
会場風景より、ウー・チーユーの展示風景
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NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で、「ICC アニュアル 2026 遺す/残る/受けとめる」が開幕した。会期は6月20日から11月8日まで。
出品作家には、ウー・チーユー、キム・ヨンウン、小林椋、SUGAI KEN、すずえり+比嘉了、葉山嶺、ローサ・メンクマン、森永泰弘が名を連ねる。また新進アーティスト紹介コーナー「エマージェンシーズ!」では宮下恵太、杉田碧(杉田は9月12日より展示)を紹介。会場ではこれらに加え、有料エリア内のコレクション作品展示としてグレゴリー・バーサミアン《ジャグラー》を紹介。5Fロビーの無料展示エリアでは、岩井俊雄《マシュマロモニター》も見ることができる。

メディア・アートを中心に、現代のメディア環境における多様な表現を紹介する長期展示「ICC アニュアル」。今年度のテーマは、歴史と技術、メディアの関係だ。生成AIをはじめとする技術の発展によって、情報はかつてない速度で生み出され、流通している。そのいっぽう私たちが目にする情報はアルゴリズムによって選別され、再構成されてもいるが、何が記録として残され、何が見えなくなっていくのか。そして、残されたものを私たちはどのように受けとめるのか、本展は複数の作品を通して投げかけてくる。

記録メディアの歴史から、私たちの知覚や身体、そして他者の記憶を受けとめる倫理へ。いくつかの問いの出発点のひとつとなるのが、ウー・チーユーの《セルロイドの物語》シリーズだ。《セルロイドの物語:無主地のデータ》《セルロイドの物語:展示された映画の工場》《セルロイドの物語:亡霊のまなざし》《セルロイドの物語:道(陳火泉『道』に寄せて)》からなる本シリーズは、映像がどのように作られてきたのかという問いから、セルロイドという素材の背後にある森林、労働、戦争、イメージ生産の歴史へと踏み込んでいく。AIによる画像が、まるでどこからともなく生成されるように見える現在だからこそ、イメージの背後にある物質性や長い歴史が、いっそう切実に迫ってくる。

映像が物質の記憶を宿すものだとすれば、音もまた、過去を保存する透明な器ではない。キム・ヨンウンの「未来の聴取者へ」シリーズは、20世紀初頭のフォノグラフ録音を起点に、現代の音響技術を重ね合わせる作品だ。録音された音は、たんなる過去の資料ではなく、誰が、なぜ、それを残そうとしたのかという文化的・歴史的な欲望を含んでいる。古い技術と新しい技術のあいだで、音は再び聞き直されるべき声として立ち上がる。

その「聞く」という行為を、より身体的な体験へと変えるのが、SUGAI KENの《「...ん!?」-虚響室-》だ。無響室でひとりずつ体験する本作では、暗転した空間のなか、鑑賞者は音だけを頼りに室内に誰かがいるような気配を感じ取る。スマートフォン以降、視覚情報に偏りがちな現代の知覚に対し、本作は聴覚を通じて現実と虚構の境界を探る。見ることを遮られたとき、私たちは何を現実として受けとめるのだろうか。
いっぽう、小林椋の《通中帯・底筒器(もうひとつの飛翔あるいは落下のために)》は、装置、構造物、あるいはマルセル・デュシャン以後の機械的な想像力を思わせる作品だ。飛翔と落下という相反する運動のあいだに置かれた身体は、情報や記憶をただ受信する器ではなく、重力や空間の条件のなかでそれを受けとめる存在として立ち上がる。

記録や伝達の問題は、さらに社会的な回路へと接続される。すずえり+比嘉了の《Resistance Array》では、赤いレーザーが空間を走る。2019年に世界各地で起きた民主化運動、とりわけ香港やチリで見られたレーザープロテストをモチーフにした作品で、ここでレーザーはたんなる光の演出ではない。音声を運ぶ通信そのものとして機能し、光自体が情報を伝える。ネットワークを通じて国境を越えて連鎖する市民運動の記憶が、可視化され、同時に可聴化されていく。

そこから本展は、人間中心の知覚の外側へも視野を広げていく。葉山嶺の《LYMENA》は、雨の降る森を舞台にしたインタラクティブな映像作品。鑑賞者はマウスとキーボードを使って森を探索するが、そこには見えない存在や気配が潜んでいる。作家は、コウモリが超音波によって世界をとらえる姿に触れた経験を出発点にしているという。人間の視覚ではとらえきれない世界をどう想像するか? 本作は、見ることの限界と、その外側にある感覚の可能性を静かに示す。

見えているものが、必ずしもすべてを保持しているわけではない。そのことを画像のレベルから問い直すのが、ローサ・メンクマン「イメージ・リメインズ」だ。デジタル画像は鮮明さや効率の名のもとに圧縮され、変換され、最適化される。しかし、その過程で何が削ぎ落とされているのか。失われたもの、ノイズ、欠落、圧縮の痕跡。本作は、イメージが残ることと、完全には残らないことのあいだに目を向けさせる。


こうした作品を経て、森永泰弘の《Auto-ethnography: HAMAKAI》では、記録することの倫理がより強く前景化する。ブラジルのアワ族との出会いをもとにしたサウンド・インスタレーションで、作家自身がフィールドで経験した、人間と動物、生と死、言語化しきれない知性との接触が、父と娘の会話劇として構成される。立体音響は、音を派手に移動させるためではなく、豊かな音場を作るために用いられている。約20分の作品を通して、他者の経験を記録するとはどういうことか、そしてその記録を私たちはどのように受けとめるべきなのかが問われる。

有料エリア内では、ICCのコレクション作品としてグレゴリー・バーサミアンの《ジャグラー》も展示されている。立体物と光、運動によってアニメーションの原理を空間化する本作は、映像がスクリーン上のイメージである以前に、光と時間、身体的な知覚によって成立していることを思い出させる。メディアの歴史を扱う本展において、コレクション作品が現在のテーマと呼応するように見えてくる。

また、新進アーティスト紹介コーナー「エマージェンシーズ!」として宮下恵太「Just a Bit of Those Things:ほんの些細なものごと」(展示期間:6月20日〜8月16日)が紹介されている。通信技術や電源といったインフラをテーマに、普段は意識されにくいデジタル環境の物理的な側面を、光や音として知覚させる試みだ。データや通信が抽象的なものとして語られがちな現在において、それらが電気や装置、空間のなかで成立していることを実感させる。

会期後半には、同じく「エマージェンシーズ!」として杉田碧の展示も予定されている(9月12日〜11月8日)。若手作家の実践を継続的に紹介するこのコーナーは、本展のテーマである「遺す/残る」を、制度やアーカイヴの問題だけでなく、これからの表現をどのように受けとめ、次へ手渡していくかという問いにも接続している。
本展で扱われているのは、たんに「残された資料」ではなく、映像の素材、録音技術、無響室での聴覚体験、光通信、動物の知覚、画像処理の欠落、フィールドワークの記憶、そしてメディア装置そのものだ。それぞれの作品は、記録の背後にある技術や身体、制度、倫理を浮かび上がらせる。つまり本展における「遺す/残る」とは、保存することだけではなく、何かを選び、何かを取りこぼし、それでもなお次の誰かへ手渡そうとする行為なのではないだろうか。

野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)