公開日:2023年2月17日

国際的に評価が高まる「ブラックアート」とは何か【前編】イギリスにおける歴史から注目作家までを解説(文:菊池裕子)

ヴェネチア・ビエンナーレでの金獅子賞や、イギリスにおける最重要賞「ターナー賞」の受賞など、ブラックアーティストの躍進が続いている。ブラックアートというとき、その言葉はたんに「黒人」によるアートを指すだけではなく、そこには帝国主義やマイノリティの複雑な歴史に関わる文脈がある。ロンドン芸術大学で約30年教鞭をとった筆者が、現在の日本との接続もふまえて解説する。

ニック・ケイヴの展示 「ブラックの奇想天外」展(ヘイワードギャラリー、2022)展示風景 Copyright the artist Photo Zeinab Batchelor Courtesy of the Hayward Gallery

2022年の盛況

2022年は英国においてブラックアートの記念すべき年である。ソニア・ボイス(Sonia Boyce)がヴェネチア・ビエンナーレでの英国館代表及び金獅子賞受賞(挿図1)サムソン・カンバラ(Samson Kambalu)のトラファルガー広場の4番目の台座受賞(挿図2)、2017年にターナー賞を受賞したルバイナ・ヒミッド(Lubaina Himid)のテート・モダンでの大規模な展覧会、ヒュー・ロック(Hew Locke)の「行列」(The procession)(挿図3)、もっとも最近ではヴェロニカ・ライアン(Veronica Ryan)の2022年ターナー賞受賞がある(挿図4)

そして北米からのブラックアーティストの展覧会も英国で相次ぎ、「あいち2022」でも登場したシアスター・ゲイツ(Theaster Gates)(挿図5)のサーペンタインギャラリーのパヴィリオン企画もあった。

挿図1:ヴェネチア・ビエンナーレ2022、ソニア・ボイスによるイギリス館「Feeling Her Way」展示風景より。展示室の中は歌声で満たされていた 撮影:齋木優城
挿図2:サムソン・カンバラ アンテロープ(Antelope) 2022
挿図3:ヒュー・ロック 行列 (The procession) 2022
挿図4:2022年にターナー賞を受賞したヴェロニカ・ライアン  © Brian Roberts Images
挿図4:ヴェロニカ・ライアン 無題 2020 ターナー賞2022(テート・リヴァプール)での展示風景 Photo: © Tate Photography (Matt Greenwood)
挿図5:シアスター・ゲイツ ザ・リスニング・ハウス 2022 「あいち2022」での展示風景 撮影:編集部

ヘイワードギャラリーではエコウ・エシュン(Ekow Eshun)のキュレーションによる「ブラックの奇想天外」展(In the Black Fantastic)(挿図6)、そしてV&Aでは「アフリカ・ファッション」展(挿図7)が大きな話題になり、フリーズ・マスターズやフリーズ・コンテンポラリーでのブラックアーティストへの焦点の当て方は目をひく。商業ギャラリーやイベントまで含めると毎日のようにブラックアート関連で何かが目白押しで起こっている状態である。

挿図6:エコウ・エシュン『イン・ザ・ブラック・ファンタスティック』(Thames & Hudson、2022)

作家本人たちも、いったい何が起こっているのか目が回る状況に嬉しさと戸惑いを感じながらも、いっぽうでこの旋風は来るべく、かなり遅ればせながら来たとも思っている。ブラックアーティストたちにとって、これは40年以上の戦いによってやっと勝ち取られたものであることを忘れてはならない。

2部構成によるこの論評では、前編でその運動の背景と批評空間について、後編ではブラックフェミニストアートの運動と作家について、特に「工芸」的戦略の視点から紹介してみたい。

挿図7:ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館「アフリカ・ファッション」展(2022)

ブラックアートの市民権争いから批評・歴史構築へ

1948年のエンパイア・ウィンドラッシュ号で西インド諸島から英国に労働移民として渡ってきた世代の子孫2〜3世代目、また、別のルートで旧大英帝国の植民地各地から移住してきた人のなかから育ってきたアーティストたちの活動は1960年代に遡ることができるが、大きな運動として可視化されるのは1980年代である。

デイビッド・ベイリー(David A. Bailey)イアン・ボーカム(Ian Baucom)ソニア・ボイスの編著『Shades of Black』(2005、挿図8)や、2022年に出版されたアリス・コレイラ(Alice Correia)による『What is Black Art?』(2022、挿図9)が英国のブラックアートの活動記録を時系列順に収集し、その通史を書き始めたことで、こうした歴史は明確になってきた。

また、日本でブラックアートを紹介した数少ない先駆けである萩原弘子が『ブラック―人種と視線をめぐる闘争』(2002)で焦点をあてたアーティスト群や、清水知子『文化と暴力―揺曵するユニオンジャック』(2013)において、人種差別と抵抗が繰り返されたサッチャー政権下で、英国人とは誰かというアイデンティティ議論が台頭し、ブラックアートが炎上したと紹介されていることからもわかるように、起点は1980年代である。

挿図8:デイビッド・ベイリー、イアン・ボーカム、ソニア・ボイス『Shades of Black』 (Duke University Press、2005)
挿図9:アリス・コレイラ『What is Black Art?』(Penguin、2022)

日本での紹介が少ないのは、歴史的背景としてブラックアートが日本の現実と関係が希薄に思われていること、またポストコロニアルの問題として共有されていないことに理由があるように筆者には思われる。たとえばブラックアートと、「在日」アーティストやジェンダー、マイノリティの問題意識とを同時代的にとらえることができていないように思う(*1)。

その関連性を考えるときに重要なのは、英国でブラックアートというとき、その「ブラック」という言葉が指すのはたんに「黒人」という意味ではないということである。

北米と違い、歴史的に英国では非白人を広義にブラックとくくってきた。アフロカリビアン系やアフリカ系、さらにアジア系(英国でアジア人というとインド大陸とその周辺の南アジア)、東南アジア系や日本人も含む東アジア系もブラックに入る(*2)。近年、とくにガイ・ブレット(Guy Brett)のライフワークにより発掘された台湾で学んだ中国人作家リー・ユアン・チア(李元佳)やフィリピン系デヴィッド・メダラ(David Medalla、挿図10)も同様の問題意識のなかで語られる。英国で言うブラックは、現代人が共有すべき批評の場である。

挿図10:デヴィッド・メダラ 雲の峡谷 「岡山芸術交流2022」展示風景 撮影:編集部

また、「人種」という差別化を捏造してきた帝国主義の政治文化装置が作った「他者」に対する批評でもある(*3)。英国におけるブラックアートの批評と運動はポストコロニアリズムの目指す脱植民地化の奔流になっている。そして、この批評を同時代に共有する日本、西欧帝国主義をコピーしアジアに「他者」を作った旧帝国主義の背景をもつ日本からブラックアートを考えることは意義がある。

挿図11:エディ・チェンバース 国民戦線の破壊 1979-80 © Eddie Chambers Photo ©Tate.

ブラックアートの運動が可視化されていくのは、エディー・チェンバース(Eddie Chambers、挿図11)キース・パイパー(Keith Piper)というふたりの大学の同級生アーティストが核となって1979年にBLKアート・グループが設立され、ウォルヴァーハンプトンを中心に西部ミッドランズ地方から始まった数々の展覧会を通してである。

その後、ブラックアートがラディカルな批評として認識されるようになった重要な起点は、1989年にラシード・アライーン(Rasheed Araeen)が企画しヘイワードギャラリーで行われた「もう一つの物語:戦後英国のアフリカ系―アジア系作家」(The Other Story: Afro-Asian Artists in Post-war Britain)である。パキスタン生まれの英国人アライーンはこの展覧会で、ディアスポラのアフリカ系―アジア系作家の作品に対する人種差別、不平等、多様な文化への無知を批評し、24人の作家を紹介しながらその現代性や共有するモダニズムを示そうとした。この24人の作家がのちにブラックアートの中心的存在となり、そのなかにはいま、特に注目を浴びているルバイナ・ヒミッド(挿図12)ソニア・ボイス等の女性も入っている(*4)。

挿図12:ルバイナ・ヒミッド 自由と変化 1984 Photo ©Tate.

当時、「サンデータイムズ紙」の美術批評家ブライアン・ソーウェルは次のような評を書いた。

「アフリカ系―アジア系作家は古く死滅したネイティブの伝統の想像に頼るか、西欧の白人の美術の伝統から借り物を作るかで知性も感情のかけらもなく価値はない。白人でないのだから美術史における場所など彼らにはない。いま、西欧において一時的な好奇心をそそっているだけで、20世紀の西欧美術史の脚注にさえなる価値はない(*5)」という、いま読むと唖然とする差別的なものである。

この美術界での差別の問題は、カルチュラルスタディーズが発展していくなかでスチュアート・ホール(Stuart Hall)ポール・ギルロイ(Paul Gilroy)などの理論に支えられて、アイデンティティやアフリカ大陸―欧州―北・中米をつなぐディアスポラの学術研究として成果をあげていく。また、「コスモポリタニズム」のアイデアを論じた当時先端的な研究の中心のひとつとなっていたミドルセックス大学で研究していたコベナ・マーサー(Cobena Mercer、現職バードカレッジ教授)は、InIVA(国際視覚アート研究所Institute of International Visual Arts)と組んで作家を発掘し批評活動を発展させていく。

InIVAとは、スチュアート・ホールの指導下で1994年に東ロンドンのリヴィングストン・プレイスに、オートグラフ(Autograph ABP、ブラック写真家協会[The Association of Black Photographers]として知られる)と共同設立された機関である(*6)。アラブ系英国人の女性ジレイン・タワドロス(Gilane Tawadros)が初代の所長になり、アフリカ系―アジア系英国作家の調査研究、アーカイヴ、図書館、展覧会、作品委嘱を組織的に行ってきた。InIVAの精力的な活動により世に認知されるようになった作家は数えきれず、たとえば、インカ・ショニバレCBE(Yinka Shonibare CBE、挿図13)、ザリーナ・ビムジ(Zarina Bhimji)、シュタパ・ビスワス(Sutapa Biswas)、ヒュー・ロック、ソニア・ボイスなどのキャリアが国内外に広がったのも、タワルドスの率いたこのInIVAの活動によるところが大きい。

挿図13:インカ・ショニバレCBE Food Man 2021 ©Yinka Shonibare CBE RA. Courtesy of the artist and Stephen Friedman Gallery, London. Photographer Stephen White & Co. 「Yinka Shonibare CBE: Planets in My Head」( Frederik Meijer Gardens & Sculpture Park, March 1, 2022 through October 23, 2022)

同年にロンドン芸術大学に職を得た筆者は、InIVAが最初に企画しテートギャラリーで行われた国際会議「ニューインターナショナリズム」(挿図14)の手伝いをすることが初仕事となり、日本からの参加者、黒田雷児氏の通訳兼補佐をすることになった。

同僚の南アフリカ出身でアパルトヘイトを題材にプリントコラージュ作品を作っていたギャヴィン・ジャンチェス(Gavin Jantjes)は、エスニックアートでもなく、多文化主義のアートでもなく、欧米中心主義でない、ニューインターナショナリズムのあり方という問題を提起した。このときの参加者はジャンチェスのほか、ハル・フォスター(Hal Foster)サラ・マハラージ(Sarat Maharaj)ギータ・カプール(Geeta Kapur)オル・オグイベ(Olu Oguibe)ホウ・ハンル(Hou Hanru)ジミー・ダラム(Jimmy Durham)ジェラルド・モスケラ(Gerard Mosquera)フレッド・ウィルソン(Fred Wilson)等の作家、キュレーター、美術史研究者たちといった、いまになってみるとそうそうたる顔ぶれで、熱い議論が盛り上がり、運動としての方向性を探ったのを鮮明に記憶している(*7)。

挿図14:Jean Fisher ed ‘Global visions towards a new internationalism in the visual arts’ Kala Press, 1994

そこで参加者は、従来のインターナショナリズムはプリミティヴィズムが核にある多文化主義であり、西欧の寛容と封じ込めの同時の作用を持ち、一定の周期で西欧白人中心主義の再中心化が再生され続ける装置であると、声を合わせて批判した。

たとえば「20世紀のアートにおけるプリミティヴィズム」展(“Primitivism” in Twentieth Century Art、1984、ニューヨーク近代美術館)や 「大地の魔術師」展(Magiciens de la terre、1989、ポンピドゥーセンター)などがその悪例であり、これらとは違うニュー・インターナショナリズムを作るには、何が問題で何をどうしたらいいかという討議が続いた。

たとえば、キュレーションや批評の戦略として翻訳できないもの(untranslatability)を拾い上げ視覚的なエスペラントでフラットにするのを避けること(マハラージ)、西欧白人主義の主要ナラティヴに吸収されないようにするには、非西欧人の別の本質主義的に閉じたものを作るのではなく、統合されていない暫定的にまとめられた未完結のナラティヴを作ること(タワルドス)等、いまに続く試行錯誤の始まりの種がここでまかれた。この国際会議をジャンチェスを通して支えたロンドン芸術大学(当時の名称:ロンドン・インスティテュート)の多文化背景をもつ一部の教員たちがそれに刺激を受けて共同研究を始め、2004年にTrAIN(トランスナショナルアート研究所、The Research Centre for Transnational Art, Identity and Nation)を設立した(*8)。のちにソニア・ボイスがミドルセックス大学で始めた「ブラックアーティストとモダニズム」(BAM:Black Artists and Modernism)プロジェクト (2015〜18)も、彼女の移籍とともにロンドン芸術大学とTrAINがそのプラットフォームになった(*9)。そしてIniVAは現在TrAINと同じロンドン芸術大学のチェルシーカレッジの校舎に移り、その図書館・アーカイヴであるスチュアートホールライブラリーはブラックアートの調査には欠かせないところになっている(*10)。

「ブラックの奇想天外」展 In the Black Fantastic

アライーンのブラックアートの議論から33年後の2022年、その到達地点に見えるのがヘイワードギャラリーでのエコウ・エシュンのキュレーションによる「ブラックの奇想天外」展In the Black Fantastic)である。この展覧会はブラックアーティストから一様に非常に高い支持と評価を得ていることからも注目に値する。

この展覧会の意図は、その題にある「ファンタスティック」という言葉に込められた奇想天外な空想や、視覚的な魅惑、暗く深い現実と虚構を同時に示し、その謎めいた世界に観客を放り込むことだ。ブラックという捏造された「人種」と、そこに歴史的に固定化されてきた虚構の物語やイメージは、それを作ってきた権力者=マジョリティ側と、ブラックと差別されてきた側の両者の思考に深く染み付き、取り払うことができない。本展は、この前提を起点にしている。

現代のブラックの作家たちは現住所をもつ国の現実とともに、アフリカ大陸やカリブ海中米諸国、欧州、北米のブラックと連帯する国を超えたディアスポラとしての意識をアイデンティティにもつ。しかし、その起点自体が想像上の虚構の世界だ。本展参加作家たちが見せるものは、そのことを受け身でなく主体的に批評し、そこからまた刺激を受けてこれまでにないものを創造する、「呪術的なリアリズムでもなくアフロフューチャーリズムでもない新しい境地」であるとエシュンは語る(Eshun 2022、p.11)。

リナ・アイリス・ヴィクトール(Lina Iris Viktor)  Eleventh 2018 「ブラックの奇想天外」展(ヘイワードギャラリー、2022)展示風景 Copyright the artist Photo credit Rob Harris Courtesy of the Hayward Gallery

たとえば、先にふれたヒュー・ロックは《アルビオン》(Albion、2007)や《大使》(Ambassador、2021、挿図15)において、英国の国章や馬にまたがり行進する大使、植民者英国の権威の象徴を作品にしている。国章は段ボール、造花、リボン、廃材金属片など廉価な材料でゴテゴテに飾りたてられ、彼の出身であるガイアナから見える色褪せた旧植民者の残骸であるとともに、カーニヴァルのデザインを思わせる大衆的な祭りの表現が重なり、その渾然とした様が不思議な快感をもたらす。

挿図15:ヒュー・ロックの展示 「ブラックの奇想天外」展(ヘイワードギャラリー、2022)展示風景 Copyright the artist Photo credit Rob Harris Courtesy of the Hayward Gallery

また、ニック・ケイヴ(Nick Cave)の異様なボディスーツ状の作品《サウンドスーツ》(挿図16)は、カラフルなスパンコールや古布や羽で装飾された「プリミティブアート」のセンセーションと、SFの世界に通じる未来的要素が合体され、どこかのネイティブの祭りか儀式を思わせる。しかしその背景には1991年にLAで起こったロドニー・キングの警察による暴行事件の記憶があり、ブラックであることでつねに護身のための防備が必要であるという現実が重なる。

脱植民への道を探りアイデンティティの問題と格闘してきた先人たちの「二重意識」‘double consciousness’(W・E・B・デュボイス、1903)、『黒い皮膚・白い仮面』‘black skin, white masks’ (フランツ・ファノン、1952)、「ダブルバインド」‘double bind’(ポール・ギルロイ、1993)といった、ブラックであることの足枷または可能性が底に流れているようにも感じられ、現在に続く暴力的な現実も秘めながらなぜか非常に軽快なのである。

挿図16:ニック・ケイヴの展示 「ブラックの奇想天外」展(ヘイワードギャラリー、2022)展示風景 Copyright the artist Photo credit Rob Harris Courtesy of the Hayward Gallery

この展覧会は、ブラックアートの批評と歴史が構築されてきたうえにある現在の到達点であり、同時にブラックアートという概念と評価が未だに抱える問題に挑むものでもある。なぜ、ブラックアーティストはアイデンティティのことしか語ってはいけないのか、メインストリームにいるアーティストたちのように多様なテーマと表現法を自由に選び個人の表現として評価されないのか。ブラックという特別ラベルが足枷になってしまうという問題と、多くの作家が格闘してきた。

それに対してこの展覧会ではブラックという題をつけながらも、そこから多くの人が予測するステレオタイプ(フォーク、カラフル、センセーショナル、エキゾチックなど)を逆手にとり、しかし作家自体がそれを内面化したり、現代のデジタルアートやテクノロジーを有効に使い、「ファンタスティック」なものとして煙に巻いている。しかし、いつこの作家たちがブラックアートの作家と呼ばれない日がくるのかは、まだわからない。

*1──ブラックアートの運動に名古屋からトランスナショナルに活躍するトリニダード出身日本在住の重要なアーティスト、マーロン・グリフィス(Marlon Griffith)もいるのだが残念なことに日本ではほとんど知られていない。
*2──‘The Other Story’展にKumiko Shimizuが含まれている例などが示す。*4参照。
*3── Introduction, Aikens 2019, p. 9.
*4──この展覧会についてはその図録の執筆者のひとりであるガイ・ブレット(1942-2021)がブラックアートや南米の作家をモダンアートの美術史に記録していった研究者、批評家として非常に重要で、筆者も創設者の一員として活動してきたロンドン芸術大学のTrAIN(トランスナショナルアート研究所)では諮問委員として刺激を与え続けた。アライーン自身による記録や論文は彼が1987年に出版を始めた先端的な美術批評雑誌Third Textに発表している。また、Tate Galleryの出版するTate Paperにも美術史家のJean Fisherによりこの展覧会の意義について論じられている。(https://www.tate.org.uk/research/tate-papers/12/the-other-story-and-the-past-imperfect)24人の作家の中に日本人のKumiko Shimizuという日本ではあまり知られていないと思われる作家も含まれている。(http://kumiko-shimizu.com/cv.html
*5──Rasheed Araeen, ‘The Other Immigrant: The Experience and Achievements of Afro-Asian Artists in the Metroplis’, In Pinder, 2002, p. 367. (初出Third Text, 6-18, 1992, pp. 17-28.)
*6──https://iniva.org/about/institute-of-international-visual-arts/。現在はIniva/inivaと表記される。Autograph. (https://autograph.org.uk/about-us/mission
*7──この会議の論文はFisher ed. 1994にまとめられている。
*8──https://www.arts.ac.uk/research/research-centres/train
*9──https://www.arts.ac.uk/ual-decolonising-arts-institute/ual-related-activities/black-artists-and-modernism
*10──https://iniva.org/library/

参考文献リスト
清水知子『文化と暴力―揺曵するユニオンジャック』、月曜社、2013.
萩原弘子『ブラック:人種と視線をめぐる闘争』、毎日新聞社、2002.
Aikens, Nick,susan pui san lok, and Sophie Orlando eds. Conceptualism – Intersectional Readings, International Framings: Situating ‘Black Artists & Modernism’ in Europe. Eindhoven: Van Abbe Museum, 2019.
Araeen, Rasheed. The Other Story: Afro-Asian Artists in Post-war Britain, Hayward Gallery Publishing, 1989.
Bailey, David A., Ian Bucom and Sonia Boyce, eds. Shades of Black, Duke University Press, with inIVA and the African and Asian Visual Artists’ Archive (Aavaa), 2005.
Correia, Alice ed. What is Black Art?, Penguin, 2022.
Eshun, Ekow. In the Black Fantastic, Thames & Hudson, 2022.
Fisher, Jean ed. Global visions towards a new internationalism in the visual arts. Kala Press. With InIVA, 1994.
Pinder, Kymberly N. Race-ing Art History.Routledge, 2002.

菊池裕子

菊池裕子

きくち・ゆうこ 金沢美術工芸大学 芸術学専攻―SCAPe教授。ロンドン芸術大学(UAL)で約30年教鞭をとり、トランスナショナルアート研究所(TrAIN)の設立メンバーとしてポストコロニアルの視野から「工芸」を批評的に研究。英国王立芸術大学、ハイデルベルク大学、台灣中央研究院、フランス極東学院(プノンペン)、国立シンガポール大学、スミソニアンアメリカ美術館での客員教授も経て、2019年より現職。主な著作にMingei Theory and Japanese Modernisation: Cultural Nationalism and “Oriental Orientalism” (2004、ハングル語版2022); Refracted Modernity: Visual Culture and Identity in Colonial Taiwan (2007);‘Transnationalism for Design History: knowledge production and decolonization through East Asian design history’(Massey, A. ed., A Companion to Contemporary Design since 1945, 2019); The Journal of Design History特集号:Transnational Modern Design Histories in East Asia(27-4,2014); World Art特集号: Negotiating Histories: Traditions in Modern and Contemporary Asia-Pacific Art(5-1,2015)。現在、東アジアのデザイン史という枠組み構築や、「工芸」の持続可能性と女性のリーダーシップについての共同研究を日英豪の研究者数十人と進めている。