「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館)会場風景より、〈10の最大物、グループIV〉(1907、ヒルマ・アフ・クリント財団) 撮影:編集部
(A)「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館)
(B)「大正異在共芸界」(WHITEHOUSE)
(C)「国際芸術祭『あいち2025』 灰と薔薇のあいまに」(愛知芸術文化センターほか)
2025年のベストは、長大な時間のなかで、世界観の見直しや豊かな視野の広がりをもたらしてくれた展覧会であった。
(A)抽象絵画を始めたのは、カンディンスキーやモンドリアンではなく、近年再評価が進む女性画家ヒルマ・アフ・クリントであった…。誰が抽象を始めたかはさておき、100年以上前に描かれた絵画が、この現代に新鮮、かつ汲み尽くせない驚きを秘めたものとして顕われ、美術史に関心がある層だけでなく、じつに多くの人々を魅了した。様々な逸話により半ば神話化されているアフ・クリントだが、近年世界中でひとつの現象とも言える状況を作り出したのは、やはりその絵画が持つ力である。ジェンダーやスピリチュアリズムへの意識の変化もあるだろうが、当時まだ受け入れられる素地が整っていなかった絵画は、将来より深く理解されるようになるという作家の確信のもと未来に向けて投げかけられ、時代を超える芸術の生命を示した。
(B)「大正異在共芸界」もまた、約100年前に現実の理想郷を作ろうとした日本の芸術家たちの試みを、現代に翻案したものであった。日本画家の尾竹越堂は、明治、大正期のすぐれた芸術家たちの墳墓を、各作家たちの手による銅像や石像、宝塔等で建立し、「一大楽園公園墓地」として永遠に残すことを企図していたという。それは「美術館は墓場である」というよく知られた言葉とは正反対の、草花に満ち、鳥獣が暮らし、蓄音機や活動写真で生前の作家たちの活動が甦える、あらゆる理想が詰め込まれた「楽園としての墓場」であった。会場では、床板の一部を剥がして地面に鶏を放ち、壁には尾竹や武者小路実篤らの墓拓に加え、芸術を介して社会変革を目指した古今東西の芸術家たちの肖像写真が所狭しと貼られていた。生活と地続きの場に時を超えた純粋な芸術空間を実現しようとする構想は、芸術が紡ぎうる荒唐無稽な夢をこの現在に伝えるものであった。

(C)芸術祭全体が「灰と薔薇のあいま」にあった。人間が引き起こす災禍と豊かな自然環境、戦火が立ち昇る地と一見平穏に見える場所――絶望と希望の間には、明確な線引きがあるわけでなく、世界はいつもその「あいま」にある。私たちが目にすることのできる作品は否応なく地政学の影響を受けており、時の世界情勢がさらにそこに制約をかけてくる。シャルジャ首長国出身のフール・アル・カシミ芸術監督のもと開催された芸術祭では、日本で触れる機会の少ない中東をはじめとしたアフリカや南米の作家たちが多く紹介されていた。中心から離れた場所やそこで暮らす人々の営みが、過去、現在、未来の時間のなかで交差して開陳される。この世界は依然として不均衡で残酷である。しかしこの芸術祭は、灰から育つ薔薇の希望を静かに湛えていた。現在の世界情勢のもとではどこでも展開しうるものではないゆえに、一層「いまここ」で観るべき国際展になっていた。
*年末特集「2025年回顧+2026年展望」は随時更新。
「2025年ベスト展覧会」
▶︎五十嵐太郎
▶︎平芳裕子
▶︎和田彩花
▶︎能勢陽子
▶︎鷲田めるろ
▶︎鈴木萌夏
▶︎大槻晃実
▶︎小川敦生
▶︎山本浩貴
▶︎倉田佳子
▶︎小川希
▶︎番外編:Tokyo Art Beat編集部
能勢陽子
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