シリーズ「#MeToo以降の女性映画」は、「#MeToo」のハッシュタグとともに自身の性暴力被害を告発する人々が可視化され、この運動が時代を揺さぶる大きなうねりとなったいま、どのような映画が生み出され、それらをどのように語ることができるのかを考える連載企画。
「#MeToo」運動が一躍世界に広まったきっかけは、2017年10月に「ニューヨーク・タイムズ」紙がハリウッドでもっとも影響力のあるプロデューサーのひとり、ハーヴェイ・ワインスタインによる様々な女性たちへの性暴力とセクシュアル・ハラスメント疑惑を報道したことだった。以降、映画界の長年にわたるジェンダー不平等は様々なかたちで問題視されることとなり、こうした問題を意識的に取り上げる作家・作品も増えている。
連載第2回となる今回は、まさにこのワインスタインへの告発とそれを追った女性記者たちの物語である映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』について取り上げる。これまでの#MeTooムーブメントを概観するとともに、本作が示した新時代の「女性映画」のあり方について論じる。【Tokyo Art Beat】
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いよいよハーヴェイ・ワインスタインの性的暴行を報道した2人の女性記者の活躍を映画化した映画『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022、以下『SHE SAID』)が日本でもお披露目となった。報道はその後大きく各国でも広がった#MeTooムーブメントのきっかけとなった。ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイー、「ニューヨーク・タイムズ」紙の2人の記者がワインスタインによる性的暴行を告発したのは2017年10月5日だった。
ワインスタインは弟のボブとともにミラマックス、後にワインスタイン・カンパニーを立ち上げ、クエンティン・タランティーノ『ジャッキー・ブラウン』(1997)などのとんがった作品、また『恋におちたシェイクスピア』(1998)ではアカデミー作品賞やベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞し、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズも手掛けた、アメリカ映画界に多大な影響を与えた映画プロデューサーだ。
性的暴行やセクシュアル・ハラスメントは複数人の女優や会社のスタッフに対して行われ、なんと数十年にわたるものだった。記事ではアシュレイ・ジャッドら著名な女優が実名で被害を告白し、大反響となった。ワインスタインのセクハラは、以前から業界では噂になっていたが、表沙汰になったことはなかったのだ。女優のアリッサ・ミラノが同様の被害を受けたことのある女性たちに“Me too”と声を上げるようツイッターで呼びかけ、著名人・一般人問わず多くの女性がこれに応え、世界的な性的暴行・セクハラの告発運動が展開された。
アメリカではNBCの重役や看板番組の司会者、CBSでも大物ニュースキャスターがセクハラ疑惑で解雇され、俳優のケヴィン・スペイシーも複数人から告発され映画の降板が決まった。韓国では演劇界、文壇、政治界など幅広い業界に告発が広がったが、2016年5月に女性がカラオケバーのトイレで殺害された「江南駅通り魔殺人事件」がひとつのきっかけとなって、すでにフェミニズム・ムーブメントが起きていた。映画ファンにとってもっとも衝撃的だったのは、2018年の3月に起きた、世界的な巨匠であった映画監督キム・ギドクの性的暴行事件に関する告発であろう。監督が俳優らとともに女優に繰り返し性的暴行やセクシュアル・ハラスメントを行ってきたというもので、結果的にギドクは韓国にいられなくなり、2020年12月にラトビアで客死した。
日本でも伊藤詩織が行った、TBSテレビの政治部記者による性的暴行の告発が記憶に新しいが、これは事件自体は2015年4月に起き、2016年7月に刑事訴訟で不起訴になり、2017年に伊藤が民事で訴訟を起こし、10月に手記を刊行、と伊藤は#MeTooムーブメントの前に行動を起こしている。つまり、男性がその立場を利用して行う性的暴行やセクシュアル・ハラスメントに対する女性らによる告発はもともと各国で同時多発的に機運が高まっており、そこにワインスタインの報道が火をつけたと見るのが正しいだろう。2022年3月には映画監督の榊英雄に対して複数の女優が性暴力を告発するなど、日本版#MeTooとも言える事例も起きている。
映画界や放送局といったメディア業界に告発が多く起きているのは、女優や女性ニュースキャスターなど花形の職業が、構造的にセクハラの標的になりやすいということはもちろんあるだろう。『SHE SAID』に先駆けて公開された『スキャンダル』(2019)ではFOXニュースの創立者で元CEOのロジャー・エイルズのセクシュアル・ハラスメントと、彼に対する女性キャスターたちの告発を描いた。この映画の製作が発表されたのはエイルズの死後まもなくという2017年5月だったので、#MeTooムーブメントが起きる前になる(本国での公開は2019年12月)。
この映画を見ると、トップにいる男性がどのように番組への起用を餌にして女性キャスターたちに性行為を強要するのか、また訴えた女性に和解金を払い黙らせるのか、その手口を仔細に知ることができる。実際にエイルズをセクハラで訴えたグレッチェン・カールソンにニコール・キッドマン、FOXの冠番組のキャスターを務めたメーガン・ケリーにシャーリーズ・セロンが扮した。シャーリーズ・セロンは1988年に起きた世界初のセクシュアル・ハラスメント訴訟を描いた『スタンドアップ』(2005)でもひとり訴訟を起こすヒロインを熱演しているので、イメージ的にはぴったりである(セロンは『スキャンダル』には製作としても参加)。毅然とエイルズのセクハラを拒絶するカールソンとケリーに比べ、エイルズの甘言に乗り、その性的暴行を受け入れてしまうキャスターの卵・ケイラ・ポスピシルをマーゴット・ロビーが演じ、女性たちが決して一枚岩ではなく、その反応にグラデーションがあることもリアルに伝わってくるのがこの映画の美点であろう。
女性への性的暴行やレイプ自体は、映画ではずっと重要なテーマであった。芥川龍之介の『藪の中』(1922)の映画化である黒澤明監督『羅生門』(1950)からして、「レイプ」がなければ成立しない話である。『告発の行方』(1988)のように訴訟によってレイプされた女性が尊厳を取り戻す話も撮られたし、近年では『羅生門』を換骨奪胎したようなリドリー・スコット監督『最後の決闘裁判』(2021)が話題になった。
『羅生門』と『最後の決闘裁判』を見比べてみると、70年経ち、性被害にあった女性の描き方がどのように変わったかを知ることができる。端的に言えば、『羅生門』はレイプ被害にあった女性はその内面を描かれているわけではない。短編小説である『藪の中』は夫と妻、間男、三者三様の言い分が異なるのが構成的なキモだが、それは3人の見方の違いというよりは、3人ともの保身からの嘘を映像によって暴くことの方に重点が置かれている。いっぽう、『最後の決闘裁判』は三部構成となり、夫と妻、間男のそれぞれの見方がより率直に綴られ、その見方の相違が「レイプ」という悲劇を招いたことがよくわかる、#MeToo以降の映画になっていると言えるだろう。女性にとっては「レイプ」であっても、男性にとっては「恋愛」であったり「女性が誘った」のであったり、「合意のもとの性行為」であったと加害者側が主張することはよくあり、『最後の決闘裁判』はその相違が『羅生門』スタイルによって明らかにされるのである。
職場でのセクシュアル・ハラスメントに話を戻そう。ワインスタインはレイプで訴えられているケースもあるが、映画で女優やスタッフがする告発は、彼女らの前で自慰行為をしたり、マッサージをさせたりと、レイプまでいかないものが多い。ただ結果としてレイプまでいかなかったというだけで、どの女性にもかなりしつこく迫っている。問題はレイプか否かではなく、女優にせよスタッフにせよ、仕事をしに来ている女性たちに対して性的な目を向け、上司の立場を利用し、時に役をあてがうなどと甘言によって性的行為を強要することで、女性を貶めていることである。女性差別以外のなにものでもないだろう。セクシュアル・ハラスメントや性的暴行によって彼女らは深く傷つき、ワインスタインの会社を去ったあとは業界に戻れなかった女性が多い。
『SHE SAID』は職場でのセクシュアル・ハラスメントの構造的な問題を、嚆矢となった『スタンドアップ』に次いで暴いていると言えるだろう。また、ワインスタインを、ひいては男性中心主義の社会を変えようと声をあげた女性たちを黙らせる手段の狡猾さも描かれている。会社から和解金をもらうのは『スタンドアップ』では単純に勝利だった。『スキャンダル』では、カールソンは2000万ドルと言われる和解金を受け取る代わりに、秘密保持契約によってそのことについて何か話すことは難しくなった。カールソンはアイロニカルに描写される。『SHE SAID』では、多くの被害者の女性たちが、ワインスタインを訴えたことで和解金をもらうが、同時に秘密保持契約を結ばされ、それについて話すことができない。この映画ではそのことが、確かな証言が必要なジャーナリストの2人にとって大きな壁として立ちはだかる。
『SHE SAID』は主役の記者たちも女性で、女性が女性の助けを借りて、未来の被害者の女性を生み出さないために「声をあげる」という図式になっている。『スキャンダル』ではカールソンとケリー、ポスピシルが偶然エレベーターに乗り合わせるシーンがあったが、彼女らは決して表立って連帯するわけではない。会社は雇っている以上、彼女らに忠誠を求めるので派手な動きはできないのだ。
『SHE SAID』はそれに比べるとあきらかにシスターフッドの物語である。女性だからこそわかる、過去の性暴力による深い傷。被害者の、みなに知られることの恥の感覚と非難されるのではという恐れ。そもそも、話せば訴えられる可能性が高い被害者が多い。ただそのなかでも、声をあげてほしいとカンター(ゾーイ・カザン)とトゥーイー(キャリー・マリガン)が願うシーン、それに応えて、アシュレイ・ジャッドや、ただひとり秘密保持契約を結んでいない元スタッフのローラ・マッデンが声をあげることを決意するシーンが、この映画でもっとも感動的なシーンであろう。そうして実名で証言してくれた被害者がいてやっと、記事の掲載、そして#MeTooムーブメントは可能になった。
「声をあげる」ことこそがこの物語のメインテーマなのである。シンプルでいて力強い『SHE SAID』という原題に対し、カンターとトゥーイーの回顧録『その名を暴け #Me Tooに火をつけたジャーナリストたちの闘い』(新潮社)という邦題に引きずられ、映画の邦題にも『その名を暴け』という副題をつけたのは適当ではないと思われる。この回顧録をひもとくと、終盤に2018年9月のクリスティン・ブラジー・フォードのケースを付け加えている(映画はワインスタインのケースに絞っている)。フォード博士は、最高裁の判事候補であったブレッド・カバノーによる高校時代の性的暴行未遂を訴え、上院司法委員会による公聴会で証言した女性である。結果的にカバノーは判事に就任した。カンターとトゥーイーはフォード博士を中心に成り行きを描写するだけでそれについて何も裁定を下さない。「女性が声をあげる」ことこそを2人が重要視していることがよくわかる。
『その名を暴け』という邦題がそぐわないもうひとつの理由は、ワインスタインはこの物語では脇役にすぎないからである。後ろ姿で数シーンしか彼の出演シーンがないことにもそれはよく表れている。また、生々しい性的暴行やレイプのセンセーションもこの物語のテーマではない。『告発の行方』では痛々しいレイプシーンでのジョディ・フォスターの熱演が耳目を集めたし、『最後の決闘裁判』ではオリジナルの『羅生門』でははっきりと描かれないレイプシーンを描くことが、性的暴行がなぜ起こるのかの明確な検証になっている。だが、この映画では「この世界にこれ以上のレイプシーンを増やすことに興味はなかった」というマリア・シュラーダー監督の意向により、性的暴行のシーンはすべて、被害者が語るのみで、映像では描かれない。
まさに、この報道によって起きた#MeTooムーブメントにより、女性監督や女性スタッフによる、女性が主人公で、女性の内面を描いた「女性映画」は興隆していくこととなる。同時期に公開される、パク・デミン監督による韓国映画『パーフェクト・ドライバー/成功確率100%の女』(2022)は、カー・チェイスものの女性映画である。パク・ソダムが痺れるようなカッコいい女性ドライバーを演じる。いままでは成立させるのが難しかったジャンルまで、女性映画はどんどん進出していくだろう。
『SHE SAID』は、シュラーダー監督が「参考にした」と言う通り、ウォーターゲート事件を描いた『大統領の陰謀』(1976)を彷彿とさせる映画である。新しいところで言うと、カトリック司祭による男児への性的虐待事件を追った『スポットライト 世紀のスクープ』(2015)か。巨悪に立ち向かうロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンは映画ファンの永遠のヒーローだが、半世紀近く経ち、キャリー・マリガンとゾーイ・カザンのコンビでそれを追体験させられるなんて、誰も考えもしなかっただろう。
バディものであり、アメリカの良心であるジャーナリズムを描いた映画であり、「キャスティング・カウチ」が蔓延るハリウッドの悪習を描いた映画でもあり、またそれと闘う女性たちを描いた映画でもある。それらの様々な要素が溶け合いつつ融和している奇跡的な映画でもあり、何よりも様々な職業に就き奮闘しながらも、未来の女性たちのために闘う、働く女性たちのシスターフッドを描いた女性映画である。
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『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』
2023年1月13日より全国ロードショー
監督:マリア・シュラーダー
製作総指揮:ブラッド・ピット、リラ・ヤコブ、ミーガン・エリソン、スー・ネイグル
出演:キャリー・マリガン、ゾーイ・カザン、パトリシア・クラークソン、アンドレ・ブラウアー、ジェニファー・イーリー、サマンサ・モートンほか
原作:『その名を暴け―#MeTooに火をつけたジャーナリストたちの闘い―』ジョディ・カンター、ミーガン・トゥーイー/著(新潮文庫刊)古屋美登里 / 訳
配給:東宝東和 上映時間:129 分 © Universal Studios. All Rights Reserved.