公開日:2022年12月6日

加藤泉インタビュー。プラモデルが語りかけてくるとき

美術家の加藤泉がビンテージプラモデルを使った作品を一挙公開する展覧会「加藤泉-寄生するプラモデル」が、東京のワタリウム美術館で2023年3月12日まで開催中。

美術家の加藤泉。東京都渋谷区のワタリウム美術館にて

ワタリウム美術館で新シリーズを一挙に

胎児や精霊を思わせるシンボリックな「人がた」をモチーフとする絵画や木彫を制作し、世界的に活躍する美術家の加藤泉。近年は石やソフトビニール、布など素材の幅を広げているが、最新の成果はなんとプラモデルを使ったシリーズだ。東京・外苑前のワタリウム美術館で開催中の個展「加藤泉-寄生するプラモデル」は、ビンテージのプラモデルと木彫や石彫を合体させた48点の作品がそろい、自作をプラモデルにした新作も発表している(会期は2023年3月12日まで)。

加藤は新型コロナウイルス感染症拡大による2020年のステイホーム下で、これらの作品をつくり始めたという。なぜプラモデルだったのか? 本展を企画したワタリウム美術館代表の和多利浩一とともに制作の経緯や近況を聞いた。


個展「加藤泉ー寄生するプラモデル」の会場風景

リボーン参加をきっかけに実現した展覧会

──今回の展覧会は、加藤さんが和多利さんがキュレーターを務め今年宮城県石巻市で開催された「リボーンアート・フェスティバル2021-22後期」(*1)に参加されたのがきっかけで実現したそうですね。まずお二人の馴れ初めから教えてください。

和多利 加藤さんの制作のメインは絵画ですが、最近は立体作品が非常に増えていらっしゃるなと感じていました。リボーンは野外の展示会場が多いので、それに対応した作品を制作して頂けないかと思って依頼したのが最初ですね。石巻は魚が美味しいし、釣りもできますよ、いかがですか? そう言ってお願いしました(笑)。

加藤 それで釣られましたね(笑)。

──加藤さんは石巻に行かれたのは初めてですか?

加藤 僕は初めてですね。

──どのように制作されたのですか

和多利 去年の秋にまず場所を下見に行き、大体の展示プランも考えて頂きました。その後、コロナ感染症が再拡大して予定した地域に入れなくなり、展示会場が石巻南浜地区の津波に流されず残った蔵と周辺に変わりました。なので、プランをやり直す二度手間をお掛けしてしまいました。

加藤 石巻市で採掘された稲井石を使って着彩した立像や横たわる像を作りました。約3mの立像は、地元の石屋さんに積み上げるのを協力してもらって。稲井石は石碑などによく使われる石で、会場の道の石垣や蔵の床にも使われていましたね。

和多利 石切り場で加藤さんが石を選んでいる姿は非常に面白かったですね。ものすごく大量の石があるなかで、使う石を判断されるのですが、それが早い。石の形を見ただけで、どの作品のどのパーツに使うか頭に浮かぶんでしょうね。僕はもっと時間がかかるものだと思っていました。

──和多利さんは、内覧会の挨拶でも加藤さんはお仕事が早いと話されていましたね。

和多利 とにかく判断が早いんです。

加藤 元々早いほうだったと思うけど、最近は自分でも早いなと思いますね。

──失礼ですけれど、何かコツはありますか。

加藤 うーん、コツは何かな。集中力? 絵もそうだけれど、何でも訓練を積むと早くできるようになるじゃないですか。そういう感じですかね。

和多利 その絵も初期のものと見比べると、最近の作品は奥行きがあってテクニックも多様になっていますね。作品のイメージ自体は、同じように見えるかもしれないけれど、近寄ると複雑なぼかしとか様々な技術を使われている。今回の展覧会に展示されている平面作品も紙を貼ってコラージュしたり、糸でステッチを入れたり、色々なことをされていて面白いですよ。

加藤 作品が複雑になってきているんですね。シンプルだけど情報は多い形を取っていて。

美術家の加藤泉。東京都渋谷区のワタリウム美術館にて
「リボーン・アートフェスティバル 2021-2022 後期」で展示された加藤泉の作品。東京都渋谷区のワタリウム美術館にて

──石巻にはしばらく滞在されたのですか?

加藤 1回行くと大体2、3日滞在して制作しました。釣りもして(笑)。

──東日本大震災から11年たちましたが、どのような印象を石巻に持たれましたか?

加藤 甚大な被害を受けた地域だと知っていましたが、実際に行くと整備は進んでいる印象を受けました。展示場所に近くに石巻南浜津復興記念公園という、津波の犠牲になった方々を追悼する公園があるんですが、盛土がされて海や川は全然見えなくて、まだ血が通っていないというか、痛々しい感じがしました。確かに物理的な整備は進んだけど、まだ復興したとは言えないのではないかと感じましたね。

──質問の角度を少し変えて、これまで加藤さんはワタリウム美術館とご縁がありましたか?

加藤 全然なかったですね。

和多利 加藤さんは名だたる美術館で展覧会をやっていらっしゃるから、うちに出る幕があるとは思ってもいなかったですね。

加藤 1990年代に同世代の有馬かおる君(*2)がワタリウムのグループ展に出ていると聞いて、来たことがありました。僕はアーティストになる前で、青山あたりで内装の仕事をしていて昼休みに来て。一緒に行った友達と展示を見て、「有馬君はもう美術館で発表しているのか!」と言い合って、あの時は羨ましかったな。石巻で有馬君は、僕がやっているバンド「THE TETORAPOTZ」のライブにゲストで出てくれたんですよ。

和多利 有馬さんは、「THE TETORAPOTZ」が演奏する曲に合わせて、自作のポエムを朗読してくれたんです。

加藤 すごく良かった。ちょっと感動的でした。

ステイホーム下でプラモデルを作り始めた

個展「加藤泉-寄生するプラモデル」の会場風景

──リボーンで知り合われて、加藤さんはプラモデルを使った作品を和多利さんに見せられたわけですね。

加藤 プラモデルと木彫を合体した作品は、すでに海外や東京都庭園美術館の「生命の庭」展(*3)展で発表していましたが、最新作のオリジナルプラスチックモデルをどう発表するかを考えていました。できれば単体でなくほかの作品と一緒に線の形で見せたかったんですね。ちょうどリボーンで和多利さんと仕事をしていた時期だったので、こんなのを作ったとお話して。

和多利 今年の春前だったかな、東京の加藤さんのスタジオにお邪魔しました。スタジオには、プラモデルの箱がブワーッと積み上がっていて。

加藤 プラモ屋みたいになってる(笑)。

和多利 すごいんですよ、本当に。そこで、これまで制作された作品と未発表のプラスチックモデルの作品を見せていただいて。びっくりして、すごく面白いと思って、ぜひワタリウムで展覧会をやりましょうと。

──即決ですか。

和多利 もうその場で。

加藤 私立美術館はいいなと思いましたね。公立施設だと、なかなかこういうスピード感で展覧会はできない。ワタリウム美術館は、ちょうど建物の大きさもぴったりで。これまで作ったプラモデルシリーズをトータルに展示できる広さだと思いました。

和多利 加藤さんは、そういう空間的な判断も早い。

ワタリウム美術館代表の和多利浩一。東京都渋谷区のワタリウム美術館にて

──加藤さんがプラモデルシリーズを作り始められたのは、2020年の最初のステイホーム下だったとお聞きました。コロナ下では、どう過ごされたのですか?

加藤 感染症で亡くなった方々には本当に申し訳ないけれど、正直言うと目茶苦茶に忙しかったから、このペースで働くと自分は寿命が縮むなと思っていました。だから、一息つけた感はありましたね。

和多利 時間に余裕ができて、プラモデルを作り始めたわけですね。最初はホビーとして? それとも制作の一環という意識はあったんですか?

加藤 いやもう、全然ホビーです。最初に作ったプラモデルはロボットですね。僕が子供のころ、イラストレーターでモデレーターの横山宏(*4)さんが、「SF3D」というロボットのプラモデルのデザインから商品化までの経緯を雑誌『ホビージャパン』に連載していて、それが非常に面白かった。そのプラモデルが後に「マシーネンクリーガー」の名称に変わり、再販されたときにたくさん買って手元に持っていたんですね。まず、それをどんどん作った。でも、10個くらい作ったらさすがに飽きてきて。

和多利 それは10個も作ればね。

加藤 他の種類を買おうと思ってネットで調べてみたら、古い動物のプラモがたまたまあった。それで「動物」「生き物」で検索したら1950、60年代の米国製とかが出てきて、とにかく箱のイラストがカッコ良かった。「もう全部買おう」と、レコードのジャケ買いみたいな感覚で集め始めました。それを何個か作ってからですね、作品に使おうと思い始めたのは。

和多利 そうか、ネットで売っていたんですね。

加藤 前はそれなりにあったけど、僕が根こそぎ買っちゃった。

──加藤さんのプラモデル愛がよく分かりました。作品には、鳥や熊や馬など動物のプラモデルだけでなく、骨格や内臓が透けて見えるスケルトンの人体も使われています。

加藤 スケルトンは、レンウォールというアメリカの会社のオリジナルがほとんどですね。僕の世代って大体みんな、プラモデル作りは通ってきた道じゃないですか。

──和多利さんも子供のときは作られましたか。

和多利 僕は器用じゃないから全然やらなかった。1回挫折すると、もう作らなくなりますね。最初に上手にできた人は、どんどん作り続けて上達して、最終的に作家になったりする。

加藤 美大に来る人は大体プラモデルが上手です。

和多利 プラモデルを通して、もの作りへの執着も育つのでしょうね。

会場風景より
会場風景より

素材と相談しながら制作する

──最初にプラモデルを作品に使ったきっかけはありますか?

加藤 スタジオに何個か作りかけの木彫があって、動物のプラモデルと組み合わせたら作品になるかなと閃いて。付けたらいける感じがして、作りだしました。一発のアイデアじゃなくて、いくつか作品を展開していけるだろうなと。

──それは、コロナ禍が始まってから結構経った時期ですか?

加藤 いや、プラモデルを作り始めたのは割とすぐかな。夏ぐらいにはね、僕はもうプラモデル作品のシリーズに突入していたんですよ。

──最初に作られた作品はどちらですか?

加藤 多分、小さい立像に鳥を付けたのが最初だったかな。今回の展覧会には出してないけれど、似た作品は展示しています。

──これまで加藤さんの絵画や彫刻を拝見してきて、容易に周囲の環境に溶け込まない強さがあると感じてきました。プラモデルは他の人がデザインした商品ですが、ご自分の作品と合体させて違和感はありませんでしたか?

加藤 うまく言えないけれど、素材と相談して作品を作っている感じがするんですね。たとえば石なら既に完成された自然物だから、それ自体に情報が非常に入っている。だから表面を白く塗りつぶしたりしないで、その情報を殺さないように、石と相談しながら上に絵や形を描いていく。素材とやりとりしながら作っていく。それは、相手が石でもプラスチックでも同じですね。

だから僕自身が作っているかどうか、よく分からない感もある。別に神がかった意味はないけれど、僕はこうしようとジャッジしたのに、素材にこうしろと言われる場合があるから。

──プラモデルもそうですか

加藤 同じことですね。プラモデルが、俺はここよりもあっちに引っ付きたいとか。実際に言葉で言われるわけじゃないけれど、それなら僕の考えはちょっと置いとくか、みたいなときは結構ある。絵もそうですね。最初は全体的に青い絵を描こうと思っても、最終的には大体違う色調になる。そこで、僕が「絶対青だ」と押し通すと絵が良くならない。だから作品を作っているときは、こだわりはあるけれど、こだわりはないみたいな状態。うまく言えないですけどね。僕が決めているのは間違いないけれど、でも全部自分で決めている感じはしないですね。

──「作らされている」状態とも違いますか?

加藤 ちょっと違う。作らされてはいないけど、折り合いがついている感じかな。

──「折り合い」はいい言葉ですね。

加藤 いま思いついたけど。

和多利 多分加藤さんは、純然なペインティングに関しては折り合う余地が少なくて、自分の中のものを全部出さないといけない。だから、たまに他の素材と向き合うと、1回目線が変わるので、再び絵画に戻ったときに集中力が非常に高まるんでしょうね。

加藤 折り合いの付け方がね、絵のほうが厳しいですよ。マテリアルとして、石のほうが優しいというか。

和多利 絵画は白いキャンバスが出発点だけれど、石なら歪んでいたり、色があったり、引っ掛かりが沢山あるから加藤さんとしては作りやすいのでしょうね。

加藤 もう描かれた絵に僕が描き足す感じ。

和多利 だから今回の展覧会は楽しい感じがするのでしょうね。加藤さんがシビアに向き合う絵画から少し離れて、自分も楽しんで作った作品ばかりだから。

加藤 それが展覧会の趣旨だから。真摯に作品を見てほしいなら絵画中心の展示になると思うけれど、それは別の機会に。今回は、作品を作るのも展覧会の準備も楽しかったですね。

加藤泉。ワタリウム美術館にて
会場風景より

絵を描くのは苦しい だからバランスを取る

加藤 絵を描くのは、かなり苦しいんです。出口のないトンネルを進むみたいで、ずっと描き続けると精神的にあまり良くない。たまに楽しいことをして、バランスを取らないと危険なんですよ。だから僕はバンドをやって意識的に人と交わるようにしているし、インタビューも受けるし、展覧会のオープニングにも出る。そうしたほうが健康にいいから。

和多利 すべてが良い絵を描くためですね。

加藤 そうですね。やっぱり良い絵が描きたいから。頭がカーっとなって夜中に書くラブレターみたいになっても、良い作品はできない。

和多利 展覧会名の「寄生するプラモデル」のイメージはどこから来たのですか?

加藤 プラモデルに「ここに置け」と言われている感じからですね。人面瘡みたいに、向こうが喋ってくるというか。

──本展の作品は、幾つかの種類に分けられると思います。ビンテージプラモデルをコラージュした木彫作品、それに山や水面など周辺環境を加えたジオラマシリーズ、布や刺繍を使って組立説明書をコラージュした平面作品などです。どのような順番で制作されたのでしょうか。

加藤 木彫に小さい鳥のプラモデルを付けたのが始まりで、次第にサイズが大きくなり、プラモデルに加えて自作のソフトビニールの人がたも使いだして、ジオラマへと展開していきましたね。

和多利 僕は、加藤さんの作品にジオラマが出てきたのは画期的だと思いました。これまでは背景などがない単体の作品の印象が強かったから驚きましたね。今後の展開が楽しみです。

加藤 どう発展するかは分からないですけどね。

左から加藤泉、和多利浩一。ワタリウム美術館にて
会場風景より

──四つ足で立つ精霊のような木彫の背中に様々な動物が乗る作品は、そこに会話や物語が生まれている印象を受けます。内覧会のとき、加藤さんが「これまで物語性は排してきた」と挨拶で言われたのが印象に残っているのですが、コロナ禍による心境の変化はあったのでしょうか?

加藤 あまりなかったですね。語弊があるかもしれないけれど、今回のコロナ禍も想定内だった気がします。生きていたら、こうした事態もあり得るだろうという感じで、特に動揺もしなかった。自分は明日死ぬかもしれないと常々思っているし。

和多利 前からお聞きしたかったけれど、加藤さんは仏教、神道、アニミズムの要素のなかでどれにいちばんシンパシーを感じますか?

加藤 それは完全にアニミズムです。僕が育ったのは島根県東部の安来市ですが、ここは本当にアニミズムの要素が強い地域だから。家によっては違うかもしれないけれど、実家はそうだったし、周りの家もそうでしたね。

──隣接する鳥取県西部を含め「出雲文化圏」とされる地域ですね。子供のときに教えられたことはありますか?

加藤 まず子供の教育にお化けを使いますね。たとえば、夜に海に行くと顔は女で体は蛇の妖怪が出てきて食われるから行くなと言われる。ちゃんと「濡れ女」という名前まであって。つい怖いもの見たさで磯に行くと、潮と潮がぶつかり海面で蛇みたいに光って、「ワーッ」と仰天して家に帰ったりしました。本当は波に月光が反射しているだけなのに、小さい頃は怖くて仕方がなかった。そんな妖怪が色々な場所にいると親や年寄りに言い聞かせられて育ちましたね。今思えば、かつて子供が亡くなった危険な場所に妖怪を配置して、大人たちが教訓にしていたんじゃないかな。

和多利 妖怪漫画の水木しげるが育った鳥取県境港市も出雲文化圏ですね。

加藤 気候風土もちょっと独特で、冬はずっと曇っていて雲が低い。で、急に雲が割れて太陽の光が差すと、雷がドカーンと鳴ったりする。なんかね、神様とか妖怪とかがいそうな神秘的な感じがする土地ですね。

木彫に取り組んで「壁」を超えた

会場風景より

──本展は、加藤さんが使われた120以上のプラモデルの箱も並び壮観です。先ほどまず箱のイラストが好きになったと言われましたが、どのような点が良かったのですか? 加藤さんの抽象的な作風とは大きな隔たりがあると思うのですが。

加藤 恐らく、古いプラモデルの箱の絵を描いたのは画家じゃないかな。仕事だけれど楽しみながら制作した雰囲気が伝わってきます。笑っちゃうような変なポーズにしたり、自分のサインを入れたりと、割と自由に描いていて、あまり上手でなくてもいい味が出ている。物として絵として魅力があって、割と好きですね。いまのプラモの箱は写真が多いし、イラストの場合はプロが出来上がりを精緻に描いているけれど、そうした面白みはないですね。

古いプラモは、箱の作りも貼り箱なんですね。最近は印刷した厚紙を組み立てた箱が普通だけど、これは最初に紙箱を作って、それに薄紙に印刷したイラストを貼っているから仕上がりがきれい。だから僕が作ったプラスチックモデルも貼り箱に入っています。

和多利 1950、60年代の印刷の枯れている感じもいいですね。

ビンテージプラモデルの箱や作品が並ぶ会場風景 撮影:佐藤祐介 Courtesy of the artist ©︎ 2022 Izumi Kato

──新作のオリジナル・プラスチックモデルは、最後に作られたのですか?

加藤 そう、ジオラマシリーズの次ですね。同時期くらいかな。

──プラモデルの企画・開発会社「ゴモラキック」の神藤政勝社長と出会って、作品が実現したそうですね。

加藤 そうです。プラモデルを使った作品を幾つか作ったタイミングで、神藤さんにお会いして、一瞬で作品のプランが決まりました。

──最初の1回でですか?

加藤 そう、自分が作りたいものは分かっていたから。まず自作の模型ではなく、プラモデル自体を作品にしたかった。あと、自分の石の作品をプラモデルにすること。

──石を使った作品をプラモデル化する発想に意表を突かれました。会場に、パーツのままと組み立てた状態の両方が展示されていますが、まるで本物の石のようです。

加藤 石の作品が絶対に面白いと思いました。あれは僕が作った原作を、実寸大のプラモデルにしているんですね。本物みたいに見えるのは、プロモデラーの着彩技術のおかげです。このプラスチックモデルは、エディション数200で僕の作品として今後販売される予定です。第2弾となる女の子バージョンの制作も決まっています。

──もし自分が買えたなら、そのまま保存するか、思い切って作るか、非常に悩みますね

加藤 多分そのまま取っておく人が多いと思うけれど、もちろん作ってもいいんですよ。これは、ある種の問題提示もしていて、つまり買った人が組み立てて、その人の考えで色を塗ることだってできる。それでも僕の作品に変わりはないから、「作品を作る」ことの境界があいまいなんです。

──パーツ数は多くないけれど、シンプルだけにかえって難しそうです。

加藤 接着剤でつけるだけですよ。

和多利 いや、俺は自信ないな怖くて作れない(笑)。

加藤泉 オリジナル・プラスチックモデル photo by Kei Okano
会場に展示されたオリジナル・プラスチックモデル

──接着剤で思い出しましたが、作品に使われたプラモデルは、パーツのつなぎ目をあえて強調されていますね。たとえば、白いフクロウに黒色の接着剤を使われたり。

加藤 その方がきれいだから。金属の溶接痕のようなイメージですね。古いプラモデルは精度が低くてパーツがピッチリ合わないから、いっそつなぎ目を強調しようと思いました。それに普通に作っても、たんなるフィギュアみたいで全然面白くないし。

──これまで木彫、版画、ソフトビニール、布など様々な素材に取り組んでこられました。

加藤 ペインターは、大体40歳ぐらいで行き詰まるんですよ。ある一つの形ができて、そこから上に行けなくなって、もがいても自分の壁を少ししか抜けられない。僕は木彫をやったおかげで、そこを運良く超えられて、それからスランプらしいスランプは経験していないんです。だから色々なマテリアルを使うのは、先ほど和多利さんが言われたように絵を良くするためだと思いますね。多分もう無意識にやっているのだと思う。

和多利 ペインターは、絵画に専念する人がほとんどです。加藤さんのように、様々な素材を使う人は少ないし、それも加藤さんの魅力の一つだと思いますね。軽やかな感じがします。

加藤 絵は描き続けているけれど、もう出口がないトンネルを歩いている感じはないですね。いまはトンネルを出て、頭上に空が広がっている感じ? ちょっと自由になれた気がするというか。

──美術の世界は素材的ヒエラルキーがまだあると思うのですが、それは気になりませんか?

加藤 気にしていないですね。全部が等価値ですね。

会場風景より
会場風景より、ビンテージプラモデルの組立説明書を絵画にコラージュした平面作品

──これから取り組まれたい素材はありますか?

加藤 さすがに、そろそろ打ち止めじゃないかな。無理して探すのもね。

和多利 でも、また出合いがあったらスッと使われるんじゃないですか。加藤さんの場合、素材との出合いが自然体で、それもいいなと思います。

加藤 そういえば最近、ブロンズとアルミの作品も作りましたね。

和多利 今年フランスのル・アーヴル市の公園に設置されたブロンズの彫刻作品は、ワタリウムで特大の写真を壁に展示しています。高さ7mの巨大な人がたにリアルな蜂を組み合わせていて、これも「プラモデル・シリーズ」の一環ですね。

加藤 アルミの作品は、いまニューヨーク郊外にある「ASSEMBLY」というギャラリースペースで展示しています。石の作品をアルミで抜いたものだから、制作方法でいえばプラスチックモデルと同じ理屈です。こちらはサイズが大体2mだから、ずっと大きいけれど。アルミは石やブロンズより重量が非常に軽いから移動が楽だし、一定の耐久性もあって結構気に入りました。単体を組み合わせて、大きな作品もつくれるし。

──現在は東京ベースで活動していらっしゃるのですか?

加藤 いまは東京です。香港にもスタジオがありますが、コロナで3年間入れなくて。東京を拠点に、海外と行き来する感じですね。明日からはロンドンに行きます。

──個人的に気になるグローバルな動きや社会の変化はありますか?

加藤 僕が一番分かるのはアートだと思うけれど、日本は世界に置いていかれてしまったと思います。いろいろなところでトータルに落ち込んでいる。

──それは作り手が、それともシステムの問題ですか?

加藤 全部。やられてしまったと思いますよ。マーケットにしても、韓国の方が日本より強いし、中国は本当に強い。どうすれば盛り返せるのか、偉い人にしっかり考えてほしいですね。

和多利 それに関しては唯一、僕は加藤さんに反論したいけれど、日本は良いアーティストはそろっている。もう少し環境が改善されれば、上向くと思いますよ。

加藤 でもアーティストは、制作や発表の機会が多ければ海外へ出て行ってしまいますからね。僕もそうだけど、心境は複雑です。もう少し、どうにかならないかと思いますね。あとはね、本当に戦争が早く終わってほしいと思います、普通にひとりの人間として。

会場風景より

*1──2022年8月20日~10月2日に宮城県石巻市を中心に開催された芸術祭。ワタリウム美術館の和多利恵津子館長と和多利浩一代表がキュレーターを務めた
*2──1969年愛知県生まれ。現在は石巻市を拠点に制作活動を行う。ドローイングを中心に、ペインティングや彫刻を制作し、国内外で多数の展覧会に参加
*3──2020年10月17日~2021年1月12日に開催された8人の作家による現代美術展
*4──1956年生まれ。イラストレーター、モデレーター。SF小説の挿絵や映画・ゲームのメカデザイン、立体など多彩な作品を手がけている。

加藤泉(かとう・いずみ)
美術家。1969年島根県⽣まれ。1990年代末より画家のキャリアを本格的にスタート。子供が描くようなシンプルな記号的な顔のかたちに始まり、人がたを手がかりにした創作を展開している。2000年代から木彫作品を発表し、現在はソフトビニール、石、布、プラモデルなど幅広い素材を扱う。近年の主な個展に、Red Brick Art Museum (北京、2018年)、Fundación Casa Wabi (プエルト・エスコンディード、メキシコ、2019年)、原美術館/ハラ・ミュージアム・アーク(東京/群馬、2館同時開催、2019年)、SCAD Museum of Art (サバンナ、米国、2021年) など。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。