公開日:2022年10月14日

使い手自身の創造性を引き出す建築を求めて。家成俊勝とdot architectsの歩んだ18年

10月1日から始まった「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022」。多様なジャンルのアーティストが集う同芸術祭に長く関わってきたのが建築家ユニット「dot architects」だ。2020年からは演出家の和田ながらと共に関西エリアのリサーチ「Kansai Studies」を進めてきたが、今回はその成果を舞台作品としてアウトプットする。dot architects創設メンバーである家成俊勝に、近年の活動と新作について聞いた。

dot architects(写真中央が家成俊勝)

dot architects「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2022」において、演出家の和田ながらと協働し、舞台作品『うみからよどみ、おうみへバック往来』を発表する。2020年から継続してきたリサーチを踏まえて「水」や「お好み焼き」がテーマとなる同作には、dot architectsの家成俊勝が青年期から抱いてきた都市や生活への関心が見てとれる。彼の原点とも言える1995年の都市災害についてからインタビューを始めた。

dot architects & 和田ながら Kansai Studies『うみからよどみ、おうみへバック往来』

震災から学んだこと

──家成さんは1995年の阪神・淡路大震災を経験されています。それが大きな転機だったと聞きました。

震災がちょうど二十歳の成人式を迎えた翌々日だったんですよ。当時の家が神戸市灘区にありまして、かろうじて建ってはいたものの全壊判定を受けたり、同級生の友人も体育館で避難生活をしていたり、という状況でした。

それまで当たり前だと思っていた都市の水、ガス、電気、交通網などが一気に失われてしまったとき、自分たちはどう生き抜いていけばよいかについて考えるようになるんです。例えば近所のお寺に湧いていた井戸水を近所の人たちが行列して汲んでいったり、プロパンガスで沸かしたお風呂をみんなで使うとか、倒壊した百貨店から物資を取りにいくとか、おじさんが交差点の真ん中で手信号で車の交通を捌いていたりだとか。山口組が自衛隊よりはやく地域住民に物資を配ってくれたりもしていました。そういう、ふだん見えていなかった人と地域社会の関わり方が現れてきて「今まで街で生きることを誰か任せにしてきたけれども、本来自分たちでいろいろと作っていけるのかもしれへん」と思ったことが、自分の建築的な意識の始まりだったかもしれないですね。

──その時、建築家になろうと思ったのでしょうか?

具体的に考えるようになるのはもう少し先ですね。幼馴染の家が工務店だったので、高校のときも建設現場でバイトしていて、鉄筋工をしていた時もあったんですけど。大学卒業後にやることがなくて、よく通ってたバーのバーテンさん……その人は建築を勉強していた人だったんですけど「思想とか哲学、あるいは意匠やデザイン面を複合的に考えられる領域として建築があるんだよ」と教えてもらって、それで『Anywhere』(『Anywhere―空間の諸問題 Anyシリーズ』、編:磯崎新・浅田彰、NTT出版、1994)を読んでみたら一行もわからないという(笑)。「こんなわからない世界が建築現場の隣に共存してたんや」とびっくりして、そこから建築を始めようと思いました。

──大分県湯布院で開催したシンポジウムを採録した本ですが、ある種「ザ・現代建築!」という内容で、現在の家成さん、dot architectsの仕事とは異なる印象もありますね。

専門学校に通っていたときは影響受けまくりでした。強い形態でドンと建物を見せて、そこにプログラムや思想がリンクしているということに憧れてましたし。しかし、いざ卒業後に自分が実際にどういうものを設計していくのかと問い直したとき、それは必ずしも震災という文脈ではないですが、宮本佳明さんの事務所の門を叩くことになります。

──震災で全壊判定を受けた木造の長屋を重量鉄骨で補強し、アトリエに転用した「ゼンカイハウス」の設計者ですね。

宮本さんの下にいたのは短い時間でしたが、本当にいろんなことを学ばせていただきました。でも宮本さんは本当に天才タイプで、宮本さんやレム・コールハースのような建築の方向を目指しても絶対に自分にはできない。また、同時に建設現場で働いてきて、みんなでものづくりをしていく感じとかすごくいいなとも思っていたので、いろんな人が設計のプロセスに入って、ひとつの建物、建築、空間が出来上がっていくってことを積極的に捉え直していきたいと、そのあたりから思い直していました。

赤代武志(しゃくしろ・たけし)らと立ち上げたdot architectsも、今風に言えばコレクティブでしたから、3人それぞれの意見やモチベーションや身体の違いを排除しないかたちで空間を立ち上げることが目的になっていったというのもあります。ひとりのアーキテクトみたいな存在がバンと立つのではなくて、考え方もそのつど変わっていく。そういうなかから空間を立ち上げられないかを当時は模索していました。

オープンで簡単な技術を使い、誰でも関われる建築を

──dot architectsの仕事は、コラージュ的で、ある限られた選択肢のなかから建築を立ち上げていくような印象があります。作品を作るときに重点を置くポイントはどこにありますか?

リサーチですね。ただプロジェクトごとにかなりふんわりしています。例えば小豆島の「Umakicamp」(2013)だと、地元の方とスナックに飲みに行ったり、どこかに遊びに行ったりとか。そういうなかでの会話から出てくる言葉を拾っていくという、インタビュー未満の謎の記述方法をやっています。

──例えば「何か困ったことありますか?」と聞くのでもなく?

全然聞かないです。むしろそんな風に聞いたら「わしらが困ってる前提やないか?」みたいな感じになっちゃう。ぽろっとこぼれた言葉に対してもうちょっと聞いてみたりして、相手を軸にしてその人が考えていること言っていることを膨らませていくというか。

「Umakicamp」では、小屋そのものは僕らで設計しましたが、それを作るプロセスには他の人たちも参加できるオープンで簡単な技術で建てられることは最初から想定していました。石垣の積み方に僕らはこだわらない。好きに積んでくれればいいし、構造さえしっかりしていれば問題ない。そして建物ができたあとのプログラム・中身を考えるのも地元の人たちで僕らはサポートするぐらい。いわゆる設計図の青焼きがあって、そのとおりに完成させることがゴールではないんです。作りながらどんどん変えていけるところは変えていっちゃえばいいと。

──そういう考え方だと納期はどうなるんでしょう?

ちょっと延びることもあります。納期に間に合わせるために変えていくこともあります。「いったんここは完成としておこう」とか。わりともやもやした感じがよいかな。メンテナンスについても、何か不都合あったら自分たちで手を入れてください、むしろ推奨っていう。「Umakicamp」にしても、最初は瀬戸内国際芸術祭が終わったら解体するはずだったんですが、地元の方々のご厚意で残ることになったし、もう自由にいじってもらってよし。突然半分なくなっても別にいいんです(笑)。

──それは、建築を作ったり手を入れる行為が、ずっと続くものだという意識が家成さんのなかにそもそもあるからでしょうか。

どうなんでしょうね。当初の姿がそのまま100年後、200年後、1000年後にも遺跡として残る、みたいな考え方を建築を設計する人たちは思考しがちやと思うんですけど、僕の場合は、もうちょっと現在的というか。いま、この場でこういう状況が立ち上がっていて、連続して、そしていつなくなってもよいというか。かといって終わらないことを目指しているのではなくて、終わったほうがいいときはスパッと終わったほうがいいよな、といつも考えてます。

昔の屏風絵、例えば《洛中洛外図》を見ると、寺社仏閣がばーんと描かれているその下に、地域住民が住んでいる場所や商店が描かれてますよね。ほとんどあばら屋。ああいうものは消し飛んで、いまや絵にしか残ってない。でも、そこにもリアリティというか生活はあった。吹いたら飛んでしまうけれど、そのときに必要だったものに自分たちは興味があるんです。

──最初の震災の経験につながりますね。

そう思います。かつての寺社仏閣的なものを現代の都市に置き換えると高速道路や鉄道、あるいは市役所といった都市の生活基盤になっている施設が全部クラッシュしたとき、いろんな人たちが路上で屋台を始めたり、生き抜くための空間の使い方をしていて……そういうのは3か月くらいでほぼなくなっちゃいましたけど。震災は悲惨な出来事ではあるんですけど、ある意味では豊かなところもすごくあった。仮設的な空間というのはやっぱり生き生きするなというのがありますね。街が都市計画や設計者の次元でできてない、といいますか。一人ひとりの地道な生活者や商売人が編み出した技が溢れていって、空間ができていくというのがめちゃくちゃいい。

お好み焼きを通して見える世界

──KYOTO EXPERIMENT 2022の作品『うみからよどみ、おうみへバック往来』についてお聞きします。これはKansai Studiesというリサーチプロジェクトの完結編で、家成さんと和田ながらさんが共同演出する舞台作品になります。しかし、これまでのリサーチではお好み焼きを調べたりしていてユニークです。

2021年がお好み焼きで、2020年は水をテーマにしていました。水は生命にとって根源的なものでもあるのでリサーチの対象にぴったりだけど、お好み焼きにも創造性ってものがきっとあると思ったんですね。

2021秋に開催された「Kansai Studies」クロージングイベント(ライブ配信) 撮影:白井茜 提供:KYOTO EXPERIMENT
「Kansai Studies」展示(2021 AUTUMN) 撮影:白井茜 提供:KYOTO EXPERIMENT

それはさきほどの建築の話にもつながっていて、素材の入手が容易で、調理するための道具もものすごくシンプル。さらに作り方もめっちゃ簡単で、しかも美味しい、みたいなことを創造性と捉えて、高度に専門化されたものづくりと対比させる。建築もお好み焼きのようにできたらいい、というエッセイをリサーチ以前に書いたことがあったんです。

Kansai Studiesでは、また違った角度のテーマにしようということで、お好み焼きができるまでの農業や流通をリサーチしています。例えば小麦を調べていくと、日本は主にアメリカから小麦を輸入しているんですけど、これが始まったのは第二次世界大戦で日本が敗戦国になって、安全保障と引き換えにアメリカから小麦を輸入しなさいという取り決めのなかで、始まりました。その小麦を消費していくために、学校の給食がパン食になり、子どもの日常習慣にパンを食べることが刷り込まれていったんです。

──ふむふむ。

アメリカでの小麦栽培は効率よく大量生産するために産業化されていて、大阪府の半分の面積を一人の管理者で育てています。実際に現場で働いているのはバックパッカーの季節労働者で、管理者はヘッドフォンで音楽を聴いたりしながら、機械を操作してるだけだと。さらにロシアや黒海周辺は広い穀倉地帯があるので農業においても重要なのですが、ウクライナへのロシア侵攻で世界的に小麦が不足していて、アフリカでは飢餓が加速している。自分たちが調べてきてわかったことが、そのまま今起きてる、と感じたり。

Kansai Studies 展示(2021 SPRING) 撮影:松見拓也 提供:KYOTO EXPERIMENT

そういう風にお好み焼きを起点にリサーチしていくと、船や飛行機や鉄道による物流・サプライチェーンと、地球規模で行われている産業的な農業との連環みたいなことが見えてくる。それはお好み焼きの生地を作るための水でも同様で、地球を野球のボールぐらいのサイズで考えると、人間や動物が飲める水はボールペンの先っちょぐらいしかなくて、それを70億の人間、そして動植物が分け合っていることがわかったりする。何気なく食べているお好み焼きが、世界のいろんな事象を見せてくれるというのはすごく面白い。

──そういったリサーチの成果が今回は演劇になり。

当初はリサーチのみだったのですが、最後の年に舞台をやってみませんかという打診がKYOTO EXPERIMENTからあり、「じゃあやりましょう」と(笑)。

とはいえ、建築のユニットの僕らが和田さんと協力して脚本を考えるとかまず無理だし、だったら和田さんが演出する演劇がベースにしっかりあり、僕らは動く舞台美術を作ってそれが併存して、絡んだり絡まなかったりする。そういう形式をいまは模索しています。建築家と演出家の目線が混じって薄まるよりも、お互いに強度を発揮して、ひとつの強いものになれたらいいな、というのが狙いです。

──お好み焼きに膨大なインフラがあったように、演劇にもそれを成り立たせるインフラ的なものがあると思うんです。そういうものが問い直されたりするのを期待してます。

舞台上でお好み焼きは絶対に焼くと思ってます(笑)。

2021秋に開催された「Kansai Studies」クロージングイベント(ライブ配信) 撮影:白井茜 提供:KYOTO EXPERIMENT

人が生き延びていくための農工民族宣言

──dot architectsは神里雄大さんの『バルパライソの長い坂をくだる話』(2017初演)の舞台美術を担当したり、contact Gonzoともコラボレーションを行なっています。アートと積極的に関わりをもつ理由は?

アートである以前に、神里くんやGonzoや金氏(徹平)くんが、人として抜群に面白いんです。話し合ったり考えたりするときに、とにかく面白い方向にしか転がっていかない。相性がいいんでしょうね。

──神里さんもdot architectsとの仕事はやりやすかったと言っていた記憶があります。

嬉しいです(笑)。神里さんと舞台をやるときには、神里さんが書いた本、神里さんがしてきたこと以上にはリサーチを広げないようにしていて、本のなかに僕らが感じた世界を美術にしようとしています。テストでいくつかの案を出してみて、それに対して「ちょっとやりすぎ」と言われたりするんですけど、そうやって遠く遠くに球を投げてみて、神里さんが目指しているものを掴んでいくというか。

神里雄大/岡崎藝術座 バルパライソの長い坂をくだる話 2017 撮影:井上嘉和 提供:KYOTO EXPERIMENT
神里雄大/岡崎藝術座 バルパライソの長い坂をくだる話 2017 撮影:井上嘉和 提供:KYOTO EXPERIMENT

──そういったアートの仕事と建築の仕事のあいだで、違いや共通するところは多そうです。

モチベーションはわりと近いかもしれません。建築の仕事では住む人にいいなと思ってもらえるのがいちばんで、アーティストと一緒に仕事するときは、その人の世界観をいかに成立させるかを考える。それはわりと近いことのように思います。建築が住み手の問題、アーティスト個人の問題だけに閉じず、もうちょっと地域や都市の問題として語れるというか。

そして、使い手自身の創造性を引き出したいですね。最近の3LDKの間取りってどこもだいたい変わらないんですよ。明らかにテレビは絶対ここしか置けないし、そうするとソファーはここで、テーブルはこの位置に置くしかないという風に、あらかじめ作り手の命令が埋め込まれていて、生活が空間によって規定されちゃっている。もうちょっと自由に使い倒せるものを作りたいといつも思っています。

researchlight 河童と、ふたたび 2016秋 撮影:守屋友樹 提供:KYOTO EXPERIMENT
researchlight 河童よ、ふたたび 2016春 撮影:衣笠名津美 提供:KYOTO EXPERIMENT

──今の日本は大変だと思うんですよ。個人の創造性とその自由度が増してほしいけれど、生活が困窮していけば自由は減りますし、いまのように円安だと、日本を出て海外で暮らすことも難しい。そもそも移民的な生き方は近世以降の日本では馴染みがないですが。そういった時代だからこそ「我々はどう生きるか?」ってことを当然考えてしまうわけですが、家成さんのなかで建築を通した展望はありますか?

最近、滋賀のある場所に民家を買おうとしたんです。それは立ち消えになっちゃったんですけど……ずっと大阪の工業地帯、つまり近代に発展してきた都市空間・産業のなかでずっと設計の仕事をしてきましたが、それだけではいかんなと思って、農業とか一次産業に関わる身体やスキルを作っていきたいと考えるようになりました。

百の仕事ができるから「百姓」と言われたりしますが、実際に農業のなかには身体に障がいがある人でも関われる仕事があって、作業工程がすごくシンプルなので、誰もが参加できるんです。生きていくためのすつながりが目に見えてあり、そして人が生き延びていくためのものが農業や漁業にはあると思います。

一気にそれだけにシフトするのは難しいのですが、そういった農業的なあり方として建築を捉えたい。農場と工場のスキルを両方もつ「農工民族宣言だ!」なんて冗談言ってますけど(笑)。

researchlight 「何もある」展示風景 2017 撮影:増田好郎 提供:KYOTO EXPERIMENT

dot architects

家成俊勝、赤代武志により2004年共同設立。大阪・北加賀屋を拠点に活動。建築設計だけに留まらず、現場施工、アートプロジェクト、さまざまな企画にもかかわる。現在のメンバーは、土井亘、池田藍、宮地敬子、勝部涼亮を含めた6名。

家成俊勝 

1974年兵庫県生まれ。関西大学法学部法律学科卒。大阪工業技術専門学校夜間部卒。専門学校在学中より設計活動を開始。京都芸術大学 空間演出デザイン学科教授、大阪工業技術専門学校建築学科Ⅱ部非常勤講師。

島貫泰介

島貫泰介

美術ライター/編集者。1980年神奈川生まれ。京都・別府在住。『美術手帖』『CINRA.NET』などで執筆・編集・企画を行う。2020年夏にはコロナ禍以降の京都・関西のアート&カルチャーシーンを概観するウェブメディア『ソーシャルディスタンスアートマガジン かもべり』をスタートした。19年には捩子ぴじん(ダンサー)、三枝愛(美術家)とコレクティブリサーチグループを結成。21年よりチーム名を「禹歩(u-ho)」に変え、展示、上演、エディトリアルなど、多様なかたちでのリサーチとアウトプットを継続している。