会場風景より、《開いたメロン》(2019)
現代スペインを代表する画家、ミケル・バルセロの回顧展「ミケル・バルセロ展」が東京オペラシティ アートギャラリーでスタートした。会期は1月13日~3月25日。
国際的知名度に比して、日本でこれまでにほとんど紹介されることのなかったバルセロは、1980年代新表現主義のなかで評価されてきた作家。会場を訪れてまず驚かされるのは、キャンバス、立体問わず作品が大規模なこと。そしてスペインの風土を思わせる強く情熱的で胸を空くような色彩だ。
ミケル・バルセロは1957年スペイン・マジョルカ島生まれ。「バルセロ家は13世紀よりマジョルカ島に住むいわゆる旧家。作家自身も島の歴史や環境に浸りながらスタイルを形成してきました」と、本展担当学芸員の福士理(東京オペラシティ アートギャラリー)は話す。
バルセロは美術学校を卒業後の76年、前衛芸術家のグループに参加。82年の「ドクメンタ7」(ドイツ・カッセル)で国際的な場に登場して以降、マジョルカ島、パリ、アフリカなど各地にアトリエを構えて精力的に作品を手がけてきた。
88年には過酷な風土と孤独を求めアフリカを旅し、以後、繰り返しマリに滞在し制作。絶えず変化を求める多産の芸術家であり、その制作は、絵画をはじめドローイングや旅のノート、本の挿絵、彫刻、陶作品、パフォーマンス、舞台美術、そしてパルマ大聖堂(マジョルカ)のサン・ペール礼拝堂内部装飾(2007年完成)やジュネーブの国連欧州本部人権理事会大会議場天井画(2008年完成)など、壮大な建築的プロジェクトにまでおよんでいる。ヴェネツィア・ビエンナーレにたびたび出品し、2007年にはアフリカ、2009年にはスペインの代表を務めた。先史時代の洞窟壁画に強い関心を持ち、ショーヴェ洞窟のレプリカプロジェクトでは学術委員に名を連ねた。
13年にはフランス文化賞より芸術文化勲章「オフィシエ」を、20年にはスペイン・カタルーニャ自治州政府よりサン・ジョルディ十字勲章を受章している。
展覧会は、最新作から初期作へとタイムラインが遡るように構成される。
例外となるのは展覧会冒頭を飾る、バルセロに多大な影響を与えた母をモデルとした肖像画《母》(2011)と、国際美術展である「ドクメンタ7」への参加が決まったときの気持ちを絵画化した《良き知らせ》(1982)の、親子共演パート。《母》では、キャンバスを真っ黒に塗り、脱色剤を絵具代わりに用いて描画するというブリーチ・ペインティングの手法を用いている。展覧会後半でも同手法の作品はいくつか登場するが、時間をかけて色が消えていくという脱色剤の特徴を生かした筆致を楽しみたい。
バルセロの作品では、海と大地、動植物、歴史、宗教などの幅広いテーマが大きな位置を占める。なかでも、少年時代に毎日のように海に潜っていたというバルセロは、タコや魚を多数描いている。大型絵画を間近に眺めてみると、図版では目視できない魚の顔やタコの吸盤などを発見し、シリアスな作風のなかでかわいらしい印象を放つが、「鑑賞者によっては、タコの絵に難民危機のテーマを、魚の絵に環境問題のテーマを見る方もいます」と、本展担当学芸員の福士理。
92年の《亜鉛の白:弾丸の白》は、キリスト教の磔刑図を翻案した作品。人ではなくヤギが逆さ吊りにされ、傍らには頭蓋骨が置かれているが、足の付け根の股間部分に白いタコがへばりついている。なぜヤギなのか? なぜタコなのか? つい読み解きたくなる一作だ。
作品は絵画にとどまらず、90年代後半から2020年代にかけ陶作品も多数手がけている。「焼きものは自分にとっては絵を同じ」と言い切るバルセロ。窯を買い取り、スタジオで制作しているというが、いずれの作品からもマジョルカ島やヨーロッパの伝統的なイメージとのつながりが透けて見える。
島を拠点としながらも、パリ、マリ、ヒマラヤなどを訪れ旅する芸術家としての側面も持つバルセロ。本展の後半では、旅先での風景を描いたスケッチブックや紙の作品が展示される。旅先では紙の作品が多くを占めるが、その理由としては過酷な環境下ではキャンバスよりもスケッチブックが好都合であるとこと、そして会場キャプションでは「バルセロが豊かな文学的イマジネーションに恵まれ、本や挿絵の制作に深い関心を持っている」からだと解説される。バルセロは活動最初期にあたる84、85年、図書室で本を読む自画像《細長い図書室》を描いているが、少年期に潜った海から本、そして島外へと、外の世界に貪欲に目を向け、それを描きつけるという往還が見て取れる展覧会だった。
展覧会は昨年より大阪、長崎、三重を巡回し、このほど終着地の東京オペラシティ アートギャラリーへたどり着いた。日本でバルセロの作品をまとめて鑑賞できるこの機会をお見逃しなく。
野路千晶(編集部)