話だと言えるのだろうか。
日系アメリカ人のグラフィックデザイナーであり、日本のデザイン業界における構造的な白人至上主義と西洋化の歴史と文脈について、リサーチをもとに書いた『サラリーマンはなぜサーフボードを抱えるのか?』を個人で出版した真崎嶺が自身の経験をもとに綴る。(翻訳:宮本裕人)
この文章を書き始める前に、東京に住む日系アメリカ人であるぼくが、どうしてアジア人ヘイトについて編集部から書くように頼まれたのかを考えてみた。
そして最初に感じたのは、アメリカのアジア人コミュニティに対して向けられている憎悪や暴力について語るのに、自分はふさわしくないということだった。もちろん、ぼくはアジア系アメリカ人としてのアイデンティティを持っている。でも、2017年にニューヨークから引越して以来ずっと東京に住んでいるから、コロナ禍以降のアジア人ヘイトを直接経験したわけではない。正直なところ、アジア系の友だちやその家族がいま、アメリカでどんな経験をしているのかは見当もつかない。
この話題のデリケートさを考えれば、地球の反対側で比較的のんびり暮らしているぼくが、彼らの経験を軽々しく推測するのは不公平なことだと思う。実際、アジア人に対する暴力事件が起こり始めたとき、ぼくはニューヨークに住む韓国系アメリカ人の友だちにメッセージを送らなければいけなかった。この状況がどれほど怖いものなのか、実際には何が起こっているのか、ぼくには想像することができなかったからだ。「なぜ日本でこの話をする必要があるのだろう?」とぼくは思った。日本人はこうした人種差別を経験したことはないし、おそらくこの国にいる限りはこれからも経験することはないだろう。
いまアメリカに住んでいるアジア系の友だちやその家族を代表して語ることはぼくにはできないけれど、アジア系アメリカ人としてアメリカで育った自分自身の経験を話すことはできる。アメリカで育てば、幼い頃から自分の人種的アイデンティティを意識せざるを得ない。たとえばぼくは、目のかたちをからかわれたことがある。シングルマザーの母親は、お弁当を作ってから仕事に行く途中にぼくを学校まで送ってくれたけれど、その海苔弁当が臭いと言われたこともある──これはアジア系アメリカ人のあいだではお決まりの話で、いまとなっては使い古されたミームになっている。それから、ぼくのペニスがどれだけ小さいのかと聞かれたことだってある。ハーレムからダウンタウンに行く6番線の電車に乗ると、人々はぼくから離れたものだ。ぼくはアメリカで生まれ育ち、彼らと同じアメリカ人であるにもかかわらず、彼らの言葉を借りれば「チン・チョン野郎とはかかわりたくない」から、らしい。
初めてテキサスに行ったとき、「おい、ブルース・リー!!」と言いながら白人グループがぼくを怒らせようとしてきたことがある。いまにして思えば笑える話で、どうしてわざわざ伝説の格闘家相手にケンカを売ったりするんだろう? これは出張中に起きたことで、ぼくは疲れた1日の終わりにビールを飲みに行く途中だった。オースティンのダウンタウンにある明るすぎる観光客向けのバーで、ぼくは言葉を震わせながら、あいつらのせいでどれだけ腹が立ったかを白人の同僚に説明した。同僚たちは同情はしてくれたけれど、ぼくの気持ちを理解してもらうことはできなかった。
いまでもぼくは、白人ばかりいる場所にいると落ち着かない。そして、どこかの部屋に入るとすぐに、ぼくの脳みそは無意識のうちにその場の人種差的多様性を感知しようとしてしまう。もしアメリカ中をロードトリップするなら、トランプに投票したレッドステート(共和党が強い州)を避けるようなルートを通らなきゃね、とアジア系の友だちとは冗談を言い合っている。
ぼくにとって、これらの出来事は過去のものであって、必ずしもいまのものではない。また、ぼくはこうしたことを日常的に経験したわけではないし、多くの場合において、ニューヨークやニュージャージーといった多様性に満ちた環境で育ったことはものすごく幸運なことだったと思っている。それでもこうした人種差別的な出来事は、ぼくという人間をはっきりとかたちづくってきたものなのだ。
ということで、ぼくがニューヨークから東京に移り住み、アメリカではマイノリティだった自分が日本ではマジョリティになる、という真逆の経験をしたときのショックを想像してみてほしい。それは生まれて初めて、自分の顔から人種というものが洗い流されたかのようだった。白人の世界に生きるアジア人としてではなく、ありのままの自分を見てもらえたような気がしたものだ。
ぼくは安全だと感じたし、自分は普通なんだと感じた。自分でも気づかないうちに背負っていた重たいベストのような不安から、急に解放されたような気がした。もっとも具体的な経験としてぼくが思い出せることのひとつは、東京に住み始めて数カ月経ってから「Tinder」のようなデートアプリを使い始めたときのことだ。アジア系男性が恋愛対象になりにくいアメリカにいた頃とは比べ物にならないくらい、ぼくは多くのマッチを得ることができたのだ。そのときにこう思ったのを覚えている。「これがアメリカの白人男性がつねに感じていることなのだろうか?」
ときには、自分が日本でいい気分になっていることに対して罪悪感を覚えることさえあった。というのも、自分のマイノリティとしてのアイデンティティを脱ぎ捨てるほど、日本のマジョリティの一員であることの恩恵を得ることができたからだ。このことにはいまだに矛盾を感じている。内面的には自分がいまでも文化的なアウトサイダーだと感じることがある一方で、外見上はほかの人たちとほとんど変わらないのだから。
マイノリティからマジョリティになった経験を思い出すことで、なぜ日本でアジア人差別の話をすることが大事なのかを、別の角度から考え直すことができた。これらの問いは読者のみなさんに問いかけているものかもしれないし、自分が両方の立場を経験したいま、ぼくが自分のなかで模索しているものかもしれない。支配的な文化の一部であるとはどういうことなのか、そしてそこにはどんな責任が伴うのだろうか?
もしアメリカの状況をひっくり返して、アジア人を支配的な文化とし、ほかのコミュニティを軽視したとしたら、それは日本の民族構成に似ていることにならないだろうか?
たしかに、ぼくたちと同じ顔をしたアジア系の人々がアメリカでは居場所がないかのように扱われ、血を流し、殺されているのは事実だ。しかしぼくらは、日本で同じようなシステムに加担していないだろうか?
ここでも同じように、マイノリティのコミュニティに対して見て見ぬふりをしていないだろうか?
アジア系アメリカ人に対する暴力が急増していることが日本で話題になりにくい理由は、それが一般の人には馴染みのないコンセプトだからかもしれない。とくにアメリカのような人種的多様性を経験したことのない人にとっては、なおさら馴染みのないものだろう。自分の人種的アイデンティティを認識するのはパンドラの箱を開けるようなものだけれど、正直なところ、その箱を開けたことのある日本人はほとんどいないんじゃないかとぼくは考えている。
ぼくは日本人の友だちに、アメリカで起きているアジア人への暴力についてどう思うか、それに共感できるかと訊いてみた。彼は正直に答えてくれて、こう言った。「多くの日本人はおそらく、自らを“アジア人”としてではなく“日本人”としてとらえている。だからほとんどの人にとって、アジア系アメリカ人への暴力は他人事のように感じられるんじゃないか」と。
さらに、支配的なマジョリティ階級に属していることには、特権的なナイーブさと無知が付きまとう。つねにスタンダードとして扱われていると、自分の特権を認めたり、自分のバイアスを疑ったりするのは難しいからだ。憎悪や差別は、物事のあるべき姿があって、それに挑んだり反対したりする何かや誰かがいる、という考えから生まれることが多い──たとえば人種差別の場合、マイノリティを平等に扱うことは、実際にはそうでなくとも、マジョリティが力を失っているかのように切り取られることがある。だからこそ、アメリカの構造的な白人至上主義であれ、日本に根付いたヒエラルキーであれ、権力の仕組みに疑問をもたなければいけないのである。
アジア系コミュニティに向けられた憎悪と暴力はショッキングだが、これは決して新しいものではなく、アメリカにおける人種差別の長い歴史の一部である。だからこそ、こうしたアジア人に対する攻撃が生まれた背景を理解することが重要だ。第一に、アメリカは人種差別的な国であり、これまでずっとそうだった。この国に最初に入植した人々は、先住民を大量虐殺し、彼らの土地を奪った。そしてアメリカの基盤は、奴隷たちの背中の上に築かれることになる。
アフリカから強制的に連れて来られ、農場で奴隷労働者として使われた黒人も、国中の人やビジネスをつなぐ大陸横断鉄道を建設した中国人労働者も、アメリカではつねに、白人男性はマイノリティを従属させることで自らの力を強めてきた。第二次世界大戦中に日本軍が真珠湾攻撃をしたあと、12万7000人の日系アメリカ人が不当に投獄され、強制収容所に入れられたが、その多くは二世や三世だった。つまり、彼らの両親や祖父母はアメリカで生まれているのだ。昔もいまも、アメリカでは白人以外の人々は二級市民として扱われているのである。
アメリカにおける人種差別の歴史は、ドナルド・トランプのような政治家が台頭する一因にもなっている。この、前米国大統領は、人種差別主義者であり、白人至上主義者である。しかし繰り返しになるけれど、トランプがこの国の憎悪や人種差別を生み出したわけじゃない。彼は、すでに存在していた人種差別から生まれた兆候に過ぎず、アメリカの表面下に横たわり続けている腐敗のシンボルとなった。
トランプは「アメリカを再び偉大な国に」というスローガンを掲げて大統領選挙を展開したが、これは「より偉大な」時代──言い換えれば、白人がさらに支配的だった時代に戻るべきだという誤ったナラティブを押し付けるものだった。トランプは、彼が「麻薬の売人、犯罪者、レイプ犯」と不当に決めつけたメキシコ人移民を排除するために、アメリカ南部の国境に文字通り壁をつくることを提案した。彼は暴力的な右翼の白人至上主義団体であるプラウド・ボーイズを公に避難することを避け、クー・クラックス・クランの元指導者であるデイビッド・デュークから公然と称賛されている。
だから2016年にトランプのようなファシスト的な人物が大統領に選ばれたことは、彼の支持者たちが人種差別的な信念に基づいた言動を行うことを促進し、正当化してしまった。いまのアメリカで起きているアジア人に対する暴力は、アメリカに存在してきた偏見の延長線上にあるものだが、部分的にはトランプの下劣なレトリックに起因するものでもある。
トランプがCOVID-19を「カンフル(カンフー+インフルエンザの造語)」や「武漢ウイルス」といったアジア人の人種的ステレオタイプに基づく言葉で呼んだことで、彼はパンデミックに直面したリーダーとしての無能ぶりから有権者の目をそらせ、中国に責任を転嫁させようとしただけではなく、間接的にアメリカに住む多くのアジア人を非難の矛先を向ける対象としたのである。
2021年3月16日、ジョージア州アトランタでロバート・アーロン・ロングがアジア人が経営するマッサージ店を銃撃したとき、彼は自分がセックス依存症に「苦しめられて」おり、同じくセックス依存症に悩む人たちを「助ける」ためにそのマッサージ店を狙ったと主張した。彼はアジア人女性を性的な対象物とするようなステレオタイプを使い、自身を被害者として扱ったのだ。
その後、同月にニューヨークのタイムズスクエアでブランドン・エリオットが65歳のアジア人女性を地面に叩きつけ、顔を踏みつけた際には、彼はアジア人を中傷する言葉を叫び、彼女に向かって「お前はここの人間ではない」と言った──これはトランプが選挙戦や大統領就任時に使っていた「壁をつくる」といったタイプの言葉を、直接的に表現したものである。
アメリカほど極端ではないとはいえ、日本のマイノリティ層にはアジア系アメリカ人を侵害するのと同じシステムが働いている。このことは日本における数々の外国人差別に表れており、それは暴力的なヘイトクライムのように衝撃的なものではないけれど、じわじわと広範囲に広がりうるものだ。たとえば日本では、外国人や移民たちが家を借りる際に差別されることがある。ロイター通信の船越みなみ氏によると、過去5年間に家を借りようとした外国人の40%以上が、入居を拒否されたことがあるという。船越氏がインタビューをした日本国籍をもつ50代の韓国人女性は、日本で生まれ、日本語しか話せないにもかかわらず、アパートへの入居を拒まれた。大家からは、彼女が韓国人だからここに住むことはできないと言われたそうだ。
また日本のメディアには、黒人に対する人種的なステレオタイプが使われ続けてきた歴史がある。広告やイラストなどのさまざまな場面で不快なステレオタイプが使われていることに加えて、2017年に全国放送のテレビ番組で浜田雅功がエディ・マーフィのコスプレをしたように、日本人俳優や芸人がブラックフェイスをするのも珍しくない。
インターネット上ではしばしば、日本人が気軽に人種差別的・外国人差別的なツイートやコメントをするのを目にすることがある。たとえば、2020年の秋に大人気となった「+J」(ジル・サンダーとユニクロのコラボレーション)のコレクションが発売されたとき、多くの店舗は商品を手に入れようとする人々でカオスになり、それはネット上で話題になった。そしてこれらのツイートには、日本人による人種差別的な発言が寄せられることになった。買い物客たちは「中国人のように民度が低い」というコメントがついている。
こうした行為が土砂のように積み重なり、やがてぼくたちがアメリカで見ている状況と大差ない差別的な人種ヒエラルキーが形成されていく。なにもこれは、最近起こり始めたことじゃない。アメリカの構造的な人種差別の歴史と同様に、日本の人種差別もまた、大日本帝国の時代から何層にも続いている。
第二次世界大戦前と戦中に日本軍によって性奴隷にされた韓国人女性たちの問題は、いまだに平行線をたどっている。安倍晋三元首相は、日本が移民で溢れかえるのではないかというナショナリズム的な不安を抑えるために、移民労働者の家族の入国を拒否した。2010年に民主党が制定した「高校授業料無償化および高等学校等就学支援金制度」では、朝鮮学校が対象外となっている。
ぼくにとって、こうした事例は「壁をつくれ」と言うのとそれほど変わらないように思える。
そして、日本独自の人種差別とナショナリズムに対する違和感は、アートの世界にも反映されている。2019年に愛知県で開催された「あいちトリエンナーレ」では「表現の不自由展」と題された展示が行われ、その解説にはこう書かれている。
ここに展示されているのは主に、日本で過去に何かしらの理由で展示ができなくなってしまった作品です。その理由は様々ですが、「表現の自由」という言葉をめぐり、単純ではない力学があったことが示されています。表現の自由とは、民主主義や基本的人権の核心となる概念の一つです。
なかでももっとも注目を集めたのは、キム・ソギョンとキム・ウンソンによる、慰安婦像を思わせる女性の像の隣に来場者に座ってもらう、という参加型の彫刻作品《平和の少女像》だった。当然のことながら、この展覧会は右翼団体から反日的だと激しく非難されることになった。その後、展示会場が名古屋から東京に移り、2021年6月25日からの開催を予定していたところ、拡声器をもった車が「反日展示をやめろ! 慰安婦像はやめろ!」と言いながら何度も走り、展示を妨害した。
その結果、展示は中断せざるを得なくなった。表現と検閲をコンセプトにした展示がまたしても沈黙されられてしまったのは、なんとも不穏な皮肉である。だがこうした嫌がらせにもかかわらず、展覧会の実行委員会は「表現の場としてのギャラリーとその環境を守るため」に闘い続けている。
ぼくは、マイノリティが上を向いて闘うことで変化をもたらすことができると信じたい。しかしそれと同じくらい、支配階級(マジョリティ)が自らの特権を認め、平等に向けて積極的に取り組んでいかない限り、闘いは無意味な努力のように感じられてしまう。だから、マイノリティとマジョリティの両方が同じ結果を望まなければいけないとぼくは考えている。たしかに人種差別はシステミック(構造的)なものだが、だからといって変えられないわけじゃない。だってぼくらはみんな、そのシステムの一員として生きているのだから。
変化は人々の間の会話から、草の根的に始まるものだ。何かがおかしいと感じたら、指摘をすること。そして、ただ指摘をするだけで満足しないこと。自覚していようがいまいが、ぼくたちはみんな抑圧を生み出す構造の一部である。だからこそぼくらは、熟考、探求、そして行動をしていくための方法を見出さなければいけない。
しかし真実は、被抑圧者は「余白」にいるわけでも、社会の「外」にいる人々でもない。彼らは常に「内側」にいる──彼らを「他者のための存在」にする構造の中にいるのだ。解決策は、彼らを抑圧の構造に「統合」することではなく、彼らが「自分自身のための存在」になれるように構造を変えていくことである。
──パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房、2018)より
少なくともぼくは、マイノリティであることとマジョリティであることの両方を経験したいま、この視点と特権をできる限り、認識を変えるために使いたいと思っている。日本の人種差別はアメリカほど過激で暴力的なものではないけれど、だからといってこれが海外の問題や責任ということにはならない。ぼくたちの問題であり、ぼくたちの責任でもあるのだ。
真崎嶺
真崎嶺