公開日:2020年9月16日

いま、香港で何を考えていますか?:リー・キットに6の質問

いま、アーティストは何を考えている? 香港を拠点とするリー・キットに6の質問を投げかけた。協力:シュウゴアーツ、隅本晋太朗、藤江芽衣

Tokyo Art Beatでは、今年4月から5月にかけ「いま、何を考えていますか? アーティストに4の質問」というメール・インタビューシリーズを掲載し、新型コロナウイルスのパンデミック後の生活、そして東京都のアーティスト支援策などについて質問を投げかけた。回答者は、会田誠百瀬文Houxo Que梅津庸一遠藤麻衣金瑞姫磯村暖高山明の8名。

今回はその特別編として、現在香港を拠点とするリー・キットにメールインタビューを行った。民主化デモ、コロナ禍で可決された国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法)や国歌法など、状況が急激に変化する香港で、いまキットは何を考えているのだろうか?

‘You (you).’ - Lee Kit Hong Kong 55th International Art Exhibition – La Biennale di Venezia Curated by Lars Nittve with Yung Ma, M+ Photograph by David Levene Venice Italy 28/5/13

──新型コロナウイルスのパンデミック後の数ヶ月間、あなたはどこでどのように過ごしていましたか?

キット:3月にダブリンに短期滞在した後、香港に戻りました。パンデミックの最中はビザの問題があって、過去8年の間多くの時間を過ごした台湾に行けなかった(戻れなかった)んです。それに僕はこれまでの8年間で香港に1ヶ月以上滞在したことがなかったので、この機会に香港の今まで住んだことのない場所に住んでみることにしました。都市部や農村部のあまり馴染みのない場所もたくさん歩きました。あとは、自分の心の中を整理して、今まで考えていたことを忘れるようにする時間を過ごしています。

──キットさんの周囲の状況はどのように変わりましたか?

キット:香港は昨年から変化を見せていて、この数ヶ月間(2020年3月から8月まで)で社会的にも政治的にも急速に変化し続けています。例えば香港政府は、「国歌条例」と「香港国家安全維持法」を6月に可決しました。2019年の夏から2020年の初めにかけての抗議活動(香港民主化デモ)のすぐ後のことです。昨年から現在に至るまで、何千人もの人々が逮捕され、彼らの中から多くの人が起訴されています。逮捕は今も続いている。

そしてパンデミック。さまざまな物事が変化し、そして人々も変化したと思います。今でも変わらず普通に生活している人たちは、どちらかと言うと異常に見えますよね。でも、そうした生活を送る人々のほとんどは非難されるべき存在ではない。このような変化に対して僕がどう感じているのかを説明するのは難しいですね。シュールで、もどかしくて、傷ついて、何だか「ミュート」されている感じでしょうか。頭の中の「ミュート」された、いわば抑圧されたような音の壁とともに呼吸して歩き続けているような感覚です。多分これは、僕がはっきり説明することができる、もっとも明白な変化の一つではないでしょうか。あとは、街が前ほど混雑しなくなったのも良いことだと思います。

──今後のアート界はどのように変化する、あるいは変化すべきだと思いますか? 例えば、パンデミックによって多くの展覧会がオンラインで開催されました。パンデミックが収束した後も、展覧会の形式への影響は続くと思いますか?

キット:少し前からアート界は何かしら変化をすべきだと思っていました。このパンデミックは、僕たちが長年の偽善に対して向き合うための促進剤になっている。その一方で、何がアートかということよりも、何を構成するか、何を僕たちが行うかということがより重要な問題になっています。今年の3月から4月にかけて、多くのアート関係者がアート界をいかに変えたいかと話していたのを覚えていますが、でも今は、アート作品を展示し、共有し、コミュニケーションするためのプラットフォームをもう少し増やしながら、通常の状態に戻る必要があるように思います。

例えば「オンラインプラットフォーム」。今の時代のメディアなのでそれが問題だとは思わないですけれど、目的を達成するための手段ではないですよね。僕たちみんながそのことをわかっている。僕たち──いや、僕は、パンデミックによる影響や結果に限らず、以前と少し違ったことをするべきだろうと思っています。つまり、重要なことは何かをする前の自分の行動の根拠で、それと同時に、一定のエネルギーと開放性を保つことが大事です。展覧会の制作方法やコラボレーション、プレゼンテーションの形式を変えるというようなことだけではなくて、他者を尊重することが大事。

批評的かつとてもオープンな姿勢で、何年もかけてアート界を最善の方向に導くよう努力してきた善良な人々がたくさんアート界にいることは知っています。でもそういう体制は、送電塔の形のように積まれた沢山の箱のみたいなものです。僕はこの送電塔の形が、大きな川とか、もしくは流動的な組織のようなものになればいいと思います。具体的な提案ができないので、僕もこの偽善の一端を担っていると思いますが。

パンデミックが収束した後も、展覧会の形式への影響は続くか。これは、今は世界的にも政治的にも不確実な状況なので確実なことが言えません。人によってはコンサートを楽しむように、展覧会に行って実際の作品を見たり体験することが好きな人もいますよね。僕としては、この影響は長くは続かないと思っています。

──新型コロナウイルスの発生を起点に、政治的かつ人間の尊厳に関する問題が顕在化しているように見えます。もちろん両者の関連を簡単に定義付けることはできませんが、あなたはこの関連についてどのようにお考えですか?

キット:政治問題と人間の尊厳の問題、両者の関係については良い面と悪い面の両方があると思います。多くの国では、この非常に困難な時期に人々が協力して助け合っている姿を目にします。新型コロナウィルスの発生が人々を動かし、自分たちの社会にとって最善となる行動をとらせている。でも同時に、人道に反するポピュリズムや人種差別も見られます。尊厳の問題として嫌悪される単純さと至上主義。既存の社会政治問題を抑圧・統制する手段としてこのパンデミックの状況を利用している政府も存在することは言うまでもありません。

──あなたは2013年、ヴェネチア・ビエンナーレで雨傘運動をモチーフに作品を発表しましたが、雨傘運動以降も常に香港と中国の関係性には緊張感があり、その緊張感はこの一年で急速に高まっています。そして6月30日、国家安全維持法(中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法)が可決されました。そんな状況下において、個人としてのあなたの姿勢と、アーティストとしての姿勢はどのような関係にあるでしょうか?

キット:2013年にヴェネチアで作品を発表する以前、2006年頃からだと思うんですが、傘が警備員ブースを「保護」するような作品イメージを思い浮かべていました。本当に偶然なんですけど。

実は、国家安全維持法が成立する前から、僕は僕個人としての姿勢とアーティストとしての姿勢に明らかな違いがないことに気付き始めていました。僕は絵画のような、伝統的で慣習的な作品を制作する一方で、作品や展覧会として「何かが起こる(something to happen)」ようにアレンジするということをやっています。もしくは「何かが起こった(something happened)」ように、という感じでしょうか。

僕がよく使う好きなフレーズです。僕の生活はどんどん平凡になってきていて、生活が自分のいわゆる「芸術的実践(Art Practice)」に近づいている気がします。たまにご飯を作って散歩をして(the conventions = 習慣的な、約束に則ったことをして)、必要に応じて、もしくはやりたくなったら何か事を起こす(something happens)。今の僕個人の在りかたと芸術的実践との間には、少なくともアナロジー的には大きな違いはないように見えます。みんなも同じようにして生活しているんだと思いますが。

──2017年のインタビューで「僕は今ではもう民主主義の存在を信じていない」と語られていました。その気持ちは今も変わらないままですか?

キット:僕は今でも、民主主義を唯一の信頼できる政治システムだと思っていないですが、より良く、より公平な社会に近づくために通過すべきプロセスだとは思います。僕たちは、民主主義がポピュリズムが可能になり広く普及していることに依存したシステムとしてどのように失敗してどのように利用されてきたか、エンドレスで議論をすることができます。僕がここで馬鹿げたことを言っていないといいのですが。

香港で起きたことや経験したことから考えた時、僕は単に戦略の立て方がわからない。なんと言うか、既存のシステムから新しいシステムを一から組み立てる方法がわからないんです。でも、どこかで始めなければいけないですよね。そうすれば、僕らはそこから出発して次に進むことができるんです。

──この先にどのような希望を見ますか?

キット:この質問は将来のためにとっておきたいと思います : )

リー・キット 撮影:武藤滋生


リー・キット(Lee Kit)
1978年香港生まれ。台北を拠点に欧米アジア各地で滞在制作を行い活躍。プロジェクターによる光、映像、音、言葉やファウンド・オブジェなどのメディアを素材として用いながら制作される作品からは、常に絵画表現を先鋭的に拡張していこうとする意思が読み取れる。世界情勢に揺れ動いてきた都市、香港を出自にするリーは、同時代の社会や政治状況に問題意識を持って向き合っている。様々な土地の空気や感情を反映させたサイトスペシフィックな展示空間は、繊細な表現を通して観客に社会や他者との関係性を想起させる。主な展覧会に「Resonance of a sad smile」 Art Sonje Center(ソウル、2019)、「僕らはもっと繊細だった。」原美術館(東京、2018)、「The Enormous Space」OCAT Shenzhen(深圳、2018)、「Not untitled」シュウゴアーツ(東京、2017)、「A small sound in your head」S.M.A.K(ゲント、2016)、「Hold your breath, dance slowly」ウォーカーアートセンター(ミネアポリス、2016)、「The voice behind me」資生堂ギャラリー(東京、2015)、ヴェネチア・ビエンナーレ香港代表(ヴェニス、2013)など。

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