公開日:2022年6月29日

コロナ禍以降の「幸福」と「健康」を16人の作家の作品を通して考える。森美術館「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」展レポート

青野文昭、飯山由貴、小泉明郎、金沢寿美、ヴォルフガング・ライプ、オノ・ヨーコ、堀尾昭子、堀尾貞治らの作品が並ぶ企画展。館長の片岡真実や共同キュレーターが本展について解説した記者会見の様子とともにレポート

堀尾貞治の展示風景より

パンデミックに戦争。困難な時代に「よく生きること」とは

森美術館にて企画展「地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング」が開催される。会期は6月29月~11日6日。

タイトルの「ウェルビーイング(wellbeing)」とは、身体的・精神的に健康であり、社会的にも良好な状態にあることを意味する言葉。新型コロナウイルス感染症のパンデミック以降、生の在り方に根本的な見直しが迫られるいま、私たちはどのように「よく生きること」が可能なのか。16名のアーティストによる約140点を通して感じ、考えることができる展覧会になっている。

会場風景より

参加作家は、エレン・アルトフェスト、青野文昭、モンティエン・ブンマー、ロベール・クートラス、堀尾昭子、堀尾貞治、飯山由貴、金崎将司、金沢寿美、小泉明郎、ヴォルフガング・ライプ、ゾーイ・レナード、内藤正敏、オノ・ヨーコ、ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)、ギド・ファン・デア・ウェルヴェ

企画は、片岡真実(森美術館館長)、熊倉晴子(森美術館アシスタント・キュレーター)、德山拓一(森美術館アソシエイト・キュレーター)による共同キュレーション。館長の片岡は記者会見で、森美術館の館長就任の直後にパンデミックが起こり、これからの美術館の方針を立て直す必要があったと説明。そのひとつが、ひとつの展覧会の期間を長くすることであり、もうひとつは館内の共同キュレーションの在り方の模索だったという。本展において「パンデミック以降」というのはテーマであるだけでなく、その企画から実現までの裏側の方法論にも深く影響を与えているようだ。

オノ・ヨーコの言葉から

本展のタイトル「地球がまわる音を聴く」は、オノ・ヨーコのインストラクション・アートからの引用だ。本展はまず、このインストラクション(指示書)が収録された私家版『グレープフルーツ』(1964)の展示から始まる。

オノ・ヨーコ  アース・ピース 1963春 オフセット・プリント オノ・ヨーコ『Grapefruit』(Wunternaum Press、東京、1964)より

記者会見で片岡は、「コロナ禍によってアートは変わったのか?」とよく聞かれるようになったと話し、オノ・ヨーコのこのインストラクションをよく思い出したという。パンデミックなどで行動の自由が著しく制約されたとしても、想像力はいくらでも自由に広げることができる。こうした想像力の力を未来への扉を開く可能性として提示するのが、本展のオープニングだ。

会場風景より、ヴォルフガング・ライプの展示風景

またもうひとつ、片岡がこの間によく思い出したというのが、ドイツ生まれの作家ヴォルフガング・ライプの花粉を使った作品だ。床に正方形型に黄色い花粉を撒くという非常にシンプルな作品で、静謐であり瞑想的な雰囲気もある。集めるのにとても時間がかかるほど細かな花粉はしかし、そのなかに繁殖のための遺伝子情報が凝縮されている「生命の始まりを象徴するもの」(片岡)。吹けば飛んでしまうような小さな小さな存在から、生命の重さが感じられてくる。
ほかに蜜蝋と牛乳を用いた作品も出品。いずれも素材自体や生命の本質をシンプルに研ぎ澄ませるような美しさがある。

ちなみに作家のライプも来日予定だったが、出国直前のPCR検査で陽性と判明し、急遽来られなくなってしまった。「ウェブチャットで美術館とドイツをつないで、花粉は私が撒きました」と片岡。とても残念な出来事だが、このようなままならなさ”も、「パンデミック以降」のひとつの景色だろう。

エレン・アルトフェストの展示風景
エレン・アルトフェスト《木々》(2022)展示風景

続く一室には、ニューヨーク出身のエレン・アルトフェストによる、植物や自然の風景を中心とする絵画が並ぶ。キュレーターの德山は、作家の特徴について、「写真を用いたりせず、実際に対象を見ながら描いている。木を描くときには実際に森に入り、太陽光のもとで描く」と説明。こういった制作方法は時間を要し、新作のA4サイズほどの《木々》は13ヶ月かかっているという。こういった時間の経過までもが描きこまれた絵画の瑞々しさに、目が惹きつけられる。

ゾーイ・レナードの展示風景

ニューヨーク生まれのゾーイ・レナードは、エイズ危機をアクティヴィストとして乗り越えてきた作家だ。キュレーターの熊倉は「社会的な極めて深刻な問題を前に、個人的かつ私的に取り組んでいる」と説明。本展では、理想の大統領をテーマにした詩を展示する。

飯山由貴は、ドメスティック・バイオレンス(DV)をテーマに、加害者・被害者双方へのインタビューをもとにした新作映像をはじめとする展示を発表。自身もDVの経験を持つという作家は、外からは見えづらい私的な関係性のなかで起こる支配や暴力の構造的な在り方に鑑賞者の目を向けさせる。そして「家族やパートナーシップとは異なる別の〈親密圏〉を作り出し、支え合うことを考えていく」(会場で配布されたハンドアウトより)ことの重要性を共有しようと試みる。マーガレッド・アトウッド『請願』に着想を得た《家父長制を食べる》という作品は、パン=身体を捏ねて作り食べるという行為を通して、自身が受けた暴力や痛みを乗り越えようとするもので、その切実さが胸に迫る。詳細な情報を丁寧に編み込んだハンドアウトからも、作家がこのテーマを鑑賞者と共有し、ともに考えていこうとする姿勢が強く感じられる。

ギド・ファン・デア・ウェルヴェ《第9番 世界と一緒に回らなかった日》(2007)展示風景

ギド・ファン・デア・ウェルヴェはオランダ出身の作家。本展タイトルと呼応するようなタイトルの作品《第9番 世界と一緒に回らなかった日》は、作家が地球の時点と反対向きに少しずつ回り続けるパフォーマンスの記録映像だ。そのほかに、ベッドに何度も飛び込む、湯船の中で足踏みし続ける、自宅の周りを何千周も走り続けるなど、「極限的に身体を使ったパフォーマンスを行う」(德山)のがこの作家の手法だ。「タイトルから感じられるようなユーモアと、パフォーマンスの過酷さのコントラストが独特の詩情を生み出すというのがギドの作品の特徴」だと德山は語る。

小泉明郎《グッド・マシーン バッド・マシーン》(2022)展示風景
小泉明郎《グッド・マシーン バッド・マシーン》(2022)展示風景

一転して暗い展示室。ここでは小泉明郎の新作映像インスタレーション《グッド・マシーン バッド・マシーン》が鑑賞者を待っている。「よみがえりたい」「想像してはいけません」「思い出してはいけません」……不穏な声こだまする室内の中央には、ロボットアームが設置されており、異様な雰囲気だ。本展が用いるのはずばり「催眠術」で、問われるのは私たちの「主体性」だ。「催眠術は言語による意識の誘導。しかし私たちも日常的にオンラインなどにあふれる言葉から、いろんな影響を受けている。どこからが自分の意志でどこからが他人の意思なのか、現代の主体性を考えるきっかけになる」(德山)。

此岸と彼岸、個人的な物語とヒューマンスケールを超えた時間が、重なり合うように同居する。内藤正敏青野文昭の展示室には、そんな圧倒的な雰囲気が満ち溢れている。

内藤正敏の展示風景

内藤正敏は初期の実験的な「コアセルベーション」シリーズから、「即身仏」「東北の民間信仰」「婆バクハツ!」など東北を撮ったシリーズ、そして東京の闇をとらえらシリーズまで、これまでの軌跡をぎゅっと凝縮したような展示。

青野文昭の展示風景
青野文昭の展示風景

青野文昭は、生まれ育った仙台にある八木山が題材。鑑賞者は《八木山橋》を渡り、奥にそびえる《僕の町にあったシンデン─八木山路山神社の復元から2000~2019》へと招き入れられる。東日本大震災の翌日、青野はこの八木山に避難し、海岸部を見ていたという。そのときに失われていった無数の魂、そして八木山にあったものの破棄されてしまった神社にまつわる作家の様々な想念が、かつて誰かに使われていた箪笥や日用品といった物たちを用いることで、巨大な作品として具現化されている。床に置かれたハンドアウトとともに、ぜひ作品を体感してほしい。

壊れたものや捨てられた物を作品に用いる青野は、「なおす」ということや「修復」というテーマに1996年以降一貫して取り組んできた。しかし東日本大震災で身の回りのあらゆるものが破壊された風景のなかで生きることになった作家にとって、「なおす」「修復」ということの意味は、震災前/後ではまったく違うものとなった。「世界が大きく変わることによって、作品の意味が大きく変わってきたというのは、本展を考えるうえで重要だった」と熊倉は語る。

金崎将司の展示風景
金崎将司の展示風景

金崎将司の立体作品は、無数の細かい層が折り重なったメノウのような、不思議な美しさを放っている。じつは雑誌のカラーページや折込チラシを細く切ったものと木工用ボンドでできていると知り、驚かずにはいられない。独特の質感は、制作中に作品を撫で続けることで生まれているという。絶対ダメだが、思わず自分の手をその表面に沿わせてみたいという衝動に駆られる。このような無数の手の動きの重なりがひとつの作品を形づくるというシンプルな事実に、人間の営みの途方もなさを感じる。

ロベール・クートラスの展示風景
ロベール・クートラス 僕の夜のコンポジション(リザーブカルト) 1970 ボール紙に油彩 約12 × 6 cm(各) 撮影:内田芳孝+岡野 圭、片村文人

パリで生まれたロベール・クートラスは、若くして頭角を表したものの画壇を離れ、貧しさのなかで表現の道を追求した孤高の作家。タロットカードほどのサイズに、心象風景を描き付けた。

手前のオブジェが堀尾昭子、奥の壁面が堀尾貞治の展示

堀尾昭子堀尾貞治は夫婦であり、ともに具体美術協会に所属、解散後は個人で制作を続けた。ふたりの作品が同じ空間に配された展示室は、本展のハイライトのひとつだろう。
堀尾昭子の、極限までミニマルに研ぎ澄まされたオブジェについて、德山は「堀尾さんの生が結晶化したような非常に美しい作品」と語る。

堀尾昭子の展示風景

いっぽう堀尾貞治の展示は、その物量に圧倒される。2018年に亡くなり、そのまま残されていたアトリエを展示室内に再現。また1985年以降「あたりまえのこと」というコンセプトのもと制作に取り組んできた作家が、亡くなるまで毎日欠かさず作り続けてきたという《色塗り》を展示。毎朝起きて、土間にあるアトリエに行き、無造作にかけてある紙などに1日1色塗ることでこれらは作られてきた。まさに生の集積だ。

堀尾貞治のアトリエ再現展示
堀尾貞治の展示風景

最後の展示室には、金沢寿美 、モンティエン・ブンマー、ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)の作品が並ぶ。それぞれ内的な宇宙や、宗教的・伝統的な精神世界といったスケールの広がりを感じさせる。

奥が金沢寿美、手前がモンティエン・ブンマーの展示風景
金沢寿美《新聞紙のドローイング》の一部

金沢寿美の大きな垂れ幕のような作品は、新聞紙を10Bの鉛筆で塗りつぶすことで生み出されている。ところどころ作家が気になった部分は塗らずに残されており、コロナ禍を伝える見出しやドラルド・トランプの顔、「破」の文字などが、漆黒の鉛が生み出す宇宙空間に浮かんでいる。「作家は出産後、様々なところに出向くことができなくなったことで社会との断絶を感じるようになった。そして家族が寝静まったあとに新聞を塗りつぶすという行為を繰り返した」(德山)。この作品は作家の内的な宇宙であり、同時に宇宙の彼方のコックピットからどこかの誰かへ信号を送り続けるような、祈りにも似た何かだったのかもしれない。

モンティエン・ブンマーの展示風景

タイの作家モンティエン・ブンマーは、タイの伝統的な仏教や呼吸法、ハーブをテーマに作品を多く制作してきた。本作にも調合されたハーブが用いられており、近寄るととても複雑でいい香りが身体に流れ込んでくる。中央にぶら下がっているのは、人間の肺のかたちをしたオブジェだ。精神と身体の不可分なつながりを感じ、治癒される、瞑想空間のようなインスタレーションだ。

ツァイ・チャウエイの展示風景
ツァイ・チャウエイの展示風景

台湾出身のツァイ・チャウエイは、密教をテーマにした作品を展示。鏡でできた曼荼羅が、無限に広がる宇宙とそこにいる自分自身の存在に意識を向けさせる。

日常的な行為の積み重ねを感じさせるものから、深淵な宇宙や精神世界へと連れ出される作品まで。ここまで見てきたように、本展の出品作が取り扱うテーマや想起させるものはじつに広範囲に及んでおり、作品同士の表面的な共有点を見つけるのは難しい。このことはそのまま、人間の多面性や、「ウェルビーイング」の多様な在り方、物事の多義性を反映していると言えるかもしれない。

共同体の一員として、誰かと親密な間柄である存在として、そしてたったひとりの個人として、「よく生きる」とはなんだろう。たったひとつの明確な答えなどないかもしれないが、鑑賞者は「よく生きる」ための様々な手立てや無数の可能性について、本展を通して思考してみることができるだろう。

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集。音楽誌や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より現職。